言葉できっと動き出す
寿は壁から手を退けた。
「知っているか? 世を造ってきたのは四家ではない、王家と、権能だけだ」
そうやって四家である、桐生である寿は華矜院澪に突きつけた。
「じゃあ、だったらボクが何をするって言うんですか? ボクは華矜院のなりそこない、権能でも王家の方達でもない」
「知っているさ、王家でも権能でもない、さっきの話も私が話したかったから話しただけだ」
「じゃあ……」
「君にシズと話をしてもらいたいんだ」
「しずちゃんと?」
思いもよらぬ人物の名前が出た事に、澪はきょとんとした。
「君はシズのお気に入りだ、だから君が願えばシズは何でもする、文字通り、何でも」
肝心な"何でも"の内容が抜けていたのだが、澪であっても寿の言わんとする事は直ぐに飲み込めた。
「それはありえないですよ」
頭を説得して戦わずして勝利しようと言うのだろう。それは有り得ない、そんな簡単で、当然の事を、こんな頭の良さそうな人に話すことになろうとは考えもしなかった。
「しずちゃんは確かにボクが好きだったかもしれない、でもそれは一時も離したくないっていう、そうだ、まるで可愛いぬいぐるみみたいに傍に置いておきたかっただけなんだよ。だからボクの言う事なんて聞かない、ボクが何を言ったって」
「違うな、あの子は確かに君を愛しているわけではない、だが、君の言う事なら何でも訊く、確実にだ」
「なんで分かるんですか……、華矜院シズの噂を貴方も知っているでしょ? 綺麗な華には冷えた心、白い肌には冷たい目。華矜院シズとまともに話し合いが成立するとは思えない」
事実を述べて、真実を隠した。澪の見識に対し寿は
「華矜院シズが何故人を殺すか分かるか? それはシズが人として完成していないからだ、人として育っていく過程を、途中でぶつ切りにされたからだ。あの子と会話が成立しないのは知っている、何を言っているか常人には分からない。ふとした拍子に同族だって殺すよ、世界だって滅ぼす。あの子は冷たいように見えて冷たささえない。あの子には意思がないのさ、昨日の事はずっと見えているのに、明日の事は何も分からない。だから薄弱な君の意思すらあの子に届く。あの子が受け入れる姿勢を、そう、君の話なら聞いてくれるから、きっと届く」
果たして、話の内容に確実性があるのだろうか。
それより、知りすぎだ。それが澪が寿に対して一番抱いた疑問だった。
「あなたは、しずちゃんのなんなんですか」
「私はシズの敵だよ、世界で一番最悪のね」
その最悪である寿は、澪に幾度かシズと相見えた思い出を語る。それを話す時の寿の目は、最悪の敵というより、まるで最高の慈しみを持っているように思えた。
華矜院に敵対する組織の頭として、寿は華矜院の頭であるシズに対面する事は少なくなかった。初めて出会った時は死にかけた、有無を言わさず首を切られ、皮一枚くれてやりながら、狂気の目に背中を向け直ぐに逃げた。
その都度会うたび会話すら許されず殺されかけた。あれだけの殺意を、シズは生涯誰にも向ける事はないだろう、人を殺しても消えないシズであろうと寿を殺せば消えるのではないかというように、明確に殺そうという意思が伺えた。
その時の殺意は寿だけのものだ、それは一種の最高の愛だ。
「しずちゃんの最悪の敵に、ボクが力を貸すんですか? それこそしずちゃんに嫌われて……殺されちゃうだけだよ」
「黙っていればいい、私の入れ知恵ではなく、君が自由を手に入れる為の勇気だと思わせて」
「言った瞬間殺されたら? 貴方の知恵も……しずちゃんには通じなかったら」
「怖いのかい?」
「あなたがそうしようとしてるのに、なんでそんな事聞くんですか……」
「華矜院シズの不安定さを一番間近で見てきたのは君なんじゃないかな。だから解るだろう、見えているんだろう、だから怖いんだろう」
華矜院シズは、恐らく澪の言う事を訊く。
人を殺すのを憎悪でも快楽でもなく行う、判断基準が存在していないシズは真の意味で白い。外部からの問い掛けに、色を変える。
「言葉は君に任せる」
それだけ言った寿に、澪は意地の悪さと恐怖を感じた。
なんとでも言えという事だ、華矜院を皆殺しにしてとも、世界を滅ぼしてとでも――。
***
麗と水涸、また一緒に三人で暮らせると凪は嬉しくなった。
「目ぇ閉じてんの大変だろ、綺麗な布探さないとな」
「うん」
「作物が育たないと言っていたから、俺はそれに対して何か案を出してみるつもりだ」
「ミズチーは植物育てのスキルがあるもんな」
「ナギはどうするの? またぐーたらしてたらダメだよ?」
「してねぇよ、二夜だって水くみには行ってたしさー」
確かに水くみには行っていたが、その他労働や人付き合いはしていないように見えた。水涸も麗も揃って笑った。
「ナギを叱ってくれる人がいたらいいね、そしたら――」
そこで麗が急に言葉を失う。
「どしたウルワ?」
麗も、そして水涸までもが黙り込んでいた、理由が凪にだけ分からず、仲間はずれな気分になる。
「ナギ……私は聞いてもいいの? 私……あの人に何も言えなかった……、私……」
麗の声に涙が含まれていた。どうしたのか全く分からない凪、怪我をしていない方の肩を抱いてやる事しか出来ない。
「ナギ……」
麗はボロボロと涙を零す、凪の服が濡れていく。
「ミズガレ……なんでウルワは……」
「君は、そうやって自己防衛をしているのかもしれないね」
「何を」
「君は一巡から来た時も、矛盾のある話をしてくれたから。きっとそうやって出来ているんだろう」
それはある意味幸せで、ある意味辛いことだと水涸は言った。水涸は凪と麗の頭を撫でた。
忘れているのかもしれない。何かを、きっと。
神流が零していたのもそれだった。何か、忘れている。それを自己防衛と言うならば、その通り忘れていたままの方が幸せだ、そして、悲しくもある。凪が忘れた何かを麗は背負い、泣いている。ああ、きっとユキノの事だろう、凪はユキノの存在は覚えていた、ユキノが居ないのに水涸は居る、ユキノを捨てるはずのない水涸が三世に舞い降りたのは二つの予測の内、ユキノが死んだ、ユキノを殺した。
優しかった隣人に瞑目し思いを凝らした。
三人でいられる時間が短い事も、ふと思い出した。
二夜が滅んでしまった今、水涸と麗の死の約束は曖昧になったのだ。いつ死ぬのか、決められた死の期限がないならそれは今すぐ実行されてもおかしくない。
出会えて早々別れ、そうなるくらいなら出会わなければよかった。いっそ二人が離れ離れになれば、二人は死ねずに彷徨い生き続ける。ゾンビのような虚無の二人を凪なら支えられる、そうやって自分の存在を間に利用し三人生きていけばいい。
「馬鹿らしいな」
凪は空笑いした。ゾンビになった二人を間近に、一番保たないのは自分だ。
いつ死ぬの? 等と聞けるわけもなく、凪は麗を水涸に託し二人から遠ざかった。
心には虚無がぶら下がっていた。
***
七汐はぶらぶらと街を歩いていた。手には金属のメイス、睨みつけられたら笑顔を返し、頭を下げられれば手を振った。七汐は華矜院らしくなく驕り高ぶる様子もなくのんびりと道を進んだ。天使はどこだろう、白い空に問いかけてみたりして、足を滑らせない程度に軽快に歩いた。
ある市民が七汐の横顔に声を掛けた。七汐が右に顔を向けると、日用品を取り扱う店の前に腰を低くしながら、頭を膝に擦りつけるような姿勢の中年男性が目に入った。
「頭を上げてください」
優しく発する声に、中年男性はそっと頭を上げた。七汐はまだ華矜院の中でも温厚で下々の苦しみを理解してくれる方だ。稀な優しい華矜院を見て中年男性は少し安心した。だから、そんな七汐が通りかかったので中年男性は決心して声を掛けたのだ。
次の日用品と食料の献上を少し待ってほしいと、彼は心から願い頭を下げた。怖い怖いと薄くなった頭が語っていた。華矜院に約束のものを期限通りに届けられない、そこにどんな罰が待っているか、薄くなった頭の中で怯えているのだ。
七汐は彼の肩を押した、びくっと震えた肩をもっと押し、上げて、そして中年男性と視線を合わせた。
「それは私には専門外なんですよ、でも、待ってくださいと頼んでおきますね」
「あ、あ、ありがとうございます!」
中年男性はやはり七汐は優しいのだとその手を取って握りしめた。苦笑いしながら「そんな大袈裟な」と七汐は手を引き剥がした。
歩き出す。こうやって、華矜院は街の者に食料や水、生活用品を寄越すよう言いつけている。
(どうなるか分かってるんでしょうね)
メイスを持つ手を背中に、軽快に天使を目指す。
今は怯えるだけの人も、何れ貴方達に牙を向く。
自業自得の華矜院、悪の巣窟華矜院。