遭遇
「も、もももう駄目だ……す、すぐ逃げよう!」
皆が苛立つばかりの空気に耐えかねてか、寄合に参加していた一人の男が喚き出す。男はそのゴツい身体に似合わぬ甲高い声を、テーブルを囲む村人達の前で発していた。
(まるで、俺の親父みたいだ……)
その男の姿は、俺が最も思い出したくない人間に似ていた。
(あいつ、俺には偉そうな事言う癖に……いや、思い出しても気分が悪くなるだけだ)
「どこへ逃げる気なの……バンカーさん?」
そう遠慮気味に尋ねたのは、紫髪を短く切り揃えた、息を呑むような美貌の女性だった。
門番のクリスの母親だろうか? 顔つきもよく似ている。そして、あれが……。
(あれが宿の主人、バンカーさんか……ララさんとメルルちゃんが、この場にいなくて本当に良かった)
情けない父の姿を見る家族がどんな気持ちなのか、それを俺は良く知っている。
「ほら! シャッキっとおしよ!」
バンカーさんの隣に座ってた老婆がペシッと彼の頭をはたき、ようやく場が静まる。
「現状では、俺達が森に行くにしても、明日以降でないと難しいです。ゴブリン退治で消耗してますし、カイルの魔力も残り少ない」
一息置いてから、デニムが口を開いた。
「では、それまでの間に大猿が来たらどうする? なにか案はあるかね?」
「罠を仕掛けるっていうのはどうかしら? みんなで大きな落とし穴を掘るの」
ルルが勢いよく立ち上がり、村長に答える。
「今なら、大猿が活動時間に入る夕方までに、完成させる事ができる筈よ」
「ルルちゃん、あたしのとこで飼ってる鶏を、大猿をおびき出す餌にしたらどうかね?」
淀んだ空気を打ち消すように、先ほどの老婆が覇気のある声を出す。最悪の状況でもこの老人には、微塵も臆する気配がない。
「ありがとう、マーガレットさん。
あと人間の臭いで罠がバレてしまうから、消す必要があるわ。そのためには……」
ルルは村人達の不安を、その知識をもって、一つずつ打ち消していった。
寄合の結果、俺とデニムは宿で仮眠をとり、ルルはその間に落とし穴製作の指揮を執る事になった。大猿の相手は長剣を振るうデニムと、それを助ける俺の魔法が頼りとなる。今の内に仮眠を取り、体力と魔力を回復せねばならない。一方落とし穴の製作にはルルの知識が不可欠だったし、大猿と戦うのに彼女のショートソードでは刃渡りが足らないのだ。
宿に戻り、早めの昼食をとった俺とデニムは、仮眠に入ろうとしていた。
「なぁ、アタックアローってのは、どのくらいの効果が期待できる?」
鎧のままベッドに横たわるデニムが尋ねる。
「あれは筋肉の動きを助ける魔法です。魔法をかけた相手の体術次第ですが、今の俺の実力だと、せいぜい二割増しくらいですかね」
「スピードが上がるっていうのも、筋肉がよく動くようになるから?」
「ですね」
「実は新しい剣でも、カイルの助けなしで大猿と戦う自信がないんだ。頼りにしている」
デニムは、静かに目を閉じた。
「大猿だ! 大猿が来たぞぉぉ!」
バンカーさんの喉も枯れんばかりの声で、俺は飛び起きた。デニムが大急ぎで部屋の戸を開け放つ姿が、俺の寝ぼけ眼に写る。
「先に行くぞ! すぐ追いついてくれ!」
急いでベットから飛び降り、すでに駆け出したデニムを追う。
外はまだ明るい。寝れたのは三時間か、二時間か……さっきよりマシではあるが、魔力が充実する感覚にはほど遠い。いや、そんな事よりも、未完成の落とし穴が襲撃されたなら、どれだけの被害が出ていることか……。
あれこれ考えを巡らすうちに俺はデニムに追い付いていた。すぐに追いつけたのは、デニムの新しい鎧が重いのが原因だろうか?
「どうやら、無事のようだな……」
ダニーが手を振るのを見て、デニムが呟く。
「凄かったっすよデニムさん。堀りかけの落とし穴に大猿が落っこちたんで、みんなでボコボコにしてやったんです。はははははっ」
はしゃぐダニーと違い、続いて駆け寄って来たルルの足取りは重い。
「まずい事になったわ……」
ルルの話によると、大猿に追いかけられた猪が作りかけの落とし穴にはまり、大猿も一緒に穴に飛び込んだそうだ。穴の下の大猿に、村人達が農具や石を投げつけたのだが、未完成の穴では深さが足りず、あっという間に逃げられてしまったという。
つまり今の大猿は、活動時間も縄張りも当てにならず、手負いで狂暴化しており、罠も警戒され通用する見込みがない。まだ傷が塞がらぬ今の内に、追撃して殺すしかないのだ。
「こちらも万全の体制とはいかないが……」
落とし穴から点々と血の跡が森へ続くのを見たデニムは、歯ぎしりをしている。
「そんなにやばいのかよ!」
血相を変えて駆け出そうとするダニーを、俺とデニムが慌てて羽交い絞めにする。
「パニックになるから、騒ぐんじゃない!」
「わ、わかったよデニム」
ダニーを開放したデニムは早足で、落とし穴のすぐ側で佇むブライ村長の元へ向かった。
「今から俺達で西の森に入る。ただし、暗くなってからでは、夜目のきく大猿相手に勝ち目はない。もし、間に合わなかったら……」
戻ったデニムは、一瞬言葉を詰まらせた。
「……村を棄てて逃げる事を提案したよ」
「きっと大丈夫よあたし達なら。
カイルもそう思うでしょ」
「必ず退治しましょう! 俺達で!」
俺の空元気に、デニムは笑顔で握りこぶしを作り、答えてくれた。
「もう、なんなのよこの森は!」
ルルがまた悲鳴をあげる。西の森は、滅茶苦茶だった。周囲の草木には、見たこともない物が山ほど混ざり、起伏の激しい岩地があるかと思えば、湿地もある。まるで、異なる地形を出鱈目に混ぜたような、そんな森だった。
「なんでこんなとこに、崖があるんだ……?」
目前の険しい土手に手をついて、ぼやく。
「ねぇ、気づいてる? 地面も変に粘り気があるし、色からしてこの森の土じゃないわ」
地べたを覗き込むルルの声には、疲れもにじみ出ている。
(? デニムも口数がやけに少ないな……) 振り返った俺は、自分のうかつさを呪った。
「大丈夫ですか!」
「すまない、ペース配分を間違えたようだ」
肩で息をしながら汗だくのデニムが答える。
デニムは慣れぬ重鎧で、この足場の悪い森を進んできたのだ。負担は相当だったろう。
「少し休みましょうデニム。そんな状態じゃ、大猿を見つけても何もできないわ」
ルルがデニムに寄り添い、やさしく傍の大木の根元に座らせる。
「俺も、もっと早くに気づくべきでした……」
ダメージと疲労の蓄積を抑えるガードアローを使っていたなら、防げた事態だった。
「カイルが気にする必要はないさ。ゼペックさんに注意されたのに、忘れてたのは俺だ」
その時、風と共にデニムの頭上からピンクの花びらが降り、思わず俺は天を仰いだ。
あれはなんという木なのだろうか? 俺達の頭上は辺り一面ピンクの花で覆われていた。
「少し、ここで休むしかない、か」
デニムは、眠そうな目で花を見上げ、ハート形の花びらがルルの掌で風と踊る。
(ここは、ルルが先行して大猿の居所を突き止め、デニムの体力は温存させるしかない。
ルル一人なら大猿からも逃げおおせられるだろうし、万が一デニムの方に大猿が来ても、俺が一緒なら魔法で援護できる)
そう考えをまとめ二人を見ると、花びらの絨毯の上で、ルルがデニムに抱き着いていた。
(こんな時に、バカップルモードかよ……)
「カイル、一人で先行して大猿を探してくれ」
心中で毒づく間に、デニムが先に口を開く。
「え……? でも俺はレンジャーの研修を受けただけで、ルルの方が良くないですか?」
「ごめんねカイル。朝から動きっぱなしで、あたしも疲れちゃった。少し休みたいの」
朝から休息なしのルルが疲ているのは、よく分かる。けれどいくら疲れていようとも、素人の俺とは雲泥の差だ。恐らくデニムが心配で、ここを離れたくないのが本心だろう。
「頼むよカイル」
疲れ果てたデニムの声に、俺は首を垂れた。
「……正直、自信はないけどやってみます」
結局デニムもこの土壇場で、ルルの気持ちを優先させた。俺は一人森の中を、どんどん薄くなっていく血の跡を追って進み続けた。
(くそっ! いったいここは、どこなんだっ!)
大猿の血の跡はすでに見失い、帰り道さえ定かではない。葉の隙間から差し込む日差しは赤く変わり、周囲は見慣れぬ樹木しかない。
(日暮れも近いし、もう諦めるべきだろうか?)
その時、俺の視界の端に奇妙な建物の姿が写った。木々の隙間からレンガ作りの壁と、その向こうにある尖った屋根が覗いている。
(森の中に、どうしてあんな物が?)
建物に近づくと、門にプレートが掛かっていたが、奇妙な文字で全く読めない。
(鍵は開いててくれよ……)
俺は門を押そうとした。大声で住人を呼ぼうにも、大猿に見つかるのが怖かったからだ。
だが俺は、門に触れる事すらできなかった。見えない壁のような物が俺の手を押し返し、そこに触れる事さえ許さなかったのだ。
ポタリ……
俺のすぐ近くになにかが落ち、見上げるとそこには、大猿の姿があった。大猿は大木をつたって塀を乗り越えようとしていたが、やはり見えない壁によって阻まれている。
(まずいぞ! こんな近くに!)
俺は音を立てぬように後退るが、既に遅かった。大猿は数回鼻をヒクヒク動かし、鋭い眼光をこちらに向ける。その額には、まだ新しい大きな斬り傷があった。
グガアァァァッ!
森を震わすその叫びを聞いた俺はすくみ上がり、その一瞬の内に大猿の牙が頭上に迫っていた。体はまるで反応しないのに、頭はなぜか俺の過去を高速で再生し続けている。
(冒険者になって、クソ親父とギャレットを見返してやる筈だったのに! こんなっ!)
嫌な記憶ばかりが脳裏をよぎる中、俺は右腕を真上にかざし頭を庇うも、一噛みで頭蓋を砕きそうな大牙の前では、虚しい足掻きだ。
パンッ!
乾いた音と共に視界が朱に染まるが、痛みはない。宙を舞う血が大猿のものだと悟ったのは、俺が尻から地面に落ちる最中だった。
ズドッ……ォォ
大猿の頭は消し飛んでいた。バランスを崩した大猿は鈍い音をたてて地面と衝突し、酷い臭いのする血を更にまき散らし続けている。
「うわっ、血のりの表現がエグくなってる。おまけに新モンスターだと思って気合入れてたのに、たった一撃で終わりかよ~」
その声を頼りに見上げると、見慣れない女が血まみれのメイス片手に呟いていた。
(半裸の女? こいつがあの大猿を?)
頭に赤いハチマキを巻き、首から肩にかけて大きな羽の飾りを付け、皮のブーツと手袋をしている。そして、身に着けている着衣は大きなベルトに下着ほどの面積しかない赤いパンツと胸に巻かれた布だけだ。露わな筋肉質の引き締まった体からも、先ほど大猿を倒した一撃からも、歴戦の戦士なのだろうが、冒険者の服装ではないし、背も低い。年齢は俺と同じくらいだろう。男っぽい黒の短髪と凛とした目が、グラマーな体とミスマッチだ。
ともかく礼を言うべきなのだろうが、俺の頭はあまりの出来事に何も考えられない有様で、座り込んだまま動けずにいた。
「〇□×@$△¥◇&%#」
突然後ろから低い声がしたので振り返ると、三メートル近い大男が立っていた。
気配がまるで感じられなかったが、いつの間に近づいたのだろうか。男は不気味な黒と濃い緑の服に怪しげな覆面を被っていたが、より目を引くのはむしろその体系だった。かなりの肥満体にも関わらず、筋肉質で異様に太いその腕は、薄い布地の上からでも容易にその隆起を確認できる。まるで、モンスターのような男だ。腰から下げた包丁のようにすら見える太いナイフが、鈍い光を放っていた。
「おい東風。翻訳アクセサリ付け忘れてるぜ」
東風と呼ばれた男は、慌てて覆面を脱ぎ、奇妙な耳飾りを付ける。分厚い唇にギョロリとした目、ゲジゲジ眉毛で髪を後ろ頭で結わえている。愛嬌のある顔だが、特徴的過ぎて美男子とは言い難い。
「すいません忘れてました。
しかし、前から思ってたんですが、新大陸に行く度に、最初はこのアイテムを付けないとNPCと会話できないって仕様はどうなんでしょう? リアル志向かもしれませんが、余計な手間を増やすだけだと思うんですが……」
「だよなー、そういう小さな不親切の積み重ねが、ユーザーを減らすってマスター達も嘆いていたし、こんなだから『運営はわかってない』って批判されてるのかもな。
まー、少しの間だけ我慢して着けてれば言葉覚えられるし、慣れればどうって事ないんだけどさ」
二人の言葉は理解できる。先ほどと違って、東風という大男が何を言っているのかもわかる。だが、この二人が何について会話しているのか、まるで分からない。
「さ、先ほどは助けて頂いておりがとうございます。あの、あなた方は何者なんですか?」
頬に付いた大猿の血を手の甲でぬぐいながら、俺は思い切って二人に声をかけた。
「なんだ、NPCじゃなかったのか。俺達はここのクランの者だよ」
女がそっけなく答える。
「イザ姐、この人はたぶん初心者ですよ。
先ほど私が話しかけたのに反応しなかったのは、チャット機能に不慣れだったのですね」
大男の東風は頭をさげるが、失礼を詫びている事以外、俺にはなに一つ理解できなかった。
<ネットゲーム用語解説>
「クラン」……プレイヤー達で作るチーム、というよりゲーム内で友達グループを作るに適したシステムと言った方が適切だと思う。クラン拠点の共有等の利点もあるが、なんといってもログインさえしていれば、メンバーとの連絡や相談、それに攻略情報の共有が容易なのが大きい。クエストをクリアするためにその都度組んでは解散する「パーティ」とは別物。「ドラゴン・ザ・ドゥーム」では、高レベルプレイヤーを集めて最強クランを作ろうなんて人は一部で、初心者がメンバーにいればクランみんなで助ける、僕にとってはそんな居場所だった。
「NPC」……ノン・プレイヤー・キャラクターの略。ゲームに元々設置されているCPU制御のキャラクターで、基本的にPC(プレイヤー・キャラクター……プレイヤーが操作するキャラクター)が話しかけないと何もリアクションを起こさない。最近はAI制御で自発的に動くNPCも登場するゲームがあるようだが、少なくとも「ドラゴン・ザ・ドゥーム」にはいなかったよ。
「仕様」……ゲームシステムの都合により出来る事とできない事があるのは常だ。現実世界に置き換えれば矛盾が生じる事であっても、ゲームの世界においては『ゲームシステムの仕様だから仕方がない』で片付けられるのがもっぱらであるし、僕等プレイヤーがそれを気にしてみても、無駄にシラケるだけだ。
「チャット」……オンラインゲーム上でプレイヤー同士が会話する機能。オンラインRPGでは、プレイヤーの暴言を取り締まりやすいテキストチャットのみの事が多いだろう。実際、対戦ゲームのボイスチャットの暴言ときたら、聞くに堪えないものがあるよ。
「運営」……オンラインゲームの運営チームのこと。ゲームの管理・障害対応や、プレイヤーの要望をゲーム開発チームに伝達する役目を負う。で、いいんだよね? ゲーム会社内部事情なんて、僕は詳しくないんだけどさ




