白銀の交わるときⅠ
七汐は凪に向かって走り出した。真正面から単調に繰り出される打撃に対し凪は丁寧に見切って躱す、風で雪を舞い上げ視界を塞ぐ、七汐は塞がれた視界を裂くようにメイスを振り下ろす。雪がメイスに押し込まれ風が二つに割れる。
「貴方の異能は風ですか? 雪ですか? 先程からやけに不自然に雪が纏わりつくもので」
「雪だ」
嘘だったが七汐は頷いてメイスを戻す。戻した先で金属の音、投擲された黒い突起が七汐の顔の隣で防がれ落ちる。
「面倒くさい後衛から倒すのが定石でしたっけ」
七汐は落ちていく突起を拾い持ち主に返す、その返し方は間違っていて、速度の乗った鋭い切っ先が黒い外套に次々と刺さる。槐は怯み体を傾ける。七汐は手前から強襲する凪をあしらい槐に向かってメイスを横薙ぎに振るう、鈍い音がし、槐の皮膚の一部が擦れて剥がれる。間一髪で鈍器と骨がぶつかるのは避けられたが、擦れた腕からは血が滲み、槐は腕を抱く。
「どこがおれは強いんだよ」
寿の信頼が嘘のように槐は七汐に負傷させられた。こんな過怠を最強の異能使いがするものか、これで解った、槐も寿も何かがおかしい、何かを隠している、でなければこの程度の実力者を七人もを同時に負傷させた強敵に当てる筈が無い。
もし、奥の手として異能を隠しているなら切り札とせず早く使うべきだ、相手の実力を肌に感じれば解る、グズグズしていたらどんどん傷を貰うだけだ。
凪と槐は近くに寄る、格上の相手に対し共闘しようと頭では解っていても呼吸が合わない。ナイフを振るっても当たらない、突起が七汐のメイスを封じるがその次の一手、凪の刃の先が入らない。
「貴方達では力不足です」だから天使を呼べと言う七汐に知らないと返して凪も槐も立ち回る。逃げ腰で、隙のない相手にじわじわと追い詰められていく。七汐の笑みは消えない、犯罪者を嫌う断罪者は穴の中に毒を蒔いた時からずっと笑っている。
メイスが凪の顔の隣を抜け肌から血が流れる、更に強い痛み、メイスが脇腹に叩きつけられ横に吹き飛ぶ。凪は咄嗟に風の異能を使い出来るだけ強風を、出来るだけ雪を巻き上げて七汐を巻き込む。
「無駄ですよ、さあ、天使に庇ってもらいなさい!」
立ち上がる時間がない。
――やばい、そう思った時には頭上に鈍器が振り下ろされていた。
「ぐっ」
鈍い苦鳴。黒い外套が捲れ、目の前で真っ赤な髪が広がる。愕然とする凪の胸に倒れ込んできた体、ぬるりとした感触に凪は手の平を開く。
「血、血だ……」
凪を庇った少年の後頭部からは真っ赤な鮮血が流れていた、温かい、そして怖い、赤だ、真っ赤な色だ。庇われた事実と赤い色を交互に見遣り凪は震える。
「な、何故庇った!」
声を上げる。過去、家族を殺された恨み、赤く染まった室内で親の内臓を掻き集めていた自分。二夜で忘れた何かも、目の前の自分を庇った少年も、それら全てが赤だった。赤は怖い、病院の中が真っ赤な臓器で満たされていた、赤は怖い。
「さあ少年、天使様を呼ばないと君もお友達も」
「うるさい!」
凪は血の付いた手の平を払う。七汐を遮断するように、槐の自己犠牲を疑心するように。
「なぜ!」
「……たぶん」
腕の中で槐が動いた。
「こうするのがよかったんだろう」
「そんなはずはない! おまえ、おまえもしかしたら死んでたかもしれない! 何故庇った!」
動揺している、自分の所為で頭から血を流す他人が今腕の中に居る。
「死なないよ……死んだらやった方も消えるのだから、手加減されているよ……」
「そんな事じゃない!」
「君は死ぬべきではない」
「俺なんてどうでもいいんだよ!」
「ちょーっと君は退いていてください」
言い合いの間に七汐が割り込んで槐を引き剥がす、凪が槐を取り戻そうとするとそれを遮り槐を地面に転がす、槐の居なくなった胸を蹴り凪を倒してから腹に足を乗せメイスを突きつける。
「居るなら出てきた方がいい。私は犯罪者には容赦しない」
「必要ない! 俺が潰す」
「君の風ではどうする事も出来ませんよ、君の風は私の邪魔をするだけに過ぎない、体を切る事も出来ないし、呼吸を止める事も出来ない。もし出来るなら、今した方がいいですよ?」
「やってやるよ!」
七汐の横を見えない流れが過ぎ去る。避けていなければ首が切れていた、また首か……と苦笑いしながら七汐の足元に逃げ遅れた髪が数本落ちる。
「ああ、切れるんですね。怒った君は人を切るのも厭わない」
「俺は善人じゃない、オウサマや、お前みたいなのならいくらでも殺す」
「オウサマですか……、懐かしい」
「お前もオウサマと一緒だ、人殺しをしても何とも思わない」
「君も思わない?」
「……」
「どちらかというと、私より君の方が危険思考だ」
「くっ!」
凪は咄嗟に顔を覆う、メイスが振り下ろされたからだ。予測する痛みは、来ない――。メイスは凪の顔を砕かず、代わりに凪を跨ぐロングスカートの揺らめきが頬に当たった。スカートの上には、遅れて銀の髪が流れる。
「か、んな……」
そこには神流が居た、神流は凪を壊そうとしたメイスを素手で受け止めていた、重い鈍器を片手で受けたとは思えぬ余裕の表情、長い睫毛の下の瞳は七汐を何とも思わぬように眺めていた。左手が振るわれ、メイスと共に七汐が後退する。
「これは……」
七汐が驚いたのはそれが天使の正体だったからではなかった。
「権能、権能様……」
まさか権能一族が現れるとは、予期せぬ事態。
権能神流は人ならざる美しさを持って、七汐に微笑み掛けた。
「一巡の貴族、四家の中でも最も王家に近い権能。その一族は銀の色、美しい容姿と神秘的な雰囲気で神の如く世界の趨勢を見守っていく……」
権能とは華矜院如きが足元にも及ばぬ程尊い存在だ。七汐は二夜で一時期オウサマについていたが、オウサマと目の前の天使には差異があった。
長い長い銀の髪、それが風に煽られると銀の羽のように羽ばたく。
美しい――そう形容しても罪になる。存在そのものが手で触れては、目で見てはならぬ神の御子だ。
圧倒的な銀色の顕現に七汐であろうと呆けていた、手が出せなかった、それでも、七汐は沖之助とは違い腰を引かなかった。
「流石に、驚きましたが貴方が天使様だったのですね?」
「君の探す天使は僕ではないな」ため息の出る美しさで神流は告げる「君が探している天使は現実的にはあり得ない、でも、存在した」
「天使は存在する」
「それは」
「これ以上は言わない」
言い回し、良いところで続きを内緒にするやり口は凪もされた事がある。全て本に書いてあるのだ、七汐の探すものが何処に居るのかも、凪の復讐対象が何処に居るのかも、青い表紙の紙の中に。
凪は神流の足元から抜け出し槐の隣に這っていく。槐は意識もあり口もしっかり訊けるようだったが立って歩く事は困難なようだった。早くアジトに帰らなければ、凪を庇った所為で槐が死ぬなどという事だけは避けたい。
「貴方は何者ですか?」
七汐は神流に恐れ多くも問う。
「貴方が権能と言うのだから権能なのだろう」
「貴方のように人間離れした容姿の方が居れば噂になる、権能がいくら閉鎖的で他人と関わらない一族とはいえ、誰にも見られぬ箱の中に閉じ込められているわけではない、"預言者"でさえその姿を人前に見せる。誰も見た事も聞いた事もない、長い髪の貴方は……」
「五百年前に生まれた人間の事なんて、もう誰も知るはずはない、僕は今や死んだ人間だよ」
「五百年前に……生まれた……?」
「御託はいいよ。この場は去るといい、お友達には謝っておいで」
「……」
神流が七汐を見遣ると、七汐は立ったまま神流を視線で追っていた、七汐は神流の言う通り帰るつもりはない、やっと天使の存在に近付けたのだ、探し求めていた天使が目の前か、或いは近い場所に存在している。情報を引き出す前にむざむざ帰るわけにはいかない。
神流は目を閉じる、敵前で視界を閉じるなど自殺行為だ。裏があるのだろうと七汐は測ったが、神流は受け身の姿勢のまま変わらず、ならば誘われてみるのも一興。七汐は強気に出た、得意なルートで愚直に攻撃を仕掛ける。
「貴方は右斜め上からメイスを振り下ろす」
七汐が踏み込んだ瞬間神流は青い瞳を開く、言った通りメイスが右斜め上から叩き付けられ、神流の居ない空間を虚しく裂いた。
「どういう魔法――、ッ!」
的確に狙いを読まれ、更に七汐の手からメイスが落とされる。両手首が見えない縄のような物で締め上げられ前に連れ出される、そのまま引き倒され白の貴族が大地に這いつくばる。
「去るの? 去らないの?」
「去り、ません!」
言う事を聞かない子供に慈母は微笑む。
「そんなに天使に会いたいんだ」
「私はずっと探していました、人を……」
「うん」
「ははっ、貴方に言ったってどうしようもない事ですよ」
七汐は両手を拘束されたまま立ち上がる。メイスを拾う事はせず愚直にも神流の懐に飛び込む。
神流は飛び込んで来た七汐の頭を優しく掴むと、口に咥えていた黒い突起を指で取る。
「これで切ろうとした?」
口の凶器が奪われた事で会話が成立する。
「いえ、そんなもので貴方が切れる筈がない」
七汐は素早く己の策を実行する。狙いは神流ではない、あんな凶器で神流が仕留められるなら最初の一撃で決まっている、金の瞳が組み立てた筋書きが本当の狙いに移行する。神流の傍に近付ければいい、そうすればそこからあるものに近くなる。
「なっ!」
凪だった。七汐の拘束された両腕の間に凪の頭が挟まる、腕を捻れば首が折れる位置に凪は捕えられた。




