その目に映るのは
「異能がなければ何もできないくせに――僕はそういう目が大嫌いだったよ」
エイは灰になってしまった黒い帯を踏みつける。中のものはもうない、支配していた哀れな人間達は解き放たれたのだ、水涸の力により、安らかにそして空になった帯。
灰になってしまった、腹が立ち、灰の先を靴底でグリグリと掻き回す。煤は白い床を汚す。
虐げ縛るものがなくなった苛々はエイの冷静さも優雅さも崩していく。
水涸は核心を突きつけた。
「君はいつも自分が出来る存在で、強い存在で、だから他人を虐げてより優越感に浸っていたんだ。女性を傷付けて来たのも、そうなんだろう。だから舐められるのが嫌いだ、異能がなければ、という、その"異能のない自分"が汚点で欠点だったんだ」
「……あぁそうだな、僕は異能がなければただの人だ、そう見られるのが豪腹だった。なんとでも言え――もういい、僕はこんな世界には飽き飽きだ。知っているか? 人を殺せば殺すだけ異能の質が高まるんだ、つまり、次の世界へ行けば行くだけ強くなれる」
「その為に、誰か殺すのか」
「あぁそうだ、何人でも殺してやるさ、他人の命なんて軽いものだ、こんな世界でもうじゃうじゃ沸いてるじゃないか、くだらない」
「――ほんとうに、落ちるところまで落ちたクズじゃな」
独特の喋り方で第三者が会話に加わる、水涸にも、エイにも聞いたことのある声であった。
「貴様を先に殺すのはワタシだよ」
「お前か」
現れたのは長い白髪を後ろで一纏めにし、美麗な白衣に包まれたあの華矜院であった。彼は一つに結んだ髪が肩から流れ落ちるものだから後ろへかき上げる。切りそろえられた前髪の下には金の瞳、誰よりも華矜院らしい華矜院と言われる、彼は美しかった。
エイは腰に手を当てる、口元はにたりと開き、優雅さを脱ぎ捨てた、隠すことないゲスな笑みを向ける。
「仕返しに来たか? 根に持っているんだろう、先の時も隣から殺気が沸々と煮えたぎっていたよ、あぁ可笑しい」
「一緒に居た時に殺さなんだのは何故か分かるか? 澪を送り届ける為だ、華矜院はもう破滅だ、朽ち果てるがいいわ」
「私怨か」
「それだけではない、華矜院なぞ滅びた方がよいわ、害悪じゃ、この世を統べるは平等の上に立つ代表者のみ」
エイは彼が話しているうちに立て掛けてあった槍を手に取る、華矜院の兵の象徴である、成人男性の背丈よりも長いそれをエイは構える。水涸は警戒する、そんな水涸を華矜院は手で引き下がらせる。
「ワタシが殺す、対等にな」
華矜院も立て掛けてあった槍を手に取った。
二人は果たして槍等まともに扱えるのかという、優男風情であったが、私怨、苛立ち、殺意、それらによって近寄りがたい険悪な空気に陥っていた。
水涸はどちらを応援する気にもなれなかった。かつての旧友、そして――犬の主、二人はもう既に水涸など眼中にない。
可愛い可愛いワンコたち。
お前たちはこの世で私が生きる理由になる。
華矜院晶氷の異能は動物達との意思疎通であった。子供の頃から動物が好きであったが、人を殺してその動物とお喋り出来るようになるのはどうにも複雑な気分であった。が、動物は皆、動物虐待犯に仕返しをしてくれてありがとうと言っているように聞こえた。
人殺しはよい行いだったのだ――。
かつて華矜院晶氷はその名の示すとおり華矜院家の城に身を置いていた。息災なくあったのは、わずかであった。華矜院エイが当時、傍らに置いていた犬数頭に餌を与えた、人の死肉であった。白い部屋で自殺した、または殺し合ったゴミの処理だった。エイは残飯処理のように人の肉を犬に処理させた。犬はやがて死んだ、完全な悪意であった、なにせ毒を呷った死体も餌に含まれていたのだから。
晶氷はそれからエイを殺そうとした、出来なかった、帯が邪魔をし、さらに友達を傷つけられそうになったからだ。晶氷は華矜院家という高貴な衣を脱ぎ捨て、元々好んでいた着物に着換え、洞窟に居場所を変えた。
犬の寄り添っていない、高貴な白の彼は槍を振るう、エイも槍でそれを弾く。
爆音がする、何事かと水涸は外の見える窓を探したが見つけられない。二人から距離を取り、そのままの足で遠ざかっていく。シズを探さなければ、彼らの事は気になるが一先ずはシズに会うことを第一とする。
先程からどうにも胸が苦しい、呼吸に煙が混ざるような、もしかしたら時間が来てしまったのかもしれない。
やはり――。
窓を見つけた水涸の視界は真っ白に曇っていた。ガラスの向こうをもくもくと立ち昇るのは煙。その煙にまかれて城が霧に包まれたようになっている。少し先に開け放たれた窓があった、開けっ放しのそこから煙が入り込んでいたようだ。
煙は雪とは逆に上に向かっていった。かつて雨が逆さに降った夜の国のように、その真逆さは、滅びの日の光景に重なり胸をざわつかせた。
寿の計画の内に城の周りから煙を上げ兵を混乱させるという内容が配られていた、今まさにその合図が掛かったのだ。順番を間違えた、煙が立ち昇り、間を開けてから城に入らねばならなかったのに、水涸と麗は澪を追って早くに城に入ってしまったのだ。
「ウルワどうか無事でいて――、俺は、君にしなくちゃならない事があるんだ」
君に、"人を殺してほしいんだ――。"
どんどん悪に染まってほしいんだ。
***
消える瞬間、兄の事を思い出した。
白い髪、それに似つかわしくない瞳の色。
麗は『お兄ちゃん』が誰よりも大好きだった、だから目が見えなくなる事によって、お兄ちゃんの顔が視界から消えてしまうのが何よりも怖かった。そしてその先、確実に家族に迷惑をかけるだろう事。ただでさえ赤い目をしていた、お兄ちゃんの目もおかしい、私達は生まれからしておかしかった。両親に迷惑をかける麗を、麗は消すことにした。
自殺した。
『わたしはわたしを殺した』
ただ死ぬのではなく、自分を殺す事が目的だった。
自殺者がそのまま朽ちるか二夜で目覚めるか、その分岐のタネ。
それは要は人を殺したからなのだ。
わかるだろう――?
麗の目に最後に映ったのは兄の幻影だった。
雪崩に飲まれ流される澪を切り取り、白い中に兄が立っていた。
触れようとした瞬間、それは"華矜院シズ"に重なり消えた。
***
「ウルワ!?」
凪は何かを感じ取り歩みを止める。風が揺れる、虫の知らせのように心を騒ぎ立たせる。
また妹が傍から離れて行ってしまったような――ダメだ、そんな思いを足止めの理由にするより、先に進まなければ。そう言って振り払う。西へ周り、そこにはもう誰もいなかった、だから寿の隊に加わり城へ突入しようとしていた。
凪は北からこちらに来たが、こちらも同じような待ち伏せに合っていた。否応なしに戦闘に加えさせられる。
目の前で仲間が死んだ、ぐっと目を伏せる。悲鳴が上がる、隣で仲間が華矜院の兵を殺していく。双方血の芳しさに惑わされるように、目の前の敵を殺す。殺せば消えるとわかっていても殺す、場の流れは血の奔流だ、正気でいられるものの正気を奪い尽くしていく。
「やれェェェー!」
「ウォァァァァ!」
怒号に凪の体も熱くなる、人を殺す興奮に攻撃性を増した大衆の群れ、その中に包まれれば感染する。導火線に火が付く、体が動く。
「熱くならないで」
ハッとした。
「ッ……!」
槐の無機質な声が凪を現実に引き戻した。
「早く、早くここを抜けよう」
凪は言うが、楽園の人々と華矜院の兵はぶつかり合い隙間を縫う余裕もない。
そんな中、凪はあるものを見つけてしまった。
黒い髪は、人々を置き去りに彼方へと消えていった。




