14.月夜に弧を描いて
まだ虫も寝静まる丑三つ時。
俺たちは奴らのアジトである廃工場の近くまで来ていた。
山を歩き、今は工場側から見たら、切り立った崖の上にあたる場所から、その工場を見つめている。
「けっこう遠かったね」
「ああ、予定外に鬼に遭遇したのが痛かった。
少し急ごう」
香織の感想に、新一が答える。
道中、鬼を見かけた。
ちょうど、逃走者を捕まえる所だった。
鬼のケンタウロスは俺たちが逃走者の老人を助ける暇もなく、彼を轢き、そのまますごいスピードで走り去っていった。
密告者に呼ばれていない時は、ああして街中を徘徊して逃走者を探しているのだろう。
俺たちは逃走者ではないから狙われないのだろうが、何となく鬼を避けるようにして迂回した。
そのため、予定より遅れて現場に到着することになってしまったのだ。
「で、でも、本当にこんな所から行くの?」
弥彦が恐る恐る下を覗きながら、不安そうに尋ねる。
「ああ。
ここからが一番気付かれにくい。
極力、直接戦闘は避けたい」
「そ、そうだよね、うん」
新一の説明に弥彦が頷く。
まだ不安そうではあったが、
「なんだ、まだビビってんのかよ!
みちるを助けるんだろ!
男を見せろよ!」
そう京也に言われて、
「そ、そうだね!」
弥彦はぐっと表情を引き締めた。
京也なりに弥彦を励ましたんだろう。
それに俺と香織がくすっと笑うと、
「あ?
んだよ?」
と、京也は照れくさそうにしていた。
「よし。
そろそろ行くぞ」
皆の緊張が和らいだのを確認して、新一がリュックからボウガンとワイヤーを取り出して俺に渡してくる。
「頼んだぞ」
「やれやれ。
親父の趣味に付き合わされた成果が、こんな所で出るとはな」
新一に託され、俺は溜め息を吐きながらボウガンに矢をセットして構えた。
俺の父親は武芸百般とか言って、空手家でありながら、さまざまな武芸に精通していた。
弓に関しても、弓道や流鏑馬だけでなく、アーチェリーや、こういったボウガンなんかにも手を出していて、当然、俺も幼い頃からそれに付き合わされたのだ。
ボウガンの根元にはワイヤーが繋がっている。
ワイヤー自体の長さはかなり長くて重いため、ボウガンを改造して威力をかなり上げてある。
半身に立ち、スッとボウガンを構える。
照準を合わせ、深く息を吸って、ふーっと吐き切る。
それを何度か繰り返し、集中していく。
最後にもう一度、今度は軽く息を吸い、そこで息を止める。
手の震えはなくなり、ピタリと狙いが定まる。
ヒュッ!
カッ!
発射された矢は一直線に工場に向かって飛び、屋根に置かれた荷物に刺さる。
すぐに下の入口や周囲を確認するが、その音に気付いた者はいないようだ。
俺は何度かぐっぐっと繋がったワイヤーを引っ張り、矢が抜けないのを確認して、反対側の先端を近くの大木にしっかりと巻き付けた。
「よし、いいぞ」
俺が新一に向かってそう言うと、
「まずは俺が行く」
新一はあらかじめ身に付けていた、登山用のハーネスのカラビナをワイヤーに取り付けた。
俺たちは全員、全身にフルハーネスを身に付けている。
新一は別に用意したワイヤーの端を俺に渡し、もう片方をさらに自分のハーネスにつけた。
「新一。気を付けてね」
「ああ」
香織に短く返事を返すと、新一は手袋をつけた手でワイヤーにしっかりと掴まって、地面に背を向ける形で崖から足を離し、ワイヤーに絡めるように、両足をしっかりと組んだ。
新一の重さでワイヤーはたわみ、ぎっと下に沈む。
それでも突き刺さった矢は外れることなく、ワイヤーは夜空に弧を描いていた。
新一はそのままスルスルと進んでいく。
新一も、昔から俺と親父に付き合っていろいろやっていたから、このぐらいは訳ない。
特に大きな問題なく、無事に工場の屋上にたどり着く。
新一が屋上に足を着けると、香織と弥彦がほうと安心したように息を漏らした。
新一がボウガンとワイヤーの接続部分をほどくと、俺も大木に結んだワイヤーをほどいて緩める。
新一は近くの柱に、もう1つのワイヤーとともにそれを結び直し、合図を受けて、俺も再び大木にしっかりと2本のワイヤーを結び直した。
「香織。行くぞ」
「う、うん」
互いにワイヤーを引っ張り、しっかりと巻き付いているのを確認したら、次は俺と香織だ。
さすがに香織一人でこの長さを渡るのは不安があるため、俺と香織の体を結び付けて、俺が渡ることにした。
俺が香織を背負う形。
2重にしたワイヤーが2人分の重さを支えられるのは実験済みだ。
当初、香織はここで待機しておくように言ったのだが、
「私もみちるを助けに行く!」
と言って聞かなかったため、この形を取ることになった。
俺は新一と同じように仰向けになって空中を渡る。
頼るべき地面がなくなり、香織がぎゅっと俺にしがみつく。
それに応えるように、俺も足をしっかりと組み、腕に力を込めて、少しずつワイヤーを渡っていく。
いくらカラビナでワイヤーに支えられているからとはいえ、2人分の体重を支えながら移動するのはキツい。
半分ほど進んだ所で、腕が震えだし、額に汗が流れる。
「悟。
大丈夫?」
「……ああ」
香織の心配そうな声に、何とか返事を返す。
疲れた。
まだ着かないのか。
腕の力がどんどん抜けていく。
筋肉がぶるぶる震える。
冷や汗が止まらない。
いっそ、このまま手を離してしまえたら、どれだけ楽か。
ああくそっ。
もっと真面目にトレーニングしとけば良かった。
でも、俺が落ちるのは、イコール香織も落ちるってことだ。
それだけはダメだ。
それだけをモチベーションに前に進め。
気の遠くなるような時間、ひたすら前に進んだような気がする。
気が付いた時には、新一がこちらに手を伸ばしていた。
俺は何とかその手を掴み、引き上げてもらう。
「はーっはーっ」
俺はそのまま床に寝転がり、大の字で呼吸を整えていく。
冷えきった鋼鉄の床が、今は心地いい。
新一が合図を送るのを横目に見る。
香織も俺の横に膝をつきながら、次に渡る京也を見やる。
「さって、お先ー」
京也は楽しそうに、するすると渡ってきた。
こういうアトラクションが好きで、よく遊んでいたらしい。
まったく問題なく渡り切り、涼しい顔をしている京也を恨みがましく見つめてやる。
「だから、俺が香織を運ぶって言ったんだぜー」
京也が口を尖らせてそんなことを言っている。
もちろん、それは断固拒否した。
だから、俺が意地でも運んだんだ。
「無事に運べたんだ。
文句はないだろ!」
俺がムキになって言うと京也は、
「へーへーお幸せにー」
と言って、そっぽを向いた。
新一はそんなやり取りはお構い無しに、最後の1人に合図を送る。
「よ、よし。
僕もやるぞ」
そして、最後は弥彦の番だ。




