医者と助手と断罪者と
「頼む! 時間をくれ! おれぁまだ決心がつかねぇんだよぉッ」
「そんな時間はないし、私は二度も貴方を診ない」
清潔な白い布の敷かれた寝台に男が転がされていた。体と揃えて右腕が寝かされており、それは赤を通り越して黒く変色していた。動かせない腕を医師に診てもらう為に横になったのに、男は泣き言を漏らした。白衣の医師とその助手は寝台に転がる男を見下ろす。
「男の癖に情けねぇなぁ、腕の一本落とす事にくらい覚悟持て」
「おめぇは他人事だからいいんだろうが! ッてぇ! いてぇ!」
再起不能になった腕をぶら下げる男に、羽鳥という医師の奨める二択は至極簡単で、単純なものであった。
腕を落とすか腕を放置するか。
「やめ! 待て、待てって!」
羽鳥は患者の腕を落とそうとしている。一瞬の激痛は永遠の鈍痛に比べれば楽かもしれないが、患者にしてみれば麻酔も無しに腕を落とす等狂気の沙汰なのだ。それを患者の心を無視して奨めてくる医師に対しても恐怖しか沸かない。
「後三分、決めろ。決めたら従うし、決めないなら落とす」
「三分って、そんな」
羽鳥は冗談を言わない、よって本気と見受けられる。制限時間が設けられた事によって、男の思考は焦りと不安に塗りつぶされる。
「……くそっ、くそっ」
犬に噛まれた右腕はもはや治療も期待出来ないし、早く落とさなければそれが原因で死亡するかもしれない。
「オレなら落とすけど?」
「だから! お前は他人事だから平気で言えるんだよ! 利き腕……なくなっちまうんだぞ」
羽鳥の助手と言って同席した音羽は、指摘された通り他人事だから好きに言えた。最も、同じ状況になったら自分で腕を落とすくらいの気概はあったが。
「見張りなら腕なくたって出来るだろ? それより、そんな腕で生き続けていたら、いつか全身が機能しなくなるかもな」
「どうしろってんだよぉぉ」
男は三分間の間に混乱し、悩まなければならない。喉が熱くなる、嫌な湿り気。感情を頭の中で掻き回し、猛りや恐怖、選択を天秤に掛けた時どちらが正解か、一分目に溢れるくらいの不安を、二分目で残り時間に焦燥を、三分目には諦念しかなくなり瞳を閉じていった。
「……やってくれ」
男は右腕から視線を反らすよう頭を左に向けた。
「じゃあやる」
「羽鳥先生は、「いちにのさんっ」とも言わずにいきなりやりそうで怖ぇよ」
「そのつもりだったが数を数えた方がよかったのか?」
「やっぱりかよ」
男は体を強張らせた。この医師は人の体を引き千切る事に抵抗がない、やはり怖い。
「いちにの」
「お、おい! いきいきなりッ――」
「さん」
「ぎッ――」
アアアアア――ッッッ!
男の絶叫が室内に響く。羽鳥は異能を使い男の腕を肩から千切り取った。無くなった腕の断面に直ぐ様音羽が手を翳し治癒の異能を掛ける。
「あっ! あああ! いでぇぇ!」
「治癒術式掛けてるから安心しろ」
「いでぇ! もっと強くッ、掛け!」
「この腕は捨てておくから」
「ハトちゃんそれは粗大ゴミですかー?」
「粗大ゴミとは家具や自転車等一定のサイズの、いわば大型のゴミの事で人体の一部には不適切な表現だな」
「じゃあ汚物?」
「それを今持っている私はなんだ?」
「便所にでも捨ててこいな」
「そうだ本人に捨てさせよう」
「おま、おまえらッ、俺が苦しんでる時に!」
「痛みを紛らす為にやってやってんだろー?」
「その心遣いを治癒の強化に込めろ!」
叫びが傷に響いた男は苦悶の表情で体を丸める。
「ちくしょう! いてぇ」
「治癒効いてない?」
「効いてる、だからこんくらいで済んでるって、わかるよッ。お前の異能は、何なんだ? このまえは、爆薬の異能だって、水鶏様みたいに爆破してたじゃ、ねぇか」
「いやいや、オレのは傷の再生とか鎮痛とか、じゃないかな?」
「何で使ってる本人が疑問系だよ」
「ハトちゃんのはオレに比べて派手ですげぇぜ? 触ったもん破壊しちまうんだからな、やって見せて」
羽鳥はそんな子供の自慢をするものかと顔を向ける。だが、患者の興味が痛みよりこちらに向いていた、患者の為になるならと仕方なく音羽の計らいに乗る事にした。
手を洗い、血を落とした羽鳥の指が近くの柱に触れる。触れられた柱が悲鳴を上げ、亀裂が入る。蜘蛛の巣状の裂け目から一気に破砕し、柱が破壊される。人の頭部程の穴が空き、細かい残骸がパラパラと落ちていた。
「その気になればビルの破壊も可能だよ」
無表情で言われ、男は思わず戦慄が走った。その破壊の異能で先程腕を砕かれたのだが、ビルを破壊出来る程の強い力を小さな腕に向けられたのだと思うと……。一歩間違えば人体が柱のようにバラバラにされていた。悪い冗談だ。
「破壊というより、引き千切るのに近い。五指を引くと、繊維が千切れるんだ。コンクリートであれば、壊れる」
破壊の医師と言えば有名で、華矜院内で羽鳥は恐れられている。その無表情もそうなのだが、淡々と物を破壊する様は人ではなく機械に近く、どうしても背筋が寒くなる。人前で人体を破壊した過去もある、それが人の心に残り、悪い印象を引きずり続けている。羽鳥は無機的で感情がない、誰にも好かれていない、医師でなければ誰も近寄りたくない。
羽鳥も、誰にも心を開こうとはしない、胸のうちを明かそうともしない。その証拠が能面のような顔だ。ただ音羽だけは、合い口がよくたくさん会話をしていた。
「あ、やべ呼ばれた」
音羽が治癒術式を止める。男が焦った顔になり音羽の手を掴む。
「どこい、く……治癒はッ」
「わりぃけどまた今度!」
「ふざ、ふざけッ――まてッ、待ってくれ、いたいって! おい、おぃぃぃ」
男の懇願は、去りゆく音羽の閉めた扉に遮断された。
***
七汐は強い。七人を一人で無力化したのは嘘ではなかった。
メイスが振るわれる度一人ずつ体に痣を浮かせていく、上手い具合に相手を誘い出し、一対一になるよう引き込んでから潰してくる。槐が止めたが死者と弱さをネタに煽られると男達は我慢出来なかった。異能を使った者も居た、だが一撃目を躱されると次からは全く当たらなかった。高い計算能力と見切りの技が七汐には備わっていた。
凪はかろうじて鈍色の塊を躱す事が出来ていた、二夜で何かしていたのかそれが体に残っている。オウサマと戦った経験もあってか無闇にナイフを投擲せず、風に語らい七汐の視界を雪で歪めた。
やがて、立っているのは凪と槐だけになった、詰みは近かった。
槐が顔まで覆った外套の下から口を開く。
「逃げる準備をして、みなは既に死んでいたのだからもう意味がない。自分達までそうなる前に逃げるのが賢明」
徒口と淡々とした物言いに、一瞬血が昇るも唇を噛み締め男達は立った。仲間の遺体を埋めてやる事も出来ない、悔しい。
槐に逆らわず撤退の方向に視野を変える。助けられなかった、見送れなかった、すまない。
「逃げるなら追いませんが、今日は少し状況が違うんですよ。だから逃さず全員潰します、絶対に帰さない」
強者からの、絶対的な断言に体が固まった。どちらが捕食者でどちらが獲物かはその時点で明確だった。動けない足、動かなくなった足のか弱い獲物を見て七汐は続ける。
「ただ、これからする質問に素直に答えてくださったら私は目を閉じています」
凪は眉を顰める。金の瞳がこちらに向いた、質問があるのは凪に対してなのだと気付く、聞くしかない。
「少年少年、貴方は特に若いので少年と呼ぶに相応しい、ので聞きますね。天使を知りませんか?」
ドキッとするが、表面には出さない。
「天使なんているわけねーだろ」
「そうやって言ってたおじさんが信じちゃってるみたいなんですよ、だから天使は居る。君の」
「なんだよ」
「後ろにでも居るのでは――?」
風が吹雪いた。
雪の結晶が散る。
「よしわかりました! 提案を変えます。少年が残るなら私は追撃しません」
メイスを後ろ手に回し"今はまだ"攻撃の意思がない事を伝える。凪に課せられた選択は仲間の為に残るか否定するか。凪は他人の為に自己犠牲するタイプではないが、今は前者を舌先に呼び出す。
「残るから、あんたらは帰れ」
「出来ねぇよ」
「子供を残して大人が去るなんて出来っこねぇ」
当然のように男達は常套句を返す。
「責任とかプライドとかいいから、帰れ」
「だから出来ねぇって!」
「あーもう厄介だな」
「厄介ですね」
何故か七汐がノリよく続いてくる。くその戯言だが凪も乗りかかる。
「厄介だ、オジサン方の自尊心と呵責の念をなんとかしなきゃな」
「どう説得しますか?」
「わかんねぇ、槐パス」
敵と呑気に会話し、自分に解決策を押し付けてくる凪の心理を思考出来なかったが、槐の脳内には説得方法が既に浮かんでいた。
「おれも残るよ、それでいい
それに対し「子供二人も残して」と返される事は読んでいるので、先にこう返しておく
寿さんが手のひら返すくらい、おれの異能は強い」
完璧に反論を封じられた説伏に、抗弁の余地すらなかった。男達は何度も何度も躊躇しながら、やりきれない負い目を抱きつつも立ち去るしかなかった。
「私を倒すつもりなんですね?」
残ったのは少年二人と七汐。この図と雰囲気でいけば、七汐の言った通りの展開になるだろう。
七汐は余裕だった。口さえ残しておけば天使の居所については聞ける、だから戦闘を促してきても応じるつもりだし、負けるつもりもない。
「殺されないから大丈夫、ってまだ考えているなら間違いを正した方がいいですよ」
残酷に、笑った七汐の瞳は冷たかった。




