ゲームの世界
気づくと俺は、大きなベッドで寝ていた。安宿らしい、クローゼットとベッドだけの、古い木造で簡素な部屋。だが、なぜか掃除だけは行き届いており、埃一つ見当たらない。
「おいカイル、早く出て来いよ! とっとと冒険にいくぞ!」
ドンドンと乱暴にドアを叩く音と共に、段の怒鳴り声が聞こえる。それにしても、俺はなぜこんなところで寝ていたのだろう?
(たしか、白い煙が小屋から出ていて……みんなで原因を確かめようと中に入って……)
それ以上は、どうしても思い出せなかった。
しかたなく俺は、窓から差し込む朝日に誘われるように、ベッドから身を起こす。寝る前と同じ様に、イザネの魔導弓の入ったカバンを背負い、ショートソードを腰に差して。
(ベッドで目覚めた時は、魔導弓もショートソードも身に着けていなかった筈なのに、どこから現れたのだろう?)
頭がボーっとしているのか、それ以上は考えられない。俺は自分の意志をしっかりと保てぬまま、段の声がうるさいドアを開けた。
「なにやってんだよ、まだレベルも低いんだし、準備することなんて殆どないだろうが」
ドアを開けてすぐに、段の声が頭上から降り注ぐ。黄色いつばの広い帽子に、黒い法衣に金の杖。段の姿に変わりはない。
「まあまあ、初心者の頃はいろいろ迷って準備に時間が掛かるものですよ。私の時もそうだったじゃないですか」
続いて東風さんの声が、天井近くから響いてくる。見上げると、東風さんはいつもの濃い緑の装束を身に付け、屋内にも関わらず覆面を被っていた。そして何より奇妙に感じたのが、小さい宿にも関わらず、この建物の天井が高い事だ。東風さんの頭がギリギリ届かぬほどに天井が高く廊下も広い。まるで三メートルの巨人が通ることを想定して造られたような、ありえないサイズだ。
(そういえば、さっき俺が寝ていたベッドも少し大きすぎるように感じたけど、東風さんも寝られるサイズだったんだろうか?)
「カイルは、何のジョブにするんじゃ?」
今度は足元から声がする。背の低いべべ王の爺さんだ。赤いローブに金の鎧、そして悪趣味な顔の彫られた大盾を背負ったいつもの姿が、視線を落とした俺の目に入る。
「俺はマジックアーチャーだよ。忘れたの?」
「しかし、その弓では、装備レベル制限に引っかかってしまうじゃろ」
(『装備レベル制限』だって?)
それはさっき、俺達の世界にはない事を証明してみせたばかりの筈だった。俺はもう一度同じことを証明するため、カバンの中から新しい魔導弓を取り出そうとしたのだが……。
(ま、魔導弓が取り出せない!)
掴んだ魔導弓を、俺がいくらカバンの中から引っ張りだそうとしても、それはビクともしなかった。
「だから無理なんだって、今のおまえにそのランクの高い魔導弓を使うのは。そのショートソードにはレベル制限がないみたいだし、カイルは戦士にジョブチェンジさせようぜ」
段が両手を腰に当て、まるで子供をたしなめるかのように俺に言って聞かせてくる。
「おっおい、俺は剣の方はダメなんだよ」
「大丈夫だって、このルルタニア周辺には弱いゴブリンが沢山いるから、そいつらを狩ってレベルアップすればいい」
(ルルタニアだって?)
それはべべ王達四人のいた世界。もしそうであるならば、この奇妙な状況に納得もいくのだが、なぜ俺がルルタニアにいるのだろう?
「さっさと神殿に行って、ジョブチェンジを済ませようぜ。リースが魔術師だから、俺様も僧侶にジョブを変えないといけねーしな」
(リースって、誰だっけ?)
「私のために、わざわざすいません」
声を頼りに辺りを見れば、段の後ろに金髪の美女が立っていた。背はスラっとしているのに、胸も尻も大きく目立ち非常にスタイルが良い。耳が少し尖っているのは、エルフの血が混ざっているためだろうか? ハーフエルフは珍しい種族だと聞いていたが、どうやらここでは違うらしく、この宿の廊下を通りがかる人々も、別に彼女の事を気にしていない。三メートルの巨人の東風さんにさえ驚かないくらいだから、大抵の事は許容されているのだろう。ああ、それともう一つ語るべきものがあった、リースさん服装だ。胸元が大きく開き、長い前垂れから生足が覗く白い魔道着は、どうにも目のやり場に困る。そういえば、この世界から来た女戦士も半裸だったし、ここではこれが普通なのだろうか?
宿を出てすぐの大通りを右に曲がり、まっすぐ進んだ所に、その巨大な神殿はあった。ジョブチェンジを行うにはどんな大掛かりな儀式が必要なのか、と身構えていたのだが、門を潜ってすぐのカウンターにいる神官が、二言三言お祈りをするだけで済んでしまった。
「ジョブチェンジしたってのに、何も変わった気がしないんだが」
俺は、隣で僧侶にジョブチェンジした段に尋ねた。段の奴も、ジョブチェンジしたってのに、見たところ何一つ変わった様子がない。
「ステータス画面を開いてみろよ、カイル」
「ステータス画面って、うわっ?」
突如空中に、四角い額縁が現れた。、額縁の中にはなにやら文字が書かれていたが、あいにく俺には、見たこともないその文字が読めない。もしかして、これに俺が戦士になったとでも書かれているのだろうか。
(読めないし、もういいよ)
そう思った瞬間に、額縁は消えていた。
「さぁ、冒険に行きましょう」
リースが、手にした杖をクルクルと回す。段が金の飾りと大きな魔石のついたごつい杖を手にしているのとは対照的に、リースのエメラルド色の杖は細く、杖の先の魔石もまるでかわいいアクセサリといったふうだ。
「神殿にお参りはしなくていいのかい?」
白い石造りの巨大な神殿を、俺は見上げた。
「今白竜に会っても、なんのイベントも起きんし、メインストーリーを少し進めた後の方が効率的じゃろう」
「広いですからねこの神殿は。用事もないのに中に入っても、時間が無駄になるだけです」
べべ王も東風も反対するのは、早く冒険したいからだろう。しかし、竜の神殿とは珍しい。俺の生まれ育ったイラリアスでは、国教であるソムルスの神殿しかないというのに。
「わかったわかった、すぐ冒険に行こう」
いつしか俺までが、すぐ冒険に行かないといけない様な、そんな気分にさせられていた。
ゴータルートとは大違いの清潔で広い道を通り、賑やかな街並みを抜け、俺達はルルタニアを囲ってそびえる城壁の大門をくぐる。ゴータルートと同じ様に町の外には豊かな畑が広がっているものと、俺は想像していたのだがそんなものは一切なく、青空に照らされた眼下には丘が広がるばかりだった。
(なんだい、こりゃ?)
小高い丘の上にあるルルタニアから見えるその景色は、おかしなものだらけだったのだから、俺でなくても混乱する。城塞都市の目の前だというのに、昼間っからいくつものゴブリンの群れがうろつき回り、はるか丘の下にある村を囲む柵は低くリラルルの村のそれよりみすぼらしい。極めつけは、その村の付近をうろつくオークの群れや十メートルはあろうかという一つ目の巨人だ。目の前に無防備な村があるというのに、奴等はまるで散歩でもしているかのようにウロウロするばかり。村人も村人で、モンスター達が目の前にいるというのに、直立不動で村から逃げようともしない。こんな出鱈目があるものか。
「さあ、カイルさんも行きましょう」
「グズグズしてっと、獲物はみんな俺様が全部もらっちまうぞ!」
「ひゃっほーーい!」
東風、段、べべ王の三人が、近くのゴブリンの群れに向かって駆けていくが、俺はルルタニアの門の前で、ただ大口開けて笑っていた。
「どうしたのカイルさん? あなたが憧れていた冒険がそこにあるのに?」
ああ、リースさんも一緒に残っていたのか。
「だってこれ、夢じゃないか。アハハハハ」
俺の笑いは、止まらなかった。
「これが夢? そんなまさか」
「リースさんこそ、こんなバカな事が、現実だとでもいうの? フフフフフフッ。
それに、ここがルルタニアだというのなら、パーティは四人が上限じゃないか。それなのに俺達は五人……って事は、誰か一人が仲間じゃないんだ。それ、リースさんだよね?」
「な、なにを言っているの?」
リースが冷や汗をかいている。どうやら、このドラゴン・ザ・ドゥームという世界の事を、この人もよく知らないらしい。
「だいたい俺達の仲間は、イザネじゃないか。なんで思い出せなかったんだろう?」
「それでどうするの?」
「え?」
「例えここが夢の中だとして、だからあなたはどうするつもりなのかと、聞いてるのよ!」
「夢なら覚めるまでさ。おっかない顔して聞くほどの事じゃないだろう」
「夢だと分かったからと言って、自分の意志で目を覚ます事なんて……」
「できるさ、ちょっとしたコツがあるんだ。
昔、訓練所で剣を習っていた頃、ギャレットっていう奴のグループに毎日ボコボコにされてね、毎晩のようにその悪夢を見たよ。いつまでも終わらないリンチを受ける夢をさ。それは訓練所を辞めて魔法の修行を始めてからも、ずっと続いてた。でも気づいたんだ、途中でこれが悪夢だと気づければ、抜け出せるってね。目を覚ますようにただ念じるんだよ」
「バカな! たったそれだけの事で!?」
「最初は上手くいかなかったよ。けど毎晩毎晩、悪夢を見る度にやってたらさ……」
徐々にドラゴン・ザ・ドゥームの世界もリースさんの姿も、暗い闇の中へと沈んでいく。
(……御覧のとおりって訳だ)
目を開けると、茶色い鉢が俺の顔の前にあった。周囲は白い煙に覆われていて、どうやら俺は訓練小屋の木の床で寝ていたようだ。
「おい、みんなっ!」
慌てて上半身を起こし、一緒に小屋に入ったべべ王達三人を探すも、煙の中に見つけた人影は一人だけ……、それも女のものだった。
「リースさん?」
黒い魔道着で杖も持っていなかったが、その金髪も、男を誘うような体つきも、尖った耳も、その人はリースさんそのものだった。
「驚いたわ、夢の内容まで覚えてるなんて」
人間、嫌な事は忘れぬものだ。繰り返しギャレット達の悪夢を見るうちに、俺は夢の内容を忘れる日が殆どなくなっていた。
「殿方が相手なら、例え魔王が相手でも三日は夢の中に閉じ込めるほどのドリームミストで充満させておいたのに、まさか平凡な力しかないあなたに破られるなんてね」
リーネは、まだ座ったままの俺を見下ろしながら、長い髪をフワッと手でなびかせる。
(こいつ、サキュバスかっ! マズイッ!!)
サキュバスとは、男性の精を吸い取る女悪魔の事だ。しかもその口ぶりから察するに、恐らくリースはネームドモンスターと呼ばれる、特に強い力を持つ個体なのだろう。
「でも、あたしの夢から覚めたのが、あなただけで助かったわ」
リーネさんの目が赤く光ると共に、心地よく暖かな感覚に胸が満たされていく。嗚呼、これが、サキュバスの魅了というものか。
「さあ、立ち上がってカイルさん」
ご主人様に命じられるがまま、俺はイザネの魔導弓のカバンを背負い、危機感がした瞬間に掴んだ物を左手に握ったまま立ち上がる。
「夢の中で見たけど、あなたそのカバンの中に物凄い弓を持っているわね。その武器で、まだ煙の中で寝てる三人を殺してちょうだい」
ご主人様は用心深い。夢から目覚めた俺を見て、もしかしてべべ王達も目覚めてしまうかもしれない、そう警戒しているのだ。けれどもう遅いんです、ご主人様。
『ギャアアアアアーーッ!!』
俺が左手に握っていた物、それは鉢から抜いたばかりのマンドレイクだった。葉を掴まれ、強引に引き抜かれた不気味な植物は魔力のこもった悲鳴を上げ、それをモロに鼓膜で受け止めた俺の意識も遠のいていく。かすれていく意識の中で、突風がご主人様の白い煙を吹き飛ばすのと、その中心で杖を振りかざす忌々しい段の姿が、かすかに見えた。
「わしのクランがあぁぁぁ~~!!」
べべ王の大声で、俺は再び目を覚ました。訓練小屋に充満していた白い煙はすでに晴れ、べべ王は小屋の壁に開いた穴を見上げて頭を抱えている。
「何があったんです?」
「おまえが寝てる間に、女悪魔が小屋に忍び込んでたんだ。蝙蝠に化けて逃げようとしたところを、ジジイが魔法で討ち落とたが……」
「魔法が壁に当たり、壊れてしまったんです」
俺のすぐ横に立っていた、段と東風が教えてくれた。小屋の隅へと目を向けると、壁の穴から差し込む朝日が、魔法陣とその脇の台座の上の水晶玉を明るく照らしている。
「恐らく、昨夜のイザネのランダム召喚で呼ばれたんだよ、その悪魔。男に魔法をかける女悪魔だったからイザネは狙わず、俺達に襲い掛かったんだと思うよ」
サキュバスの魔法は女性には効きにくい。だからリースは、強大な力を持つイザネからは煙に隠れて逃げ、間抜けな男達がノコノコと罠に飛び込んでくるのを待っていたに違いない。どんなに強くとも夢を見た経験がほぼないべべ王達三人は、リースからすれば恰好の獲物だったのだろうから。
「それは本当かカイル! いくら訓練のためとはいえ、モンスター召喚の度にクラン拠点が壊れては堪まったものではないわいっ!!」
べべ王は手を伸ばし、即座に台座の上の水晶玉を取り外してしまった。
(自分達もヤバかったってのに、呑気だな)
しかし、よくよく考えてみれば、俺以外は夢のことなど覚えていないだろうし、まして夢の世界に落とされていた自覚などないだろう。リースが強敵だったと知るのも俺だけだ。
べべ王達と訓練小屋から出た俺は、庭の池のほとりで魔導弓の入ったカバンを背から降ろす。重要な事をやり残していたからだった。




