交わるはずのない、子供達
それはいつも通りの事であった――。
無表情で高揚のない声は誰が挨拶をしても小さく「ああ」と返事をするだけ。白衣を纏い、赤紫のきつい色をした被り物を飾り、髪は三つ編みにした一分部を絡め後ろで一纏めにしてある、手には鞄。同じく赤紫のマフラーを首に巻いた助手は後ろに並ぶ、こちらは無口な医師と違いよく喋る。
いつも通りと少し違うところといえば、初めて医師が遅刻したという点であろう。それでも、白衣の医師は背筋をピンと伸ばし、自他共に厳しい姿勢を崩さなかった。
「シズ様に約束があるのだが、よろしいか?」
水鶏に対し恐れもなく一定の音域の声を出すと、水鶏は約束とは何? と聞き返す。外は慌ただしい、水鶏の神経も波立っている。
「大事な約束だよ」
「だからそれは何? 今は大変な時なの、分からない訳じゃないでしょう?」
もちろん、頭の良い医師が今まさに外部の反逆者を粛清しようと躍起立っているなど承知の上だ。シズの部屋へ押し通るように医師は強硬手段に出ようとする、こんな強引な性格ではなかったと不審に思いながら水鶏は医師をせき止める。向かいの助手の男と目が合う、お前は私の部下なのだから医師を止めろ、と合図を送ったが男は笑いながら微動だにしなかった。叛服常無しとは言うが、今は自分ではなく医師の味方なのだと無言で言っている。
医師は体を進めるのを止めた。水鶏は寒さに赤くした鼻の頭の、その顔で医師を睨んだ。中には入れさせない、中には大切な人が居るのだから会わせる人物は前持って選別している。
それに、この状況はおかしい――
「華矜院シズ様、会いに来ました」
「こら!」
声が届いてしまうと水鶏は医師の口を閉じさせようとした。希少な医師を失うわけにはいかず火薬の異能も使えない、体で押しやるしかないのだが、力が拮抗しているからと口を使う手段に出てくるのだ。
――小さな音、水鶏の背後で軋る音がした。
水鶏は外開きの扉に押し出され前のめりになる。白い部屋の中の輝きが外部に放たれる。
長い髪が背に被さり、黒と白のコントラストの衣装の中の、タイの中心の真っ赤な宝石が、大嫌いなはずの色なのに白の中で鮮やかに自己を主張していた。白い肌の中の金の瞳が冷たく周りを睥睨する、その中にある、瑣末な登場人物など脳に送ることはない。
全ては背景。頭を下げる水鶏、こちらを見詰める医師も助手も、誰もシズの中には存在していない。冷たい華と言われるのは冷酷な性格からではない、その目には、その心には何もない、凍てついていて、空。
それでも、今回ばかりはその場に人間が居ることを認めるように、例外的に手を差し伸べた。
「私に用があるのは本当です、約束しましたから」
「そ、そうでしたか」
まさか本当に医師とシズに交された言葉があったとは。水鶏は失礼しましたと頭を下げながら一歩引く。本当に――言葉が交されたはずなど無いに決まっている、医師の復讐相手はシズなのだから。これから殺す相手と約束を取り付けるわけはない、これは、華矜院シズからの見透かした誘いだ。
医師は分かったフリで、助手を連れて部屋へ入る。
この部屋に入れば自分かシズか出てこられるのは一人だけ。
家も、思い出も整理してきた身である医師も助手も今更恐れは抱かない。
――私はあなたを殺したい。
扉を閉めた、水鶏が見えなくなり、外界が閉ざされた。
目の前に居るのは、殺すべき相手だけ――。
――昔話をしましょう。
一巡にある、華矜院家の系列にその子は生まれた。
その子は子供の頃から恵まれていた、華矜院に連なる名家に生まれたのだから他人より先取りした幸福がある、それだけではなく、両親共に健在な温かい家庭、将来だって約束されていたし、誰よりも明るく笑う事だって出来た。
「私はその名家の元、順風満帆な人生を送るはずであった」
シズは今も例外的に耳を傾ける、医師である――羽鳥に背を向け長い髪を揺らす。
「ある日、私の家は取り潰された。何故だが分かりますか?」
シズは答える。
「あなたの両親が過ちを犯したから。重大な、許しがたい罪により罰を受けた。欲という名の心に溺れたが故に、我が華矜院家に多大な損害を齎した」
「そう、本当に齎したのだとしたら、それは正当な処罰だったでしょう」
裏に隠された事実など誰も知らない、本当は陥れられたのだ――そう羽鳥は主張した。
「その通り」シズは隠さなかった。「私の父は貴方の家に罪を被せ消し去った。泥を食わせ公開処刑する事で、梳理が情報操作で市民に伝聞した面倒くさい有耶無耶をまとめて払拭した。犠牲――そんな言葉で片付くような軽さで、父は貴方の人生を潰した」
「……」
羽鳥の拳が握られる。無罪の両親は有りもしない罪を被せられ、家ごと取り潰されたならその後の末路など想像するに容易い。汚名、転落、居場所の喪失。悔しさを抱えて空を見上げる両親に、未来は映らない。
「だから――私を殺したいのでしょう?」
「ああ」
――音羽の中に疑問。
今聞いた話では、悪いのは華矜院シズではなく華矜院ミイルだ。シズの父親がやった奸計の清算をシズに求めるなら、羽鳥はもう殺すなら誰でもよい、行くところまで行ってしまった人種なのだろう。が、羽鳥は理性がある、何故ならシズとこうして対面出来るまで復讐心を隠し医師として仕えていた事になる。行くところまで行った人間にはこの抑制の手綱は握れない。
「羽鳥、何があったんだ」
聞く。口を挟むのは野暮だと決め込んでいたが、父親の代わりに息子に復讐しようというならそれなりの覚悟が欲しかった。
羽鳥が寂しそうに笑っていた。音羽を見る目は優しく、口元は切なく揺れる。
初めて見る顔だった。
「華矜院ミイルが私の家に罪を被せたのは何故だと思う――?」
吐かれる息に悲哀が重なる。どうして、そんなに寂しそうにする。
「それはな――」
華矜院シズの、誕生日プレゼントだったからだよ。
***
「パパ! わたし大きくなったらお医者さんになる」
「お医者さんか! 立派だな」
「看護婦さんじゃなくて?」
「お医者さんだよ」
医師の父、看護師の母、十にも満たぬ歳の子供。優しかった思い出。
「あの……今日ね……」
「……」
父、いなくなった母、二人の子供。
名前も呼べなかった、血の繋がりを世間は家族として大切にする、なら自分は? 目の前に実の親が居るのにおとうさんとも呼べず、まるで赤の他人のように冷たいではないか。
漠然と、悪いのは自分だと思っていた、悪い子、出来の悪い子だから愛されない。
順風満帆な家庭のハトリ、透明な存在のシズ。
どちらの子供も交わることはなかっただろう、なのに、交わった。偶然、たった一つの愛情の錯誤が、羽鳥を追い込み、シズを親のように冷たくした。
「シズ、そういえばお前はもうすぐ誕生日だったな」
その言葉を、華矜院シズは生涯忘れないだろう――。
例え取り留めなく思い出した子供の誕生日だとしても、初めて父がくれた、自分だけに充てた言葉だったからだ。
「丁度いい、どちらがいいか選べ」
ふっと笑って、父の手からテーブルに二枚の写真が並べられた。一枚は白衣を着た父親に抱かれた幸せそうな子供と、横に並ぶ母親の家族写真。もう一枚は草臥れた顔をした情けない中年の男が、なんだかとっても美味しそうな肉料理を見せびらかしている写真。
シズは舌をぺろっと出しながらも中年男の肉料理より家族写真を選んだ。
後日、シズの知らないところで二つの生が命を絶った。二つの子供は行き損ない、ひとりきりになった。ミイルは肩の荷が降りたというように、シズの選択の末路を「ありがとう」と共に言って聞かせた。
「あの時、貴方がもう一枚の写真を選んでくれていたら、両親は死ななかった」
「でしょうね、代わりに別の人が不幸になった」
誰も悪くない。ただ子供が選んだ誕生日プレゼント、それだけだった。
「……んだよそりゃ」
当事者でない音羽でもやりきれない気持ちになる。全て悪いのは華矜院ミイルではないか。
「私の父は、既に私が殺しました」
シズがさらりと、簡単に言えるような事ではない事実を口にする。実の父親を殺すことにも、もう抵抗はないのだ。
「そうか、じゃあ、次は貴方が死ぬ番だ」
「羽鳥……」
音羽は目を閉じた。次に開くときにはシズだけを見据えていた。
羽鳥がそうしたいなら、狂人と成り果てたならそれでもいいだろう。ここまで低く殺意のこもった声が出せるなんて、音羽は知らなかったのだから。
「父の面影ごと、私を殺すがいい――」
両手を広げたシズは、それでいいと笑った。




