いつか消えてしまう
七汐は夕暮れ時になると再び街に出た。街の人間は日が暮れても働いている、壁の建設、荷の積み込み、生活用品の生産、道具の加工。労働とは華矜院に与えられた生かされる理由なのだ、街に居続ける為の最低限のラインを守っていなければ存在する価値はない。一巡でも仕事は義務であったし、それ自体に文句を言うものはいない、ただ、華矜院に意志を押し付けられ働かされなければ街の人間は華矜院を嫌いにはならなかった。
七汐はこちらに頭を下げてくる街人達の間を抜ける、街人は七汐には全く敵意を向けない、そして七汐の後ろについてくる人物にも敵意は向けない、世話になっているから感謝こそあれ憎悪を抱く事などなかった。
七汐は後ろの人物と手を繋ぐ、繋がれた手を一瞥してから手を引かれる人物は真っ白な白衣を揺らしついていく、表情一つ変えずに前だけ向いて、ほんの少しばかりの医療具を鞄に抱えながら小走りをする。
七汐につれられ白衣の医師が半ば連行されたのは一軒の民家、なんの変哲もない一世帯の家族が住まう住宅だ。七汐はノックと挨拶をして扉が開くのを待つ、現れたのは中年の女性、茶色の髪を緩く結び背中に流し、枯れ草色の服にエプロンを付けた主婦といった感じの出で立ちだ。女性は深く頭を下げてから七汐と医師を部屋に上げる、中には女性の夫と子供、それから女性とは全く関係ない男女数人の姿があった。
この街は決して広くない、更には人手も資材も圧倒的に少なく新築住宅を建てる事が出来ない、ならば一つの住宅に一世帯ではなく二世帯も三世帯も同居するしかない。この家では女性家族が一部屋に暮らし、残り数人も空いた部屋に腰を落ち着け共に暮らしていた。殺人者が殺人者と同居、もうこの世界に秩序などありはしない、襲われたら、それはその時だった。
医師が七汐を仰ぐと、柔らかく笑っていた。その笑顔の先には大きな腹部を優しく抱いた女性の姿。
「名前は決まりましたか?」
「はい、女の子と男の子両方考えました」
「是非、教えてください」
凄く幸せそうに女性は隣の男性に寄りかかる。新しい命の名前を、七汐は祝福するように復唱した。
医師は、ここに連れてこられた責務を果たすべく女性の容態をチェックする、健康状態にはなんら異常なく、問題は出産時を残すのみだ。
既に三歳の子供を持つ茶髪の女性が妊婦の女性に優しく接する。安静にしていてくださいと医師は告げ、七汐と共に家を後にする。感謝の言葉が背中に届く、それがくすぐったく、また、医師には苦痛だった。
「私はつい最近、互いを思い遣る男女を犬にあげました。それがこうして別の男女を祝福するなんて、おかしいですね」
七汐は手のひらを開き断罪した命をその上に思い浮かべる。同じ男女の絆を一つは消し去り、一つは肩を持つ。この矛盾と両者にある差は何だというのだ?
「君はわかっているんだろ、それが君の傷だ、私には治せない、な」
「貴方は、私の心を読んでしまうんですか?」
「君は待っているんだと思う、私の前に音羽が現れたように、君の前にも天使が現れる事を。だから君は天使を探す、君より綺麗なものに、君が洗われる事を――いや、いい」
「それが羽鳥さんでなかったのが、寂しいですね」
「私には音羽が居る、だから私は君の天使にはなれない」
「寂しいですね」
「ああ、寂しいよ。私は音羽を――殺す」
三人の時間はもう直ぐ終わるんだ――。
***
「寝れねーの?」
暗闇の中に動く影、それが声を掛けた音羽の方へ揺らめく。二夜とは違い月明かりの薄い夜は火がなければ暗黒の空間だ。音羽は白い部屋にも使われている光の異能を手の平に出し、テーブルの位置を確認すると先客の隣へ腰をおろした。
「何故向かいではなく隣に座るのかな」
「こっちのほうが近い」
人口の光に二人の表情が照らされる。音羽の異能はこれまででも爆破、治癒、光と様々で、一人の人間に複数の異能が宿る事例はない為、それらは一つの異能が複数の役割を補えるもの、例えば出したい物を出せる異能――出したいと思えば爆弾もライトも現れる――のようなものと、頭の良いものは解釈している。事実その通り、音羽は羽鳥の破壊の異能も水鶏の火薬の異能も扱えるし、白い部屋に光を灯す異能も、異能力者を拘束する異能も、治癒に鎮痛の異能も全て扱えた。
考えようとしなければ解らないが、情報を集めてみれば歴然としている。音羽の異能に気が付いているエイや七汐等は、それ故に音羽に"真似されないよう"力を匿っている。最も、羽鳥が思うにこれだけ近くに居る七汐の異能は八割方持っていかれているだろう。
「ハトちゃんってさ、最初は無罪だったんだろ?」
暗い夜の静寂とした空気感が音羽にそんな話をさせた。羽鳥は手の平を握りしめる。
「才覚の差、周りからの評価の違い、妬み、嫉妬、劣等感、或いは若さや女だから、そんな馬鹿げた心の闇に私は嵌められた。お前が言うように最初は冤罪に立ち向かえなかった私の弱さで二夜に落ちた、がらにもなく動揺したよ、私が患者を殺したのだと言われた」
実際殺していたのかもしれない、と羽鳥は言った。どこかでミスをし、それが原因で患者が死亡したのだと彼等の言う通り、真実はそこにあり、だからこそ、殺人者と成り果てたのかもしれない。
「ひでぇ話だな、若い天才医師に嫉妬か、人命を預かる医者の所業とは思えね」
「それは確かに酷い話かもしれないが、二夜では違う。私は荒れていたので、破壊の異能も自ずと知れていたしで歯止めは利かなかった」
「で、今は感情と引き換えに落ち着いたってわけか」
「私は元々こうだ」
「そんな愛想ない顔して威圧的な物言いしてるんだったら嫌がられるわ、ハトちゃんにもっと早く出会っていたら教えてやれたんだけどなぁ」
「お前は? 誰をやった?」
他人に関心のない羽鳥でも音羽については知りたい。羽鳥にとって音羽とはそういう存在だ。
「おれのは、くだらない理由さ。世間から外れたくそ野郎三人のグループが喧嘩した、んで二人が一人を殺した、そして二人の内一人がまた相手を殺した」
「そうか」
詮索するのも野暮なので羽鳥はそこで打ち切りにした。
「このホワイトボード、だいぶ汚れてきたな」
カタンと椅子を下げ、羽鳥が持ってきたものは三人の名前。このホワイトボードは三人が一緒に暮らす時に置いた物だ、かつて誰かが使っていたようだが、真新しさの残るそれは三人の名前と役割分担とメモで汚してきた。三人の思い出、例えば初めは羽鳥と音羽の折り合いが悪く、七汐が機嫌を取って仲立ちになっていたとか、音羽と七汐が殺し合いを始めて、最後は二人して決着を先延ばしにし羽鳥に手当されていたとか、誰が一番料理上手か競争して馬鹿みたいにはしゃいだりとか、羽鳥の風呂を音羽が覗いて七汐にからかわれていたとか。同じ色をワンポイントとして衣服に取り入れたり、くだらない話をしたり、みんなで怪我をして包帯塗れになるから包帯組と呼ばれたり。三人には殺人者としては大き過ぎるくらい思い出が溜まっていた。
その思い出を、壊そうとしている。
その当事者はホワイトボードを両手でぎゅっと握りしめる。
「私との約束、覚えているな?」
音羽が一瞬忘れたフリをしようとする、だが言葉はそうはならなかった。
「覚えているよ」
「……」
「いらねぇよ、謝罪や遠慮なんて」
「わかるのか?」
「ハトちゃんの言いたい事、最近分かるようになってきた。顔に出ないくらいだから、おれの思い込みかもしれんけど」
「じゃあ思い込みだな」
「かな、辛辣なハトちゃんがおれに謝罪するわけないもんな」
「うん、うん……」
羽鳥は音羽から目を背けた。でなければ見られてしまう。
「気にすんなよ、好きでやってる事なんだから」
「私、思うんだ、何故、どうして後悔は後からやってくるのだろうと、どうして幸せはもう間に合わないって時に求めてしまうんだろうって」
「馬鹿だからだよ、天才医師でも、なんでも。人を殺してしまった、少なくとも二人もな。取り返しがつかないから、戻る事が出来ない。そういう罪悪でこの世界は疲れている、誰も助けてはくれないからな、誰もが同じく汚いから、助けられない。優しさを知らないのに、人に優しく出来るはずがない、それと同じかもしれない。汚いものに、汚いものは綺麗に出来ない」
「誰も叱ってくれない」
「誰も裁いてはくれない。そしてハトちゃんは甘え方を知らないから人に甘えられない」
「私がお前に甘えるのか? あり得ないな」
「ハトちゃんはおれより七汐が好きか?」
「なんだその質問は、馬鹿な男が女に愛を確かめているみたいだ」
「それは絶対違う」
「じゃあ私は七汐の方が好きだ、七汐の天使になってもいい、とする」
「なんだそりゃ。おれへの当てつけか!」
「その言い草からして、私はお前に惚れていると勘違いしているわけだな? 自惚れるな」
「自惚れちゃおらんわ!」
音羽が否定するのと同時に羽鳥は席を立つ。
「……」
音羽の首に腕を回す、広い背中に体を寄せる。
「……殺す」
「殺せ」
「復讐」
「しようか。羽鳥がそうしたいならおれはそれを助けるよ、羽鳥のすることに、付き合うよ」
「付き合うなッ!」
大人しい筈の羽鳥が激情を吐く。
「こんな、馬鹿みたいな理由の為にッ――!」




