イライザ4
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「霧が出てきたな」
隊を率いて森に入っている間に、天候が変わって霧が出始めた。
空を見てもすぐには晴れそうになく、視界が悪い時に魔物に遭遇すると危険だ。
森のあちこちの木に鏡が取りつけられて遠くまで見えるようになっているが、それもこの天候では意味がない。
「戻るぞ」
こういう時は撤退が決まりだ。指示を出して皆が馬の向きを変える。
しばらく待っても前がなかなか動き出さない。
「おい、何をしている」
隊の部下たちは声が聞こえているのか、いないのか。ぼんやりと一点を見つめている。
森に不似合いなほど甘い香りが鼻をくすぐった。
「イライザ!」
急に名前を呼ばれて辺りを見回す。
なぜか馬に乗ったルーフォスがこちらに駆けてくるところだった。
待て、おかしい。
なぜあいつがここにいる。兄がいくら甘いとはいえ、こんな奴を森に入れることはしない。
「あぁ、良かった。霧が出て危ないからリカルド様が迎えに行けって」
「お前……いつ森に入る許可をもらった?」
「リカルド様から今日もらったけど……作戦会議にも出ているから一度森を見て魔物対策を考えてくれって。とにかく、イライザ。霧が酷くなってきたから帰ろう。危ないから」
口調も姿形もルーフォスだ。
でも、彼はこんなこと言わないし絶対にしない。
ごろつき相手にも震えあがっていた男が、単身で魔物の出る森に入ってくるわけないだろう。震え上がるのは別にいい。普通の人間ならごろつきは怖いし、恐怖して動けなくなる。
それに何より、ルーフォスはこんな風にイライザに指図しない。
柔らかい言い方なので厳密には指図ではないが、作戦会議に出ているなんてわざわざひけらかして言う男ではない。
さらに、霧が酷くなってきたから帰ろうなんて迎えに来ない。
あいつは信じて待っているタイプだろう。
王都で引ったくりやスリを捕まえた時も、ルーフォスはイライザのことを信じて被害者を手当てしたり、落ち着かせたりして待ってくれていた。
自分ができないことには弁えて口や手を出してこない。
さらに、一応はデート中なのにそんなことをしたイライザに何か文句を言うわけでもなく「イライザはカッコいいなぁ」なんて初めて会った時から言っている。その信頼が良かったのだ。
「お前は誰だ?」
「え? 何言って……」
すらっと剣を抜くと、ルーフォスは馬を操って後ずさった。
こいつはルーフォスではない。
でも、なんとなく切りかかれなかった。
魅了に引っかかって可愛い愛嬌のある令嬢のところに行ったルーフォスを殺してやるとまで思ったのに。
どうしてニセモノでさえ目の前にしても殺したくないと思ってしまうのか。
あぁ、ムカつく。
ロレッタはクライヴに生きていてほしいと思ったと言った。
「私、先のことなんて全然分からないんです」
ロレッタのあの言葉には続きがあった。
「でも、クライヴ様と私が一緒にいなくても、彼には生きていて幸せになってほしいなって思って。彼にだけは死んでほしくなかったんです」
あぁ、本当にムカつく。ロレッタのそれは紛れもない愛だ。
どうせこのルーフォスは特殊な能力持ちの魔物が見せている幻影だろうに、彼の姿形であるせいで切れないなんて。まるでロレッタの言葉のようじゃないか。
仕方なく、利き手ではない左手の手のひらに刃を走らす。
冷えた空気もあって血が流れながら刺すような痛みがすぐに襲ってきた。
その瞬間、馬に乗ったルーフォスの姿がぐにゃりと歪む。
そこには大口を開けてイライザを食べようとする魔物の姿があった。
「弱いからと妙な能力を使って!」
妙な能力を使う魔物自体は能力さえ破ってしまえばほとんどが弱い。
強い個体は妙な能力を使う必要がないのだ。
魔物を倒してから、ぼんやりしたまま動きを止めていた騎士たちの頬を叩いて正気に戻していく。
さっきまでイライザもこの状態だっただろう。
倒した魔物を見ると、毛の一部が桃色だった。魅了持ちの魔物の証だ。
人間や魔物を魅了にかけて、そいつが動きを止めている間に食べるようだ。
ルーフォスはこれに似たものに引っかかったのだ。
というか、魅了の魔物によって見せられるものは……。
イライザが盛大に舌打ちして地面を蹴ったので、倒した魔物を運ぶ算段をしていた騎士たちがぎょっとして振り返った。
「い、イライザ様! 申し訳ありません!」
「俺たち、なんか急にぼーっとして!」
「甘い香りがしたのは覚えているか」
「甘い香り? 覚えていません」
魅了の魔物に遭遇して食べられなかった者たちは、ぼうっとして幸せな夢をみていたようだったと証言する。しかし、夢の中身は覚えていない。
記憶を曖昧にする作用があるようだ。
「イライザ様! 治療を受けませんと! 先に戻られますか」
「いや、また魅了持ちの魔物が来たら厄介だ。お前らぼーっとしていただけだから、次が来たら食われるぞ」
そうして倒した魔物を運んで隊の全員で戻ると、やはり倒したのは魅了持ちの魔物で大騒ぎになった。
兄のリカルドでさえ魅了に引っかかって倒せなかったのだ。食べられた騎士の悲鳴で正気に戻って逃げおおせることが多い。
これで、ルーフォスを許す許さないの件は、魅了だから仕方がないなんて言われないだろう。
だって、イライザは魅了に打ち勝ったのだから。
「なるほど、痛みで自らの魅了を解いた訳ですか……といっても、凡人には無理でしょうね」
「お前、私が変人だとでも言いたいのか」
「魅了にかかってそれを疑わなかったからこそ、他の騎士たちは動けなかったのでしょうからね。イライザ様は疑ったと。ためらいなく自分を傷つけられるのも普通じゃありません」
「怪しかったからな」
「何をご覧になったのですか? 今後、魅了持ちの魔物の討伐に役立つかもしれませんから研究もしませんと」
戻って医務官アデルの治療を受けていると、そんなことを聞かれた。
「アデル、お前。そんなことより私に謝るのが先じゃないのか」
「え? えっと……?」
「何だったか。『あの魅了に逆らうのは誰であれ難しいですよ。イライザ様だって遭遇したら絶対にかかってしまうはずなのに……』とクライヴに偉そうに話していただろう。さて、私は魅了にかかったのか?」
「……いいえ。申し訳ありませんでした……」
「今なら私がお前を三発殴ったところで誰も咎めないだろうな」
「手を折られる以外なら大丈夫です」
「どうして手を骨折させたらダメなんだ」
「医務官の仕事に支障が出ます。寒くなってきて魔物の被害も減っていますが、医務官が減るのはまずいので手以外にしてください」
「ふぅん。じゃあ、お前が私への謝罪を叫びながら城の周りを走った方が面白そうだな」
軽い足音が近づいてきて、反射的に顔を上げた。
皆、私に声をかけた後は魅了の魔物の死体を見に行っていてここには人がいない。
息を切らして立っていたのはルーフォスだった。




