クリスティナ3
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王女は、魅了が解けてからもしばしばクリスティナの様子を確認するためにリヴィングストン公爵邸を訪れてくれていた。
これまで王女とは大した交流がなかったのだが、今のクリスティナにとっては唯一の外とのつながりだった。彼女の話してくれる帝国の話はとても面白く、自分がいかに狭い世界に囚われていたか突きつけられる。
今日も王女が来訪する予定だ。
魅了にかかっていてそれが解けたと言われた日から、クリスティナの日常は大きく変わった。
一日というのはこんなに長かっただろうか。
ギデオンのことを考えなくて良くなり、尽くすこともしないでいると、本当に一日が長い。
胸に穴が空いてしまったかのようで、王女と会う以外はぼうっとして過ごした。
母や父も心配してくれてよく部屋に来てくれるし、あれこれ買い物や気晴らしに連れ出そうとしてくれる。侍女たちも刺繍をしてみないかとか、誰か屋敷に呼んだらどうかとか、庭に散歩に行こうとかいろいろ誘ってくれるが気力が湧かない。
だって、嫌ではないか。
自分の五年間は無駄だったのに、買い物に出かけて皆が普通に過ごしているのを見るのは。自分だけが五年間の時を止めていたかのようだから。
そういえば、キャラハン伯爵家のロレッタはウェリントン領まで行っていて、クライヴとともに王都に戻って来たらしい。学園の卒業パーティーのためだろう。彼らはやり直すようだ。
ロレッタは大人しい令嬢であったし、同じ被害者であってもクリスティナに親切を装って近づいて来なかった。
イライザはクリスティナに「どうするつもりだ」と詰め寄ってきたので、対照的な二人である。
イライザのところも婚約を解消したという話は聞かない。あそこが一番結論が早いと思っていたのに。
イライザから見れば、クリスティナは愚かなことしかしていなかっただろう。
ギデオンが何をしても微笑んで許し、ギデオンは悪くないのだと平然と言っていたのだから。
十三歳から努力してきたことがすべて王妃によって作られたものだなんて。好きなことをしたらいい、なんて言われてもなかなか思いつかない。
外出は噂されそうなので面倒でしていないが、刺繍も読書も散歩もしている。
でも、好きなものなんて見つからないのだ。
五年間自分がなかったので、取り戻すのにも時間がかかる。
王女を庭で待っていると、困惑した表情の侍女が戻って来た。
どうしたのかと口を開こうとすると、後ろからギデオンが歩いて来るのが見える。
どうして? 王女が来る予定だったのでは?
それに……魅了がまだ解けていないんじゃないだろうか。
だって、彼の姿を視界に入れた瞬間に驚きよりも甘く心が浮き立ってしまったから。
「妹にいい加減謝ってこいと蹴られた。クリスティナ……嬢から質問もあるだろうしな」
「そう、ですか。では、こちらへどうぞ」
王太子を追い返せるわけもなく、王女のために用意していた席をすすめる。彼の座はまだ王太子のままなのだ。
おかしい、どころか奇妙だ。
ずっとクリスティナのことを避けていたギデオンが、所在なさそうに向かいに座っている。でも、その目にこれまであった面倒そうな色はない。
魅了にかかっていた期間の記憶が消えてくれればいいのに。
魅了にかかっていたクリスティナのことを、ギデオンが得体の知れないものでも見る様な目で見ていたことを覚えているのだ。もうあんな目で彼に見られたくない。
「その、体調はどうだ」
そんなことをおずおずと彼が聞いてくるので、思わず笑ってしまった。こんな風に気遣われたのはいつ以来だろう。婚約した最初の頃だけじゃなかっただろうか。
最初は優しかったはずのギデオンは、だんだんとクリスティナと距離を取って、いつの間にか約束をすっぽかされることが当たり前になった。
「いや……気に障ったならすまない。これまで散々避けておいて今更ノコノコ会いに来て何を言っているんだという話だな」
王女がそんなことを言ったのだろうか。
思わず笑いそうになるのと同時に、そんな会話がギデオンとできる王女が羨ましい。
ギデオンは平気でクリスティナを避けることができるのだ。見ないで済むように逃げられる。
「……体調は問題ありません」
「そうか……その、母を止められなくて、すまなかった」
ギデオンが頭を下げたことでいつもは見えないつむじが見えた。
謝られて余計におかしな気分になる。
この人はこんな風に頭を下げられる人だったんだ。懺悔が決まった、あの集められた場では何も言ってくれなかったのに。
「どうやって、魅了に気づいたんですか?」
「アイザックがクリスティナ、嬢の様子は俺の前でだけ明らかにおかしいと言ってきたからだ。俺は情けないことに全く分かっていなかったんだが、それ以降クリスティナを調べ始めた。それでも原因が分からなかったから母や母の実家を調べたんだ。そうしたら、呪術をクリスティナにかけていたことが分かった」
「呪術、ですか……」
「あぁ、いろいろと、その、生贄や代償がいるから被害者はクリスティナだけのようなんだ」
側妃も呪術でどうにかしたのかと思ったが違ったようだ。
呪術なんてなかなか想像できないため、どう反応していいか分からない。でも、あの男爵令嬢だって魅了持ちだったのだ。あり得ないとはもう言えない。
「すべては俺が母から目を背けてきたせいだ。それでクリスティナの五年間を不当に拘束してしまった。リヴィングストン公爵家を継ぐ未来もあったのにそれを奪い、婚約者の座に縛り付けて受けなくてもいい教育まで受けさせた。クリスティナさえ良ければ、このことは公表する。クリスティナが何も悪くなかったことも示す」
この人は、母親からもクリスティナからも逃げられる人なのだ。
こんな人を好きだったのか。
なぜだろう、もっと落胆していいはずなのに落ち込みはない。
「嫌だったら公表しない。母はクリスティナの件以外でも罪に問える。この辺りは妹が率先してやるだろうし、あいつなら呪術の件を伏せてもクリスティナが悪く言われないように手を回すだろう」
ギデオンが、頭を下げた時以外は視線を逸らさないでいてくれることが嬉しい。
五年間のクリスティナが泣いている気がした。その青い目で見てほしくてずっと頑張っていたのだから。
「殿下は、これからどうされるおつもりですか」
ずっと彼のことはギデオン様と呼んでいたのに、今日は殿下と呼んだ。なにせ、懺悔期間は姿さえ見ていなかったのだ。約束をすっぽかされても、学園では姿を見ていたからこんなに会わなかったのは初めてである。
彼もクリスティナと呼んでいたはずで、嬢などつけていなかった。まぁ、彼の場合は途中から嬢をつけずに普段通りに戻っていたけれど。
今までの癖だろうか。クリスティナから距離を取りたいのかどうか分からない。
「母は裁判にかけられる。だから俺は王太子の座を返上するんだ。あるべきところに戻すというべきか。俺が目を背けて見つけられなかったものを、妹たちは見つけたんだから」
語る内容とは裏腹に、ギデオンの表情は明るい。
あぁ、そうだ。お茶会で王妃が席を外していた時に、ギデオンが見せたこの表情で好きになったのだ。
「あなたには賠償もするし、新しい婚約も用意する。人生を無駄にさせてしまった詫びには到底ならないが……そのくらいは、せめてさせてほしい。その他にもクリスティナの希望があったら、できるだけ叶える」
「……じゃあ、殿下はどうして……魅了にかかった振りをされていたのですか」
クリスティナの問いでギデオンの表情は瞬く間に凍り付いた。




