わたしは最期のひとりとなりて
白い悪魔は白い人間達を滅ぼしました。
「えぇ、最初から誰も愛していなかった、愛されていなかった。」
華矜院シズ、そういう一人の人間を人間として愛してくれたのはたった一人だけだった。
赤い色は因縁の色。赤い色は世界で一番好きな色、そして世界で一番憎しみに塗れた裏切りの色。
こんなに、好きだったのに。
***
沈黙の後、最初に寿に近寄り容態を確かめたのは槐だった。くぐもった声に痛みを乗せる喉、治療が必要と分かると、肩を貸し槐は寿と共に立ち上がる。
「もう知られてしまったから言うけれど、茅萱さん、早く帰った方がいい」
「はは、そうだな。知りたい事はみな知れた……今更、何人……殺そうと……」
二人はどこへ帰るのだろう、破壊されたこの世界を前に凪は立ちすくむ。
迷える瞳で華矜院シズを見る。
始めて目の当たりにした彼はまるでウルワだ。白く長い髪、儚げな作りの顔、長い睫毛、その下の真っ赤な目。ただ違うのは無機物のような表情、そう、表情と形容するものが何もないその顔だけは違う。
華矜院シズは凪に近寄る。
「この短剣には跡が付いている、白い少女のものが」
「ウル、ワ……」
「そう、少女は殺した、ミオを」
「……ッ」
「オンガは後を追った」
「オンガって、ミズガレ……」
「そう、お兄さんは少女の為に人を殺した。チガヤの元で共に育った、僕のお兄さんは人を殺せるような人間ではなかった。それなのに人を殺して泣いて笑っていた。それだけ少女が大切だったんだろうって。二人は今頃、"更に下だ"」
華矜院シズが積雪を指差す。凪はその意味を解っている。
「行く……俺は、二人を助けたい、会いたい」
「今下に行けば、そこにはここで殺し合った者がひしめいている。白い少女を華矜院への憎悪から守るのは、一筋縄ではいかない」
「俺は、二人のためなら何回だって……」
蘇る、自殺した数々の痛みが。自分に刃物を刺すあの恐怖、飛び降りた時のあの視界。
心臓を押さえる、ドクンドクンと、早く鳴っている。
怖い、怖い、怖い
三度目なんてなくていい――、心臓が煩い。
華矜院シズは凪を覗き込む。冷たい白い華とまで呼ばれた、人の血を被った悪魔が隣にいるというのに、凪も咎める言葉が浮かばない。
そう、二人の思想は既に見るべき者だけを見、行くべき場所だけを映しているからだ。
寿と槐は居なくなっていた。
恐怖は拭われる事はなく、凪もそのままシズと別れを告げた。
シズの周りには何も残らなかった。ミオ、クイナ、エイ、ショウヒ、ハトリ、オトハ。同じ血族、街の人間、楽園の者、犬。
殺し合い、その声は消え、やがて赤い大地に墓標のように槍が突き立っていた。
血の霧は墓標に掛かるよう色を生やした。
音のない街、人が居ないのに建っている家。中身のない部屋、窓に雪を映した世界。
これがミオの望んだ結末。コトホの、チガヤの確かめたかった未来。カンナの、閉じた本の中身。
白い悪魔は最後に一呼吸する。
「それでも生き残った者達は、これから何処へゆくのだろう――」
花弁が舞い、白は結晶となってこの世から消えた。
***
雪に音はない、息吹も、情も。だから降り続ける、誰も居なくなった世に、白い花弁が積もる。
「怖い、怖いよ――」
廃ビルの屋上の手すりは歪んでいて、それでいて冷たかった。錆びた欠片が肌に付く、それを払ってまた手を付く。
後ろ手に手すりはあったが、爪先の下には何もない、遥か下方へ落ちるための高さだけが広がっていた。
「カンナ――、こんなのって、ないよ……ッ」
はっきりした脳がこれからビルから飛び降りるとイメージさせる。今回ばかりは憎しみや悲しみを打ち込まれた不安定な精神ではなくて、明瞭な意識で、明白な死を実感しながら、何もないビルの端へ足をやって落ちなければならない。
どれだけ怖いかなんて想像に容易い。どれだけ痛いかなんて想像したくもない。
三度目の死は、自ら足を踏み出し落ちなければならない。悲しみに我を無くした自分ではないのだ。
凪は時間を掛けて躊躇い、そうしてやっと、廃ビルの屋上の縁に立ったのだ。
神流に教えてもらった。
自分を殺せば人を殺すと同義だと。
そうして二夜でも飛び降りた。
手すりを離すと風に揺られてふらふらする、ズルっと足を滑らせ、慌てて手すりに捕まる。腕を引っ掛けた拍子に関節を強打し、激痛が走る。それでも抱き着く。縋り付く。
手すりがぎぃぃと鳴る。落ちる――! そう思っただけで頭が真っ白になった。怖い――怖い、怖い――。宙ぶらりんの足が必死に壁を蹴る。
神様ッ神様ッ、どうしてこんなひどい仕打ちをするんですか。
ナギは涙を堪える。
下は何もない――死ぬ。
何十メートルの高さか、下のものが小石ほどに見えるのは、相当な高さだからだ。
怖い、怖いよ……
足の下には何もない。
怖いよ……
けれど、飛ばなければならない――
***
雪が降っていた。永遠に止む事のない雪。
それは死人に降り注ぐ白い花。棺桶の上に積もり、やがて全てを埋め尽くす。
寒い国に雪が降るのは当たり前の光景だろう。しかし、この国では当たり前が当たり前ではなくなり、異常な光景となっていた。
雪が永遠に止まず、雪解けがここ最近といったレベルではなく、何年、何十年単位で訪れてはいないのだ。壊れたように結晶が降り積もる凍土は、誰の目にも明らかなように異常だった。
しんとした世界、それにとても似合う雪。灰色の空から結晶が舞い降りる。
ナナセは雪を掻き分け進んでいた。防寒具は意味をなさず、体は凍えて感覚がない。自分の背丈より高い雪の山によじ登ろうと、体全体を使い懸命に渡っていく。だが途中で止めてしまった。この向こうには街があるのに何故? と問う者、その息すら灰色の世界は凍らせる。
ナナセは雪を超えるのを諦め地面の上に寝そべった。地面の上にも深く雪が積もっており、雪のベッドに寝そべる形になった。
――この世はどうして終わるのだろう。
問いた。返事はない。
「寒い」
紙を取り出す。枚数を重ね、分厚い本のようになった紙の束を持ち上げる。目が霞んでいた、文字に指を添えてみる、紙の感触も感じなかった。
「あ、あい……」
文字を順番に読み上げる。あ行、か行、さ行と。並べられていたのは三世の人間の名前。華矜院がデータとして調査していたもの、また独自に聞き出したもの。
この世界の全ての人間の名前を読み上げる、カサカサになった声で、冷たくて、湯気すら出ない口で。
「せ……ぁ、そ……ら」
『異能、発動。』
た行。
な行。
は行。
『私の能力は――"名前を呼んだものを全て殺す事ができる"』
ま行。
や行。
ら行。
わ行。
『殺したかった、罪人を全て。それが願いだった』
残り――終了。
長い時間を掛けて、全ての人間の名前が空に紡ぎ出された。
「もう、声を出さなくてもいい……でしょうか」
紙は最後の一枚まで捲られ、力尽きた指からパラパラと散らばった。
背中から感覚がなくなる、瞬きをして、疲れて目を開けるのはやめにした。瞼の上に結晶が落ちてくる、冷たいとか、そういうのは感じなかった。
「あんたは、全てを埋め尽くすまで止まないんだろうな――」
オトハの言った言葉。
人々を、街を、生きた証を全て白に変える。
空に差し伸べる手、それは救いを求めるように伸ばされ、やがて深く沈む。
あと何回か呼吸を繰り返すと、やがてナナセは静かになった。
雪は、生命のいない世に、永遠に降り続ける――。
END




