勝利の味
マンドレイクとは、人の形の根を持つ植物だ。様々な魔法薬の材料となるが、地面から引き抜くと悲鳴をあげ、それを聞いた者は意識を失うとも、発狂するともいわれている。無論、そんな危険な植物を育てるなど、特別な許可を持つ者以外は禁止されている。
「えと? どうやって捕まえるんです? あれに叫ばれたら、只じゃすまないよね!」
だからこそ俺は、イザネの提案を恐れ、尻込みしていた。そもそも、自力で歩いて逃げ回るマンドレイクなど、聞いたこともない。果たして、不用意に触れていいものか?
「あいつ等が、クランメンバーに敵意を抱く事なんてねーよ。頭の葉っぱを引っ張るか、大声で脅かしでもしない限り、何もしないぜ」
(やっぱ、ヤバい植物じゃんか)
聞いといて正解だった。そして、できるだけイザネに任せるとしよう。正直不気味だし、あんな植物には触れたくもない……なんて、考えていたのも束の間の事だった。
トタトタトタトタ……。
二階から小さな足音が、いくつもいくつも響いてくる。
「こりゃー、鉢で飼ってた奴らが全部逃げたしてるな」
「全部って、いったい何匹?」
「五匹かな。拠点中に散らばっちまってるみたいだし、二人で手分けしようぜ」
(マジかよ……)
「じゃ、一階は任せたぜ」
食堂のドアと廊下を挟んで反対側にある階段を、イザネは駆け上がって行ってしまった。
俺は目を閉じて、ゆっくり息を整えた。もう怯えていても仕方ないし、ビビってばかりじゃ、冒険者は務まらない。俺は食堂のドアを開けた。右手を見ると案の定、庭に続く扉が半開きだ。
「あの小屋からこの屋敷に入るなら、ここを通るしかないからな」
足元でペタペタと小さな足音が鳴っているので見渡すと、俺が魔導弓を立てかけておいた椅子の下に、マンドレイクが隠れようとしているところだった。急いでしゃがみ込んで、椅子の下に手を伸ばしてみる……、なるほどイザネの言う通り、このマンドレイクに敵意はないようだ。よちよちとした足取りで、無邪気に俺の手に近づいてくるのだから。
ギィ……。
ところが、半開きになっていた玄関のドアが軋んだだけで、マンドレイクは俺の手から逃れるように机の下へ引っ込んでしまう。
(あれしきの音もダメなのか、こいつ?)
マンドレイクを大きな声で脅かすな、というイザネの忠告の意味がようやくわかる。
だが、ドアの方を振り返った俺は、もうそれどころではなかった。開いたドアの向こうにいたのは、木でできた大きな人形だった。これはウッドゴーレムというのだろうか? 二メートルを超えるその人形は、手に木剣と木盾を手にして、この食堂に足を一歩踏み入れたところだった。人形の額にはめ込まれた大きな赤い宝石が、さっき俺が火をつけた燭台の明かりを反射して、不気味に輝いている。
「ひぃっ!」
我ながら情けない悲鳴が、口から洩れた。俺が恐れたのは、ウッドゴーレムではない。奴の持つ木剣……、木剣を手にした相手が迫る恐怖に耐えられなかったのだ。
数年前、冒険者ギルドの訓練所に通っていた俺は、毎日木剣でいたぶられていた。そこでは、同期の訓練生をまとめていたギャレットという男と、その取り巻き達が、とっかえひっかえ俺を木剣で打っていた。奴らのおかげで、剣の才能がない事を嫌というほど思い知らされ、毎日ミミズ腫れした肌を走る痛みに苦しんだ。ああそうさ、俺は木剣が怖い。本物の剣よりも、恐らくはもっと。
だが怖くても、二階のイザネを呼ぶことはできない。大声を出せばこの部屋のどこかに潜むマンドレイクが悲鳴を上げる。それを聞いた後の俺の運命など、想像もしたくない。
俺は、目の前の魔導弓を手に取る。できるなら、奴が接近する前に肩をつけたかった、それも一撃でだ。
バヂィッ!
俺の放ったサンダーアローが、ウッドゴーレムの顔の右半分を焦がす。だが、それ以上の効果はなく、ウッドゴーレムは途端に剣を構えてこちらに突っ込んでくる。
(クソッ! 木製のゴーレムに雷系の魔法が効く訳がないじゃないか!)
ファイアーアローじゃ火事になりかねない、その考えが裏目に出た。
机の上に魔導弓を投げ出した俺は、ショートソードを引き抜いた。魔導弓は、ガラガラと音を立てて長机の上を滑り、俺は剣を構えたまま、その横を逃げた。俺の鼻先を、ゴーレムの木剣が、ブンと唸りを上げてかすめる。
(くそっ! なにやってんだ腰抜けが! 前に出ないでどうする! 過去の忌々しい記憶を乗り越える、絶好のチャンスと考えるんだ!)
だが俺の体は、俺の意思に反し木剣の間合いの外へと逃れようとする。一方ゴーレムは、俺が引いた分だけズカズカと間合いを詰め、木剣を振るう。半分焦げた顔に感情はなく、息づかいもなく、無機質な剣が追ってくる。
(なんで前に出れない! なんで逃げる! 冒険者になった今も、俺は未だにギャレットを恐れているっていうのか!)
ゴーレムが振り回す木剣に追われた俺は、長机の上に避難し、その向こう側へと転げ落ち、背中を硬い物に打ち付ける。
(何やってる!? もう後ろは壁だぞ!)
それでもやはり体は縮こまったまま、俺は木剣を恐れショートソードを頭上に掲げて身を守る事しかできなかった。
ブンッ!
空気を裂く音とともに木剣が振り下ろされるが、痛みはない、頭上に掲げたショートソードに手ごたえもない。
ブンブン! ブン!
木剣はいくどとなく振り下ろされるも、俺には届かない。それもその筈、顔を上げてゴーレムを見れば、未だ長机の向こう側にいるのだから。その人形は膝を机にぶつけるばかりで、机を乗り越えようとしないのだから。
(こいつ、机を認識できないのか?)
それとも、どう乗り越えればいいと分からないのだろうか? いずれにせよ、これなら俺にも勝ち目がある。
バキィッ!
俺の鼻先で空を切り続ける木剣に、ショートソードを叩きつけた。通常であれば、これは悪手。芝居では、互いに剣で打ち合い、弾き、鍔迫り合いという、派手な殺陣が喜ばれる。だが、実戦でそんな事をすれば、武器が痛んでしまう。多対多の戦いが当たり前の冒険者からすれば、一体の敵を倒す度に武器をボロボロにしていては話にならない。可能ならば、相手が剣を抜く前に一撃で仕留めるのが理想であり、訓練所では相手より早く切りかかるため抜刀術まで教えていたほどだ。
が、何事にも例外はある。相手の得物が杖、あるいは槍などだった場合、切り付けられた柄はささくれ立ち、扱いずらくなっていく。まして俺の目の前にいる木の人形の武器は、木剣なのだ。あんな薄っぺらい木の棒など、何度が切り付けていれば……。
ベキィッ!
木剣が俺のショートソードでへし折れる。
「うらぁ!」
次に俺が狙ったのは、ゴーレムの右手。折れた木剣をなおも離さぬ、その右手だった。 バキャンと音を立て、ショートソードを叩きつけられたゴーレムの指の一つが飛び、何本かがあらぬ方向に曲がり、そして折れた木剣が、机の上を転がってから床に落ちた。
今がチャンスだ! そう直感して長机に駆け上がるのと、ゴーレムが俺の顔に盾を叩きつけるのは同時だった。右頬から耳にかけてが熱く、鼻の穴から漏れた血がゴーレムを染めている。けど、だから何だ?
(たかだか、この程度で!)
訓練所時代、木剣で叩かれた痛みはこんなものじゃなかった。木剣が金玉に当たり、のたうち回った事さえある。あの痛みや苦しみに比べたら、平べったい木の板で叩かれたくらいで、この俺が怯んでたまるものかっ!
俺は構わずショートソードをゴーレムの首の付け根に突き立て、そのまま体重を預ける。
(いくら大きくても、木製なら見た目より軽い筈だ! 俺の体重を支え切れるものか!)
ゴーレムは床に仰向けに倒れ、俺の剣はメキメキという音と共に、ゴーレムの首元を割っていく。恐らく、ゴーレムの核は額の宝石。それを、この木でできた細い首ごと切断できたなら……。
倒れたゴーレムに馬乗りになった俺は、ショートソードを持ったまま体重を後ろにかけて、思い切り引っ張った。てこの原理で、ゴーレムの首が斜めに裂けていく。
「まだまだぁ!」
もうすっかりブラブラになった首にショートソードをガスガスと突き立てる。首が完全に胴から離れるまで、無我夢中で突き続けた。
「もう、おまえの勝ちだよ。何やってんだよ、訓練用の人形相手に」
見上げると、吹き抜けに面した二階のテラスから、イザネがこちらを見下ろしていた。イザネは両脇に二匹ずつマンドレイクを抱え、腰のベルトに手提げランプを引っかけている。
「よっと」
イザネは二階の手すりを飛び越え、ストンと肩で息する俺の目の前に着地した。彼女の足元には、胴から離れた木の首が、焦げた臭いを僅かに放ちながら転がっている。
「訓練用って、なんです?」
俺の口から洩れたのは、二階から見ていたのに、すぐ助けようとしないイザネへの文句ではなかった。なぜなら、これが冒険者になって……否、生まれて初めての勝利だった俺は、心地よい高揚感に浸っていたのだから。
そしてだからこそ、『訓練用』という不愉快な言葉に、俺はむしろ引っかかっていた。
「その人形は、マンドレイクと一緒に訓練小屋に置かれていたもんだ。戸が開いてたんで、マンドレイクと一緒に出てきたんだろう。
ちなみに訓練用って言っても、欠陥品もいいとこで、動きが単調だし機転も全く利かない。戦う相手と同等のパワーを発揮できるんだが、これじゃあ意味がないぜ」
(それで机も乗り越えられなかったのか。しかも俺と同じ力しか発揮できず、武器も脆い木剣。これでは、俺が勝って当然じゃないか)
勝利の余韻が冷めていく。まるで負けるため作られた様なゴーレムが相手だったのだ。
「しかし、変だな。ぶっ壊しても自動的に直る筈なんだが……ああ、そうかコイツも」
ルルタニアでは自動的に灯っていたという燭台の炎と、横たわったままのゴーレムを、イザネは交互に見比べている。
「なんだ、直らないのか……」
俺は、足元に転がるゴーレムの首をもう一度眺めたけれど、やはりピクリとも動かない。
明らかに俺は、このゴーレムとの再戦を望んでいた。なぜならこいつは、確実に俺が勝てる相手だからだ。偽りの空しい勝利と冷めてなお、その勝利をもう一度味わいたい、そんな欲求が俺の中を渦巻いている。
(もしかしてギャレット達も、今の俺と同じ気持ちだったのか?)
毎日毎日木剣で俺を小突き倒すあいつ等を、俺は軽蔑していた。勝てると分かっている相手を何度も負かして、何になるのかと思っていた。だが、確実に勝てる相手を前にした今、俺もまた同じ事を考えてしまっている。
「それよか大丈夫か? もっと簡単に勝てると思ってたんだけどさ、俺は」
イザネに顔を覗き込まれ、俺はようやく正気に戻った。ゴーレムに殴られた右目の下が、今更ながらジンジンと痛みだず。
「大丈夫、大丈夫だから」
鼻血を腕で拭いながら長机の上に転がる魔導弓を拾い、ヒールアローを練り上げて逆に構える。ちょっと恰好悪いが、これで殴られた顔を治せる。
「へぇ~~、それがお前の回復魔法なのか、変わってんな」
右頬で光るヒールアローは、俺の視界を緑に染めながら、痛みを和らげていく。
「にしても、マンドレイクって、本当に音に弱いんだね。驚いたよ」
先ほど逃げたマンドレイクが、緑の光に照らされながら食堂の隅で座っている。俺はそいつに手を伸ばし、そっと抱き上げた。
「ああ、そいつが特別臆病なだけさ」
よく見ると、俺の捕まえたマンドレイクは、他のものより頭の上の葉が丸く、そして大きい。いや、イザネが脇に抱えている四匹も、よくよく見ると形状が少しずつ違うようだ。
「もしかして、マンドレイクの品種改良とかやってない?」
「ああ、マンドレイクが一人で歩けるようにするのだって、コツがいるんだぜ」
(マジかよこいつ等……)
マンドレイクなんて危険な植物、無許可で育てるだけでもリスクなのに、品種改良にまで手を出すなんて正気じゃあない!
「これで全部だよな? さっさと戻そうぜ」
俺は魔導弓を椅子に立てかけ直し、庭へと走った。これ以上変なものが、あの訓練小屋から漏れてきたら堪ったものではない。
訓練小屋の内部は、二つのエリアに分かれていた。手前側の、床の存在する細長いスペースには武器が所狭しと飾られ、マンドレイクの鉢も、そこに並べられていた。そして奥に広がる床のないスペースには、土の上に一定間隔で樽が並べられ、その中心に魔法陣が描かれていた。
バキッ!
イザネが無造作に、メイスで樽の一つを破壊する。バラバラになった樽を、イザネはしばらくの間、屋根から吊るされたランプの明かりの下で、ただただ見つめていた。
「やっぱ的用の樽も、自動的に直らないか」
イザネは続いて、魔法陣の隣にある水晶の乗った台座に向かう。
「さて、練習台用の魔物召喚はできるかな?」
「おっおい、なに物騒な事を!」
幸い、魔法陣には何の変化も現れない。
「本当に召喚したら、どうするつもりだよ!」
「所詮は練習台のモンスターだぜ、倒せばいいだけさ。とはいえサイクロプスどころかオークの一匹も召喚できず、か……それじゃあ」
魔法陣から、白い煙が立ち上った。




