もう、他人じゃないよ
「非常に痛い」
「辞典みたいに言ってんじゃねぇ!」
アジトに帰ると凪は自ら槐の頭に包帯を巻いた。隣で麗が医療道具を出したり片付けたりしている、槐は絶対安静でしばらくは寝たきりになりそうだ。
槐は何故凪を庇ったのか。槐が動けない内に聞いておこうと思った、ベッドの上なら逃げる事も出来ないだろう、寝たふりをするなら一日中付き添って誤魔化しを正面から論破してやる。
「凪、怪我人に無理させたらダメだよ」
「いや、なんもしねーって」
「ウソ。槐さん、凪が何かしたら私を呼んでください、凪はピリピリしているから絶対何かしてきますよ」
「うん」
「かなわねーな麗には……」
目が見えないからこそ肌で感じ取る、麗の前で隠し事は難しそうだ。
そして、その日のうちだった。凪がピリピリした何かをぶつけるのは早かった。槐は鬱屈した話になりそうだと腹を括り、部屋の篭った空気より外に出たいと申し出た、安静にしていなければならないと解っていたが、槐が自分の限界も解らぬほど馬鹿ではないだろうと外に連れ出した。
夜だった。粉雪の舞い落ちる音のない静寂な。
廃ビルの一画まで歩く。鈍色の、天に届かず朽ち果てた人間の建造物を背に凪は単刀直入に責める。
「何故庇った」
「庇った事自体に問題はないだろう、人が自身を犠牲にしても誰かを守りたいとする心は貴方にも理解できるは……」
「回りくどい! 俺は原因から一々説明されて結果を待つのは好きじゃない」
槐は凪の剣幕に覚悟を決める、向き直る。
「……おれが貴方を庇ったのは」
知っていたから、だ。
「おれの異能は"DeathCounter"、死出の目盛。視界に映る人間の死期を比べられる、例えば三人人間がいるなら、誰が一番最初に死ぬか解る。一番最初に死ぬ者と他を比べれば、更に先に死ぬ者が解る。そうやって由奈や真の死期も知っていた、死を黙認した」
「くっ!」
凪は壁に手を打ち付ける。
「様々な人間が視界に映る、それをいつも比べていた、貴方の死期はまだ先だった、つまり貴方はあんなところで死なない、死なないならおれが先だろうと思った、だから庇った」
凪は言い知れぬ思いに囚われる。そんな、そんな理由で自分を危機に晒したのか。確かに異能は本物で確実だ、裏切らない。それに準ずるが世界の定めと言うなら否定はしない。なのにこの気持ちはなんだ、腹のそこから怒りが込み上げる、この激情はなんだ。
「んな理由で庇ったのかよ」
「そうだ」
「今上から瓦礫が降ってきたら」
「助けるよ、おれが下敷きになっても」
「それでもし死んだらどうすんだ」
「それでよかった、死んでよかったよ」
「ふざけんなッ。お前が死ぬのはどうでもいい! ああ! 他人なんてどうだっていいんだよッ! だが残された俺はどうしたらいい!? 他人の所為で助かった俺は!?」
肩を揺さぶる。
「助けたいと思ったのだから罪悪感はいらないよ、喜んでよ、生きていられたんだよ?」
「嬉しいわけねぇだろッ!」
壁の砕ける音が響いた、凪は素手が傷付くのも構わず拳を壁に打ち付けた。
「二度と死のうとするなッ、助けられた俺の気持ちも考えろ! ふざけんなッふざけんなッふざけんなッ! 俺は誰かの命を犠牲に生きていかなきゃなんないのか! お前、何も考えてない! そうだ、もう俺より先にぜってぇてめぇを死なせてやらねぇ、いいか!? 俺に断り無く俺の運命を変えんじゃねぇッ」
「なんで」
「なんでもねえよ! もう他人でもねぇ! 今度庇ってみろ、お前の目玉くり抜いて目盛なんて見えなくしてやるッ!」
「なんで……」
「うるさい! 俺の前で……死ぬな! 死ぬな、よぉ!」
凪は泣いていた、拳が真っ赤で痛いからではない。自分の目の前で何かが死んだからだ、何かが死んだのを忘れたからだ
「思い出せねぇよ! 誰かが死んだんだ! なのに俺は忘れていやがるッ、大事ななんかなんだよ、なんでだよッ! なんでッ思い出せない!」
髪を振り乱す、記憶に靄が掛かって晴れぬ一場面。とても大切な誰かがそこで死んだ、なのに凪は顔も思い出せない。
槐は暴れる凪の肩を抱く。
「おれ……ずっと自分なんて死んでもいいって思っていたんだ、生まれた時から赤い髪に金の瞳だった、梳理と華矜院は最も仲が悪くて、憎悪で、おれや両親は酷い目にあってきた。両親も祖父母も正当な梳理の血縁だ、おれだけ金の瞳に生まれた、おれは自分を憎んだ、自分がいなければ両親は平和で、死なずにすんだから。おれも一緒に死ねばよかった、なのに二人はおれを庇ったんだ。ごめんね、忘れていた、誰かに庇われるのは辛いんだ、残された自分はどうしようもなく弱い奴で、庇った人の愛を、死を、罪を背負っていかなきゃならなくなるんだ……、辛い……」
「俺は……死んだ誰かの命を背負う事も出来ないんだ、薄情に忘れてしまっているんだ、両親だって、いつか忘れてしまうかもしれない、麗だって水涸だって、お前だって……」
「うん」
「否定、しろよ……」
「うん」
「肯定じゃねぇか……」
「うん」
しばらく黙っていた。忘れた誰かは赤かった、槐のように、そして笑っていた、そんな思い出もあったのだ。思い出せないのは辛い、だけど……凪は泣くのを止めた。
「てか抱きしめてんの止めろよ気持ちわりぃ」
「ああ、雰囲気で」
「このっ。もう、大丈夫だ……」
――ありがとう。
それはどちらからともなく溢れる。
「エンジュ」
「なに、その名前で呼ぶなんて」
「いや、お前がこの名前で呼ばれるのが嫌なのは」
「両親と共に死んだ事にしたかった、自分なんて居なくなってしまえばいいから、だからエンジュは捨てた」
「ならエンジュって呼ぶ」
「なんで」
「俺、性格わりぃから。後、お前はまだ生きている、生きていていいんだよ……死ぬまでくらい、生きていていいんだ」
「……そう、なのかな」
「そうなんだ」
生きている限り、生きていけばいい。庇われたのなら、それだけ大事にされた命で生きていけばいいのだ。凪も髪や瞳を指差された経験がある、苦い程その味を知る二人なら分かり合える。
「ありがとう……ナギ」
「いいんだよ、エンジュ」
ぎこちなかった関係が柔らかく溶け、再び重なり合った時その絆は出来上がった。もう他人でもなんでもない
もう、友達なのだから――。




