第6話 五歳児の事業計画
五歳。
俺の実証実験から二年。
アルヴァ家の収穫量は、以前より約三十五パーセント増えていた。
種を選ぶ。
間隔を揃える。
水やりを揃える。
他にも、いくつかの方法を試した。
そして記録する。
結果を比べる。
うまくいった方法だけを残す。
二年前、畑の端で始めた小さな実験は、今ではアルヴァ家の畑全体に広がっている。
家族は喜んでいる。
俺も、嬉しくないわけではない。
食卓に並ぶパンは少し増えた。
冬を越すための蓄えにも、以前より余裕ができた。
母さんの顔にも、前より心配そうな色が減った。
それでも。
俺は不満だった。
「まだ上がる」
食卓でそう言うと、リアムがパンを噛みながら俺を見る。
「三十五パーセント増えたんだぞ」
まあ。
リアムが数値で語るようになったことは、大きな成果かもしれない。
二年前なら「普通くらい」で終わっていた男だ。
「だから?」
「普通は喜ぶところだ」
「目標を達成してない」
「目標?そんなの聞いてないぞ」
当然だ。
「今日作った」
リアムが呆れた顔をする。
マリアは口元を押さえて笑っていた。
この二年間で、現状分析と記録すべき数値の基本はほぼ整った。
次に必要なのは。
目標を設定すること。
そして、その目標を達成するために必要なことへ分解することだ。
前世で言えば、KGIとKPI。
経営は、頑張ることではない。
どこへ行くのかを決め。
そこへ行くために、何を変えるのかを決めることだ。
◇◇◇
俺は木板を五枚並べた。
一枚目。
最終目標。
――アルヴァ家の年間所得を、二年前の二倍にする。
収穫量ではない。
所得だ。
どれだけ作ったかではなく。
最終的に、この家にどれだけ残るか。
それを目標にする。
そして、その最終目標を達成するための指標を二枚目以降に整理した。
二枚目。
収穫量。
目標――二年前の二倍。
三枚目。
廃棄量。
目標――二年前の半分以下。
四枚目。
作業時間。
目標――二年前より二十パーセント削減。
五枚目。
販売価格。
目標――平均販売単価を少なくとも三十パーセント上げる。
もちろん。
これを全部達成すれば、必ず所得が二倍になるというほど単純ではない。
種代。
肥料。
道具。
保管にかかる費用。
他にも見るべき数字はある。
だが今のアルヴァ家には、細かすぎる管理は必要ない。
まずは、所得に大きく影響する数字から見る。
「収穫を増やすだけじゃ駄目」
リアムとマリアが黙って聞いている。
「たくさん作っても、腐らせたら意味がない。作業時間が倍になったら効率が悪い。安く売ったら収入は増えない」
最終目標を、それを構成する指標へ分解する。
「まず今がどれくらいか調べる」
現状【As-Is】
「次に、どうなりたいかを決める」
目標【To-Be】
「その差が、やること」
現状と目標の差【Gap】
その差を埋めるために、やるべきことを決める。
これが経営マネジメントの考え方の基本だ。
マリアが首を傾げる。
「つまり?」
「今と、なりたい姿の間にあるものを、一個ずつ埋める」
「ああ。それなら分かるわ」
今後はあまり難しい言葉は使わない方が良いな。
俺は木板を見る。
前世では、何百人もの管理職に同じような説明をした。
それでも数字を追わない人間はいた。
やる気のない人間はどこにでもいるのだろう。
今。
俺の前にいるのはエリートのビジネスマンではない。
農家の夫婦だ。
二人とも真剣に木板を見ている。
少しだけ、不思議な気分だった。
◇◇◇
調べてみると。
最大の問題は、実は収穫量ではなかった。
保管だった。
収穫後に傷む作物が多い。
せっかく育てても、売る前に駄目になる。
《解析眼》で保管している作物を見る。
―――――――――――
【保管中の小麦】
乾燥状態:普
通気状態:悪
保管環境:悪
品質状態:普
―――――――――――
原因候補は見える。
だが。
《解析眼》が、改善方法まで教えてくれるわけではない。
そこで《叡智庫》。
検索――穀物保管。
前世で俺が見聞きした知識が引き出される。
乾燥。
換気。
湿気対策。
床から離す。
保管容器。
使えるものと、使えないものを分ける。
この世界に乾燥機はない。
密閉設備もない。
なら。
今ある材料でできる方法に落とす。
次に販売。
村の商人が来た日にまとめて売るため、価格交渉力がない。
こちらは相場を知らない。
他に売る相手も知らない。
商人からすれば。
買わなくても困らない。
俺たちは。
売れなければ困る。
交渉になるはずがない。
そして作業。
父と母の動きには無駄がある。
《解析眼》で作業の状態を観察する。
《叡智庫》から、前世で学んだ工程分析の知識を引き出す。
動線。
段取り。
仕掛かり。
待ち時間。
工場改善と同じだ。
道具の置き場所を変える。
作業順を揃える。
前日に準備する。
使う道具を、使う場所の近くに置く。
それだけでもすぐに作業時間は減った。
「農業なのに、工場みたいだな」
俺は思わず呟いた。
「こうじょう?」
マリアが首を傾げる。
「気にしないで」
その横で。
グレースが笑った。
「レオン、また難しいこと考えてる」
「難しくない」
「難しいよ」
「そう?」
「でも、前より父さんと母さんが早く帰ってくるようになった」
俺は言葉を止めた。
作業時間を減らす。
俺にとっては、生産性の改善だ。
だが。
グレースにとっては。
父さんと母さんが早く家に帰ってくることらしい。
同じ数字でも。
意味は一つではない。
「……そうだね」
俺は、それだけ答えた。
◇◇◇
目標設定と指標への分解。
それから数か月。
記録と改善を繰り返した。
目標を決める。
数字を見る。
問題を見つける。
改善する。
また数字を見る。
その繰り返しで、アルヴァ家の生産性はさらに向上した。
問題は次だ。
アルヴァ家だけ改善しても、限界がある項目がある。
特に販売価格。
一軒の農家が多少品質を上げても、商人から見れば誤差だ。
だが。
村全体で品質を揃える。
量をまとめる。
売る時期を調整する。
そうすれば話は変わる。
商人にとっても、一度に一定品質の作物を仕入れられる価値が生まれる。
水路も共同。
道も共同。
保管場所も共同化できる。
つまり。
次の改善単位は「家」ではない。
「村」だ。
俺は木板の一番上に、新しい文字を書いた。
――村全体の収穫量と所得を増やす。
リアムが覗き込む。
「まさか、村中にこれをやらせる気か?」
「やらせるんじゃない」
俺は答えた。
「やった方が得だと分からせる」
前世の俺なら、命令しただろう。
部下に目標を与える。
期限を決める。
進捗を確認する。
できなければ評価を下げる。
それで組織は動いた。
少なくとも。
俺はそう思っていた。
だが村人は部下ではない。
給料を払っているわけでもない。
評価する権限もない。
命令を聞く理由など、どこにもない。
それでも。
数字を見せれば理解する。
成果を見せれば動く。
正しいことだと説明すれば。
人は合理的に判断する。
俺はそう信じていた。
この時までは。




