第5話 この世界で初めての仕事
生まれてから三年。
俺は、アルヴァ家についても確信したことがある。
――貧しい。
そしてアルヴァ家が貧しい最大の理由は、努力不足ではない。
農業の生産性が低いからだ。
父は日の出前から働く。
母も働く。
姉もできる仕事をする。
それでも生活は楽にならない。
なら問題は、人ではなく仕組みにある。
そして俺は決めている。
貧しいなら、豊かにすればいい。
生産性が低いなら、上げればいい。
前世で三百億の会社を作った。
農家一軒くらい、潤して見せる。
◇◇◇
いつも通り、リアムと一緒に畑に行く。
そして俺は畑にしゃがんだ。
《解析眼》
―――――――――――
【東側第一畑】
土壌水分:普
日照状態:良
排水状態:悪
株間状態:悪
発芽状態:普
生育状態:普
―――――――――――
前世なら測定機器が必要だった情報の一部が、目の前に情報として表示される。
次に《叡智庫》。
検索――農業生産性向上。
関連知識。
土壌管理。
灌漑。
輪作。
播種管理。
作業標準化。
品質管理。
俺が直接農家の専門家だったわけではない。
だが経営者として、農業企業への投資案件を検討した際に調べた知識や、その時に雇った経営コンサルタントから教わった知識が残っている。
◇◇◇
さて、何かを改善しようとする時。
最初にやるべきことは何か。
見栄えの良い理念を作る?
違う。
目標を決める?
それも違う。
戦略を考える?
まだ早い。
最初にやるべきこと。
それは。
現状を知ることだ。
農業を改善する時も同じだ。
だから三歳の俺は、畑の現状把握を始めた。
「父さん。畑いくつ?」
「五つ」
「広さは?」
「知らん」
初手からこれだ。
「去年、小麦どれくらい採れた?」
「まあ普通くらいか」
「どのくらい?」
「倉庫半分くらい」
駄目だ。
やっぱりリアムは数字で把握していない。
前世の会社では、売上、利益、契約件数、顧客単価、解約率、受注率、離職率、キャッシュフローまで数字を確認していた。
ところがこの家には帳簿らしい帳簿もない。収穫量の記録もない。前年との比較もない。
全て経験、勘、感覚。
俺からすれば、目隠しをして経営しているのと同じだ。
とはいえ。
俺にもできないことがある。
畑の面積を一人で測ることはできない。重い小麦袋を運ぶこともできない。
不便だ。
非常に不便だ。
問題候補は多い。
種の選別。
播種間隔。
排水。
水やり。
収穫時期。
保管。
だが全部を一度に変えるのは悪手だ。
改善効果。
実行難易度。
必要コスト。
失敗リスク。
効果、難易度、コスト、リスク。
四つの軸で優先順位をつける。
最初にやるべきは、効果が高く、金がかからず、失敗しても被害が小さいもの。
「父さん。畑を少し貸して」
「は?」
◇◇◇
最終的に与えられたのは、畑の端の小さな区画。
失敗しても家計に影響しない。
俺としても都合がいい。
PoC。
Proof of Concept。
いわゆる、小規模実証だ。
最初にやることは基本となる数字を記録するところからだ。
まず種をグレースに選別してもらう。
次に株間を一定にする。
水を与える量と時間を揃える。
毎日、生育状態を記録する。
紙は高価なので、木板に印をつけた。
リアムの畑と俺の区画。
条件をできる限り揃える。
「レオン、毎日何してるの?」
マリアに聞かれた。
「記録」
「何の?」
「昨日と今日の違い」
「それ、楽しい?」
「必要だからやってる」
マリアは少し考えた。
「でも楽しそうよ」
俺は否定しようとして、やめた。
確かに。
楽しい。
前世で新しい事業を立ち上げる時と同じだ。
仮説を立てる。
試す。
数字を見る。
改善する。
俺はこの感覚が好きだった。
◇◇◇
数週間後。
差は明らかになった。
「……おい」
リアムが俺の区画を見ている。
同じ畑。
同じ作物。
なのに生育が違う。
《解析眼》で比較する。
―――――――――――
【通常区画】
生育状態:普
健全状態:普
生育均一性:悪
【試験区画】
生育状態:良
健全状態:最高
生育均一性:良
―――――――――――
予想以上だ。
「何をした?」
「三つだけ」
俺は説明した。
良い種を選ぶ。
間隔を揃える。
水やりを標準化する。
本来なら、一つずつ条件を変えた方が原因は特定しやすい。
だが、今の俺には時間も区画も足りない。
まずは三つまとめて試し、効果が出るかを見る。
リアムは黙って聞いた。
「来年、全部これでやるのか?」
「まだ」
「まだ?」
「一回成功しただけだから」
一度の成功は偶然かもしれない。
条件が違えば失敗するかもしれない。
だから次は範囲を広げる。
同じ結果が出れば標準化する。
リアムが小さく笑った。
「慎重なんだか大胆なんだか分からんな」
俺は育った作物を見る。
この世界に来て初めて。
自分の頭で考え。
計画し。
実行し。
結果を出した。
大した利益にならない、小さな畑。
それでも。
素直に嬉しかった。
前世で何十億の契約を取った時とは違う。
前世なら、利益にならない仕事に価値はないと思っていた。
でも。
上手くいけば家族の食卓が少し豊かになる。
そのための仕事。
――悪くない。
◇◇◇
数日後の夜。
俺は家の外に座っていた。
膝の上には木の板。
アルヴァ家の畑について、家族からできる限りヒアリングした情報を、覚えたばかりの文字と記号でまとめてある。
完全ではない。
穴だらけだ。
それでも見えてきた。
東側の畑の問題。
毎年、小麦。
以前より少しずつ収穫が落ちている。
雨が多い年は特に悪い。
一方、豆を作った後の場所では小麦の育ちが良かった記憶があるという。
仮説。
輪作。
排水。
土壌。
《解析眼》で見た情報とも一致する。
改善できる。
俺は木板に書く。
一、記録。
二、作物を変える。
三、水の流れを見る。
四、肥料を比べる。
前世ならもっと細かい計画を作る。
KPI。担当者。期限。投資額。期待効果。進捗管理。
だが今は三歳。
金もない。
人もいない。
権限もない。
あるのは。
《解析眼》と《叡智庫》。
そして、前世で培った経験だけだ。
なら。
まず、できることから始めればいい。
小さな畑から。
この家を変える。
それが、この世界で俺が始めた最初の仕事だった。




