華矜院一族
自死を選ぶのは人だけだ。
君は犬や猫が自殺したのを見たことがあるか――?
人は生まれ、進んで死ねる。
進んで殺しもできる。
『 』はかつて何を見下ろしていたのだろうか。
白、黒、赤、銀、青。この世界に操守出来るものがあり、何かを残したかったのだろう。――人を残したかったのだろう。
そして彼らは生きるためにこの地を捨てた。
今雪が降っているこの地はかつて彼らが導き梯子を掛けた世界。
血が告げる、そろそろだと――
そろそろErrorが生まれでたと――
***
彼は黒い外套を靡かせる、深く被ったフードの下から口元だけを覗かせる。頬には白い髪が溢れる、彼の目の前には別の人物が立ち、その人物も黒い外套、しかし白い髪は溢れておらず、真っ黒な陰りの面を顔に貼り付けていた。吹雪の中で二人は対峙した。
黒い外套の人物が白い髪の彼に問う、何故黒い外套を選んだのかと。
返す答えはいたってシンプルだった。
――黒の方が好きだから。
一言二言話してから本題に入った、フードの下の彼の唇が笑う。
「貴方は裏切り者ですね」
そして裏切り者は返す。
「同じ事をしている貴方も裏切り者ではなかろうか?」
白い髪の彼は会合を願った人物とは別れ雪を超える。街へ入るのに除雪されていない雪の壁も超える。ここは街の外、凹凸のある灰色の影のない、人跡の一切ない未踏の地は少し吹雪けば進路も現在地も全く分からなくした。
彼はふと人影を捉える。人跡の一切ない、と言った通りこの辺りは人の居住区ではないし散歩道でもない。華矜院に追い出された罪人かとも思ったが、相手が白い羽根の付いた白いコートを羽織っていた為罪人説も捨て後を追った。
雪原はある場所を境に分かたれていた。幅凡そ十メートル、長さは目視したところ地平線の彼方まで続いている巨大な亀裂。雪原をぱっくりと割るこの場所は三世の端と呼ばれており、その名の通り断崖に橋を掛け誰も向こう側に渡ったことはなかった。覗き込むと真っ暗な谷底がこちらを喰らおうと風の音を響かせていた。
こんな危険な場所の先端に、先程の人物はつま先を半分浮かせるようにして佇んでいる。
「危ないですよ」
彼は自分の声で相手を驚かせないよう細心の注意を払いながら話掛ける。白い羽根が浮かぶ、相手が振り向く。華奢な体を包むのは男性が着るにしては些か愛らしいデザインのコート、ブーツと胸元には白黒ストライプのリボンが付いていて、袖にはオシャレの為のカフスが光る。白い顔の中央には金の瞳があった、唇は冷めて色を失っていたが、普段からそうだったようにも思える。
華矜院シズだった。
華矜院家の当主、三世の王とも言える人物がこんな所で投身自殺でも考えていたのか。
「冗談でしょう」
「ここは、ミオのお気に入りの場所なんです」
自分の事を話されているのにミオの話題へ勝手に持っていく。会話が噛み合わないのはいつもの事と、彼はそのまま聞きに徹する事にする。
「よくここから下を見ていました。下に落ちれば死ねるから? ミオは死にたかった? 簡単に死ねるのに何故飛び降りなかった? 雪は肌の上に落ちると消える」
シズは雪の結晶を手のひらで溶かす。
人の命もこのように儚く瑣末であると言いたいのか。
「飛べるのに、飛ばない」
「……ミオは生きている、まだここには来ていないと思います」
「どうでもいい」
「ですか」
どうでもいい人間のお気に入りの自殺場所に、わざわざ足を運ぶわけがないだろう……いや、シズとはそういう人物か、用事もなく隣町まで歩ける人だ、気まぐれにみえて気まぐれすらない、ミオの事も本気で愛しているし、本気で床の隅にある埃だと思える人だ。
「ミオはいつか戻って来ます、さあ帰りましょう、寒いですし、雪崩でも起こったら洒落になりません」
「うん」
可愛らしい声でうん、と不意打ちされて彼は驚いた。あの冷酷なシズの口から「うん」等と返されたと思えず一瞬思考が停止した。
「どうしましたか?」
「いえ、帰りましょうか」
子供のように小首をかしげたシズと共に、彼は一族の城へ帰る。
***
「貴方って性格悪いわよねぇ」
「いや、たまたま外でシズ様と鉢合わせただけで」
「だからってわざわざ私の目につく所へ現れなくてもいいんじゃなくて? 二人で帰ってきたのをわざと見せつける為にね」
エイは肩を竦めやれやれと動作する。
「はいはい、その通りでしたー」
「嫌な奴。その赤い服も、そんな自殺行為出来るの貴方くらいよ」
水鶏はエイのコートの袖口を掴む、赤いチェック柄の入ったデザイン、オシャレなこの男に似合っている。
「シズ様は赤色が大嫌いなの、赤い色を見ると目の色がお変わりになるわ、そして」
「わかってる。シズ様の前で赤色だけは纏ってはいけない、まぁ、誰も梳理の色を進んで取り入れようなんて思わないけれど」
「貴方どうやって助かっているわけ? シズ様の前でだけ帯で隠してますぅ、なんて言わないでしょ」
「あまりに堂々と暗黙の了解を貫くものだから、呆れられているんだよ」
黒い帯がしゅるしゅると伸びてくる。帯の端が人の手の形になり、水鶏の細い指に絡む。水鶏は慌ててエイの袖口から指を離す。
「止めてくれない?」
「僕の意思ではないからなぁ」
「可哀想な女の亡霊が嫉妬でもしているのかしら」
「だったら可愛いものだがねぇ」
エイは帯を腕に絡め水鶏に近寄る。壁際に追い込むと顔を近付ける。水鶏の手には異質な匂い、火薬の塊。
「それ以上寄らないでちょうだい……」
水鶏の手が男の胸を押す。突き放される事により、更に女に興味が湧いてくる。
「あまり刺激しない方がいい、殺人鬼が目を覚ましてしまう」
「冗談は止めて」
「冗談では」
顔が更に近付く。すると
「じー」
不自然な擬音が流れた。その声と共に水鶏はエイから離れる、すぐ様取り繕い、髪を整えるふりをする。心なしか顔が赤い。
「み、見てた?」
「見てました、だからじーってやりました」
「忘れなさい」
「仲いいですねー」
「忘れなさいって」
七汐はふにゃりと笑ってからい居住まいを正す。
「ただいまです」
「ええ」
「おかえり」
七汐と水鶏とエイは同じ華矜院同士。特に差し障りなくシズの元に仕えている。階級で言えば水鶏が上だが、そういう隔たり無く付き合っている。
「シズ様に進言したい事があるのだけど」
エイはいいタイミングだからと二人に話すべき事を告げようとした。二人はエイの話に耳を傾ける。
「遠い場所に巣食っている罪人達を、そろそろ綺麗にするべきだと思うんだ。暇なんだよね」
最後の付け足しは気にするべきではないと今は流しておく。
「そうね、反乱分子を始末するのも頃合いでしょうし」
「あれ? お二人とも気が付いてましたか」
七汐が面白そうに話に乗る。
「知っているわよ街に裏切り者がたくさん居る事くらい。どこかの糞共と協力関係を結び、その内私達に叛逆してくるんでしょう」
凍土の楽園の情報が流れる。あちらの人間が長い月日を掛けて企てていた計画があっさりと明るみに出される。
「華矜院の傘下に存在する反乱分子故に、秘密を厳守出来るはずがない、誰彼は華矜院に密告する。……とするのを、向こうの天才は既に読んでいるはず。解っていながら街人と内緒話をする局面を構成に入れる、反乱分子が更に間者となって嘘の情報を持ち帰るように。彼は策のためなら敵も味方も騙す目をした人間だ」
七汐が悩ましそうに唸る。
「気を付けなければ。果たして真実を読み誤り、嘘の情報に踊らされるのはどちらかなんて、お話の中だけにしてもらいたいです」
エイはそれを聞いて肩を竦める。
「全て食べてしまえば楽なものなのに」
エイの腕の帯が舌なめずりをしたかのように音を立てる。
「駄目よ、行き過ぎた行為は仲間内にも不信を生むわ。貴方は以前、牢獄の中の人間の処理をし、そのやり方を皆に恐れられていたでしょう? 羽鳥だって同じよ、ああいう風に貴方も見られているのよ?」
「この帯の、この辺のやつですね」
七汐が躊躇なく帯の中腹に触れる。帯の厚みに瞼を縫い付けられた人間の瞳が白濁した瞳孔で七汐を見上げている。瞳の数は計り知れず、長い帯の中に疎らに並び、腐り果てじゅくじゅくと柔らかくなっている。瞳だけではない、口や鼻、手に髪に臓器、魂と言った霊的なものまで閉じ込められているかのよう。動けず、出られず、死にたくても死ねず、一部となっても人間としてのはっきりした意識があり、生かされている。残酷な異能だった。
「こんな事する人は殺したくなりますね、許されないし許せない、ね、エイさん」
挑発するように金の瞳が鋭くなる。
「潔癖の正義で殺しに来るなら、僕も自分が楽しめるよう最高のパーティーにするつもりだよ」
「人体の、それぞれ切り離された部分と楽しいパーティーですか、さぞグロテスクなものになるんでしょうね」
「僕も力を持て余しているからね、こんな世界に居ると少なからずストレスが溜まる」
「女とやれない、暴力を振るえない、なる程貴方は私の刃に切り刻まれるべき、最も悪辣な人間だ」
「君は瞳を落とすだけでは勿体無い、その潔癖な正義を裏切り、汚れて許しを乞うまで僕の一番傍に置いておいてあげよう」
「やめなさいよ……」
女は不穏な空気を感じとり恐る恐るに止めに入る。二人が本気になったらどうする事も出来ないという、か弱さをもって顔色をうかがう。
「大丈夫ですよ水鶏さん、こういう嫌がらせがエイさんの遊びの一端なんです」
「そ、言葉の駆け引きだよ、ははっ」
「水鶏さんという女性を怖がらせて楽しんでいる、嫌な男です、だから大丈夫」
「そ、そうなの……」
水鶏は二人の男を目で判断し、若干七汐の方にずれる。
「話が逸れたけれど……向こうの奴等は何時仕掛けてくるの? 情報が欲しいの」
「先回りで地雷でも埋めるんですか? 殺してしまいますよ?」
「だから、勝手に死んでもらえばいいのでしょう?」
水鶏は嫌な笑みを作る。
「華矜院に歯向かうものは許さないわ」
プライドが高く、華矜院の血に人一倍誇りを抱く。この女の崇拝ともいえる血を愛する心を傷付けたならただでは済まない。
「勝手に死ぬのよ、みんな、勝手にね」
美女の中の悪意が、冷酷な計算を組み立てる。




