一日くらいは平和さ
――華矜院シズはどういう心理下においてあの言葉を選んだのだろうか。
答え。
白く高潔な華は、単に狂い歪んでいた。
『華矜院シズはある日人を殺した。』
己の手を下す事なく魔法のように相手の息の根を止めた。
ひとりでに倒れていく死体を前に周囲の者は驚愕するでもなくトリックを模索するでもなく――全く別の、安堵と似た心持ちでそれを眺めていた。
自らが死ななくてよかったと。
スケープゴートは白い衣を赤に染めた。
華矜院シズは理想と陶酔を抱え死んでいく――いや、既に死んでしまっていたから死体である――に悲しみの顔一つ送らなかった。数分間死体は膝立ちで耐えていたが、今しがた限界が来たのか重心が崩れ雪崩れるように床に転げた。頭と体の繋目の、両者の固定用かなにかと推測される円筒形の真ん中から血が流れている、そう言えば、それは自分にもあったなぁ、等とシズは考えていた。
周囲の者(その中の水鶏等)が死者の胸のうちに高邁な理想や偏執を拗らせた忠誠、又は明日何を食べようとか明日の仕事は誰々とペアでとか、そういう誰しもが持ちうる至って平凡なものが様々に含まれていたと嘆く。
華矜院シズも、そのどれもを知りながら、知った次には記憶から消えてしまって、出てくる言葉すら熱さも冷たさもなく、先刻淡々と言った。
「死んでください」
その唇から発せられたものは彼の中で言霊に変換された。盲目過ぎた、華矜院シズは美しく気高いものとして咲いていた。だから山羊は首を刎ねたのだ。
――シズ様が望むなら死にますと。全く持って恐怖すらない、本望そうな顔で。
スケープゴートはシズを愛していた、華矜院の白く気高い華を、狂ったように信仰していた。
華矜院シズは何も思ってはいない。
――ただ山羊が、華に信心を捧げ死んだだけだ。
それを愚かと言わず何と言う?
『華矜院シズは彼を殺した。』
つい最近、三世で起こった周知の事実だ。
***
(何故澪はいなくなったのでしょうね)
シズは外出時に被っていた白い帽子を脱いで玉座の真ん中に置いた。帽子が外された事により中に仕舞ってあった髪が背中に流れ落ちる。白くはね気味の膝裏までの長さのある髪は、その長さ故に背後から見ると獣のようだった。
続いてコートを脱ぐとぶるりと震える、雪は付いていないので脱いだものをそのまま玉座に掛けて早々に部屋に帰る事にした。
水鶏と同じ扉から出ようとすると、にゅっと死角から腕が出てきて、シズを塞き止めるように閂の役割をした。
「シズさん、おかえりなさい」
腕の持ち主が挨拶する。
シズ様、と敬って呼ばない辺り死を恐れぬ愚か者か、或いは曲者とみえる。シズは強制的に歩みを止められ用件を聞かされた。
「人を殺しても消えない精神のからくりを教えてください」
悪意もなく淡々と述べた。
「シズさんは誰を殺しても消えないじゃないですか、だからそれを私に教授してほしいなって。だってそうすれば人を殺し放題でしょう?」
シズは無表情だった。
「人っていうのがね、まず間違いなんじゃないですか。それは心臓が動いていて血液が巡っている、感情とかのあるものの総称でしょう?」
「それはどういう意味ですか?」
「私を今ここで殺してください」
「それは出来ませんよ」
「出来ないなら消えちゃうだけですよ」
「んー、よくわかりませんね」
「季節の巡りを、貴方は人と呼べないでしょう」
「えーと、春とか夏とかが人? はるなちゃんとかなつきくんとか……って、ああっ」
シズは閂の下を潜っていた。フリルのあしらわれた袖口が口元を覆う。金の瞳が噂通り熱さも冷たさもなく腕の持ち主に合わさる。
「生も死も、さして重要な事ではない。七汐、その名前も貴方の心臓に付けられた名札というだけ」
「シズさんって、やっぱり変わってますね。あの日死ねと言ったのも、やはり気紛れだったんですか? シズさんは笑いもしない、正義も悪も、生も死も、きっと……いや、何でもないです」
「ところでミオを知りませんか?」
「あー、ミオは……」
七汐は澪が城下町を歩いているのを見てしまった。勝手に城を抜け出し、知らない女の子と手を繋いでいる黒髪が澪だなんて信じられそうにもなかった。まさかあの澪が……声は掛けなかったし顔も合わせなかった、けれどそうそう間違えるものでもない。あれは澪だ。
「シズさんは、澪がもし殺されてたら、犯人を殺しますか?」
「殺しましょうか、殺してからバラバラにしてもいいし、バラバラにしながら殺してもいいし。そういうの、見てる側の人間は好きでしょう」
「怖いなぁ、やっぱりシズさんは綺麗で誰もが見惚れる白い華だけど、中身は真っ赤な――」
その瞬間、七汐は首を振った。
「ッ……!」
何かが首の隣を突き抜けた。回避しなければ死んでいた、目の前には淡々と手を差し出すシズ。
――気を付けなければ。
シズは誰でも簡単に殺せる、その証拠に首の皮が切れ細い血が流れている。
「やっぱりシズさんだ、怖い、その恐怖が、白に畏怖を含み歪んだ美しさになるんですよ。貴方こそ"白の血族の矜持の具現""華矜院というそのものの神仏化"なんだ。だからみな崇めている、信者となり、自分が狂った事も解らぬまま」
「我褒めでいて宗教的ですね。ところでミオは」
「ミオはどこかに居ますよ、探しに行きますか?」
「いいです。ミオにはいつでも会いに行ける、死んでいなければ、ね」
***
「ちっ、めんどくせぇ」
音羽は羽鳥の手伝いをして、そしたら青い顔の水鶏にまたしても呼び止められ、ついでに寒い雪山に駆り出された。
アバランチコントロールなる物がある、それは雪崩の予防の事。爆薬により人為的に雪崩を発生させ、前もって雪を取り除く作業だ。それを水鶏に手伝わされた、漸く解放される頃には辺りは暗くなり始め、城の側に構えている一軒家の自宅に帰る頃には三世は闇に包まれていた。
「雪崩予防ってよ、まさに水鶏には適任だよな、手伝わされるのは嫌なんだが、雪崩に巻き込まれたら助ける人が必要だしで見張らされてる」
「爆破なら貴方にも適任な気がしますが」
同じテーブルに着いている七汐が割り込む。七汐の隣には羽鳥、その隣に一周回って音羽。三人は同居していた。紫の髪に赤紫の目の音羽、薄い碧の髪に同じ色の目の羽鳥、白い髪に金の目の七汐。
三人が座るのは一般的な家庭にあるだろうダイニングテーブルだ、料理は先ほど食べたので乗っていない。
「確かに俺も爆破系能力者として数えられるが、あくまで見てるだけでいいってよ。水鶏ってあれでストレス発散してる節があんだよ、ま、分からなくもねぇよ、思いっきり爆弾爆ざせられりゃあ気持ちいいだろうし」
「今私は、何故貴方が見てるだけでいいか解りました」
「そんな考えなしに任せていたら雪崩で城下町が終わる」
七汐と羽鳥は前持って打ち合わせをしていたかのように核心を突いてみせた。
「流石ハトさん、私と同じで利口ですね」
"音羽を唸らせる計画"なるものがあったかは不明だが、七汐が笑顔で羽鳥と視線を交わす。当の羽鳥は別段得意気になる事もなく平常運転で無表情のままだった。
「あっそ」
音羽は二人の息のあった嫌がらせを気にしない風に躱し、棚に近寄り立ててあったノートサイズのホワイトボードにイレーザーを滑らせた。マーカーのキャップに付いたイレーザーが左右に擦られると、元々書いてあったインクの文字が消える、三人の名前部分は消さないように擦り、やがて白い面積を取り戻したボードにマーカーを立てる。
「水鶏ってなんだかんだで甘いんだよな、侵入者取り逃がしちまうし」
「仕方ないですよ、城が壊れたら住む家が無くなってしまいます、そこのところはいくら頭に血が昇っていても自制出来る人です」
「ハトちゃんならもっと簡単にやるぜ? こう、一撃で首をぶちっとな」
「その呼び方止めてくださる?」
「まず首をやるって方を否定しろよ」
「はは」
音羽はマーカーで自分の名前の隣に料理、下の羽鳥の隣に掃除、七汐の隣に風呂、そして七汐の名前の隅に(アホ)と書き加える。洗濯はローテーションなしに羽鳥がする事になっている、理由はお察し。
音羽は文字を書くとテーブルに戻ってくる。
「お前の異能はいつでも誰でも殺せんだろ? それでいずれ、俺等の事も殺すつもり」
「ええ、殺しますよ。ただ今は殺さない。音羽さんとやりあった場合少なからずリスクが伴うのです」
「誰でも速攻殺せるお前の異能に欠点とかあるわけ?」
「貴方の異能と当たった場合ですよ、貴方の異能は瞬時に発動し秒単位で相手に影響を及ぼす事が出来ますか?」
「さてね」
「私の異能を事前に知っている貴方は私が異能を仕掛けた瞬間反撃する、つまり私が異能を発動させた後」
「そこにラグがあるなら殺せる――」
会話が静かにフェードアウトした。
深い意味はないのに沈黙が貫く。七汐は何を黙り込む必要があるのやらと軽く首を振る、すると羽鳥が話の続きを引き継ぐ。
「要は速さか。一対一で拳銃を向けあったとして、発砲するのはほぼ同時、ならばどちらが速いスピードで着弾させられるか」
「そう、銃弾なら互いに死にますが、私達の異能は相手に先に届けば勝つ。全ては要するに、異能の質ですかね」
「ハトちゃんのは、思えば一瞬?」
「知りたいなら"あ"って言った瞬間異能を発動させてみようか、音羽に」
「いらねぇよ! ちなみに試すなら七汐に」
「残念、ハトさんは私の味方なんです」
七汐は羽鳥の背中側に回りぎゅーっと抱きしめる、結束を主張するように腕を絡ませる。
「ハトって言う奴に味方はいない」
だが羽鳥に一蹴された。
「お前さぁ、曲がりなりにもハト"ちゃん"なんだぜ? 過剰なスキンシップってどうよ」
「度胸のない貴方とは違いますから」
「そうかよ」
「ちなみに」
羽鳥が髪を整えながら二人に告げる。
「七汐は一騎打ちが好きなの? その異能、効果範囲も広く条件も緩いんでしょう? なら音羽が知らないうちにどこか遠くから発動させれば反撃もなにもなく楽に殺せるのに」
「「あ、確かに」」
二人して声を揃えた。
「まあそこは信頼じゃねぇの? 殺すなら何時でも出来ちまうんだ、今この瞬間だって誰かが異能を発動させれば誰かが死ぬ」
「ですね、私はいつか殺人者を殺しますが、今は明日の料理当番が居なくなる必要はないですね」
「これって仲良しと言えるの?」
「仲良しですよねー、死ぬまでは」
「死んだら仲違いしてんだな、お前に殺されて恨み持つの確定かよ」
「まぁまぁ、一日くらいは平和にいきましょう」
「一日ってもう終わるけどなぁ」
「ふっ」
羽鳥は珍しく口元を綻ばせた。
約束の日が、笑う分だけ近付いている気がした――。




