醜悪な計算の先に
全ての人間を動かしていたのは誰?
救いを与えようとして、初めから裏切っていたのは誰?
『この戦は救世主による予行演習だ』
あの日、本に綴られた文字の先を銀の天使だけが知っている。
***
『君は、世界から人口を半分にするにはどうしたらいいかわかるか――?』
それは単純な計算で、例えば÷2とすれば解ける。だが彼が言うのはそこではなく÷2の手段であって、それは確実な答えのある数字の解き方なんかより難解だった。
彼は一人で立っていた、何時もは長めの髪を三つ編みにし肩から流していたが、今は高くで一纏めにし結っていた。雪は強まり、視界が白に覆われ防寒具が風に攫われる。人と人が殺し合う中で最も逃げてはならぬ者の後ろ姿を凪は見つけ、つけてしまった。黒い後ろ姿に誘われて、凪と槐が辿り着いたのは誰もいない景色の中だった。
先程の問い、凪には単純に計算したって解けるものではないと思った。
問いを出した相手は、数秒待ってから自分の考えを伝えるように口にした。
「10人いるなら5人になるよう5人殺す、それが一番いいなと思った」
あぁなる程と返す、彼は頭の中でそう閃いたとき、頭の中の自分にもう他の解答なんて全てはずれかのようにそう頷いたと言う。
「三世の人間を半分にするには?」
学校の先生みたいに、問題の解き方は教えたから、次はもう簡単に解けるね、というように彼は凪に微笑みかけた。
――冗談じゃない、いや、もう冗談ではないのだ。何故なら凪は答えが出せているし、その答えが間違っていなくて、実際に行われていて、もう取り返しのつかないところまでいっていたのを見てきたから。
聡いのはあまりよい事ではない、だが凪は読む、既に行われてしまった事を時は戻せないと知りながら。
ある人物に言われて人は蜂起した、華矜院を打ち負かそうと策に乗った。
策を講じたのは誰だったか?
策が間違い、華矜院と鉢合わせた本当の理由は――?
黒い髪、緑の瞳、目の前の男は楽園の指導者の顔をして口元を緩める。
「言え……何故こんな事をした」
凪はたまたま後をつけたのか、こうなるように、ただ一人くらい黒幕の描いた策の真実を知る役が居てもいいと思われたのか。人気のない場所で彼を追い詰めた。追い詰めるようにされた。
黒い後ろ姿の、肩が小刻みに震えていた、仲間が殺し殺される様子に耐えかね、ひとりぼっちで打ちひしがれていた、――違う、面白いように筋書きの上を歩く者達を嘲笑っている、そんな笑いである事は今になって顔を見れば明確であった。
悪魔は内に存在した、誰も気付けなかった、÷2のやり方が人を救済するものと同義等と考え及ばなかったのだ。
凪の後ろには槐が居る、二人に対し、"桐生寿"は口を開く。
「何故こんな事をしたか――それは最初に言っただろう、世界から人間を半分にするにはどうしたらいいのかと。三世から人間を半分にするために半分を半分にけしかけた、実に単純だよ」
「仲間の事……最初から紙の上にある数字みたいなものだったのか?」
「君は、おかしいな、他人なんてどうだっていいという顔をしながら、見ず知らずの人間に情を持ったり、槐に対しても、私は礼を言いたいよ」
その槐は、寿が身のうちに残酷な意思を抱えていようともそれに干渉しないといった、いつも通りの無表情だった。凪はただ、その無表情だけでは済まさないと槐を問い詰める。
「お前も知っていたのか? こっちの人と華矜院が戦って半分になればいいってこと」
槐は寿と目で意思を交わし、許可が出た様子で平然と語り始める。
「半分になればいいってことは知っていた、しかし寿さんが何を考えているかは知り及ばない」
ぎりっと拳を握りしめる、凪は寿から正当な裏切りの理由を聞き出すまで許しはしないと決意する。
「あんた、何がしたいんだ、そこが抜けている。人を争わせ、三世の人間を半分にする理由はなんだ、華矜院に恨みもなく、王になる野心もない、そんなあんたの望む未来は」
「嘘、最適解、真実、どれを言ったら君は許してくれる?」
「許すか! 仲間を戦わせ、華矜院を殺し、そしてあんたが何を望むかなんて!」
「果たして何の益になる?」
槐も今ばかりは口を出す。
「野望の王になりたいなら華矜院を全て滅ぼすなり捕まえればいい、策をミスさせて、わざとこちらと向こうを同数になるよう対峙させ、殺し合い、2を1にする。三世の人間を半分の数にする……数字遊びみたいな真似を貴方がする理由は?」
「槐、どこまで解っている?」
「寿さんが三世に来たのがこの遊びのためだってとこ? それとも」
「なる程、君は賢いな。私は君に策の内容と人口を約半分にするにはという、考えの一端しか握らせていないのに」
凪は置いてけぼりだ、二人が何を話しているのか全く掴めない。ただ、桐生寿が楽園の人々の為でなく、華矜院を引き摺り下ろす為でもなく、独自の遊戯の場所としてここを選んだ予測だけは間違いではないと確信する。
まるで二夜の、あの王のよう。自身の為に、世界を壊す。
「長話は嫌いか? まあ最初から聞いてくれ。私は数年前まずこの世に降り、この世の情勢を見て、それから図面に勢力を描いた。華矜院、街の者、楽園の者の三者が存在することが記された。ここで、グループを二つに分けたい、街には華矜院に反感のある者が多数存在する、ならばそれを楽園側に加えればと考え、そしたら集まる数は華矜院家の総勢と約同数である事が導き出された。戦力的には、は今は考えない。私はまず華矜院七汐と手を組んだ、あちらが華矜院家を嫌っていたものだから、話はすぐについた。私は暫く七汐とこちらの情報と向こうの情報を交換した、どちらもスパイだな。ただ七汐はどちらかというとこちら側の人間なものだから、華矜院に優位に働く情報は渡っていない。犬に仲間が襲われた事があったが、七汐が一人だけ見逃したのはあれは犬に人を食わせましたという恐嚇ではない、伝言だったんだよ、私に会いに来ましたというな」
怒りに困惑に、多すぎる情報が凪の中でぐるぐると回る、今はなんとか口を挟まず聞きに徹する。
「さて、華矜院の内部を仔細に把握していた手法は理解して貰えただろうか。次は圧倒的な戦力差を埋めるやり方だ」
「それはもう知っている」
槐が割って入る。
「殺せないなら殺されろ、そしてこう言え『人殺し』と。これが貴方の出した策だ。初めは諦めの悪い道連れかと思ったが、違うな。人は罪悪を抱えるものだ、人殺しと言う言葉を直に聞かされては、逃げ道はない。余程狂ったものでなければ反省している、悔いている、だから『人殺し』という言葉は胸を突き刺す。これで何人かは共倒れしてくれる。そして他にはこれが最終決戦と煽り、後戻りという退路を断ち、仲間だの勝利だので気を高め、そこに絶望と血を見せ飲み込み狂戦士化させる。七汐に情報を与え、情報通りに兵を配置させ、両者をぶつける。煙と透明な壁を使ったトリックで華矜院を昏睡させる。城から出てきた華矜院もどうせ殺してしまったんだろう」
「あたり」
凪の顔は歪んでいく。みなの意志は、魂は、操られた盤上の上に配置された流れの一手。
「澪にシズ様に会えって言ったのも、何かの策なんだろ? それは分からなかったが、あまり聞いて良い気分になるものとは思えない」
寿の残酷さからして、澪を向かわせた真実がよいものであるはずがない。考えたくない、凪の鼓動が焦りだし、寿の口が開くのを恐れて青ざめる。無情にも、寿はその恐れを引っ掻くように告げる。
「澪は死んだだろう」
「ッ!」
「"死んでくれるよう、私はシズに会わせた"。説得の言葉とか、どうでもよかったな。澪は死ぬことによって、シズを味方につけるのだ、最初からそれだけだ。今頃華矜院も、街の人間も、シズが殺しているだろう。それでも逃げ延びた少数の人間も、じきに死ぬ。滅びた中核、廃墟になった街、人がいなくなり、凍えた大地に僅かな人間が縋る希望はない。実質的な終わりだ、この世の」
「なんでだよ……」
凪は目をぎゅっと閉じる。そして激情と同時に開く。
「なんでそんな事した! 三世の人間が半分になってあんたは何を得る!!!! ふざけるなッ!」
凪の怒号の隙間に冷たい声が入る。
「調べたかった」
「なんだと」
「私の思うように人間の半分消えるのが知りたかった、÷2が成立するのか確かめたかった」
「しっかり答えろッ! 何故そうした!」
淀みなく流れる言葉はもう止まらない。時は動き出した。
「本当に消したいのは"ここ"の人間ではない」
予行演習は終了した。
『殺したいのは、一巡の人間だ――。』
***
「あぁそうなんだ」
その声は雪の中から聞こえてきた。吹雪の中に流れる髪は白く、膝裏までの長さで、風に煽られ大きく揺れている。防寒具は羽織っておらず、薄着で、肩が開き、素足の覗いた場違いな洋服を纏っていた。体温のないまるで真白の人形が、歩いているようだった。
その白は際立たせるように赤を引っ被っていた、ぞっとするような斑の赤は、雫となりぽたりぽたりと積雪に跡を付けていた。
雪のように白い肌、冷めた唇、そして――その上にはまるでウルワのように、いや、彼女そのもののように赤い――目。
「バカな……っ」
目を見開く凪。寿も槐もそちらに目をやる。
「もうお目目は隠さなくていいのかい?」
寿の挑発紛いな発言に対し、冷めた唇は殺意を孕む。
一瞬の出来事――白い人形は寿の懐に現れ短剣で腹を突き刺した。
「っク、ははは」
寿は刺された態勢から力が抜け相手に寄りかかる。抱きとめる事もせず人形は寿の耳元に息を吐き出す。
「さっさと出てこいよ――」
まるで何かを寿の中から抜き出すように低い声で挑発し、ずるりと短剣が抜かれる。寿は腹を押さえ一歩ずつよろめいて下がる。
「帰る機会をやるよ、"上"で――会おう。そしたら殺し合いだよ」
冷めた唇がそう囁いた。
そしてその唇は、"華矜院シズ"として愛をうたう。
「"チガヤ、待っているよ――"」




