五十七歳の砲兵トルーマン
一九四一年十二月九日――ワシントンD.C.、軍需庁舎。
「現役に戻してください」
着席の挨拶もそこそこに、ハリー・S・トルーマンはそう切り出した。机の向こう側に座る陸軍参謀総長、ジョージ・C・マーシャルは大将の威厳を漂わせながら、静かに上院議員を見つめた。
「上院議員」
「大佐です」
マーシャルの眉が、わずかに動いた。ハリーは言葉を重ねる。
「予備役ではありますが、私はまだ大佐の階級を持っています」
「存じております」
「ならば話は早い。直ちに私を現役へと復帰させてください」
執務机の上には三台の電話機が並んでいた。そのうちの一台がけたたましく鳴り響く。マーシャルは手際よく受話器を取り、短く一言だけ告げるとすぐに切った。ハリーはその間も立ったまま、強い眼差しを向け続けていた。
二日前、日本軍によって真珠湾が奇襲された。昨日、議会は対日宣戦布告を承認したばかりだ。ハリーはワシントンへ戻る夜行便で、一晩中ラジオから流れ続ける戦況を聞いていた。新聞の紙面には、黒煙を上げて炎上する戦艦の姿が大きく掲載されていた。未だ正確な犠牲者の数すら把握できていない。だが、起きた事実だけは明白だった。合衆国軍が、平穏な日曜日の朝に基地ごと打ちのめされたのだ。
「砲兵部隊がいい」
ハリーは強い口調で言った。
「野戦砲兵なら熟知しています。先の戦争でも経験があります」
「理解しております」
「第129野戦砲兵連隊D中隊を率いてフランスの戦場へ赴きました。予備役に入ってからも、軍との縁を切ったわけではありません」
「それも承知しています」
「ならば、私を戦場へ戻してください」
マーシャルは椅子の背もたれに寄りかかることなく、淡々と尋ねた。
「なぜですか?」
ハリーの表情がにわかに険しさを増した。
「なぜ、とおっしゃるのですか」
「ええ」
「将軍!」
ハリーの声が跳ね上がった。
「日本の軍隊が真珠湾を爆撃したのですよ!」
「存じております」
「我が国の戦艦が沈められ、飛行場は焼け野原となり、アメリカの兵士たちが命を落としているのです」
「知っています」
「昨日、私は自ら戦争への賛成票を投じました」
「知っています」
「ならば、なぜなどと白々しいことをお聞きになるのですか」
マーシャルは固く口を閉ざしたままであった。その静寂が、かえってハリーの焦燥と怒りを煽った。
「日本の使節どもは、ここワシントンで平和交渉のポーズを崩していなかったはずだ」
「その通りです」
「裏で和平を装いながら、陰でハワイへ向けて艦隊を差し向けていたのですよ」
ハリーは怒りを込めて机を指で叩いた。
「そして日曜の朝、不意を突いて爆弾を落とした。宣戦布告すらなしにです。そんな卑劣なやり方が許されてたまるか!」
「戦争においては、往々にして起こり得ることです」
ハリーの目が鋭く光った。マーシャルは静かに言葉を付け加えた。
「起こり得るからこそ、我々は備えなければならない」
その一言に、ハリーは一瞬息を呑んだ。
――八か月前の四月。同じ男が委員会の公聴会で言っていた言葉が脳裏をよぎる。『部隊の存在と実戦能力は別物だ。準備に必要な時間は、後から資金を積んでも買えるものではない』。そして八か月が過ぎた今、懸念していた事態は現実となった。
ハリーはきつく歯を食いしばった。
「ならば、なおさら私の現役復帰を認めるべきでしょう」
「文脈がつながりませんな」
「つながりますとも」
ハリーは即座に言い返した。
「これから戦場へ赴くのは若い連中だ。二十歳かそこらの、つい最近徴兵されたばかりの若者たちだ。彼らを過酷な海外へ送り出しておきながら、自分だけがこの安全なワシントンで契約書をめくっていろとでもおっしゃるのですか」
マーシャルはハリーの目をじっと見つめた。
「それがお気に召さないのですか」
「嫌に決まっているでしょう! 当たり前のことです」
「なぜですか」
またしても同じ問いだった。ハリーは苛立ちを隠さず、机に向かって踏み出した。
「私は戦争の現実を知っているからです!」
マーシャルの表情に、わずかな変化が生じた。
「砲撃が始まった時の凄惨さを知っています。恐怖がないなどと言うつもりはありません。心底恐ろしい。前の戦争でも恐怖に震えた。だが、私は一度それを潜り抜けた経験がある。それなのに今度に限って、若い兵士たちだけにリスクを背負わせて自分は高く括れというのですか!」
マーシャルは静かに耳を傾けていた。
「それは筋が通りません」
「誰に対して筋が通らないとおっしゃるのです」
「……あいつらにですよ!」
ハリーの答えに、ほんのわずかな間が生まれた。
「昨日、私は議会で賛成票を投じました。若者たちを戦場へ送り出す決断をした。それなのになぜ、自分だけが安全な場所に留まることが許されるのですか」
言葉が途切れた。マーシャルが静かに問いかける。
「ご自身が卑怯であると?」
ハリーは顔を上げたが、すぐには答えなかった。
「……そうは言っていません」
「私にはそのように聞こえましたが」
「自分自身に対する義理の問題です」
マーシャルは深く息をつき、ようやく視線を机の上の書類へと落とした。
「上院議員」
「大佐です」
「今日はずいぶんと頑固ですね」
「二日前に故郷を殴られたようなものです。穏やかでいられるはずがありません」
マーシャルの口元が、ごくわずかに緩んだ。
「では、大佐」
「はい」
「おいくつになられましたか」
ハリーは不審そうに眉をひそめた。
「何です?」
「お歳です」
「五十七歳です」
「五十七歳……」
「あなたよりは若いはずだ」
「確かにそうですね」
「……その顔は何ですか」
「どのような顔に見えますか」
「最初から断る気満々の顔だ」
マーシャルの口元が、今度ははっきりと動いた。
「これは、若い世代の戦争です」
ハリーは目を見開いた。
「何とおっしゃいましたか」
「若い者に任せるということです」
「ふざけないでいただきたい!」
ハリーは怒りを露わにした。しかし、マーシャルは顔色一つ変えない。
「若者の戦争と言いますが、参謀総長だって私より若いわけじゃないでしょう」
「私は参謀総長ですので」
「知っていますよ!」
「ならば話は早い」
「早くなどない!」
ハリーはたまらず椅子を引き寄せて腰を下ろした。激しい音とともに椅子の脚が床を鳴らした。
「将軍……そりゃあ、あんまりだ」
「何がです」
「私にはまだ使い道があるはずだ」
「ええ、役に立ちます」
ハリーの言葉が途切れた。
「……今、何とおっしゃいましたか」
「貴殿は非常に有用だ、と申し上げたのです」
「ならば――」
「だからこそ、砲兵部隊へと戻すわけにはいかないのです」
ハリーは数秒間、マーシャルの顔を食い入るように見つめた。
「意図が分かり兼ねます」
「四月の公聴会での議論を覚えておられますか」
「どの話ですか」
「兵員を集めただけでは軍隊として機能しない、という話です」
ハリーは眉間にしわを寄せた。
「覚えています」
「装備の調達、訓練の実施、輸送手配、補給路の確保、そして指揮官の選定。それらの要素の一つでも滞れば、全体が遅延する」
「……ええ、覚えています」
「では現在、わが陸軍において最も深刻に不足しているものは何だと思いますか」
「兵員でしょう」
「違います」
マーシャルの即答に、ハリーは身を乗り出した。
「装備ですか」
「それも不十分です」
「輸送船か?」
「全く足りていません」
「航空機は?」
「圧倒的に不足しています」
「では、一体何が不足しているというのです」
マーシャルは断言した。
「すべてです」
ハリーは絶句した。
「兵員も、小銃も、火砲も、航空機も、船舶も、訓練期間も、工場の生産能力も、輸送網も、ことごとく不足している」
参謀総長の声は淡々としていた。
「二日前の攻撃によって不足分が急増したわけではありません。二日前を境に、それらを揃えるための時間的猶予が完全に失われたのです」
ハリーの怒りは、次第に別の複雑な感情へと取って代わっていった。
「……だからどうしろと?」
「だからこそ、一人の人材たりとも不適切な場所に配置する余裕はないのです」
マーシャルは指を指すこともなく、まっすぐにハリーを見つめた。
「砲兵大佐の存在は貴重です」
「でしょう」
「ですが、それがハリー・トルーマンである必要はない」
ハリーの顔がこわばった。
「そして、上院議員の存在も不可欠です」
「上院議員なら百人もいる」
「ですが、国防調査委員会の委員長はあなた一人しかいない」
部屋の中を完全な沈黙が支配した。電話が再び鳴り響いたが、今度はマーシャルも取ろうとしなかった。隣室で控えていた副官が代わりに応答している気配が伝わってくる。
「あなたの委員会は今、何を精査していますか」
「……兵舎の建設状況です」
「それから?」
「軍需工場だ」
「契約内容は?」
「精査している」
「航空機の生産は?」
「追っている」
「造船と鉄道輸送は?」
「それもだ」
「予算の不当な浪費や、納期の遅れについては?」
ハリーは小さくため息をついた。
「……すべて徹底的に洗い出していますよ」
「それら一切を投げ打ち、現場の一砲兵大佐に戻るとおっしゃるのか」
ハリーは言葉を失った。
「仮にあなたが一個連隊を見事に率い、勇猛果敢に戦わせたとしましょう。それは確かに立派な功績です」
マーシャルは静かに続けた。
「ですが、その連隊に給与されるべき火砲の納入が三ヶ月遅れたらどうなりますか」
「……満足に戦えません」
「砲弾を製造する工場が不当な契約トラブルで半年稼働しなかったら?」
「戦力が底をつく」
「輸送船の建造が遅れれば?」
「現地へ赴くことすらできない」
「十箇所の兵舎建設が遅延すれば?」
「十部隊分の訓練が先送りになる」
マーシャルはここで初めて、わずかに身を前へと乗り出した。
「一個連隊の指揮を執ることと、軍全体のボトルネックとなっている百の問題を解決してスケジュールを繰り上げること――一体どちらが、この戦争の勝利に寄与すると思いますか」
ハリーは固く口を閉ざした。胸の内の怒りは消えていなかったが、別の出口を完全に塞がれたような焦燥感が広がっていた。
「ずるい言い回しだな」
「客観的かつ正確な問いかけです」
「私は戦うためにここへ来たのだ」
「ならば戦ってください。上院という戦場で」
「それを戦争と呼ぶおつもりか」
「私はそう確信しております」
「軍服も着用せず?」
「軍服を着ることだけが戦争ではありません」
「銃すら手にしないというのに?」
「あなたが正した無駄な契約の資金によって、現場の誰かが銃を手にすることができるのです」
ハリーは返す言葉を失った。マーシャルは追撃しようとはしなかった。勝ち誇ることも、説教を垂れることもしない。ただ、冷徹なまでの事実がそこにあるという態度を貫いていた。
ハリーは壁に掲げられた太平洋の地図に目をやった。ハワイがあり、その遥か先には日本が存在する。二日前までは地図の上の記号に過ぎなかった場所が、今や牙を剥いて襲いかかってきたのだ。爆撃を受け、兵士たちが倒れた場所。
「腹が立って仕方がないんだ」
ハリーが低く呟いた。
「日本軍のやり方にも、なぜあれほどの接近を許してしまったのかということにも怒りが収まらない」
短い静寂が流れた。
「そして……ここにこうして留まっている自分自身にも腹が立つ」
マーシャルはすぐには言葉を返さなかった。
「砲兵部隊へ戻れば、その気持ちは収まりますか」
「気が済む、済まないの問題ではない」
「同じことです」
「違う!」
「では、何のために戦場へ赴くのです」
ハリーは感情を爆発させた。
「日本に勝利するためだ!」
「ならば」
マーシャルは即座に言い放った。
「最も勝利に寄与できる場所にとどまってください」
またしても、その論理だった。四月の公聴会から何一つぶれていない。人員、装備、時間、輸送、指揮官――全体を最も効率よく動かすために、どのコマをどこに配置すべきか。マーシャルにとって、ハリー・トルーマンという政治家もまた、勝利へ向けた配置要素の一つに過ぎなかった。
だが、不思議と不快感は湧いてこなかった。
「……つまり私という人間は」
ハリーはゆっくりと口を開いた。
「大佐としては代替可能だが」
「そのような表現はしておりません」
「上院議員として使った方が効率が良い、ということだな」
「そのように申し上げております」
「まるで物品のような言い方だな」
「四月の公聴会で『税金を無駄にするな』と強く主張されたのは、他ならぬあなたです」
ハリーはマーシャルを鋭く睨みつけたが、数秒後、思わず破顔した。
「……まったく、よく覚えているものだ」
「国防調査委員会の委員長のお言葉ですから」
ハリーは静かに立ち上がった。現役復帰を申請するために用意してきた書面を取り出し、ゆっくりと二つに折って上着のポケットに収めた。
「将軍」
「はい」
「本当に人手が足りなくなったら」
「ええ」
「いつでも呼んでください」
マーシャルは深く頷いた。
「必要となった時には、必ずお呼びします」
ハリーはドアへと歩を進めた。ノブに手をかけたところで、振り返る。
「それまでは、委員会で容赦なくやらせてもらいますよ」
「大いに結構です」
「陸軍の不祥事や失敗も、容赦なく暴き立てます」
「決して手加減なさらないでください」
「他の将官連中が青くなってもですか?」
「青くしておけば良いのです」
ハリーの口元に笑みが浮かんだ。
「それなら納得がいきます」
ドアを開けると、廊下は目まぐるしい喧騒に包まれていた。鳴りやまない電話の音、慌ただしい足音、飛び交う書類や命令書。巨大な国家機構が、戦争という目的のために急速に駆動し始めている。
その激流の中へと飛び込みたくて、ここへ赴いたのだ。しかしマーシャルは、まったく別の場所を指し示した。議会、委員会、工場、契約、兵営、鉄道、造船所――一見すると戦場から最も遠く隔絶された場所こそが、己の戦場なのだと。
ハリーは廊下を歩き始めた。胸の中の怒りは未だ消えてはいない。真珠湾の惨状も、倒れた兵士たちの姿も、決して忘れることはないだろう。
ただ、その膨大なエネルギーを叩きつけるべき場所が見定まったのだ。
二日前、日本はアメリカを全面戦争へと引きずり込んだ。そして今日、ハリー・S・トルーマンもまた、己が戦うべき本当の最前線を見出すこととなった。




