ホワイトボードにさよならを
「羽鳥、悪いけどおれもう解析止める」
「そうか」
羽鳥を庇うように鞭を掴んだその手は血に塗れていた。
――華矜院シズは誰よりも強い、だから、勝てないだろう。
知っていたみたいに、異能の解析を止めてしまえばそれはもう、告白みたいなものだった。
「やっと、聞けたよ」
「待っててくれたってか?」
「どうだろう」
羽鳥は腕が落ちていても、死ぬかもしれなくても、そんな痛みなかったみたいに心は満たされていた。
「お別れは済みましたか?」
「あぁ、私は私の道を行けるよ。私は貴方を殺したい」
「親の仇を」
「あぁ、そうさせてもらう」
羽鳥は音羽に異能で腕を止血してもらい、隻腕で立ち上がった。
異能の解析をやめ、死を認めた二人にシズは両手を広げた。
「手向けだ、来るがいい」
三世で最強の異能使いと言えば音羽であった。音羽の異能は『ラーニング』であったからだ。誰の異能でも奪って使える、それだから多種多様な異能を一人の受け皿で全て扱えた。
「異能封じは強力ですよシズ様」
「私には効かない、私は異能封じすら受け付けない、風が撫でるように無駄に終わるよ」
奪う時に苦戦した、異能封じという稀有な力を持ってしてもシズは宣言通り異能を行使する。異能封じ等空気の流れというようにシズの隣を撫でるだけに終わり、とうてい、シズの異能を摩滅させたようには見えなかった。見えない、理解できない異能、その正体すら掴めずただ退けられる。
羽鳥の、包帯から覗く片方の目は疲れに浸されていた。腕も隻腕となり、まだ存在する五指をシズに向け引く。青ざめた顔からは想像出来ないくらい激しく、破壊音と共に壁が砕け穴が空く、穴の直径は二メートルを超えている。巨大な風穴から雪が吹き抜けシズの肌を刺す。
シズの部屋はもう屋内とは呼べず、空は開き、曇天が覗いていた。雪が降り、室内に積もる、ベッドに、テーブルに、絨毯に積もる。不思議で、幻想的な光景だった。
寒い――。
あんたは
と、思い出す。音羽の言った言葉だ、曇天を仰ぎ、息を止めるように雪を被った。
音羽は次に精神崩壊の異能をシズに向けた。目を見た相手の頭の中をぐちゃぐちゃにかき乱してやる異能だ、と、イメージを植え付けるように説明しながらぶつける。シズには効かないと分かってきても、次から次へと持ちうる異能を、引き出しを全て乱暴に開け放って、中身を出し切った。それでも羽鳥の破壊も、音羽の多様な攻撃も、シズには"あたらなかった"。
あたらない事にヒントがあるのではないか――と考える度に透明な何かが攻撃を反らしているのではないかとか、鏡が光を反射するみたいに、一旦は異能を吸い込み、吐き出しているのではないかとも取れた。
何かを飛ばす仕草、実際に飛んでくる見えない刃、破壊の異能を左右に反らし、見当違いの場所に被弾させる。いきなり現れる鞭、あたらない異能。全てに一貫する、たった一つの糸を見つけられるだけでいい――いいのに。
だが、そろそろ考えるのはやめにしよう。
音羽は最後にある人物の異能をシズに向けた。
「華矜院シズ――貴方を殺したい」
シズの、金の瞳の冷たさが沈黙を語り、何かが変わった様子はなかった。
音羽は安心した、この人物の異能が強奪時に不備や不識により不完全で、シズに掛からなくて、本当によかったと。こんな強い異能は、使えなくていい。
何故そう思うのか、それは、この人物の――七汐の異能が自らを滅ぼす事を知っていたからだ。あの異能は誰も使いたくない、断罪者ですら、使わずにいた。ずっと、いるつもりだろうか。
最強最悪はある意味お前の異能だよ。音羽はもう会えない相手に伝えておいた。
「火薬の異能も、破壊の異能も、風の異能も――今の異能も、私には効かない、知っていてどうして掛ける?」華矜院シズがまともに話を繋ぐ、死ぬ者への手向けに、最後に、話を聞いてやるというようにとれる。
「何もしないまま死にたくないからだよ」
羽鳥は既に出血と腕の痛み、なにより異能の使い過ぎで床に屈み混んでいる。あの時渡したものは、まだポケットにあるか――。
「どうして? 他人の我儘の為に君は命を張るのか? この医師は私に直接罪は無いと知りながら親の代わりに殺そうとしている」
「ふつーに考えりゃあ受容出来ない、手前勝手な思考かもしれないな。だが、シズ様風に言えば――、どうでもいい」
音羽は正しいという人の道理を捨て、勧善懲悪が勧める悪の滅びのように、それが自分という存在と認め、けれど清々しく笑った。
「おれ達は片羽さ、どこまでも屑だったんだよ。殺したいから殺す、エゴの塊さ。だからどうだっていい、おれは――音羽は羽鳥と共にいく――」
決意を語り終えて、強い目をした音羽の汚れた心が、それでも羽鳥は好きで――自分もどこまでも腐っているのだなと自重しながらも、嬉しくて。どうやら苦痛なんて完全になくなってしまったみたいだ。
「ありがとう、音羽。よろしくお願いします」
約束を守ってね、と。だから羽鳥は――シズに挑んだ。
シズは鞭を振るう事はせず、左手を掲げた。
白い手が上がり、羽鳥に合わさった。羽鳥は笑う、振り返る。アイスグリーンの瞳の中には、音羽が見えた。目の前の死より、音羽を見ていた。
――今まで楽しかったよ。
シズの首を切るその仕草は、そうするだけで次に命が終わるのだと周囲に植え付けた。
――あぁ、そうだったのか、そうだったんだ。
異能に気付くと共に血が流れた。
もう、遅かったんだ。
銃声と共に、羽は消え行く。
――君は、二丁拳銃を持っていたのだろう?
倒れ逝く中で、羽鳥の目には音羽が流れる。拳銃を取り出し、暗い穴を向けている。
羽鳥は知っていた。音羽は"自分を殺して次の世界に行きたい"のだと。それが本性だと。だから復讐を助けるフリをして羽鳥を撃った。
優しさや愛なんてなかった、だってこの世界はどこまでいっても殺人者しかいないのだから。
音羽は切り札として拳銃を持っていた、一巡から所持してきたその拳銃を、一丁は羽鳥にくれた、だが、もう一丁の存在は最後まで言わなかった。
シズと相まみえて死ぬなんて、馬鹿な事だ、隠していたもう一丁の拳銃で羽鳥を殺せればそれでよかった。次の世界に逃げられる口実として、馬鹿な医者を使った。
最低だな――同時に、羽鳥は自分の命で音羽が次の世界に行ってくれるなら、幸せだとも思った。むしろ、そちらが勝った。
「自惚れていたのは私の方だったんだな――」
包帯に染み込む涙、泣きながら音羽を想った。
――好きだったんだ。
悪は悪に惹かれた。
そして悪は悪らしく
「……なんでだよ」
いくはずだったのに、いくはずだったのは、自分のはずだったのに。
倒れた"音羽"に対し、羽鳥は涙を零していた。
音羽は首を切られもう喋ることはない、そこにあるのは今、人ではなく何か塊になってしまった音羽。
庇われたのだ。殺してくれるものと思っていたのに。
「なんでだよ!」
死体は喋らない、医者なら一番よく分かっている。
「……」
「参段違いですか、本当は貴方が死ぬはずだったのに」
羽鳥は白衣のポケットに手を入れる、取り出す、向けたものを、シズは眺める。
復讐を終わらせようという時、邪魔な何かがトリガーに挟まっていた。白い紙、羽鳥はそれを取り除き中を見る。
「……馬鹿だよ、君は」
――生きて。
そのメッセージは何を思い、詰められていたのか。
「音羽ァァ……!」
突然、声も枯れるくらい泣きたくなって。無愛想な、能面みたいな顔の医者だったのに、わけもわからず泣きじゃくった。
「最後に、最後にもう一回だけ、会いたい、帰って来て……」
彼はもう動かない。そっと寄り添ってもくれないし、話をしてもくれない。悲しい――それが体を切り刻むくらい痛くて、一通り泣き喚いた、音羽の体温がなくなる頃、ようやく医者は、そっと顔を上げた。
彼女の目には今も大好きな人が浮かんでいた、口元は柔らかく微笑んでいる。そのまま、彼女はシズを見た。シズは拳銃を拾っていた、音羽が羽鳥を庇うために最後にシズに向けた拳銃だ。それを、羽鳥に向けた。銃口を向けられ、羽鳥は両手を開いた。
シズは、引き金を引いた。
羽が散り、彼女は彼にもたれ掛かった。片羽が、片羽に寄り添い眠った。
「幸せですか?」
シズは聞く。静寂な音。「死は幸せ?」羽には雪が掛かる。白く埋もれ逝く二人を背に、シズは歩き出した。
***
七汐が三人の自宅に帰ると、玄関には鍵が掛かっていて、両手が使えなくてどうしようかと思いながらも、仕方なく蹴って壊した。自宅を蹴り破って入るなんて、前代未聞だと自嘲しながら廊下を渡り、自分の部屋へ向かう。
途中に無邪気に笑い合った三人の思い出のテーブルが見えた。汚れも、乱れも、生活感も拭い去られた、綺麗に整理されてしまった場所。あまりにも露骨なさよならに、なんだか寂しくなりながら自室に到着する。
白い紙が厚みを持って積まれていた、テーブルの上からそれを手に取る、手が痛んだ、血が滲み、文字に染み込んだ。二人が捨てずにいてくれたそれを拾うと、外に出る――途中で、やっぱり、一番思い出の詰まったダイニングに来てしまう。孤独な足音を立てながら、二度と帰らない日々に一人浸った。
ホワイトボードが目に入った。名前が残っていた。
音羽、羽鳥、七汐。
いつも三人だった。三人の名前の隣に『ありがとう』とよれた字で書き込む。そして最後に
『さよなら』と。
羽鳥は華矜院シズが殺したかった。それなのに羽鳥は音羽を殺すと言っていた。二つを繋ぎ合わせる為に、ある約束の言葉を開示しよう。
二人が交わしたかの約束は『私は華矜院シズには殺されたくない、だから殺されそうになったら、先に殺してくれ』
羽鳥は華矜院シズには勝てないと理解していた。だから確実に約束は果たされる、故に音羽に殺人をさせ、消えさせてしまうと考えていた。それが、殺すになり現れていた。
音羽は羽鳥をそうして殺して、悲しむフリをして次の世界に逃げるつもりだった――なんて事は初めからない。音羽は最初から最後まで羽鳥の助けをし、死ぬならば、自分が死ぬ、そうしてでも、羽鳥の想いを成し遂げさせてやりたかった。
胸に抱いた羽鳥の想いとはなんだ?
それは、華矜院シズに復讐したいという恨みなんかではなかった。羽鳥は、羽鳥はただ死に場所を求めていただけだったのだ。どれだけの人を殺し、どれだけの人を救うのだろうと考えた時、心が砕けた。
こんな、くだらない事の為に――。
その通り、自殺したい為だけに復讐なんて体の良い理由を添えて、華々しく散りたかった。それだけの自分勝手に、音羽が手を差し伸べた。
二人は二人の心根を知っていてその道を選んだのか、或いは、どこかに不識や齟齬が介入していたのか。それは、七汐では知り及ぶ事は叶わない。
華矜院シズには勝てない。
今頃二人は眠っているだろうか。
途端に、言葉は失われた――。どうして? 犯罪者が死んだのに、悲しい。
「変だ……」
殺したかったのに、勝手に死んでいたから、悲しいのだ。
そう思うようにして思い出から抜け出した。
三人の家は、きっと最後は白い花に埋もれて消える。ホワイトボードも、雪の中に沈んで、三人の名前も、永遠に凍てつく。
この世界は、雪に包まれ静寂となり終焉を迎える。
その時、人は誰もいなくなるだろう。
家を出て、歩き出す。
最後の人間は空に呟く。




