皚然として人は
神流はいつも通りいない、水涸や麗からは逃げ出した。そんな凪に行く宛てはなくなり、屋敷の中を徘徊した。
元は立派な屋敷だったのだろうと、窓から見える草臥れた外観を想像で復元してみた。装飾は細かく、形は左右対称で美しい。何処かの金持ちが有名な建築家に頼み、思い通りに理想を詰め込んだ自慢の屋敷だったに違いない。周りには豊かな緑があり、せせらぎを響き渡らせる小川が流れていた。
廃ビルも元々は綺麗だった、低層のビル、高層のビル、そこで働く人達。
疑問が起きる。かつてはこの世界にも人が溢れていた? それがいつしか灰色の世界に包まれた、天変地異かこの世の終わりか、未知の出来事により滅んだ。人類はいなくなり、建物は朽ちて崩れ去った。
今居る人間にここまでの建築物を建てられるとは到底思えない、確実に古い人間が生きていた証を見て、なんだか恐ろしくなった。
まるで――滅びた文明を、何千年後かに自分達が使っているような。
寒いにも関わらず凪は外に出た。一巡の冬季のように雪と風が舞う、直に冷気を感じると一気に肌が痛くなり腕を擦った。
周りに除雪作業をしている人々が目に入った。その人達は凪を見た瞬間軽蔑するような、悪意のある視線に変えた。華矜院の街で感じたものと同じ、華矜院を憎むアジトの中だからこそ余計に、明確にそれは現れた。
「大丈夫、この人は華矜院じゃない」
声がしたので凪が横を向くと、隣にはいつの間にか槐が居て、頼んでもいないのに扶けを入れていた。
「白い髪だからって、華矜院なわけじゃない」周りに伝える。「おれだってこんな目だから」と後半は彼等にではない人物に。
凪に見せるように開かれた槐の瞳は、金色だった。赤い髪は梳理、金色の瞳は華矜院。それぞれの特徴を一つの体に受け継いだ槐は、異端だ。梳理は華矜院と最悪に仲が悪い、槐がもし華矜院に見つかればその場で殺される。華矜院はそれ程に赤い髪と瞳を嫌う。
一巡ではさぞ憂き目を見てきたに違いない。
金の瞳と白い髪を持つ仲間。槐は二人が同じ異端だねと傷を舐め合うのを求めているわけではないだろうし、自分を例えにして、自分を信頼している仲間に凪の潔白を証明したに過ぎない。そこに友好的感情も何もない、槐も凪もただ面倒事は御免なだけだ。
槐に任せる、凪はずっと黙っていた。
数分後、どうしてか凪は除雪作業を手伝う事になった。それが一番信頼してもらえる方法だからか、第一歩として雪かきを握らされた。冷たい木の棒に鉄が固定されたシャベル、それで雪を掬い、凪は働いた。シャベルを持ち上げる度腰に疲労が集中する、一巡でも冬の時期こうして玄関先を綺麗にしていた事があるが、ここまで腰が痛くなる程積雪量はなかった、ので寒いという事も忘れ、凪は懸命に労働に勤しんだ。
槐はというと寿の元に戻っていた。寿の部屋には既に澪はいなくなり、二人きりだった。
窓の外で仲間が雪かきをしている、その様子をずっと槐は眺めていた。憂愁かまたは嘲りか、人を二人は殺した人間をずっとずっと槐は見詰めていた。寿は全く動いていない槐の視線に気付き、雪かきをしている者を見ているわけではなく、またいつもの思考だったかと、その思考を乱さぬ程度に設問を投げ入れてみた。
「殺人者は何も殺人鬼ではない、対象を殺害した時点で感情に終止符が打たれている、殺意がなくなったのなら普通の人間と何も変わりない」
「そうかな」
「誰かが憎い、誰かが邪魔だ、金目的の殺し、快楽殺人でもない限り相手を殺した時点で完結している」
「簡単に罪を流すんだな。人殺しは完全な悪だ、人を殺してはならぬと言われているのに、理性を押し切ってまで人を殺す、それは既に他の人間とは何かが違う事だと思わないか?」
「違わないな、殺したい、と殺してしまった、の明確な違いとはなんだ」
「他人の判断だよ、"やろうとした"と"やった"とでは確実に違う、好きな女の子が居るというのは誰にでも許される、だが好きな女の子を強姦したというのは許されない、夢はいくらでも見ればいい、だが実行に移れば責任が伴い、犯罪であれば罪になる。人はそいつを憎悪し、悪と判断する。人の目こそ法だ、それがつまり神髄」
「ならば私達は罪人を許す、私達は仲間を許しの目で見ているから彼等はもう殺人者ではない。君が言いたいのはそういう事か? 法がなければ殺人容認を食事でもしながら紙面に思う、君はそういうタイプだろう」
「寿さんはさ」
槐は光の入らない目をして、寿の方に顔を向けた。
「なんで二人も殺した? ――一人でよかったじゃないか」
殺したい相手を殺してしまえばそれで完結していると、言うならば何故人は二夜に留まらなかった。
「……愚かな事だ」
「はぐらかしたね」
「人には殺人の遺伝子が流れているのさ」
「その提唱は僅かながらに認めるに値するけれど、だからといって人殺しの免罪符にしてはならない、彼等も僕等も人殺し、それは一生変わらない」
「君と話していると心がすり減るね、私達は許されざる生き物なんだと、生きていてはいけない気にさせる」
「生きてちゃいけないからだよ、人を殺して自分は生きる、華矜院と何も大差ない」
私の負けだ負けだと寿は両手を上げた。深層にある罪悪感に直接語りかけてくる槐の言葉は生真面目であり、反吐でもあった。
この子は弁明や開き直りを許さないだろうなと、悪を働いた者を永遠に糾弾し続けるだろうなと感じた。そしてそれは何より自らを殺したい程許していない事が転じた結果。
槐は誰よりも自分が嫌いだ。
「ところで、どうだった?」
話を切り替える術に出た寿。話の重さにもうんざりしていたので、思惑通りに槐が話を逸らしてくれたのは有り難かった。
「うん、」
「どうした?」
「なんだかもう、怖くなくなったかな。この目の事も、貴方の事も、自分の事も」
あれだけ生に非積極的な槐が安らかな表情をした事で、寿は良からぬものを感じた。
「何を見た」
「色のおかしいもの」
槐はいつも無表情だったのに、見た事もないような笑いを見せた。
かつて誰かが黒か白かと示したように、 だけ、色が可笑しかった。
「この異能が見たんだ」
瞳を押さえる。
「何かが、動き出すんだよ」
「動き出してはならない」
「じゃあ止めてみせてよ、出来るものならね」
それは時計の周りを逆さにしてみろ、という事に等しかった。
「あー疲れた!」
凪はようやく一段落ついたと背伸びをした。腰を伸ばした瞬間ボキッと鳴ったのを冗談冗談と苦笑いして、若者らしからぬ姿勢で歩いた。
「おつかれさん!」
「いやいや」
「明日もよろしくお願いします」
「え? いやいや」
「いやよいやよは好きの意味だろ、じゃあ明日もよろしく!」
と凪の周りに人が集まる。一人の男は凪の肩に腕を乗せた、腕を首に絡め、ぐりぐりと頭を詰る。一緒に雪かきをした仲間が凪の働きを認めていた。
「此処ではお前も仲間だ、白い髪だからって気にするな。楽しくやっていこうぜ」
「掌返しすぎだろ」
「うるせぇ過去には拘んな」
「じゃあ俺がアンタを草臥れたおっさんだなって思った事も過去に流すか」
「それぁ聞き捨てなんねぇ」
「男が細かいこと気にすんなよ」
一同に笑いが起こった。中心人物である凪も僅かながらに頬を緩ませる、この際だから男が肩に力を乗せるので腰に響くというのは黙っておいてやろうと凪は思った。
「あらあら」
次に凪が出会ったのは由奈と真だった。由奈は火の異能の彼女だ、そして隣の青年、真は由奈の――。
一気に複雑な気持ちになる。祝福すべき男女の絆が、この世界では違う意味になる。殺人者と殺人者の子、果たしてその子は出生に何を思うだろう。
この鬱屈とした気持ちを口に出せないまま、凪のそうした沈黙を悟り空気を変えようとしたのは由奈だった。
「私達はこれから街に行ってきます」
「街? まさかあの?」
「はい、華矜院の街には私達と同じ思いの人が蜂起を待っています。密かに集めた物資を分け与える為に待っています」
「危ないだろ」
「生きていくには誰かが動かなければならないんですよ」
「あんた、火の異能なんだから、貴重な存在なんだからいいのかよ」
「私が行かなければならないんです、私もあちらの人達の為に火を使う、みなさん喜んでくださいますからその為に私は行きます」
「それだけの為に行くってか、それは――」
誰かの為に、笑顔のために動く。そんな存在を――凪は
(頭が痛い)
過去になにかあったのか?
いや考えるな、過去には拘るなと笑い飛ばしていたではないか。凪はそうして瞼を閉じて、次に開いて思考を飛ばした。
「何人かで行ってくるから大丈夫さ」
「帰ってきたらまた温かいお湯を用意しますね」
「ああ……」
凪は由奈と真の後ろ姿を見送った。
それから数十分後、――由奈と真は亡くなった。




