新しい未来の先に
ミオは思わず顔を歪めた。天井が開いた、そんな事ある筈がない、ミオを知っている牢番でも出さなかったくらいだ、外から開けられる事はまずない。ならば中から開いたのだ。開くはずのない天井に穴が開くような事が、今目の前で。
「なんで……?」
ミオは誰に聞くわけでもなく呟いた。
「なんでっ?!」
次は感情が乗った。何故、異能は行使されたのだ。
そして何故、天井を守っていた牢番が居なくなっているのだ。
「助けてあげるんだよ」
ミオは少女を見た。声を発したのは白い髪の人間だった。その人はミオに手を伸ばし、笑顔で「さあ」とお姫様を導く、手を取るのは王子様であると、優雅に微笑む。ミオはお姫様でもましてや相手が王子様とも到底思えず、目には不信を抱き、軽蔑するような眼差しを向けた。もしかしたら牢番ごと穴を空けたのではないかと聞かねばならないが、それは口に出来なかった。
ミオは壁を作り相手の手を拒絶した。
「じゃあこれに掴まって」
相手はどこからかミオに黒い帯を差し出した。帯の長さは床から天井までを優に超えており、それが垂直に、梯子のように掛かると見事に外に繋がった。明らかに助けてくれようとしている、それにしかしミオは掴まらなかった。帯は相手と同じ得体の知れないものに思えたからだ。
ミオは首を振ってここに留まる意思を示した。いらぬところで頑固なミオに相手は眉を潜めた。
果たして――黒い帯は少女から伸びた物ではなく、天井から入り込んできたものであった。柔らかな帯には無数の目が着いており、それが異能である事をミオに伝えていた。
中から開く筈がないのは事実、ミオを迎えに来たのは外からの来者であったからだ。
「クイナは酷いことをする、こんな所に君を閉じ込めて殺すつもりだったんだよ」
天井の先にはミオの知った顔が覗いていた。同じ華矜院で、だけどミオとは違って純粋な白い髪、切れ長の金の瞳は早くミオを出してあげたいと憂いで満ち溢れている。綺麗な衣装に身を包み、優雅な面立ちの彼は帯を掴むようにとミオを誘った。
「クイナは何を考えているのだか」
「仕方ないです、クイナさんの怒りは最もです。わかってる、だからボクはここに居ます……」
「逃げてもいいんだよ。クイナはやり過ぎだ、君は何も悪くない」
「悪いです、」
「……まったく」
数日経っても数年経っても変わりはしない、原因は外部にあるというのに、この子は黒を気にして心まで黒くなっている。悪いのはネガティブなミオだ、彼は呆れた。彼はミオの許可なく胴に帯を巻きつけた。
「止めてください」
「今がチャンスなんだよ、今ならクイナはいない」
「牢番さんはどこに行ったのですか?」
「何故今その質問をする?」
「だってクイナさんは絶対にボクを出すはずがない、なら牢番さんに固く言いつけていたはずです、絶対に出すなと。そしたら貴方が今此処を開けられる理由がない、牢番さんはどこに行ったのですか?」
「牢番は他所にやった」
「……うそ」
「僕もそこまで人でなしではないよ」
「何も聞こえなかった、声も出さずすんなり引いてくれたんですか……?」
「僕の言う事がクイナより正しいと良識ある判断を下したまでだ、彼等は君の身を案じていた」
「ほん……とに?」
「ああ」
相手は嘘偽りないと誠意を見せる。だがミオは納得していなかった、牢番の安否確認をする術はないので、半ば強引に納得するしかないと言い聞かせているようだった。その内にミオの体は帯によって引き上げられた。
浮いていくミオの脇から部屋に生き残った男女が天井に思いを馳せていた。もしかして出られるのではないかと、帯が次に自分達を引き上げてくれるのではないかと期待していた。そして、期待とは裏腹に帯が自分達を見捨てる事も容易に想像していた。よって彼等は焦っていた、ミオだけは顔見知りで出してもらえても、自分達はそうではない。華矜院に悪と決めつけられ部屋に閉じ込められた事例からして、天井の先の華矜院も悪を解放する気は毛頭ないだろう。この機を逃せば一生外に出られない。恐らく、狂い果てた先に隣の誰かと殺し合う。
――だからする事は一つだった。
少女は男女の集まりのうち誰かが固唾を呑む音を拾った。醜い人間が本性を現した。人は基本的にヒドイ生き物だと知っている、肩の傷が痛いのを我慢して立ち上がる。やはり、愚かだ。
彼等はたちまちミオを帯から引きずり出した。
彼等はミオを人質に交渉を始める、嫌がるミオを黙らせ天井の人物を脅す、天井の人物は要求を耳に入れながら返事はしない、焦燥に乱されている彼等は冷静さも忘れ大きな声で怒鳴り散らす、天井からは一向に交渉を飲む意は伝えられない。
少女は天井の人物が沈黙している理由を知っていた、彼は呆れているのだ、ただでさえ人を殺しているのに、まだ人を使って自分が助かろうとするのだから。
顔色一つ変えず貪欲な彼等の行く末を嘲笑っているのは少女だけではなかった、少女は自分と同じものの見分けくらいつくので、沈黙の中に隠された彼の思惑を、あたかも自分が考えているように想像出来た。
「悪いが君達は連れていけないんだよ」
どこか悲しみを含んだ声が、ようやく天井から発せられた。
その悲しみは愚かな人間達は生きる必要もないという別れの悲しみ。無慈悲に、汚いものを取り除く彼の手は制裁を下した。
部屋は斑模様を塗り替え真っ赤に染まった。ミオの目には、少女以外誰一人映る事はなくなった。
***
「殺したという感覚はないかな」
ずっと変わらない笑顔で、天井から二人を助けた白い髪の――華矜院エイは答えた。
「彼らはまだ生きている、もう自分の体ではないけれどね」
分かりやすく黒い帯を二人に見せてやる。帯に付いた一つ一つの目はかつて彼らが人として生きていた事を伝えていた。これは異能の帯だ、恐ろしい、残酷な黒。
殺された彼等は帯に取り込まれ、死ぬ事も身動きを取る事も出来ぬまま永遠に生きていかなければならない。目には彼等の感情や意思が伺える、何故ならミオの前で泣いていたからだ。苦しい、辛いと、もう楽になりたい、殺してほしいという涙の目。偶然にもその中に牢番の目があったとしても、エイ以外誰も知らない。
永遠の生き地獄という表現がありありとそこにあった。あまりの酷さにミオは顔を背けたくなった。
「もう、戻せないんですか……」
「いや、戻す必要なんてないじゃないか」
「でも、こんなの」
「その内泣かなくなるよ、ほらこの子なんて僕に擦り寄ってくるくらいだ」
帯の一部にリボンが巻きつけてある、その隣には目。それは、かつて殺した女の遺骸。
華矜院エイは恐ろしい、異常者だ。ミオが彼から聞いた殺人の経験を思い出しても異常としか言いようがない。エイは何もかも常識には当てはまらない、殺した感覚すらないのだから消える事もない。それか、帯の中で生きているから死んだ事にはならないと思っているのかもしれない。
ミオは唯一生きる事を許された少女の手を強く握った。目が見えず、ミオに引かれて歩く少女はミオの震えを強く感じた。
エイはクイナに見つからぬよう安全に二人を誘導し、少女の肩に処置を施した。途中でコートやマフラーを拾い、最後に行き着いた場所の扉を開けた。外から冷たい風が一気に流れ込んで来た。
「さあ、逃げたまえ。ここに居ては君はいずれクイナに殺される」
身も凍るような寒さと、雪の臭いがミオの鼻に届く。城から逃げれば華矜院の威圧にも、罵倒して陰口を言われる事もなくなる、クイナに睨まれる事も、怯える事も。つまり外へ出ることは救われるという最も簡単な解決策だ。
それを踏まえて、ミオは踏ん切りが付かなかった。どうしても気掛かりな事がミオにはあったのだ。
「もう、帰ってこられないの?」
それが全てだった。
「もう、ボクは華矜院ではなくなるの? しずちゃんには会えないの? 永遠に、戻ってはこられないの? ここはボクの家だった、でも、外へ出たらボクはもう二度とここには戻れなくなる気がする……。寂しい、それが、怖いよ」
「君の気持ちはわかるよ、だが君の家は君がまた決めればいい、ここは故郷だとしても居場所ではない、君を貶め殺すような一族が家族だなんて笑えるだろう?」
「だけど新しい場所で何もないボクは生きていけるのかな」
「この子もいるだろう? 二人でなら励まし合って生きていけるさ、それに――君はある選択を選べば此処にまた帰ってこられる、それは華矜院を滅ぼすという選択さ」
ミオの鼓動がドクンと鳴った。
「いくらボクを見下した人達が憎くても、そんな選択はしません……」
ミオは否定した。だがミオはいずれ帰ってくる、理由はどうあれエイはそう予感めいていた。
「あちらの方角に行くといい、あちらには君を受け入れてくれる人がいる。元気に生きるんだよ」
「……生きていられたら」
「ではな、さようなら――ミオ」
「はい」
ミオは少女の手を引っ張った。一人の女を恐れるあまり逃げ出す道を選んだ、この先どんな人生が待っているのかわからない、成り行きだが、こうして少女と新しい生活を始めていく事、数奇な運命に流されるままミオは城に背中を向けた。
振り返り、何度も何度も目に焼き付ける。ここは、どれだけ辛く当たられても我が家に違いなかったからだ。
出来る事なら――、そんな願いは今となってはもう遠い。
***
数時間後、とある場所。
華矜院エイは来訪者を迎えていた。
「久しいね、とても懐かしいよ」
「そうですね」
来訪者は危うく処刑(白い部屋行き)になるのをエイによって免れた。初めからエイを頼りに城に赴いたので、来訪者の考え通りだが。
「十年くらいになるかな、学友だった以来ですね。あの頃忽然と消えた貴方はやはり下にいたかと、今納得しています」
「それは昔から僕が人を殺した、と思っていたという事か」
「貴方は昔から加虐嗜好が強くて、付き合う女性みなに傷を付けていた。いつか首を絞めて殺してしまう事くらい、容易に想像出来た」
「サドだという自覚はあるが、確かに殺してしまうのはいただけないな。実際殺してしまったわけだけど」
エイは学生の頃から他人に残酷でいられた。特に女を痛め付ける事に躊躇いはなく、また彼自身己の行為の動機について理解していない節があった。加虐行為がエスカレートしていくのを己ですら疑問に思っている、それでも女と付き合い、女を痛め付けた。それがやがて華矜院エイという人間の狂気であると気付くのに、時間を要さなかった。
「そういう君こそ今此処に居るという事は、人を殺して来たんだろう? こうして旧友に会えるのは何かの縁だと思ってしまうわけだけど、互いに殺人者に変わりはないわけだ。君は殺すより殺されるのを望んでいると思っていたよ、何故ここまで来た?」
「会いたい子がいる」
「それは?」
「白い髪の女の子だ」
「あぁ、君にも恋人が出来たのかな?」
「俺がそういう冗談効かないのは知っているだろう」
「ふむ、……心当たりはある。だが少し入れ違いになってしまったようだ」
「彼女は生きているんだな?」
「生きているよ」
「よかった……」
来訪者は大きく胸を撫で下ろし心からほっとした様子だった。
そこでエイは面白がって嫌な事実を突き付けてみた。
「久し振りの再会を喜びたいところだけど、わざわざ誰かを殺してまで彼女を求めて来たのなら早く後を追った方がいい。外は倨傲な華矜院を目の敵にしているものが多いからね」
エイは笑いながらわざとらしく己の白い髪を指差した。
「わかった、すぐに立つ」
来訪者はエイが責任を持つと言ってくれたので証明を貰い、三世の住人として出歩けるようになった。自分の事など目もくれず外へ出ようとする旧友に少し寂しさを感じてエイは呼び止めた。
「水涸クン」
「なんだ」
「なんでもない、もしまた会えたら、次は昔を語り合おう」
「遠慮しておく、その時恐らく俺はもうこの世にいない」
「死にたがりめ」
「死にたがりですよ」
来訪者は微笑みながらエイに背を向けた。
***
ある場所で、一人の少年が口を開いた。
「名前、何ていうの? あ、ボクは華矜院澪」
問われた少女が言葉を返した。
――私は
水凪麗
二人は雪の中を歩いて行った。




