ナイフのように鋭利であれたら
ユウラから逃げるように慌てて身支度したアガミは、ナギ、ウルワと共にミズガレの家に同居する事となった。
中央の人々に別れも告げず、最後まで守る事も出来ず、保身を第一に考え逃げ出したアガミは自身を責め、呪った。
また同じ、あの人を殺した時と。
唯一の救いは、親友が側に居てくれる事。最期まで、共にあれること。
この身体滅ぶまで、惨痛を抱き、悟られず、過ごそう。
***
「ミズガレさんお世話になりまーす」
びしっと背筋を伸ばし、手を額に当てて敬礼のように挨拶をする。ミズガレの事だから連絡なしで一人同居人が増えようと文句は言わないだろうと誰もが安心していた。現にミズガレはアガミが一人増えていても調子は変わらなかった。
ナギ達はミズガレの顔を見ると安心し、足を休める為椅子に腰を下ろした。ふう~と旅疲れの息を吐いたのはナギ。アガミは荷物を下ろし、ウルワはミズガレの存在を確かめるように身体に抱きつく。
一息着くと心が休まり、我が家という癒やしの空間に改めて幸せを感じた。
「ナギ、みんな……帰って早々悪いのだけど、実はユキノさんが」
「婆さんがどうした?」
「倒れたんだ。今俺の部屋で安静にしている」
場の空気が暗くなる。自分たちに良くしてくれた隣のお婆さんが倒れた、突然の悲報に誰もがユキノの安否が心配でたまらなくなる。
「大丈夫、なの?」
「……」
ミズガレは何も言わない。心痛な面持ちが語るのは、ユキノの容態は芳しくないという事。
ウルワは我慢出来なくなりミズガレに言った。
「お婆ちゃんに会わせて」
こくり、ミズガレは頷きウルワを部屋に案内する。取り残されたナギとアガミは暫く互いに会話を交わす事も出来ず、ただ黙り込んだ。
「お婆ちゃん、起きて」
布団の中で安らかに眠るユキノの手を握りウルワは呼びかける。いってしまわないで、どうかまた元気な姿を見せてと。
シワだらけで冷たくなったユキノの手は生きているというぬくもりを感じさせず、死という恐怖を強く連想させる。このまま息が止まってしまって、動かなくなって、存在が消えて……人は。
目の前の老婆に迫る死、身近に生きていた人が死んでしまう、二度と動かなくなる、それがウルワの瞳から涙になり零れた。零れた涙は包帯に染み込み、ミズガレはその涙を抑える為ウルワの手をユキノの手と共に掬った。
「怖くない、悲しくない、人はいつか天へ帰るのだから」
「お婆ちゃんにもう会えなくなるなんて、いや……いやだよ」
予期していた筈なのに、いざその時に立ち会うとなると悲しみが心を覆い尽くした。
「まだ話していたいよ、一緒にお風呂に入って……」
「ウルワ」
「ミズガレは生きていてくれるよね? 私より先には死なないで」
「死なない、俺は君が死んでから死ぬよ」
「約束、したもんね」
「行くなら共に、絶対に守るよ」
「死は幸せ、死は安らぎ」
二人にとって、もがいてまで生きるという選択は存在しない。その日が来れば互いを胸に抱き死を甘んじて受ける。
――だから、死ぬまでくらい生きていてもいいんだ。
ミズガレの死生観が恐怖のない安らかな死へと周りをを誘う。
ミズガレがナギを生かしたこの言葉は、本当は愚者の言い訳ではないだろうか。
罪人にも聖者にも等しく生きる権利がある。
それが罪悪感から逃れるための都合の良い弁解だとしたら。
ミズガレの思想は本当に正しいのだろうか。
「お婆ちゃん、起きるよね?」
「生きる事は俺たち誰にでもでも許されてる事……きっと、ユキノさんは目覚める」
「ならよかった」
ウルワはミズガレの胸に顔を埋める。疲れて眠ってしまいそう、心地よい彼の腕の中で。
あれから、ナギはやっとの思いで塞いだ口を開けた。
「……なあ、ここでのお前の仕事どうする? 金がいらねぇ分出来る事が限られるけど」
「あ、ああ、この辺って金で売買しないんだよね、畑で自給自足とか。俺はなんでもいいよ、俺ってば体は丈夫だし」
「んじゃ畑耕してさ、水汲みに行って、料理も作れよ」
「それってほぼ俺だけが労働する事になんない!?」
「その分俺は怠けて生きるわ、頑張れアガミ」
「太るよ、ナギくんのスタイル台無しだよ、綺麗な格好出来なくなるよ」
「俺は努力しなくても綺麗なの」
「いやいやいや、ナギくんったらナルシストになっちまったわ」
二人は普段通り会話に努めた、こうでもしていない限り憂患に潰されてしまいそうだから。無意識にユキノの死を頭から追いやろうと口を動かす。
二夜が何時まで在り続けるか解らない、命がいつまで持つか解らない。この世界に生きているというそれだけで、精神はじりじりと削られ、心は壊れていく。
ゆっくりと周りから死んでいき、何れは自分の番がくる。
これが人を殺した者の負う咎。強いられる責め苦。
***
次の日、空は晴れていた。雲はなく、降水確率もほぼ0と予測出来る。
二夜に雨が降ったのをナギは見たことがない、アガミもミズガレも記憶にないと言う。乾燥した大地は水を欲し、手に入らなければ枯れていくだけ。
ナギは乾いた大地に足を踏み込んだ、ザッと砂粒が舞いナギは勢い良く踏み出す。
「手加減してんじゃねぇよ!」
「いや、あんまり動いたら体力の無駄使いしちゃうし」
「解ってるけどっ、お前にナメられてんのムカつくんだよ」
ナギは素早く身を屈めアガミの懐に飛び込む、手をナイフに見立て腹に挿し込む。しかしアガミはひょろりとそれを回避し、ナギの背中に手刀を当てた。
「一本」
「くそっ」
ナギは大地に膝を付いた、先程からどうやったってアガミの技に翻弄されてばかり。しかも緩慢な動きのアガミにだ。
「今日はもう止めよう、体力使うのはほんとにマズい、ナギくんが強いのはよくわかったから」
「お前に劣るのに強いわけあるか、こんなんじゃウルワやミズガレになにかあったら……」
「その時はオレっちも側にいるさ、チンピラが来たらまたこの前みたいに協力しようさ」
「そうじゃねぇんだよ、なんか気に入らねぇ」
「オレっちとナギくんじゃ経験が違うんだよ、オレは戦って生きてきたから、生まれがそうだったから」
「何処の生まれなんだよ」
「んー、武術に秀でた家系とだけ」
「それ、一巡の?」
「そう、二夜に来てからもユウラと一緒にいろいろやってたし」
そこでアガミは自らユウラの名前を出した事に気が付き苦笑した。
「口を衝くってやつか、ははは」
「は?」
「ナギくんは後方からの投擲が強いんだから、影からの奇襲とか似合うんでない?」
「それじゃチンピラが目の前に出てきた時意味ない、もっと肉弾戦に強くなりたい」
「そのナリでかぁ、無理ぽ」
「てめっ」
ナギはアガミに向かい手を上げた。笑いが零れるアガミ、友とこうしていられる時間が楽しい。
「あっ! ナギくん鳥ッ」
いきなりアガミが空を指差し声を荒げる。青空を羽ばたき飛ぶのはカラス程の大きさの鳥。
「わかった」
ナギはナイフを取り出す、遥か上空の鳥に鋭い視線を合わせ、投げる。
研ぎ澄まされたナイフは光を反射し空へ。絶対的な集中力と神業とも言える的中率、ナギは驚くべき事に空を舞う鳥をナイフで落とした。
「ありえねえ~、すごすぎ」
「まあな」
「真っ直ぐ飛ばすならまだしも上にだぜ? 信じられんのだけど。もしかして何かトリックが」
「俺の実力だっての、見ろよ」
ドッ。
ナギがある方向に軽く投げたナイフが木の幹に突き刺さった。その距離5メートルはあるか、細い幹に突き立ったナイフなのでアガミは感心したが、真に驚くべきはそこではなかった。幹に刺さったナイフは一枚の葉を縫い付けていたのだ。
「は? ナニコレ」
「風で舞ってた枯れ葉を射抜いてやったの、わかる?」
「嘘だろ、ナイフで? ナイフって真っ直ぐ飛ばすだけで難しいって、動体視力も並じゃないし、こりゃ絶対何かあるな」
「だーかーら、これが俺の実力なの、強みなの。疑り深い奴だなぁ」
アガミは未だ信じられないと木の幹に刺さったナイフを抜き枯れ葉を眺めた。確かに穴が空いている、間違いなくナイフが刺さった証拠。
「おい、こっち」
アガミは呼ばれた事によって枯れ葉を捨てナギの方へ向かう、ナギが落とした鳥が横たわっていた。
「この鳥に感謝を」
アガミはそっと目を閉じ手を合わせる。
「ありがとう、その命、大切に頂きます」
こうしてふと見せる誠実さがアガミの良い所だとナギは思う。誠実だからユウラに対して負い目や罪悪感を人一倍感じる。
普段は腹に入る生き物に感謝などしないナギだったが、今だけはアガミと共に瞳を閉じた――。
「ミズガレに怒られるなぁ」
「なんで?」
「調理用のナイフがまた一本なくなったー、ナギが持ってったの? ピキピキ、って」
ナギは鳥からナイフを抜き血を払う。飛ばなかった血には砂を使う、そして服の中に仕舞う。
「っておい、ナギくんの服の中……何本あるの、常習犯じゃないか」
「綺麗なんだもん」
「綺麗ナンダモン、じゃなくて、これ調理用だから、投げるモノでもコレクションでもないから。それに刃剥き出しのまま仕舞ってたろ、危ないから、何かの拍子に刺さっちまう」
「仕方ないだろホルスターもポーチもないんだから」
「中央なら護身用のナイフとか寸鉄とか使い易いのが何かしらあるさね、買って来ればよかったね」
「あ、もう買った」
「ふぁっ、流石だわ……」
後に気が付く事になるのだが、ナギが趣味で買ったものは全てアガミの金で支払われていた。