決戦前
凪と晶氷は寿の作戦の最終確認に参加した。
「街の門にはそれぞれ華矜院の兵が見張りに就いている。東西南北、合わせて四つ。我々に協力してくれている街の人間は北側に寄り固まっている、よって私達は北側から攻め込む、と見せ掛けた陽動を北側に配置し、本陣は南側より進行する」
敵の裏をかく作戦を大きな見取り図の上に展開し各自に再確認させる。
「北側に華矜院の戦力が集中し、手薄になった城へ攻め込む。この時点で街の人間が仕掛けた煙が上がる、城の人間は混乱する、それに乗じて我らは城内を制圧する」
寿の策に一同は唸る。
「城の中には異能を持った華矜院が防衛を固めている筈だ、最終ラインだな。各自に配った資料をもう一度、しつこいくらい読み返しておいてくれ、異能を持った者の名前をリストアップしておいたあれだ、似顔絵、特徴、異能の種類と対策を各自よく頭に入れておく事。城内の見取り図の記憶も忘れずに」
すげぇとどこからともなく誰かが言った。寿の綿密な下調べと勝つ為の布石は完璧に過ぎた。
「寿は何故あれだけ詳細に華矜院の事が調べられたんだ?」
「お前は疎いのぅ、間者がおるに決まっておろうが」
「あぁ、街の人間か」
「いいや、街の人間では城の内部の噂までは持って帰れぬよ」
「ならば……」
「寿には随分と使える相手が付いておるようじゃの――」
晶氷は意味深に口元を歪ませ袖で覆った。まさしく、それは晶氷に他ならなかった、と言いたいところだが晶氷は自身が華矜院を嫌い抜け出したものだから、今の城の内部について詳しくないのは自明であった。詰まるところは寿はいかなる時も油断ならない人間だと言うことだ。一体誰を味方に付けているのか、或いは逆に――
***
華矜院家の者は大きな会議室に集められた。会議の進行を務めるのは水鶏、水鶏の席の周りには沖之助や側近の者、そして巨大な机を囲み、それぞれ役人や見張り番というように地位が下がる様に陳列する。全て白い衣。それらは水鶏の策に耳を傾ける。
「裏切り者の街の奴らは北側に集中している。よって桐生寿の考えた策はこうよ」
権高な白い衣の彼女は伝える。
「北側の門番を予め説得し、味方に引き込み監視の目を堂々と潜る。北側の門がクリア出来れば周りには桐生寿の仲間が多くを締める状態になり進行しやすくなる。後は街の裏切り者の援助を受けながら本陣が雪崩込むように――と見せかけてこれが実は陽動。本命は南。南に本陣と七汐は言った」
ここで七汐の名前が出てくる理由は、七汐は街の人間に慕われているから密告はまず七汐に行く、七汐ならばこそ持ち寄られる情報が、今こうして布陣を配置する大事な元となっている。
「で、僕はそこだっけ?」
エイは水鶏や沖之助側ではなく身分の低い者の席から顔を覗かせる。しかし一目見るだけで周りとは違いが一目瞭然な彼を誰も身分の低い者とは思わない。整った顔立ち、黒い毛の付いた美しい白のコート姿、特別な輝きを持って着席している姿は凡人とはかけ離れている。
エイは巨大な机に広げられた地図にある自分の受け持つ門の箇所を眺めにやっと笑う。
「僕に当たったら奴らは実に不運だな、可哀想な事に」
会議室の一同に寒気が起こる。エイの笑いから連想するのは無慈悲に人肉を食い千切り、目や口といった器官を取り込むあの真っ黒な帯。エイの帯に恐怖や不快感が収まらない様子の会場を水鶏は沈めず諦めたように眺める、今は止める気になれなかった、エイが全てを片付けてくれるなら被害は最小限、益を得るには手っ取り早い。
「そうね、ここは貴方に任せて、他は」
「君の地雷を使う」
エイの発言にまたしても周りの耳目が動く。水鶏はキッとエイを睨み付ける、無差別なお前とは違う! と言わんばかりに否定する。
「お黙りなさい」
「はいはい」
改めて水鶏は場を取り繕う。
「他はこのような布陣よ。これは七汐が考えた配置だけれど、私もそれでいいと思うわ」
七汐の考えた布陣は寿の考えた策が全て裏目に出るように仕組まれていた。もしこのまま寿が策を変えなければ凍土の楽園の人々は確実に敗北する。街の人間は華矜院を嫌うものもいるが従うものもいる、二分されていると言った通り、寿に味方するふりをして華矜院に計画を流出した者が現れてもおかしくない。華矜院家に貢献し、あわよくば地位を得たいという欲望。七汐に恩のある者の裏切りという善意。
当の七汐は会議に無理矢理出され少し不機嫌だ。買った野菜は向こうの方で椅子に置かれ七汐の帰りを待っている。早く二人に会いたくて不貞腐れ口を尖らせる七汐を街から引っ張ってきたが、音羽や羽鳥はまだ城に来ていない。この大変な時に音羽はともかく真面目な羽鳥まで無断欠勤するとは。恐らく七汐か音羽の計らいであろう、どちらも羽鳥を危険な目に合わせたくないので家に閉じこもっているのだ。
水鶏としても、愛想は悪いが仕事は完璧という医師を、大切な生命線を戦に晒したくはない。街の外れの自宅に引きこもっていてくれるなら都合がいい。だが、音羽は気に入らない、音羽は連れ出さねば。そんな事を考えているうちに会議は閉会となった。
明日、それは運命を分かつ日だ――。
***
空は灰色で粉雪が待っていた。決戦の日には相応しい、風のない穏やかな天候だった。あと何時間後かに血が流れ、華矜院か楽園の人々か、どちらが勝つかの雌雄が分かたれる。
楽園の人々は棒に鉄を括り付けた急ごしらえの武器を持ち、前線の者は街から支援してもらった歴とした槍を持ち、防寒具に身を包み私語も出来ずに気を張り詰めていた。華矜院を倒せば平和になる、こんな辺鄙な場所ではなく雨風凌げる屋根の下と、道を歩けば商店が立ち並ぶ立地に住まえる。
桐生寿という異才に肖る事でここまでこられた、寿を信頼していない者はいなく、策も必ず成功すると信じている。信じているから犬の共闘も目を瞑った。
晶氷という異質な着物の華矜院も後ろに居た、離れた場所で、武器も持たず犬の群れの中で狼の体毛を何度も何度も撫で回している。
「はぁ、この子らと離れるのが辛い……」
楽園の人々は晶氷が何を言っているか聞こえない、恐らく狼の体を撫でて狼の気を沈めているのだと思うが、実際はそんな事はなくて、狼に甘えて犬との別れを惜しんでいるだけである。
「それ、あったかそう」凪が出てきて横目にちらちらする。
「温かいよ、触るかい?」
「触る」
もふもふとはいかないが、毛の中に体温を感じる。もふもふがやがてわしゃわしゃになり、ついには体毛を鷲掴みする。狼は困ったように唸って晶氷に助けを求める。
「我慢しぃや」晶氷は助けてくれなくて狼はしょんぼりする。
「まさか狼の毛を鷲掴む機会が訪れるなんて思ってもいなくてさー、わりぃわりぃ」
凪は狼が手から逃げようとするのでようやく自分が夢中になっていたのに気付き手を離した。
「かっこいいなー、こっちがシロでこっちがシロクロな」
「色から安易な名前をつけるでない」
「よしシロ! 抱っこしてやる」
シロと勝手に名付けられた狼が勢いよく前脚を上げる。立ち上がった時の全長が予想外に高く、それを目の当たりにした凪は狼の作る影の下でたじろぐ。「ちょ、なんかでかい!?」狼狽える凪を狼は待ってくれずそのまま体重で潰す。
「おうふ! ……っやべ、やばい今ので腰が砕けた」
「シロ、そのまま食ってしまえ」
前脚の下で騒ぐものをシロは食べられるだろうかと匂いを嗅ぐ。犬も寄ってくる、犬は人間の味を知っている。
「――怖くないのか?」
凪の動きは止まっていた。静かな晶氷の声でも大きく感じられる。
「こうやって、食われた人は食われたんだな」
「今は食わぬよ」
「ああ、わかってる。あんたに会った日から触ってきた」
凪はシロを退かし起き上がる。
「いいなー、動物と仲良くできる異能俺も欲しいなー」
空気が変わった。いや、変えようとしているなと晶氷はそれに乗った。
「お前のはなんじゃ?」
「ん? 俺は雪」
「ほんとうかい」
「ほんと、ほら、雪の舞い」
風で雪をすくい上げ空中で散らす。凪は笑っている。
「はぁ、子供みたいな奴じゃのう。ま、騒いでいないと怖い、というのはよく分かるがな」
「……」
「お前見た感じ雪が降ったからと庭駆け回り騒ぎ立てるタイプではないだろう、何事にも子供の好奇心を向けず静かに無関心を貫いてきたと思うが」
「まあな、華矜院にまた槍を向けられると思うと気が気でないのは事実だよ、ウルワやミズガレまで駆り出されるってんだから尚更」
「ワタシだって嫌だよ、この子らが傷付くのも、ああして嫌な目を向けられるのもな」
出発点に集まる楽園の人々の憎しみの目がたまにこちらを向いてる。晶氷も犬も、もちろん楽園の人々も誰も悪くない、だけど溝は埋まらない。遣る瀬無い胸の支えが取れないし虚しいと感じる。
「華矜院も嫌いじゃ、嫌いだから抜けてきた。食べるものに困らず温かい寝床があろうとも、人から搾取し、権高になり、誰かが居るからこそ暮らしが豊かになり、安寧に有り付ける事を知ろうとしない奴らの元にはおりたくない。なにより、あの男が許せぬ!」
晶氷は綺麗な白い着物のまま狼と犬の群れの中にダイブする。顔面を毛玉に押し付け、長く真横に切り揃えられた白い髪が乱れる。
その向こうで寿が最後の挨拶をしている。槐が傍らに付いている。槐は見えているのだろうか、死期が解る目を持つなら、敗北した時に何人かは白い部屋に入れられ殺し合いをさせられるのだから、何人かは同じ死期と映る。不自然なまでに同じ時期に死ぬと映るなら、それが敗北の証拠だ。
友達になったからといって槐は凪にそれだけは知らせてくれなかった、知ってしまえばこの戦いに意味はなくなる、楽園の人々は知らないから生きようと進める。考えてみればいつ死ぬかなんて知りたいわけがない、初めて槐に異能を問いただした時に『おれのは怖いから』と言って教えなかった理由が、今の凪ならよく分かった。
鬨の声が上がった――。
これから進むのだ、まんまと華矜院の罠に嵌りに行く為に。
『北側には凪と槐。こちらは陽動、派手に騒いで注意を引き付け本陣から目を逸らさせる。血を流す必要も戦う必要もない、危険になれば好きなように身を守って良い比較的楽な役だ。
南側の本陣には寿。楽園の指導者が自ら困難な場所につく。
西側には晶氷と狼と犬。
東側には澪と麗と水涸。他が華矜院の兵を相手にしているうちにシズに会いに行く』
全ての計画が動き出した。
ただ一人寿は空に向けて呟く。
これでよかったんだよな――寿。と。




