断罪者
「痛いですか? 痛いですよね。骨を砕かれた痛み、血を流す痛み、しかし愛する人を殺された者の痛みはこんなものじゃありませんよ?」
目の前の善良な人間は問う。こうして己も暴力を奮っているのだから、それは善良ではなく歪んだ正義感なのだろうが、今の負傷者達には少なくとも、彼のことが断罪者に見えた。
蹲る七人は骨や筋肉が破壊された痛みを反対の手のひらで庇い、苦い顔をする。その苦さは身体の苦痛ではない、人を殺した罪悪感と圧倒的な後ろめたさに対する糾弾が痛かったからだ。人を殺した事実の上に生きている、七人は何も言い返せなかった。
圧倒的な強さで七人もの人間を短時間で無力化した金色の瞳は、再び鈍色の塊を振り下ろした。
「殺人者が、のうのうと生き長らえ仲間ごっこですか? 人を殺しておいて自分は生きる為に必死ですか? あまりにも自分勝手で、あまりにも傲慢だ。貴方達はまだ動けるでしょう、足を狙わなかったのは逃がす為です、さあ逃げなさい、そしてもっとも苦しい、残酷な痛みを味わってください」
街に向かおうとした一つの隊は、ぼろぼろだった。鈍色の塊、メイスが肉を叩きつけ、骨を砕き、血が流れていない者は一人だけで、女も混ざっていたが、断罪者は容赦なく彼女をも攻撃した。炎の異能、投擲の異能、目潰しの異能があったにも関わらず、一対七のハンデをものともせず断罪者は隊を無力化した。
断罪者の前で七人は沈む。宣言通り足を傷つけられてはいないが、じんじんと焼き切れるような痛みに膝を付き上げられない。砕けた腕から、脇腹から血が流れ雪を赤く染める。一帯が血の匂いに包まれていた。
一人が苦痛を抱えた表情で金の瞳に立ち向かう。
殺人者に対する、遺族の憎しみを背負ったような双眸に冷たい微笑み。彼は断罪者の名前を知っていた。
――ナナセ。
それは殺人者を憎む殺人者、殺人者を殺す殺人者だ。
「逃げるがいい、更生した気になって生きている者を、私は許さない」
出会ってしまったのが不幸だった。いや、それ以前に人を殺した事が間違いだった。後悔したってどうにもならない。
ああ、ナナセは残酷だ。とても、残酷だ。
去りゆく背中を見ながら、人は己の罪を嘆いた。
***
「大変だ! 街に行った隊が襲われたッ!」
血相を変えて寿に報告しに来たのは中年男だった。
「冷静に。深呼吸してから言って」
「はーっ、はっ、で、出かけていったのは七人で、帰ってきたのは一人だけなんだ、他はナナセにやられた、でもまだ生きてるかもしれない!」
「……」
寿は考える。それだけではまだ助けには行けない。
「生還者に会おう」
話はそれからだ。
「ナナセが来た……ッ、俺達はやられて、血も出て……」
たった一人、隊を置き去りにして逃げてきた者の周りに人だかりが出来る。人だかりの中心の男の隣に寿は並んだ。
「七人で戦った、だけど歯も立たなくて……由奈と真もいるッ、あいつら、まだこれからだってのにっ」
「ナナセはそのまま去ったのだな?」
「ああ、追いかけて来る事はなかった……。奴は、奴は酷すぎる……っ」
殺人者の末路を嘲笑う幻影が見える。
「残酷な死を、か」
凪も人だかりの中に紛れていた。逡巡として中々仲間を助けに行かない寿に催促する。
「何故早く助けに行かない、血も出ているなら早く治療しないと助からないだろ?」
寿は三世に来たばかりの凪に対し言葉を選ぶようなフリを見せたが、やがて繕っても無意味と言った顔になり単刀直入に述べる。
「助けには行かない」
人だかりの中から諦めたような空気が立ち上った。誰もが六人の生存は初めからないものと解っていた、寿に宣言される事によって、一時の望みから離れ現実的になった。
「納得いかない。何故だ? 何故まだ生きているのに見捨てる」
「彼の腕を見てみろ」
寿に言われ凪は生還者の腕を見る。生還者が意図を汲み袖を巻くって腕を見せる。思わず眉を顰めたくなるような痣の痕があった、何か硬いもので叩かれたような痛々しい傷跡が斑点のように皮膚を飾っていた。
「これが、なんだってんだ……」
「ナナセはわざと彼だけ軽傷で済ませたんだ、彼だけ血を流さず、逃げ帰れるようにな」
「……なぜ」
「血の匂いを嗅ぎ付けた野犬に、今頃残り六人が食い殺されているのを伝える為だ」
「ッ!」
断罪者の正義の悪意が、人々を戦慄させた。
***
「死にたく、ないよぉ……」
「だから歩くんだ!」
真が泣き言を漏らす者の背中を押す。助かるためには進むしかない、例え後ろにどんな絶望があったとしても歩くしかないのだ。真の傷は誰よりも深かった、腕は変色し、両方共力なくぶら下がっている。額の一部が特に出血していて顔は真っ赤だった。けれども真は、意志を挫かず仲間の為に強く声を掛け続ける。
ナナセに残してもらった足は綺麗で、それを交互に出して前に進む。軽症だった一人は先に進ませた、助けを呼んできてくれればいいが、望みは薄かった。
残りは互いに支え合いながら、真は由奈に寄り添いながら撤退する。負傷した体は満足に動かす、ゆっくりとゆっくりと、スピードは落ちていく。
「由奈、大丈夫だから」
「うん、うん」
強く頷かねば心が砕けそうだった。風の音が野犬の咆哮に聞こえ体が跳ねる、同時に出た悲鳴で五人が立ち止まる。
「無理だもう! 助かりっこない!」
限界だった。血の臭いを辿られ、現れた野犬に生きたまま肉を引き千切られていく。痛い痛いと叫びながら何度も自分を咀嚼される場面を考えて、涙が流れる。足は自由でも他の傷跡が痛み膝を震わせる、歩く事と取り乱し叫ぶ事のどちらが簡単か等、誰も言われなくても解っていた。
「諦めたら駄目だ!」
そう真が言った瞬間、真の足の肉が引き千切られた。
倒れる真の眼前で、由奈も引き倒される。叫ぶ彼女の上に多くの野犬が集まり、群がる。足の肉に牙を立て、左右に顔を振って引き千切る、由奈の悲鳴が上がる。更に腕をもぎ取り、顔に食い付く。
「由奈……由奈……」
真は手を伸ばした。下半身を食われながら、由奈に向かい指を開いた。
真一人になっても、犬達は食事を続けた。
自分の体が食われていく感覚は、地獄だった。
***
「助けには行けない。彼が隊から離れてからかなり時間が経過しているし、もはや間に合わない助けを送り、二次災害を起こすわけにはいかない」
「……」
ナギは押し黙った。周りも寿の非常さを責めはしなかった。それは非常さではなく割り切る事だったからだ。
しかし黙らない者も居た。由奈と真の間柄を、常に見守ってきた者達だった。
「俺は行く! まだあいつらが生きている望みがあるなら命を賭けたっていい、行くぞ」
「野犬なんて異能で追っ払ってやる」
「行かせてください寿さん、俺達は自分の命には自分で責任を持ちます」
寿は思考する間もなく首を振った。頭として、情に流され三人もの命を失わせるわけにはいかない。どれだけ懇願されてもこの意志は揺らがない。
黙ってでも助けに行こうとする三人の行動を読み、寿は釘を刺す。だから、三人は内密にでも助けに向かう腹積もりを寿に悟られないよう場を繕う事に専念した。
それを曝露せずに、全く新しい提案で彼等の肩を持ったのは意外な人物だった。
「助けに行かせてくださいおれも行きますから」
槐だった。その無表情な作りから他人を思い遣る気持ちが現れるなど誰もが思ってもいなかった。他人に冷淡で干渉せず、いつも傍目に状況を分析していた少年の名乗りは誰しもに衝撃を与えた。
寿は槐をじっと見る。何かを理解するような頷き、そして目の合図。
「早く支度しなさい」
急に寿の態度が変わる。凪には不自然で仕方なかった。寿が意思を傾けた、あっさりと?
「他に助けに行く奴は!?」
何人かが助ける事に挙手した。凪もついていく事にした、他人の命の為ではない、ただ、赤い髪の彼の事が気になったのだ。それだけだった――。
***
肉を食い終えた犬達の前に白い着物がはためく。独特の形の袖から白い指先が伸び、食い荒らされた無残な遺体の上に跨がる犬達を呼び寄せる。中性的な美しい造りの顔には金の瞳、髪は白雪の如く染まらない白。一巡にある桐生家が好むような着物が、甘える犬達の来襲により血で汚れようとしていた。
「あまり寄るな、汚れてしまう」
犬達は突き放され寂しそうにクゥンと鳴く。慰めるように着物の人物は屈んで頭を撫でてやる。
「新鮮なものでも注意せねばなるまい、あの忌々しい男にされた事を私は許してはおらぬ」
長い睫毛の下の伏し目がちな瞳に憎悪が灯る。過去の失態と男の悪意に炎が揺らめく。
「晶氷さん久しぶりですね」
着物の人物は顔を上げた。白い髪に金の瞳の七汐が、同じく白い髪に金の瞳の自分を見下ろしていた。
「これはお前の仕業か?」
「いえ、ワンちゃんの仕業です」
「この傷はお前のメイスによるものじゃろ?」
長い袖を振り、冷たい指先が指すのは肉を千切っている時に犬の口から飛んでいったであろう人の腕。
「まあよい、傷付いた餌が六匹、運良く歩いていたという事にしておこう」
「それはどうも」
七汐は無惨に食された人間の滓を集めてくれるよう晶氷に頼む。晶氷からそれが犬に伝わり、食後に食器を片付ける子供のように犬達は残骸を咥え一箇所に積み上げる。
山の隣で微笑みを作る正義の執行者。
――この死人達が眠るに相応しい、真っ赤な墓だ。




