始まるものは、終わるもの
新しい物語が始まる。小説と同じ、読み進めると自然とページがめくれていく。
とんとん拍子に、私が死ぬ事と同じで。
雪が降っている、四角く切り取られた窓の外で私の知らない冷たさが頻りに降り積もっている。この雪は永遠に止まないらしい、私が知る限り十年以上止んだ事はない。二夜の月が美しいようにこの雪もまた美しいのだが、人はこれを死の花弁と忌避する。
先日私は死とは何かと述べたが、私と違い、死が終わりであるという考えは一般的に根強い。死は全てをなくしてしまうのだ、それは胸が締め付けられたり、恐怖となって襲ったてきたりする。そして生は尊いものだ。尊く、時には辛く苦しい、けれどそれが人間として生まれた事の喜びで、ほんの少しの幸福の為に日々を生きていこうとする。
私にしてみれば生も死もとりわけ重い事でもあるまいが、ごく自然な考えではないので否定されがちだ。
私は生とは虚であり、死もまた精神の終わりであるとしか思えない。例えば白い悪魔とは私の事だが、銀の王と違い、死を可哀想ともこれでよかったとも思わない。
生死とは何の感傷にも値しないのだ、こうして生きている事も死んでいく事も時間の中にある昼夜の訪れと変わりない。
何もあるわけじゃない、
何もないのだから。
***
華矜院水鶏は後始末に追われていた。
侵入者は結局逃がしてしまった、何を求めて潜り込んで来たかは知らないが、見失った後二度と出てくる事はなかった。
後に残ったのは充満する火薬の匂いとバラバラになった城の一画。
「オキノ、他の者も、すまなかったわね」
「いえ!」
「片付けましょうか、そして怪我人は」
冷静になると水鶏は自省し、早々にやるべき事を潜考して指示を出した。瓦礫を片付け、穴を塞ぎ、怪我人は手当てを急がせる。オキノこと華矜院沖之助も顔の傷の深さを今一度確認し医師に見てもらう事にした。
人を殺してここまで来るとなると、当たり前のように利用していた施設や必要不可欠な知識を得た人間が周りに居なかったりする。幸運な事に、華矜院には一人だけ医学の知識のある医師が存在した。人殺しの医師、となると沖之助が簡単に思い浮かべたものは誤診や手術ミス等の医療事故による患者の死亡、或いは、故意に……。そしてその通りに医師が三世までやってきたとしたら、治療に掛かるのは避けるべきなのだ。しかし実際、その医師に不信を抱こうとも三世で医師はその人一人しかいない。沖之助含め華矜院で働く者はもはやその医師に診てもらう事にしている。
水鶏は怪我人に自ら薬草を塗り綺麗な布を巻いた。一通り指示を終えると考えておきたい事が出来たので部屋に戻る事にする。その途中で水鶏は景色の中に知った顔を見つける、紫の髪、怠そうな目元に姿勢の悪い歩行、水鶏は思わず眉根を寄せた。
「音羽!」
呼ぶ。相手の男はこちらに気が付き歩いてくる。機嫌が悪い水鶏の表情を見ても逃げ出さないあたり、開き直っているとみれる。それが更に水鶏を不愉快にした。
「何処に行っていたの? 大変だったの」
「また貴女が勝手に城を壊したんでしょう?」
「そんな事はいいの、お前は今まで何をしていた」
「寝てました」
口から出た理由があまりにも勝手で、水鶏はぽかんとした。そうしてから、改めて怒りが沸いた。
「貴方は華矜院でもないのにここに置いてもらっている、その事を忘れるな」
「異能がいいから居られるってんだろ。別に異能を使う様な大事件も毎日起きるわけじゃないし、いいじゃねーか」
「まずは態度を改めなさい!」
「水鶏様は口うるさいね、そんなんだから愛しのシズ様に」
その瞬間水鶏は右手を上げた。叩き付ける手の平は音羽の頬を叩く、はずだったが顔の真横で力強い手により止められていた。
「ちっ」
「水鶏様はオレなんかに期待しない方がいい。もう直ぐシズ様帰ってくるよ?」
「……分かった、手を離しなさい」
音羽は熱を帯びた水鶏の手を開放した。ゆっくりと下げられていく水鶏の手は既に何かに触れている、"シズ様"という愛しいものに右手はもう届いているのかもしれない。
「バイバイ」
音羽は手を振ったが水鶏は去り際何も返さなかった。
窓ガラスの外には雪が降っている。止むことのない雪は積もる一方で、よって華矜院は下々の者にまず除雪作業を行わせる。城と城下町の周りに高い壁を建築中で、その外まで雪を運ぶ。壁は未だ未完成で、城塞都市というよりこの辺りまでが城下町だという目印の囲いにしかなっていない、資材と人材が圧倒的に足りない。壁は一メートル程の高さで、無造作に石や鉄屑が山にして積まれていた。
壁の周りには一定の間隔で華矜院の兵や役人が駐在している、飢えた獣が壁を超えないよう見張っている。
町人と華矜院はそうやって互いが互いを必要とし、感情はさておき理屈としての関係は成り立たっていた。
二夜は杜撰な統治だったが、三世は華矜院という圧倒的な支配が不平ではあるものの、円滑な生活を保証してくれてはいた。
音羽は窓ガラスを撫でた、華矜院でもない人間と言われた外見が映る。水鶏のように髪は白くない、目も金色ではなく赤紫だ。だからといって関係ない、城には音羽以外にも華矜院でない者はたくさん居る。例えば――目の前から歩いてくる人物も。
「羽鳥」
手を軽く上げ挨拶をした。音羽の上がったままの手の隣を、羽鳥は無言で通り過ぎた。
同居しているのに相変わらずだなと音羽は呼び方を変えた。
「ハトちゃん」
「……」
次は羽鳥の歩みが止まった。毒のように色付いた赤紫の被りものが回る、アイスグリーンの、これまた音羽にしてみれば毒の霧かと思わせる髪と目がこちらを捉える。
「忙しいので手短にしてくださる」
怒っているのか声に感情がない。
「用は何にもねーよ」
羽鳥は更に怒るか、と思いきや表情が固定された人間の為それ以上変化はなかった。変わりに口の形が変わった。
「暇なら手を貸して」
「あーいや」
「いやだとは言うな、暇なら手を貸して」
「無理」
「無理も言うな、はいとだけ言えばいい」
「はいしか言えねーじゃん」
「だからはいと言えばいい」
「はーい」
音羽は気の無い返事を返した。何を手伝わされるかは聞かなくても分かった、羽鳥の白衣が、先程の揺れと結びついた。
***
水鶏は部屋で侵入者の発言について考える。
『二夜は滅びた――』
そう言っていた、本当だろうか。――実は、つい最近一度だけ雪が止んだ時間があったのだ。三世の住人は天を仰ぎ神の降臨でも拝観するように青空に手を伸ばした。希望も期待もつかの間だ、雪は再び灰色の空から降り注いだ。
二夜の滅びを裏付ける理由に相応しいのはもう一つある、先日の少女だ、少女は二夜で最も強い――王様を殺したのだと言った。
止むことのない雪の消失、王様の死。二夜で何かあったと考えるのは不自然ではない。
では何か起きた? 王が殺され二夜は滅びた。国が崩壊したという意味か、それとも本当に人類と共に滅亡した?
「……ちっ」水鶏は頭を押さえる。分からない事だらけだ、二夜についても、少女についても、侵入者についても。音羽についてもそうだし、エイについてもそう、何を考えているかわからない。
水鶏はくしゃみを一つした。
「寒い……」鼻を擦る、水鶏はいつも寒さに鼻の頭を赤くしている。
どうしようもない事を考えるのも仕方がない、くしゃみを期に水鶏は立ち上がった。
水鶏は一際広い部屋で主の帰還を待った。"シズ様"は水鶏にとって華矜院の象徴。白く高潔で、気高い矜持を持ち、何者をも跪かせる美しい華。シズはまさに水鶏の妄信する華矜院の血を人の姿として体現した人間だった。その人間を慕う事で、自分が最も愛する理想像をいつまでも隣で拝観していられる。
シズは時折城からいなくなるが、城の外で何をしているのか等水鶏には気にならなかった。ただシズが居てくれればいい、愛しているのか信じているのかさえ測っては罰になる、そんな存在がもう直ぐ帰ってくる。一片の恐怖等些末な事に思えた。
――ああ、貴方の大切なミオはついに私が排除しました。
それを言えばどうなるか、水鶏は知らないわけではない。よくて死ぬだけで済む、悪いなら……――それは考えたくない。
実際にシズが帰って来ると、水鶏は期待が恐怖に塗り替わっていくのが分かった。
「待っていてくれたのですか?」
「はい」
「ミオは?」
「……澪は、逃げ出しましたわ」
早々に緊張の糸に触れられ水鶏は焦る。
「ミオが逃げるのはありえません、ミオには行き場がない、だからクイナ、ミオは何処ですか?」
「ミオは……」
シズの目が射抜く。お前がやったんだろ? と知りながら問い詰めてくる意地悪さと圧迫感。水鶏はその金の目に視線を合わせられず引き下がる、極限まで緊張した肌に酷い熱が溜まる。
今の水鶏は風船のよう、シズの一言で簡単に張り裂けてしまう。
「まあいいです、それよりまた城を壊したのですか? 建築資材がないので止めてください」
「申し訳ありません……」
「反省したなら行っていいですよ」
「はい、では……」
水鶏はシズに背を向けた。扉を潜り礼をした、礼をすると扉を閉め、数歩歩くと近くの壁にもたれ掛かった。
――心から安堵した。まるで猛獣の檻から解放される気分だった。
(恐ろしい、けれどその恐怖すら、愛しい)




