雪の街
「ところで」
七汐は話題を切り替える。
「侵入者というのはどんな人物だったのですか?」
たったそれだけで音羽は理解する。なんだかんだで付き合いは長いな、なんて実感した。
「潰すのか。ま、俺が聞いたのは少年だったとか天使が居たとかそんな話だけだし」
「少年と天使ですか、二人組だったわけですね」
「いや、天使ってなんだよって思わねえ? 想像上の白いやつがホントに居るわけが」
「天使は存在しますよ、だって私は天使を探していますから」
「……そうだったな」
七汐は当たり前にそれは存在するというように流暢に語った。天使は居る等とそこらで言ってみろ、笑われて終わりだ。そんな夢を七汐はずっと信じている、偶像を現実として取り出している。
音羽からしたら綺麗で愚かな思考回路を持ち七汐は更に続ける。
「私は天使に会ってみたいです」
「会えたらな……」
音羽は可愛い、であるとか白衣の女性をそう呼ぶのだとか、比喩表現としての天使は信じていいが、七汐の探している天使は少なくとも確実に居ないと信じられた。
最も……七汐が本当に、白い使いを天使と呼んでいるかくらいは区別出来たが。それでも、それはいないと断言出来た。
「この世にお前の求める天使は絶対にいねーよ、条件が合わない、居るはずがない」
「居ますよ」
「奇跡的だ、ありえない」
「私は信じています、私の探す天使が必ずどこかに存在するって。私はその子に会ったら」
瞑目する。想いを馳せる瞳は瞼の下で天使を想う。
余りにも確率が低い、夢と切り捨てるような虚説。
そのような存在に
「私はその天使に会えたなら、次には死んでも構わないんです」
命を取られてもいいというなら、それは愚かだ。
「何を言ってるんだ」
「私は貴方達みたいな人殺しが大嫌いです、だから犯罪行為を行った者は全て死ねばいいと思っています。だからこの世界で私は天使を探しています、"人を ない人間を探している"」
「不可能だ……そんな人間」
「不可能ではない」
「何故言い切れる」
「信じているからですよ――」
言葉の始まりから果てにまで、愛を孕んでいた。犯罪を嫌う自分に疲れて手に入れた、これが愛だ。
「私は一巡では"穴"の中の罪人を皆殺しにしました、毒ガスで」
「……」
昔話を始める。
一巡には穴が、真っ暗な穴があった。誰も知らない、誰も近づかない場所に巨大な穴が掘られていて、地下に空洞の蛇が潜ったように、穴が奥底にまで続いていた。
そこには罪人が閉じ込められていた、裁けない悪の者達を世界から消し去るためにそうされていた。冷たい土の壁、一寸先も見えない闇。罪人は処刑される代わりに永遠の牢獄に閉じ込められた。
穴は厳重に封鎖されている、登る事も出来ず、掘って這い出る事も出来ない。
そこに、七汐は毒ガスを流し込んだ――。想像に容易いように、罪人は毒ガスに苦しみ、逃げる事も楽になる事も出来ず凄惨な死を遂げた。大量の人間の叫びを、七汐は上から聞いていた。その恐怖と苦しみが、七汐を愉悦にし、二夜へと落とした。
音羽はいつも、その話の酷さに顔を歪める。
「私は我慢ならなかった、罪を犯したものが穴の中で一日でも生きている事が。だからよかったのです、誰も殺せないなら私がやります」
華矜院はその穴を参考に白い部屋を作り出した、白く酷い部屋は一巡の闇の模倣なのだ。裁けない罪人をかき集め、太陽の光も届かぬ地下に突き落とす、後は中で勝手に死ぬだけ、餌を上からバラ撒き、むさぼるようにそれを食らう音を聞きながら、いずれ闇の奥底で血の制裁が始まるだろうと。
穴というサイクルを、一巡の一般の人間は認知していない。非人道的と非難されるような穴を貴族は管理し、殺せないからという理由で閉じ込める。これは牢獄か? いや、自然淘汰だ。
「二夜では一度善悪、要不要の整理を付けたいと王に指名されたので、要不要はさておき、悪と判断した方々に私は正義を執行して差し上げました。どういうわけか、全員が悪だったので皆殺しになりました、何故でしょう……」
目を閉じ、首を降って七汐は笑っていた。
何も面白い事などない。二夜に居る者はみな人殺し、解っていれば全てが悪だと初めから判断が付く。七汐と王は余興として判断基準を示しただけだ、どちらも初めから全員殺して構わなかった、狂っている。
「よく勘違いなされますが、私は白い悪魔ではございません」
「知ってるよ……てめーは悪が憎いだけで多くを救うために少数を犠牲にするとか、そんなんは専門外だ」
「ですね、音羽さんは私の本質を理解していて下さるから大好きです。いつか殺しますけどね」
「ああそうかい」
犯罪者が大嫌いな七汐。それは華矜院の性と言っていい。白く潔癖な血族は不正や悪事を極端に嫌う、そのような性質は今現在薄れつつあるのだが、七汐という最も華矜院らしい華矜院は歪んだ形で生まれ出た。己の志の正しさを、誰にも否定させない。
「では私は明日から少年と天使を探しに行ってきます。少年は五体満足で死ねなくなっちゃってもいいですね、天使様は……――あ!」
突然思い出したように声を出した。
「というわけで明日の私は風呂を沸かせません〜、音羽さんかハトさん、よろしくお願いします。ついでにいちゃいちゃしていてくださって構いませんよ、私が居ない間に殺すだの復讐だののお話を存分にしていてください」
「……」
「では、そういう事で!」
そう言った七汐は髪に挿していた簪を抜き取った。机に簪が置かれる、結ってあった白い髪が肩に流れ落ちる。
「おやすみなさい」
「ああ」
七汐が居なくなってもそこには色が残っていた、それは音羽や羽鳥にはない、白い色だった。
***
少年は雪の街の中を歩く。歩く度人の目が白い髪に注がれ居心地が悪くなる。白い髪がそんなに珍しいのか、いや、そうではない、華矜院なんて三世にはいくらでもいる。この痛い視線の意味は――と、視線の真意が分かってしまうと、少年は今にも無数の手に髪を掴まれそうな気がして、髪を三つ編みにまとめ早々に街を抜けた。
街を抜けると背後には今超えてきた瓦礫の壁があった。この壁を境に世界が切り取られている。それが人と世の境界に思えた、だから少年の行く先は未踏の世の果てにも思えた。
この灰色の世界の向こうに、人は存在してもいいのだろうか。
灯を消す白い風を開き、澄み切った空を失わせる冷たい雪を潜った。進む度、それは少年を人ではなくす儀式にも思えた。
「カンナ……」
「はい」
少年は天使を呼ぶ、銀の髪が白い空間から現れ、青い瞳が瞼の下から浮かび上がる。
「俺、なんでここにいるんだろうな」
自嘲気味に少年は問いた。失ってしまった記憶が思い出せなくて、心が穴だらけになったみたいに、二夜を出てから寂寥感が酷い。
「また忘れちゃったんだよ……」
「また忘れた……? のか」
「そう、君は忘れたんだ。忘れた事を忘れる、ずっとそうだよ。思い出せる? 君の名前は?」
「俺は凪」
「君は"ナギ"なんだね?」
「そうだ、俺は凪。麗を探している……」
「そう、ならそれでいいじゃない、凪を事実にしたいなら、それでいいじゃない」
「そうだな、それが真実でいい」
凪は忘れてしまったどこかの記憶に今描いた自分を埋め込んだ。
滅んだ二夜の先、麗を探し、凪は落ちたという物語を。
「あ、いた」
丁度そこへ凪でもカンナでもない声がした。白いシャツに黒いベスト、赤い髪を高くに結っている人物だ。凪は胸が締め付けられるような気持ちになった、この人物を見ると肩を揺さぶられながら「思い出せ」と言われている気がするのだ。何も分からないのに思い出せるわけがない。不快感がした、この不快感を、凪は振り払いたい。
「槐……」
そう呼ばれた人物は風に吹かれたストールを巻き直した。白に青いチェック柄のストールが黒と赤に似合っていないと凪は思う。
エンジュという、凪と同い年の少年は自分の名前が好きではないのかカイと呼ばせた。槐と出会ってから、凪は鈍い不快感に苛まれた、凪にはこの不快感の理由がわからない、この人物を嫌いなのだろうとこじつけて忘れる事で装った。
槐は隣を見上げ、凪と自分より少し背の高い、銀髪の、この世の人とは思えぬ人物に目線をやる。
「あぁ、神流だよ」
目線の言わんとする事を読み取り凪は神流を紹介する。珍しく他人の前でも姿を消さないのだなと不思議に思った。神秘的で、まるで二夜のようなその人に、エンジュは自分をカイと紹介した。現実味のない容姿の人間だからか、槐は中々視線を外さなかった。
ようやく槐が「行こうか」と凪に目線を移動させると、凪と神流と槐は世界の果てへと歩き出した。
私は、世界が終わるのを知っている。
三人のうちの誰かが、そう空に投げかけた気がした。
***
皮肉な事だった。
華矜院である澪が華矜院になれず、華矜院ではない麗が華矜院になれる。
街には高圧的な華矜院を嫌う人間はいくらでも存在した。今店先に二人を置いていてくれる年配の女性は庇護の面を見せているが、街を行く人々の中には、確実に少女を睨んで過ぎるものも居る。二種類の思想が三世を交錯していた、華矜院のやり方を合理的統治と認めるものと、それが圧制だと嫌うもの。一つは白を許すし、一つは白を許さない。
澪は自分が睨まれない事に安心していた、黒い髪でよかったと安堵してしまうのだ。あれだけ嫌っていた髪に安静を得るなんて、自己嫌悪がして、麗の手を引っ張り白い髪にフードを被せた。
「行こう……」
迷子の子供のように二人は除雪された道を歩いた。街外れに向かっていけばとりあえず麗を悪意から守れる、それくらいの気持ちで澪は先を進んだ。
ふと、麗が口を開いた。
「私を捨ててしまえば、さっきのお店にもいられたんじゃない?」その言葉に澪は立ち止まった。
「そんな……」
「聞こえるの、華矜院を嫌う人の声が。私は白、澪は黒。皮肉なものだね、その髪が貴方を守ってる」
その通り――。そして澪は髪を掴んだ。華矜院に嫌われ続けてきた黒い髪が、華矜院から抜け出た先ではあまりにも普通だ。そのあまりさに澪は泣き出したくなった。こんなに簡単に、すんなりと澪を楽にしてくれる世界があるのを澪は知りたくなかった。今まで華矜院に交じりたくて交じれなかった、なのに外の世界で澪は呆気ない程普通になれた。今までの苦しみとその呆気なさが平等でない事に澪は焦燥した。
黒い髪を掴んだ手を引っ張った。痛みは頭皮を伝った。
その時、ゆらりと黒い影が二人を遮った。見上げる程の大きな男、体付きは衰えていたが、背の高さは澪や麗を優に超えていた。
「華矜院め……」
その瞬間、澪は麗の手を引き駆け出した。男の脇を抜け男の背後に回る、男は掴み掛かろうと前屈みになった姿勢で首を向ける。憎しみの双眸がそこにはあった。
「逃げなきゃ……」
澪は腰を引く、麗を走らせる準備をし、男の隙を探す。だが男は早かった、ガッと掴みかかって来たかと思うと、澪は一瞬にして男の腕に弾き飛ばされた。掴み上げられたのは麗だった、澪は男に払われた際に殴られた顔の痛みを振り切り叫んだ。
「やめて!」
男の腕が振り下ろされた。




