朝
興奮したイザネの顔が近づく。戦いの話となると、こいつは途端に我を忘れるらしい。服の隙間から覗く胸の谷間も、それを見て顔を熱くする俺も、その目に入らないのだから。
「どど、どのクラスの奴だって、剣の使い方を習ってれば普通に使えるもんだろ?」
「スゲーなそれって! つまり俺がこの世界で魔法の使い方を習えば、魔術師にジョブチェンジしなくても魔法を使えるって事だよな」
「ん? まぁそういう事だと思うけど、魔法ってそんなに簡単じゃないよ」
「それは問題ないさ。ジョブチェンジできる神殿さえあれば、俺はレベルマックスの魔術師になれるんだぜ。今はジョブが戦士だから魔術師やってた時に覚えたスキルが封印されているだけで、魔法の使い方は心得てるぜ!」
イザネが得意げに早口でまくし立てた。
「そのジョブチェンジってのが俺にはよくわからないんだけど、もしかしてジョーダンもファイターにジョブチェンジすれば凄かったりするの?」
「そうだぜ。俺達はみんな全ジョブをレベルマックスまで鍛えてあるからな」
どおりでソーサラーらしき大上・段が、あんなに筋肉ムッキムキである訳だ。
「なぁ、試しになんか魔法を教えてくれよ」
もうイザネは、すっかり真夜中の皿洗いに興味がなくなってしまったようだ。
「それじゃあ、基本的な魔法だけど……」
俺は魔導弓を放り投げて呪文を唱えた……
『ロドゥムエィガリル! 戻れ我が弓よ』
宙を舞った魔導弓が、地面に着地する前に月光を反射しながら俺の手に飛んで戻る。
「かっこいいな。基本的な魔法ってことは、これすぐ出来るようになるのか?」
イザネの目の輝きが、更に増している。
「すぐには無理だろうけど、試してみる?」
俺は魔導弓をイザネに手渡した。
「まず、魔導弓の真ん中にはめ込まれた、魔石から出てる魔力の波動を読み取ってみて」
「…………このなんとなく感じる魔力の波のようなもんか?」
「え? ああ、そうだよ」
魔力の波動をこんなにも早く捉えるとは……、ジョブチェンジさえできれば魔法が使えるというのも、あながち嘘ではなさそうだ。
「じゃあ、弓を手放してから引き寄せる魔石の波動をイメージして『ロドゥムエィガリル! 戻れ我が弓よ』と唱えてみて」
「ロドゥムエィガリル! 戻れ我が弓よ!」
イザネが地面に放り出した魔導弓は、ピクリとも動かない。
「やっぱり、もっと練習しないと駄目みたいだね。俺もコツを掴むまでは苦戦したよ」
俺はムキになって呪文を唱え続けるイザネをしり目に、皿洗いを再開した。
(懐かしいな……)
初めて魔法を習った時、普通なら一日以上習得にかかるこの呪文を、俺は半日で済ませる事ができて嬉しかったのを、今でもよく覚えている。ギルドの訓練所で剣の試合に負け続けた俺が、冒険者としてやっていけるかもしれないと自信を取り戻せたのも、この出来事があったからだった。
『ロドゥムエィガリル! 戻れ我が弓よ!』
ヒュッ……パシィッ
何かが空を切る音がして振り返ると、イザネが自慢気に魔導弓を握りしめていた。
「そおれっ!」
イザネは思い切り魔導弓を空に放り投げて呪文を唱える。
『ロドゥムエィガリル! 戻れ我が弓よ!』
魔導弓はブーメランのような軌道を描き、イザネの手の中に勢いよく納まった。
「確かにコツを掴むまでが結構難しいなこれ」
「え? もう?」
(なにが難しいものか、まだ十分も経ってないじゃないか)
半日で呪文をマスターできた、と周囲に自慢していた過去の自分が、今は小さく見える。
「なぁ、これってメイスを引き寄せる時は、『戻れ我がメイスよ!』って唱えるのか?」
「これは魔石を引き寄せる魔法だよ。だから、魔石が組み込まれた武器にしか使えないの。
それに『戻れ我が弓よ』っていうのは、俺が合言葉として設定したものだから、合言葉を上書きすれば好きに変えられるよ」
我ながら声のトーンが低すぎる。思ったより凹まされているらしい。
「もしかして『戻れ我が弓よ』っていうのは、カイルが考えたのか?」
イザネが少しニヤニヤしているのは、俺の合言葉について何か言いたいのだろうか。
「悪いかよ。合言葉としてはオーソドックスだし、かっこいいし問題ないだろ」
「合言葉を変えるにはどうするんだ?」
「武器に合言葉を設定する魔法をかけなおせばいい。さっきの要領で魔石の波動をイメージしながら『ガラハィウムハーレェ』と武器に向かって唱えた後に、新たに設定したい合言葉を唱えれば……」
『ガラハィウムハ……』
呪文を唱えだしたイザネから、俺は慌てて魔導弓をひったくる。
「勝手に合言葉を変えるなよ」
「ちぇーっ、いいじゃんちょっとくらい」
「じゃあ、どんな合言葉にするつもりだったんだよ?」
「『タマちゃーん、こっちおいでー』」
「ふざけんなよ!」
イザネは、ケラケラと笑っている。
「ま、いっか。試してみたい事はまだあるし」
イザネはおもむろに俺から離れた。
『ロドゥムエィガリル! 戻れ我が弓よ!』
あっ、と俺が叫ぶ間に、魔導弓は俺の手を離れ、イザネの元に飛んで行く。
この呪文は魔力消費も僅かで便利なのだが、魔石の波動と合言葉を敵に知られると武器を奪われる危険性もある。とはいえ、手にした武器を強引に奪うほどではないのだと、そう教えられていた。だが、イザネの魔力は桁違いのようで、俺の腕力など問題にしなかった。
「なるほど、こういう欠点もあるんだ」
イザネは奪い取った魔導弓を見つめている。
「もう一つ試したい事があるから、ちょっとこれ借りるぜ」
「何をする気だよ?」
さっき魔導弓に悪戯されそうになったばかりだ、不安にもなる。
「これを参考にして、もっといい魔導弓を作ってみるんだよ。倉庫に素材は余ってるし、地下のクラフトルームで製作はできる。用が済んだら、ちゃんと返すから安心しなよ」
「今から作るのかよ? いつ寝る気だ?
明日にしとけって」
「時間が掛かりそうなら、余ってるクラフト時間短縮の課金アイテム使うから問題ねーよ」
イザネは魔導弓を脇に抱えて、クラン拠点の中に引き上げていってしまった。
目覚めると、そこにはジジイの髭面があった。どうやらべべ王が、寝ている俺の顔を引っ張ったり摘まんだりして遊んでいたようだ。さわやかとは、とても言い難い朝だ。
(昨日は確かイザネに魔導弓もってかれて、皿洗いを終えて、歯を磨いて、あとイザネのベッドの掃除してから寝たんだっけ……)
俺は手を伸ばしてジジイのあご髭を掴み、それを適当に上下に揺すってから身を起こす。
近くで、大上・段の豪快な笑い声が聞こえた。
「ひっどいの~、最近の新人はクラマスをないがしろにしおる」
「寝起きは不機嫌な人が多いから、悪戯すんのは考え物っすよジジイ」
(そういやこいつがクランマスターなんだっけか。リーダーって感じはまるでしないけど)
べべ王の減らず口を軽くいなしながら、俺はベッドの上に座った。
(さて、歯磨きと洗顔を済ませてこよう。そういや、地下にクラフトルームがあるらしいが、こいつらの歯ブラシも作れるのだろうか?)
「冒険に行くから準備しろよカイル」
段がまた、昨夜と同じ様に俺を誘う。
「昨晩イザネさんに魔導弓をもってかれたから、今から冒険なんて無理だぜ。それにこの世界じゃ、朝やる事が他にあんの」
「やる事ってなんだよ?」
俺は黙って、今まさにベッドから身を起こそうとしている東風の頭を指さした。
「東風、その頭どうした! ギャハハハハ!」
「髪が逆立っとるじゃないか。クスクスクス」
早速段とべべ王の爺さんが一緒に笑い出したが、ハゲの方はともかく爺さんも自分の頭に寝ぐせがついているのに気づいていない。
「大変です! また、お腹が減っています!」
突如、目を擦っていた東風が大声をあげた。
「おいおい、昨日食ったばかりだろ」
目を見開いて、段が驚いている。
「食事は朝も含めて一日三食、もしくは二食」
「そんなに食わなきゃなんねーのかよ!?」
「せめて一日一回に、まからんのかのぅ?」
段とべべ王が文句を垂れるが、このパターンは、寝るのを面倒がるイザネで経験済みだ。
「一日一食は、プチ断食になるからやってる人もいるらしいけど、その場合は一回に食う量をよっぽど増やさないと無理だよ。
あと、べべ王も髪が乱れてるから、池で自分の顔を見た方がいいんじゃないの」
ああやっぱり、三人が混乱し始めた。
「俺様は早く冒険に行きたいのに、なんでそんなにやる事が多いんだよ!」
「本当だ、べべ王さんも髪も変ですよ」
「そういえば、わしも腹が減ってきたのぅ」
(洗顔と歯磨きについては庭に出てからにしよう、目の前で実際にやってみせる方が早い)
三人の相手をひとまず切り上げて部屋を出ると、隣のドアが目に入った。
(昨夜は夜更かししてたし、あっちで寝てるイザネはまだ起こさないでおこう)
目の前の階段を、俺はあくび交じりでおり始める。
(そういえば、新しい魔導弓を作ると言ってたけど、どう考えても一晩じゃ無理だよな)
そう思った矢先、俺は仰天した。何やら長い物を入れたカバンを担ぎ、今まさにイザネが階段を上がって来るところだったからだ。
「お、おい、まさか徹夜してたのかよ?」
「いつまで寝ないで我慢できるか試してたんだよ。流石にもう辛くなってきたけど……」
フワァ~~っと大きなあくびをするイザネの目には、クマが薄っすらとてきていた。
「……もう少し耐えられるかな?」
「バカな事してないで、体調を崩す前に早く寝ろよ。部屋の一番手前のベッドの埃は、昨日落としておいたから、そこ使いな」
イザネは目をこすりながらコクコクと頷く。
「ほらこれ」
イザネは担いでいたカバンを俺に手渡すと、ノソノソと自分の寝室に入って行った。
(なんだろう?)
カバンを開けるとそこには新しい金色の魔導弓があった。魔導弓の中心にある魔石は以前の物より二回り大きく、それを囲むように四つの小さな魔石が配置されている。また弓の両端は鋭く尖り、ショートソードに持ち替えなくても槍のように使えるよう工夫されていた。カバンはこの鋭い弓をカバーし、持ち運びに便利なよう用意してくれたのだろう。
「へえ、いい弓ですね」
いつの間にか階段を下りてきた東風さんが、カバンの中を覗き込んでいた。
「これ、レイドボス暗黒龍の素材を使っているじゃないですか。武器ランクは我々の物と同等ですよ。イザ姐が作ったんですか?」「しかし、それを装備するにはカイルのレベルがまだまだ足らんじゃろ。装備レベル制限が解除される18〇レベル近辺までカイルを鍛えるには、ちと時間が必要じゃな」
(そうか、べべ王達はまだ知らなかったな)
「昨晩作ってくれてたんですよ東風さん。
それと、ここにはレベル制限なんてないよ」
俺はべべ王に向かってカバンから取り出した魔導弓を構えてみせた。
「はぁっ! ふざけんなよ! そんなのチートじゃねーか! この世界のゲームバランスはどうなってんだよ!?」
階段の上から、段の怒鳴る声が振り注ぐ。
朝日に輝く池の上に、丸い男の顔があった。
「やぁ、これは酷い」
東風は、池に写る自分の寝ぐせを見て笑う。手櫛で髪を整えようとするも、東風の指は太すぎて、まるで上手くいっていない。
「櫛があればいいんですが」
「櫛ってなんですか?」
(櫛を知らない? 寝る必要のない世界に住んでたから、寝ぐせとも無縁だったのかな?)
「こういう道具なんですが……」
俺は地面に櫛の絵を画いてみせた。
「これルルタニアにもあったぞ。確か、頭に付けるアクセサリーじゃねぇか?」
顔をさっさと洗い終えて手持ち無沙汰にしていた段が、俺の絵を覗き込んでいだ。
「色や模様の付いた櫛なら髪飾りにもなるけど、本来は髪を整える道具だよ」
(ま、ハゲには関係ない事だけど)
「他にも必要な道具はあるかの? もしあるのなら、後でまとめてクラフトするとしよう」
隣で白髪を整えていたべべ王も口を挟む。
(クラフトルームってとこで作れるのは、やはり武具だけじゃないのか。だったら……)
「そうだね。とりあえず思いつくのはフォークやナイフなどの食器の類と、これかな……」
俺は三人に歯ブラシを見せる。
「小型のブラシですね。何に使うのですか?」「これはですね……」
東風のリクエストに応じ、俺は歯ブラシを口に入れ、実際に使ってみせたのだが……。
「ギャハハハッ! こいつ、ブラシを口の中に突っ込みやがったぞ! バカじゃねーの!」「ぷ~クックックックッ」
例によって、ハゲとジジイが俺を冷やかす。
歯磨きを知らないにしても、イチイチ話がこの流れになるのはどうにかして欲しい。
「歯を磨かないと、歯が痛むんだよ! 虫歯になっても知らねーぞおまえら」
「虫歯って、まさか歯に虫が湧くのかよ?」
「そうだよ、目に見えないほど小さな虫がね」「ひいいいぃぃぃ~~~~っ!!」
俺と段の話を聞いたべべ王が、両頬を抑えて大きな悲鳴を上げた。
「は、歯ブラシだけは速攻で作ろうぜ……」
一足遅れて段も青ざめている。
(んん?)
その時、俺は何か気配を感じて、思わず振り返った。背後にあった訓練小屋から、白い煙が漏れている。それは昨夜イザネが召喚失敗した際に見たものと、同じものの様だった。
<ネットゲーム用語解説>
「クラフト」……モンスターや採取物の素材を元に装備を作るシステムを、こういう風に呼ぶのがオンラインゲームでは一般的だ。クラフトに時間を特に要さぬゲームもあれば、プレイヤーのクラフトレベル等の数値によりアイテム完成に要する時間が設定される作品もある。
「食生活」……ゲームと食生活なんてまるで関係ないように思われるかもしれないが、海外にはオンラインRPGに夢中になるあまり、食事もせずに餓死した例もある。とかくゲーマーの生活習慣は乱れがちなものだ。そのせいもあるのだろう、一日一食でゲームしてると言ったら、みんなから心配されたよ。けど、大御所芸能人で一日一食を三十年以上続けている人もいるんですわ。一日一食にすることで、内臓を休ませる時間を増やし、一日のパフォーマンスを上げるって理屈なんすよ。ゲームに集中できる時間を増やすには絶好の食習慣ってわけです。とはいえ、晩多めに食うにしても朝昼何も食わないのも腹が減り過ぎるんで、僕は食事の代わりに青汁飲んでましたけどね。そもそも昔ドイツの学者が唱えた一日三食の根拠となる説だって、よくよく調べてみると怪しいとこあるんですわ。
「レイドボス」……特殊な討伐報酬が用意された、強力なボスモンスターの事を言う。オンラインゲームでは、多人数で協力して戦う前提のボスモンスターとして設定されている。このレイド報酬目当てに効率的な周回プレイをしたがる人が多く、そのため諍いが起こる事もよくあった。僕も攻略のセオリーを知らずに討伐に参加した時は、参加者の一人から悪口を言われた事があるよ。




