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風已みて  作者: 秋風
埋もれ逝く世界の中で
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彼と彼女と夜の寒さと

「今日も危ない事をしたんだって?」


 麗がぷんぷんといった様子で水涸を咎める。


「はは、屋根の雪を落としている人が危なかったから私も屋根に上ったら、落ちかけた」

「いつもそういうことするね」

「いつも、か」

「二夜で木に登って木の実を探していた人が降りられなくなって、それを紳士服のまま助けに行ったり。私を守るために暴漢から殴られるだけ殴られたり、……やり返さないし」

「人を傷付けたくないんだ」

「優しくしたい、でしょ? それ、逆にわたしには優しくないんだよ」

「はは、ごめん。でもそれが私だから」

「知ってる」


 覚えているか、ウルワ。そう言って水涸は膝の間のウルワの体に腕を回した。二夜の時のように、凍える寒さの部屋の中、二人はベッドに腰掛け窓から世界を見上げる。

 二夜には水があった、そこに沈んだ月は天の月と合わせて二つの夜、二夜と呼ばれる所以となった。オウサマがガラスを砕いた日"沈んだ月の方は何処にいった――?"


「見えたの?」

「いいや見えなかった」

「落ちたのかな」

「深くまで落ちたのかもしれない」

「落ちたかどうか、高いところから見下ろせば見えると思う」

「あそこからなら、見えたのかもしれないな」


 二人が二夜に想うものは手の届かなかったもの。誰もが知っていたが、誰の足も届かなった場所。あれだけ高い場所に登れば下が見下ろせただろう、逆に上を見上げる事も。今もし、そこに辿り着けば水没した二夜をみ晴るかす事が出来るかもしれない。


「温かい手、大きい体」麗は背中から回り込む水涸の腕を胸の前でぎゅっと捕まえる。「わたし、ミズガレの事お兄さんだと思ってる、怒る?」

「怒らないよ」

「怒ってもよかったよ」

「怒らない。君が冗談か本気か判断付かないけれど、君の誘いは紳士的に回避しておくよ」

「その紳士的にというの、ほんとは止めてほしかった。わたしの前でだけ、やけに気取っていた」

「……そうか」

「言葉や態度が男の人じゃなかった、必要以上に丁寧で、変だったよ」

「その『私』や『丁寧』が表に出ていたのは、君に優しい人、誠実な人と見られたかった心理かもしれない。それだけ無意識であり、自分では最近気が付いた」

「紳士とじゃ、何もできないね。ホントのミズガレってどんな人?」

「今日はやけに積極的だね」

「……もう、お兄ちゃんに甘えるの止めにしようかなと思うの」


 そっと告げられた今の一言の中には、彼女のうちにある様々な思いが含まれていた。お兄ちゃんの中には何人かの男が居る事を水涸は知っている、そのお兄ちゃんに甘えるのはもう止めにするという、なにかを断ち切るような素振りが、時を動かそうとしているようで少し恐ろしかった。


「いつもお兄ちゃんの事を話すとき、決まって君の愛情を感じた」

「大好きだからね」

「"君の実兄"はどんな人だった?」

「ナギに似ている。これずっと言っているけれど、わたしのお兄ちゃんもあまり友達とか作らなかった、わたしに学校の話をしてくれる事も少なく、仲間についてはもっと少なかった。病院に縛り付けられたわたしがお兄ちゃんの生活を知りたいと言っても、学校はつまらないとか成績はよくないだとか楽しいことを聞かせてはくれなかった。学校って楽しくない?」

「学生の頃は楽しいだとかそういうのは考えていなくて、大人になってからあれは楽しかったとか、あの頃あいつはとか思い出すようになった、俺は」

「そうなんだ。思い出になってから輝くんだね」

「君のお兄ちゃんもいつかこの時代が楽しかったのだと気付くかもしれない。ただ、ほんとに楽しくないものはいつまで経っても呪いだな」

「ミズガレの呪いはいつから?」

「子供の時からだ。私は子供の頃から、人を殺していた――」


 水涸の幼少時代を麗は想像する。話してもらった事を鮮明に頭の中に描く。親の顔も知らず、殺しを続け、そんな自分に耐えられなくなって死のうとした矢先にある人に救われた。その人のように優しく在りたかった、そして結局――


「ミズガレは死ねないんでしょ?」


 麗は水涸のある秘密を知っていた。


「ああ、自殺しようとしても、必ず失敗する……。俺を救ってくれた人が居ない時に何度か、やった、だけど死ねなかった、二夜でもそうだ、死にたかったのに何をしても死ねなかった。俺は一人では死ねないんだよ……」

「わたしになら呪いが断ち切れる、わたしが貴方を殺すか、わたしが死んだ後なら貴方は死ねる」

「ウルワが何故そう確信しているかわからないけど、君が死んだら確かに俺はもう生きている事はないな、息をしていても」

「ミズガレは……だからおばあちゃんを殺したんだよね」


 凍えた世界で水涸は記憶を辿っていく。膝の間の麗、彼女に寄りかかるようにして苦しくも告白する。


「雪乃さんを、殺した」

「どうして? あれだけ人の上に立つのは嫌だと言ってきて、これまでも人に優しくしてきて、時には理不尽な罪を被ったり、何の利益もない人助けをしたり、貴方は異常なくらい優しかったのに、どうして?」

「それは君が……君に代えられるものなんてないと思ったからだ」

「人を殺しても? あんなに"もう二度と人は殺したくない"と嘆いていたのに」


 水涸は黙り込む。麗も水涸が変わっていく理由が何にあるのか薄々感じている、いや、確信している。

 あの時首を絞めて殺してあげていればよかったのだろう、あるいは殺さずに、気持ち悪いだとかの理由で離れればよかったのかもしれない。

 ゆっくりと水涸は変化していく、あの時二夜で国を移ろうとした時から、"水涸は麗の為なら人を害する。"


「たぶん、おばあちゃんがいいよって言ったんだろうね」麗は水涸を庇護するように雪乃の意思を楽になるように捉えさせる。

「ああ……」

「おばあちゃんは旦那さんを殺して二夜に来た。自分だけならともかく、息子夫婦のところにまで旦那さんの暴力が及んだから」

「雪乃さんは、自分は大丈夫だからと金遣いと酒癖の悪い夫から息子夫婦を遠ざけた。多感な年齢の孫に悪影響が出てしまうかもしれないと不安で仕方なくて、なんとか三人を実家から出した。雪乃さんは暴力に耐えた、抵抗しないそれがまた苛立たしかったのか、夫は思い通りにならないと息子夫婦を探し始め、見つけると金をせびり、帰ってこいと脅しを入れた。折角幸せに暮らしていた息子さん夫婦は実家に戻る事を余儀なくされた。二の舞いだった、だから雪乃さんは怖くても旦那さんと話し合う場を設けた……」


 話し合ってから、一巡から消えた。息子の前には生きた者の居ない、赤い部屋だけが広がっていた。


「悪いのは旦那さん? それとも雪乃さん?」

「わからない……。旦那さんという原因がいけなかったのか、殺人を犯してしまった雪乃さんが悪かったのか。ただ雪乃さんは死にたがっていた、罪を償う為の命の使いみちをずっと考えていた。死の間際彼女は言った、ありがとう、と」

「……おばあちゃんは我儘だったのか、それとも可哀想だったのか。どちらにしろ、それは私達自身の一部でもある、二夜の人々の一人ずつが、みんな鏡だったのだろうね。人を殺した果てに何を思い、人はどうする?」


 麗はまるで人を殺したことがなく、潔白さを武器にするように罪人に問いかける。


「他人はわからない、が、俺は我儘だ、君を巻き込みただ死にたがっている。死んだら楽になれると思っている、昔の行いを隠して、逃げて、何もない場所に眠りにつけると」

「おばあちゃんにもナギにも悪いけれど、命に使いみちなんてあるはずないし、罪を償う代わりに命を掛けてもまるで意味はないよ。償いだなんて虚しいね、更生したとか、反省したとか。じゃあ殺されてしまった人は何を得られるの? 亡くしてしまった人は? 私、もしお兄ちゃんが誰かに殺されたら、相手が命を使って償いたいだなんて抜かした時には、その場で手足をむしり取って、一生掛けて監禁してやるよ。生きて苦しんでくれた方が嬉しいじゃない?」

「……うん」

「それがこの世界なんだろうって。二夜では飢え、渇き、暴力、三世では寒さ、争い、どちらの世界にも共通して死の恐怖。お似合いの地獄だ、ここに居ることが遺族の人に伝わればいいのにね……」

「だけど、ウルワはそうじゃないだろう? 君まで苦しむ事はない、君はどうして此処に来てしまったんだ。たった一つだけ、"人を殺さなくても二夜に来られる方法"で……」

「読んで字のごとく」

「俺には無理だった、俺は知っている、俺が殺すのは楽になる為だからだ。それだから、ナギには出来ても、俺には出来ないと分かった、だからユキノさんを使った、彼女が死にたがっているなら罪にはならないと欺瞞を述べながらね」

「罵りはしないよ、真実として雪乃さんは死にたがっていたし、きっと老い先も短かった。だけど、わたしは悲しい、私は殺人者を悪いと思っても、目の前の親しい人が苦しむのは辛い、親しくなってしまったら、悪い人だとか、そういうの、二の次で……見えなくなってしまう。依怙贔屓なんだ、だから、私は雪乃さんも、アガミさんも……死んでほしくなかった、生きていてほしかったよ」


 先程から震えていたので水涸には麗が話の途中から死者を強く想っていた事が伝わっていた。膝に落ちた一粒の雫が凍りついたのは随分前からだった。


「消えるんだよ、次は誰……? ナギ? ミオ? それとも――」

「俺は絶対に最後だ! 君が好きだ、君の瞳に最後まで映っているのは必ず俺なんだ――!」


 水涸は少女の体を強く抱きしめた。

 痛いくらいに強くて苦しかった――。







 


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