このよのしくみ
凪は我が目を疑った。ミズガレがウルワを抱いて歩いていた。嘘だ、二夜で離れ離れになったはずの家族が再び集まるなんて、何かの冗談だ。そう思いながらも駆け出していた、髪を振り乱し、二夜に置き去りにしてきた兄とも言える存在に近付いて見上げた、声の掛け方が分からなかった、どんな顔をして話せばいいか戸惑った。ミズガレはそんな凪に笑って見せる、二夜で手を差し伸べた時のあの笑顔だ。
凪はそれだけで安心する事が出来た、戸惑いの表情を緩ませ、彼に抱かれたウルワに視線を落とした。懐かしい、愛しい少女が見上げていた。瞬間、凪はぐちゃぐちゃにない混ぜられた感情でかき乱された。
「会いたかった――ッ」
瞳を閉じたウルワはいつも通り手を伸ばす、しかし肘が激痛に見舞われ空に垂れる。凪ははっとしてその手を掬い上げた。「怪我をしているから」とミズガレに注意され手渡されたウルワを、凪は抱き上げられず床に降ろし、自らも座り込み目一杯抱きしめた。抱きしめて数分の間凪は何も発しなかった、ただ無心でウルワの肩口に顔を埋めていた。
「ごめんな――ッ!」
ようやく発せたのは心からの懺悔だった。
ずっとずっと心が苦しかった。
三世に来ても真っ先にウルワを探した、神流に聞けばウルワは華矜院の城に居るというので、寿の説得を振り切り、寿が仕方無しにと付き添いに槐を同行させて、二人で無謀にも街に押し入った。槐は城の中までは入れないからと遠くで見守り、凪は単身、恐らく友好的にはならないだろう集団の中に飛び込んだ。
結局ウルワを見つける事は出来なかった、しかし自分がヒーローになれなくても、ウルワに出会えたそれだけでいい、凪はもう一度強くウルワの手を握った。
「もうどこにも行くなッ」
その顔は悲痛であった。
屋上の端から見えなくなった彼女を思い、どれだけ身を切る思いをしたか。どうして飛び降りるようなマネをしたのかと、凪は思わず聞いていた。
「怖かったの、人を殺してしまった事が……」
「だからって、俺の前であんな事……しないでくれっ」
「ごめんなさい、でも、私はこうして生きてしまった。地面に落ちるより早く罪が私を二夜から消したの」
「あれは罪じゃない、悪いのはオウサマや俺だ、だからウルワは何もしちゃいないんだ」
「いいよナギ、私はしたくてそうしたんだから。鋏を振り上げてる時私は何も考えていなかった、ただナギに死んでほしくなくて、オウサマを殺せばいいんだって思ってた。オウサマが動かなくなった時、初めて人を殺したんだって実感した、そしたら怖くなって……私も死ななきゃって……」
「ウルワ……お前は人を殺した事がなかったのか――?」
凪が意図せず口をついた言葉に、ミズガレ以外の誰もが固まった。
まさか、ウルワは――
「わたしは人を殺したよ」
だがウルワ自身によりそれは否定された。
「ただあんな風に酷いやり方をしたわけじゃなかったから……」
「そうか、ごめん」
「うん」
「腕、誰にやられたんだ?」
「気にしないで、やり返さなくてもいいから」
「よくわかってるな」
「一ヶ月くらい、一緒に居たからね」
二人は昔を懐かしんで笑った。
ウルワは誰の手も借りず膝に力を入れ立ち上がった。
「再会の時間はこれくらいでいいかな?」
ウルワの起立を切っ掛けに、寿はこんな場所ではなんだからと会議室へ四人を案内した。
***
「まずは簡単に説明させてもらうよ」寿が組んだ腕に顎を乗せ長話の準備をする。「この世界の名前は三世、二夜で人を殺したものが更に落ちる世界だ。二夜に雨が振らなかったのとは逆に、三世では永遠に雪が止まない。融雪期が訪れない故に作物は殆ど育たない、腹が減ったら雪を食べてくれてもいいが、満たされるものがあるかは分からないな。そして街の外には絶えず空腹を抱えた野犬が彷徨している、なによりこの世界に居る者は少なくとも二人は人を殺している、更生しただの信じてくれだのとは言わないが、ただ利害が一致する限りこの場所では協力して、極力問題は起こさないでほしい」
そうやって人を二人は殺した男が、更に話を続ける。
「この場所はご覧の通り廃ビルや廃墟の連なりを利用した一種の街だ、向こうのように整備されてはいないが、寒さと風を凌げるだけましだろう」
遡及するならば、それはかつての夜の国と同じだった。奪う国と奪われる国。二つの場所。
「ここに集まる者はみな華矜院に恨みを持っている、邪魔者扱いされ、捨てられ、攻撃され、特に年老いた者や、最近では容量オーバーだからと意にそぐわない者は見つけ次第ゴミ箱行き。私達はいつか華矜院に仕返しをしようとしている、彼等だけが贅沢に暮らし、主導権を握り、高みに居座るというのなら」
「馬鹿らしいな」
声のした方にゆっくりと寿の目が動いた。真剣な寿を馬鹿にするように、皮肉屋の少年は頬杖を付いていた。
「どっちも馬鹿らしい」
「どうしてだい?」
「生きていくのに、争うからだよ。矮小だよ、支配だの仕返しだの、そんな事より協力した方がいいに決まってんのに」
「最初から受け入れようとせず、強制的に排斥しようとする者と誰も協力は出来ない。和睦の為に手を伸ばそうとするのは全部"今更"なんだよ。決定的に亀裂の入った華矜院と私達とでは、最早争うしかない」
「争ってどっちかがいなくなれば丸く収まるってか」
「そうだね、華矜院の街の方にも私達と同じ思想を掲げる者は多数居る。腹の内にまで敵を抱え込んだ華矜院は自業自得なんだよ」
「自業自得の華矜院にこっちが負けた場合?」
「不変さ。何も変わりやしない」
凪は改めて嘲笑した。
「どちらもくだらない話だな、死ぬまでくらい平穏に生きりゃいいのに」
「死んでいく最後の一日までも生きていたいのさ、人ってものは」
寿はそう締めくくった。
そして話は巻き戻された。
「君達の名前を改めて教えてほしい、そして異能もあれば。火の異能なら特に隠さず出してほしい、この世界で火は貴重だ」
寿はまず水涸に視線で合図した。大人であり寿の知り合いである水涸はそれを汲み取り自己紹介した。
「俺はミズガレ、異能はまだ解らないままだ」
簡潔に聞かせると水涸は凪にバトンを回した。
「俺はナギ、異能は風だ。ただし、扇子で仰げば風が吹く、それと一緒の程度だ、以上」
凪の次は麗に回る。
「私はウルワ、異能は解りません」
最後に澪。
「ボクは、ミオ、異能はボクも解りません」
全員が名前と異能を出し切った後、寿は残念そうに瞼を落とした。
「火はなし、か」
「風で悪かったな、余計に吹雪くだけだもんな」
「そんな露骨に皮肉らないでおくれ」
「あんたらの異能って何?」
凪はいつでも怖いもの知らずだ、また、遠慮も知らない。
「私の異能は"透明"だよ」
すんなりと寿は異能を開示する。まるでここに見えない壁があるとでも言うように手が上下に擦られる。
「お店とかで、歩いていてガラスにぶつかりそうになった事はあるかい? 或いは衝突してしまったとか。透明ってそういう事さ」
つまり、透明とは透明な壁を作り出す異能と捉えてよいのだろうか。いや、それだけではない筈だ、凪がぞわりとしたのは、頭の良さそうな寿なら、その透明を壁を作るだけで終わらせる筈がないという畏怖だった。
凪の視線は次に、寿を超えて槐に向かった。
「おれの異能は知らないほうがいい、怖いから」
「怖いって?」
「きっと凄く怖い事だよ、知らないほうがいい」
そうやって隠し事かよ――と出かけた言葉を凪は飲み込んだ。駄目なのだ、この少年を見ていると腹部がどっと重くなる。水涸や麗もそうなのだろうか? 二人も何故だかぎこちなく槐に接している雰囲気だった。
「失礼します」
会議室に新しい人間が足を踏み入れた。凪が見たその女性は茶色の髪を肩で切り揃え、同じ茶色の穏やかな瞳を柔らかな笑みに乗せていた。彼女の落ち着きを崩さないよう選ばれた枯れ草色のセーター、下は土色のロングスカート。彼女はお盆に湯呑みのようなものをいくつか乗せていて、それを会議室をくるっと回って各々の前に配った。
「彼女は噂の火の異能だよ」
寿は湯気の立つ温かい湯呑みを握って、冷えた手のひらに心地よい熱を送った。
「私が沸かしました」
ふふっと、少し恥ずかしそうに笑う彼女は、とても人を殺したようには見えなかった。
***
澪は誰もいない廊下を一人歩いていた。相変わらず雪が降っていて寒い、一面灰色の世界はそれだけで廃墟の中まで無彩色に見せる。華矜院の城もそうだった、周りはみんな白、相変わらず自分の髪は黒い、寿のように、四家のうちの一家である桐生のように黒かった。
華矜院シズという人間は唯一澪を大切にしてくれた、一緒に本を読んで、一緒に食事をして、一緒に寝て。居場所になってくれたただ一人のシズ、そんなシズをしずちゃんは元気だろうか、元気だからまた誰かを殺しているんだろうか、と澪は考えながら歩いていた。
ある部屋の前で澪は止まった。先程寿が会議室からみなを解散させると、わざわざ人目を避けて耳打ちをしてきた。一人きりで来いと言われた意味を勘繰り不安になりながらも、澪はノックをして部屋へ入った。
初見である寿の部屋はこれといって何もなかった、個人の趣味を感じられる空間というより寝泊まりする為だけの個室に思えた。
澪は自分だけが呼び出された事に対し身構え、いつものおどおどした足取りで窓の外を眺めている寿の背中に近寄った。寿は澪との距離を背中からでも見えているように、丁度よい距離感の時に口火を切った。
「これだけ世界があると、実は一巡も初めの世界ではなかったのかも。殺人者の末裔、だから殺人は必然的な遺伝だった」
その人は落ち着き払った哲学者のように言った。
「考えなかったかい? 誰か一巡こそオリジナルの世界だと言ったのかな?」
神に挑戦するように。彼は世界を解析していた。
「違うよ」
澪は精一杯頭を働かせた。
違う、言ったとか言われたとかじゃない、当たり前であるから考えようともしなかったのだ。だって生まれた世界がオリジナルの世界じゃないなんてどうして発想するのだ。一巡は常識だったじゃないか、誰が一を初めではないと言えるのだ。
「二が初めかもしれない、マイナスが最初かもしれない、十から逆さに向かうのかもしれない」
寿の手により窓にカーテンが降ろされる、光を遮り暗く影を落とした部屋で澪は無意識的に足を引いた。寿がにじり寄る、それは哲学者の顔をした殺人鬼のように澪を脅かす。澪の背中はやがて壁に当たる、逃げられないと悟った時、寿の手が壁に付き澪の逃げ場を奪った。澪の小さな体に暗い影が覆いかぶさった。
「君は世界を広げた方がいい、常識は人が作っているものにすぎない。君にしか出来ない事があるんだ――」
人類を滅ぼす鍵と、世界を救う鍵を同時に手にした気分だった。




