悪ではない敵
「何故華矜院は人の上に立とうとする?」
水涸の問いは、水涸の腕に寄り添い凪を心配する麗に届く。
「貴方は二夜でも言っていたね、人の上に立ってまで生きたくはないと。それが貴方の心からの信念だったね」
「……ああ」
水涸は誰かを犠牲にしてまで絶対に助かろうとしない、それに類似する事にも自分を傾けなかった。だから麗は二夜で自分の為に悪事を働こうとした水涸を置き去りにした。
そこにある、矛盾に気付かぬ麗ではない。
「凪が無事に帰ってくるよう祈らなきゃ」
「ああ」
今はまだ隠されていればいい。今はまだ。
***
たった一人逃げ延びた生還者に案内され、凪や槐、その他数人は七汐と遭遇したという場所を目指した。風が強く吹き付け各々の防寒具を煽る。凪は薄手の防寒具、槐は頭まですっぽり覆うような黒い外套を羽織った。
雪が乗った冷たい風は視界を塞ぎ思うように進めない。良好な状態の体でも困難な道行きだ、負傷した者達が無事に帰って来られる可能性は低い。早くこちらから助けにいかねばならない。
列になった隊の中央で凪は手を握る。野犬との遭遇が予測される、道端を歩いている野良犬とは違い、多くの群れで行動する野犬は例え体格差に有利を持つ人間であっても襲われればただでは済まない。ずらりと並んだ鋭い歯が、こちらを威嚇する鋭利な目と共に想像されると、足取りは重い。群れているとなると尚更。
寿は槐が行くなら確実に大丈夫だと言った。二次被害を危惧しあれだけ救出に否定的だった寿があっさりと槐に任せた。槐とはそれ程に強い異能を持つのだろうか。
凪は槐の側により、槐は凪を目だけで捉えた。互いに背中を守り共闘を成す間柄、にはなれない。槐は最初から今でも人を寄せ付けない。
ふいに、由奈と真を心配していた三人が身構えた。凪も槐も気が付いた、鼻がもげそうな濃密な臭いが漂う。嗅いだ事のない異質な臭い、このような臭いを発するのは腐ったものや死んだものだけだ。ならば、これを辿ってはいけない、この臭いの元を予測してはいけない。
誰もが足を止めなくてはと思っても、それに反して前方に向かっていく。ゆっくりとゆっくりと近付く、駄目だ、臭いが強くなる度向こうにあるものが解ってしまう、希望が絶望に塗り替わるまでの距離は本当に短い。
「う……」
凄惨な現場が、男達を凍り付かせた。
六体もの、人間だったものが山にして詰まれていた。
顔の半分を食われ筋肉が露出した頭部、白い歯が折れ剥き出しになった歯茎からぶら下がる。腹は何度も何度も噛み千切られる事によって鱗のように波打ち、六人分の手足は、あるべき場所から引き離され山の中に積まれていた。内臓は綺麗に掻き出されている。
そこにあったのはもはや骨と滓だった。食べられる時により多くを蓄えようと、厳しい環境下にある獣の習性により六人は残酷な姿を晒されていた。赤黒く地を伝うオイルのような液体が、白い突起を生やした歪な山から広がっていた。
由奈と真の仲間はあまりの惨さに口元を押さえる。嘔吐感を必死に我慢し、膝を付く。
涙目になった彼等が雫を溜めたまま何かに気が付く。それが鮮明に姿を表すと、男達の涙目は憎しみと憎悪の目に変わっていく。
――七汐だった。
「こんにちは」
野犬ではなく残酷な人間は白く美しい髪を揺らす。金の瞳を喜悦に染めていた。この酸鼻をきわめる状況ときつい臭いにも眉一つ動かさず、秀麗な造形を崩さない。
「てめぇ! 殺すッ!」
最初に由奈と真を心配した男が感情を抑えきれず突撃した。走り抜ける最中顔まで食われた由奈であろう死骸を捉え、怒りが沸騰。持ってきた鉄の棒を渾身の一撃で七汐に叩きつける。
「おあああああ!」
「何を怒っているのですか?」
平然な顔で避ける。
「何に怒っているのですか? 何故? 貴方もこうして人を悲しませたというのに」
男は棒を躱され減速出来ず、数メートル先で転倒して停止した。肘を立てて起き上がろうとした時、真横に詰まれた六人の山を直視し硬直。
「ひっ!」
胃が蠕動し、口を押さえ嘔吐した。
「お前が、詰んだのか?」
凪が六人の山と七汐を交互に捉える。
「食べたのは、犬だよな? だが、あんな風に山にしたのは、お前だよな!?」
「残酷ですか? 死体を埋めやすいように一所にまとめたのが、気に食わない?」
「狂ってる」
二夜で目の当たりにした、あの王と同じか、いやそれ以上にこいつは狂っている。
「私は犯罪者が嫌いだが、犯罪者の死後まで愚弄するつもりはないです。死者には弔いを捧げ、手厚く葬ってさしあげる。ただ、生きているうちは許しませんけどね」
「お前は、犯罪者が嫌いなのか」
「大嫌いですよ。遺族の痛みを思うと胸が張り裂けそうです。それ以前に、ただ憎い。苦しめて殺したくなる、私の中の正義感とでも言いましょうか、それが薄汚れた者達を許したがらない。よって、犯罪者は全て死すべし!」
「こいつ……」
「くるよ!」
槐の一声により緊迫から臨戦態勢に移行する。
七汐はメイスを振り上げ凪に向かう。
「白い髪に空色の瞳、おかしな子ですねっ」
「外見だけで偏見すんなッ」
ナイフではメイスのような塊を防げない為凪は後ろに飛び退く、直ぐ様姿勢を低くし足をバネにして七汐の懐に潜り込む、しかし七汐のメイスを振りかぶるスピードが思いの外早く、凪が懐に飛び込む前にメイスが折り返して凪の頭部に接近する。
金属の音。メイスが凪ではなく死角から飛んできた鋭い物体を弾く。メイスが防御に回され攻撃の手が止む。凪はその間に致命傷を与えようとしたが一歩届かず、ナイフは白い髪を数本切り取り空を鳴らした。七汐は優雅に後方へ着地する。
「やれやれ」
七汐は左側で結われた髪を背中へ払い、視線を動かし戦況を分析する。白い髪の少年はナイフ、黒い突起を投擲して来たのはフードに顔を隠された謎の人物。一人は戦闘経験があるようで、一人は的確に的を絞ってきている。正し、二人は連携が取れていない、先程の二連は少年の踏み込みの甘さをフードの人物が庇ったに過ぎない。たまたま連撃となり髪を掠めたナイフの奇跡を、二度も恐れることはない。そして最初に棒を振り上げ突撃して来た者は感情に流され単独行動を取る無能だ。今も赤い肉の隣で慄然としている。残りの数人は未だ仕掛けてくる様子はない。
例えば、一対多勢でも単に一人が大勢の人間に囲まれ暴力を奮われれば弱いが、連携もとれていない小規模な団体如きは各個撃破していけば怖れるに足らない。ただ問題なのは異能の有無だ。突如として繰り出される必殺の異能だけはピンチを齎す。
七汐は自分の口を開き、異能を唱えようとした。しかしそれは実際に行われる事はない。口から漏れるのは殺人者に対しての嘲り。
「貴方達も犬に生きたまま肉を食い千切られる地獄を経験しますか?」
***
寿は先程から忙しく言葉を蒔いていた。
一つの集団がたった一人に壊滅させられ、生存者を除く仲間の生死は不明。凍土の楽園に伝染する不安と悲しみを寿はひとりひとりに声を掛けることで落ち着かせていた。
澪は遠目にそれを見ていた。穏やかな寿の顔が柔らかな笑みを浮かべると相手は強張った表情を少し和らげる。頭が良いだけではなく、その気遣いや優しさが、寿が好かれている理由なのだろう。
信頼されている。寿は凍土の楽園に住まう数十人もの人間に愛されている。
ようやく楽園に落ち着きが戻ると、寿は澪を拾い部屋へ戻った。
「私は行かなければ」
寿は防寒具を羽織る。
「こんなに直ぐに、何処に行くの?」
澪が棒の天辺に引っ掛かっていた帽子を渡す。
「準備の為さ。華矜院を制圧する為の情報交換が必要だからね」
つまりは街へ行くと言うことなのだろう。街の中には華矜院の反乱分子が潜んでいる為、その者たちとの連絡と計画の共有を行うのだ。
「さっき街に行った人達が襲われたって……大丈夫なの?」
「平気さ、私一人くらいなら透明を使えるからね」
「透明になれるの?」
「似たようなものさ。隠密行動には私が一番適しているんだよ。それに私自らが赴く事に意味がある」
「裏切らないって確証はあるの? 毎回こんなことしてたの? 相手は華矜院の傘下に居るんだよ? 貴方を華矜院に売るかもしれない」
「ははっ、君は疑い深いな、それは良い事だ」
褒めたように見せ、はぐらかしているのは丸分かりだ。澪は気付いていたが何も言わなかった。
「シズに言う言葉は考えてあるかい? 君の説得が成功すればシズと共に私達は華矜院を挟み撃ちに出来る」
それもおかしな事だ。シズを仲間に引き入れるのは同意する、だが、じゃあそれからどうなる? 支配側の華矜院を打ち負かしたら自由になるのか? またシズが頂点に立つだけではないのか? 寿を嫌っているシズが寿と協力関係を結び和平に繋がるとも思えない。シズではない中核の者達を一掃するだけの反乱の、その先に安寧の未来は約束出来るのか?
貴方の理論は単純に考えればシズを味方に引き入れ、悪の部分を払拭し大団円、といったものだが。頭の良い貴方なら瓦解するに決まっている、と気が付かない筈がない。脆いものの上に建つ塔が崩れない筈がない。
シズが自由の使徒となった場合。シズを説得した澪という存在だけがその世界の平和を保っている。
もう一つ、華矜院の支配を解き放ち例えば貴方が自由の先導者となるなら、絶対にやらなければならない事がある。
――シズという余った駒を、どう片付けるのか。
「いってらっしゃい、気をつけてね」
澪は寿を見送った。
――さあ、果たして私は寿を王にするべきか、シズの妃になるべきか。
***
水涸は怪訝な顔をしていた。澪の手を振る後ろから、黒髪が去るのを見ていた。
「あの人は、亡霊だ」
「亡霊?」
麗が水涸の腕に寄り添う。
「あの人を信用してはいけない、麗も澪も、あの人に全てを許してはならない」
水涸の忠告、それに反応するのは澪。
「ボク、しずちゃんに会えって言われました」
「しずちゃん?」
「はい、華矜院シズは華矜院の当主で、あの城で最も尊い存在です。しずちゃんはボクを特別好きで居てくれたから、ボクはしずちゃんに会って説得しなきゃならないって、寿さんが」
「シズを? あのシズに、上手く行くのか?」
「あ、うん上手くは行くと思います、しずちゃんについては何も問題ないから……」
問題なのは水鶏や水鶏を信ずる沖之助にその他僕達、それからエイに音羽に七汐といった者達だ。なにより、敵は味方の中にあるかもしれない。
「蜂起の日は、近い」
水涸の零した言葉は重い。澪も麗も深刻な顔をするしかなかった。




