第7話 近所のおっさんは動かない
「やらん」
村人を集めた説明会。
説明を始めて十分。
近所の農夫、ガルムのおっさんは即答した。
「なぜ?」
「なぜも何もあるか。俺は二十五年、このやり方で畑をやっとる」
「でも父さんの畑は、二年前より収穫量が三十五パーセント増えた」
「リアムんところは土地がいい」
「隣だよ」
「家族が違う」
「作業方法を揃えれば――」
「やらん」
理解不能。
俺は木板を指した。
収穫量。
廃棄量。
作業時間。
実際にアルヴァ家で取った数字だ。
実績もある。
必要な費用もほとんどない。
やることも難しくない。
なのに。
なぜ動かない。
数字を見せれば理解する。
成果を見せれば動く。
正しいことだと説明すれば、人は合理的に判断できるはずだ。
だが。
無能な人間には、その価値が理解できないのか?
◇◇◇
前世。
何度も見た。
『この商品は売れません』
なぜ?
『過去に売れなかったからです』
いつ?
『五年前です』
今も?
『多分』
『この地域では広告は効きません』
なぜ?
『昔やったからです』
結果は?
『覚えてません』
『若手に大口顧客は任せられません』
なぜ?
『経験がないからです』
経験させなければ。
永遠に経験は増えない。
思い込み。
固定観念。
過去の成功体験。
人間は。
自分が正しいと思っていることを。
疑うのが苦手だ。
俺は。
そういう社員を。
何人も切った。
変化できない人間は。
組織の成長を邪魔する。
だから。
外す。
それでいい。
前世なら。
だが。
ここは会社ではない。
ガルムは俺の部下ではない。
◇◇◇
「合理的じゃない」
帰り道で言うと、マリアが笑った。
「レオンは、人がみんな合理的に動くと思ってるの?」
「損する方を選ぶ理由がない」
「あるわよ」
「何?」
「怖いの」
俺は足を止めた。
「何が?」
「変えることが」
「でも、今より良くなる」
「レオンには分かってるんでしょうね」
「数字で出てる」
「ガルムさんには?」
言葉が止まる。
「説明した」
「説明したことと、納得したことは違うわ」
母さんは、何でもないことのように言った。
方針を説明した。
だから理解したはずだ。
制度を説明した。
だから納得したはずだ。
目標を説明した。
だから動くはずだ。
動かなければ。
本人のやる気の問題。
そう処理していた。
「じゃあ、どうすればいい?」
俺が聞くと。
マリアは少し考えた。
「話を聞けば?」
「昨日聞いた」
「レオンが話したんでしょ?」
「……」
「それは、聞いたって言わないわ」
◇◇◇
翌朝。
俺とマリアは。
ガルムの家へ向かった。
玄関を叩く。
「はーい」
奥さんのエルナが出る。
「あら、マリア。レオンも」
「ガルムさんいる?」
「畑よ」
向かう。
いた。
一人で。
小麦畑の端に。
しゃがんでいる。
「ガルムさん!」
マリアが呼ぶ。
ガルムが振り返る。
「何だ?」
「ちょっといい?」
「何だよ」
俺は。
黙って。
後ろに立つ。
観察。
分析。
マリアが。
何をするのか。
「ガルムさん」
「おう」
「今年の畑、どう?」
「普通だ」
「去年より?」
「まだ分からんな」
「そっか」
終わり?
何だ。
この会話。
「腰は?」
「もう平気だ」
「よかった」
「おう」
また。
関係ない。
「エルナが心配してたよ」
「大げさなんだよ、あいつは」
ガルムが。
少し笑う。
マリアも。
笑う。
俺は。
待つ。
いつ。
交渉が始まる?
「ガルムさん」
「何だ」
「レオンのやり方」
来た。
「嫌?」
ガルムが。
俺を見る。
そして。
言った。
「嫌だな」
俺は。
反射的に口を開きそうになる。
マリアが。
俺の手を握る。
黙れ。
そういうことだろう。
分かっている。
「どうして?」
マリアが聞く。
ガルムは。
しばらく。
黙った。
「……親父だ」
「お父さん?」
「ああ」
初めて。
聞く話だった。
「この畑」
ガルムが。
土を握る。
「親父から教わったんだ」
マリアは。
何も言わない。
「種の撒き方も」
「うん」
「水の引き方も」
「うん」
「小麦の刈り方も」
「うん」
「全部」
ガルムが。
畑を見る。
「ガキの頃からな」
俺は。
黙って聞く。
「親父は」
ガルムが言う。
「厳しい奴だった」
「そうなんだ」
「何回も怒鳴られた」
少し笑う。
「でも」
手の中の土を見る。
「死ぬ前まで、畑の心配してた」
風が。
小麦を揺らす。
「だから」
ガルムが言う。
「やり方変えるってのが」
言葉が止まる。
「何か」
また。
止まる。
「親父のやり方が間違ってたって言ってるみたいでな」
俺は。
初めて。
何も言えなかった。
連作負荷。
地力低下。
収穫量。
合理性。
そんな話では。
なかった。
この畑には。
数字以外のものが。
あった。
俺には。
見えていなかったものが。
◇◇◇
《解析眼》。
―――――――――――
【ガルムの畑】
土壌状態:普
排水状態:悪
生育状態:普
生育均一性:悪
―――――――――――
見える。
畑の状態は。
でも。
ガルムが父親から何を教わったのか。
その時間をどう思っているのか。
なぜ変えることが怖いのか。
そんなものは。
どこにも表示されない。
以前も。
母さんの愛情は見えなかった。
父さんが損得を捨ててまで守ろうとしたものも、数字にはならなかった。
そして今。
ガルムが動かない理由も。
《解析眼》には映らない。
能力が足りないわけではない。
やる気が足りないわけでもない。
理由は。
人の中にある。
「ガルムさん」
俺は口を開いた。
「全部、変えなくていい」
ガルムが俺を見る。
「何?」
「今までのやり方を捨てなくていい」
自分で言いながら。
少し不思議だった。
前世の俺なら。
非効率な方法は捨てろ。
そう言ったはずだ。
「畑の端だけ貸して」
俺は指を差した。
「ほんの少しでいい」
「何する気だ」
「ガルムさんのやり方と、俺のやり方を両方やる」
「比べるのか?」
「うん」
「俺の方が良かったら?」
「そのままでいい」
ガルムが眉を上げる。
「お前の方が良かったら?」
俺は少し考えた。
「その時、一緒に考える」
ガルムはしばらく黙っていた。
やがて。
大きく息を吐く。
「端っこだけだぞ」
「十分」
「勝手に全部変えるなよ」
「変えない」
「親父のやり方も残す」
「残す」
ガルムは俺をじっと見る。
「……なら、やってみろ」
許可が出た。
昨日。
村人を集めて。
数字を並べて。
正しい方法を説明しても。
誰も動かなかった。
今日は。
畑の端の。
ほんの小さな区画だけ。
それでも。
一人が動いた。
俺が動かしたんじゃない。
ガルムが。
自分で決めたのだ。
◇◇◇
帰り道。
「分かった?」
マリアが聞いた。
「何が?」
「人を動かす方法」
俺は考える。
数字。
実績。
合理性。
それだけでは足りない。
「まず、相手が何を大事にしてるか知る」
「うん」
「それから、いきなり全部変えない」
「うん」
「小さく試す」
「うん」
「最後は本人に決めてもらう」
マリアが笑った。
「難しく考えるわね」
「違うの?」
「私は、ちゃんと話を聞けばいいって言っただけよ」
それでは再現性がない。
そう言いかけて。
やめた。
たぶん。
母さんの方が正しい。
◇◇◇
数週間後。
ガルムの畑の端に。
二つの区画が並んだ。
ガルムのやり方。
俺の提案を一部取り入れたやり方。
まだ。
結果は出ていない。
それでも。
村人が何人か。
畑の前で足を止めるようになった。
「何やってるんだ?」
「ガルムが新しいことやってるぞ」
「ガルムが?」
それだけで。
昨日の説明会とは。
反応が違う。
俺が百回説明するより。
二十五年間やり方を変えなかった男が。
一度試してみる。
その事実の方が。
村人には大きいらしい。
俺は二つの区画を見る。
もし。
ここで結果が出れば。
次は一軒。
その次は数軒。
誰がやっても同じ結果が出る形にする。
そうすれば。
村全体へ広げられる。




