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第2話 俺の母親が、笑っている

生まれてから三年。


俺は、この世界について一つだけ確信したことがある。


――貧しい。


アルヴァ家には、前世で当たり前だったものが何一つない。


水道もない。電気もない。冷蔵庫もない。


夜になれば油灯の明かりだけ。


食事は黒パンと野菜のスープが中心で、肉が出れば少し豪華な日だ。


前世の俺なら、生活水準という言葉で簡単に分類しただろう。


低所得。


低生産性。


資産形成余力なし。


将来リスク、高。


それなのに。


「レオン、おいしい?」


目の前で母親――マリアが笑っている。


「うん」


俺が答えると、さらに嬉しそうに笑った。


意味が分からない。


たかがスープを飲んだだけだ。


売上を作ったわけでもない。


試験で一番になったわけでもない。


なのに、この女は毎日のように俺を褒める。


歩けば喜ぶ。


言葉を覚えれば喜ぶ。


自分で服を着れば喜ぶ。


俺が何かを達成したからではない。


俺が俺であること自体を、喜んでいるように見える。


前世にはなかった評価だ。


いや。


そもそも評価ですらないのかもしれない。


◇◇◇


その日。


俺は食卓から皿を落とした。


乾いた音。


皿が床で割れる。


身体が固まった。


――まずい。


反射的にそう思った。


『何やってるの!』


前世の母親の声が、頭の奥で蘇る。


失敗すれば怒られる。


できなければ責められる。


それが普通だった。


「レオン!」


マリアが駆け寄ってきた。


俺は無意識に目を閉じた。


だが。


「怪我してない?」


最初に触れたのは、頬ではなかった。


マリアの手が、俺の小さな手を包んだ。


「指、切ってない? 足は?」


「……皿」


「皿?」


「割った」


「うん。割れちゃったね」


怒らない。


「ごめんなさい」


俺が言うと、マリアは目を丸くした。


そして。


笑った。


「謝れて偉いね。でも、皿よりレオンの方が大事よ」


理解できなかった。


皿には価値がある。


金を払って買う。


俺は今、何も稼いでいない。


それなのに。


「俺の方が……大事?」


「当たり前でしょ」


即答だった。


俺はマリアの顔を見つめる。


そして。


《解析眼(アナライズ)》


見慣れた情報が、頭の中に浮かび上がった。


――――――――――


【マリア・アルヴァ】


種族:人間


年齢:二十九歳


健康状態:良好


料理:B


裁縫:B


掃除:C


農作業:C


体力:C


魔法適性:D


――――――――――


……。


やっぱり。


何度使っても同じだ。


表示されるのは、その人間が持っている能力や現在の状態。


料理が得意なのか。


何ができるのか。


身体に異常はないか。


そういうことは分かる。


だが。


――俺をどう思っている?


そんな項目は存在しない。


愛情。


本心。


感情。


気持ち。


いくら探しても表示されない。


《解析眼》は、人間の能力を分析できる。


物の状態も分かる。


起きている状況を整理し、その原因を探ることもできる。


だが。


人間の心だけは見えない。


相手が笑っていても。


本当に嬉しいのか。


何かを隠しているのか。


俺には分からない。


前世でも、そうだった。


社員が俺の前で何を考えているのか。


香里が何を思っていたのか。


真一や悠斗が、父親である俺をどう見ていたのか。


結局。


最後まで分からなかった。


「レオン?」


マリアが俺の顔を覗き込む。


「どうしたの?」


「……なんでもない」


「変な子」


マリアは笑いながら俺を抱き上げた。


温かい。


《解析眼》を使っても。


この温かさの意味までは表示されない。


それが少しだけ。


もどかしかった。


◇◇◇


夜。


隣ではマリアが眠っている。


少し離れた場所では父リアムの寝息。


姉のグレースもいる。


狭い家だ。


前世のマンションの寝室より、この家全部の方が小さい。


資産価値など比較にもならない。


それでも。


不思議なことに。


あの三億二千万円の部屋より、この家の方が静かに眠れる。


理由は分からない。


分析する必要もない。


俺には別の目的がある。


この世界の頂点に立つ。


そのためには知識が必要だ。


金が必要だ。


力が必要だ。


まずは、この家からだ。


貧しいなら、豊かにすればいい。


生産性が低いなら、上げればいい。


前世で三百億の会社を作った。


農家一軒くらい、どうとでもなる。


そう考えながら目を閉じる。


その直前。


眠っているマリアが俺の頭を撫でた。


「おやすみ、レオン」


俺は返事をしなかった。


ただ。


その手を振り払うことも、しなかった。

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