第47話 法皇の真実
宮殿に残ったカテリーナは、とても困惑していた。
昨日から、レオ四世が発熱し、その熱が下がらないのである。
甥の寝室に入り浸って、カテリーナは介抱した。修道院から取り寄せた薬草で、薬を煎じる。いくつかの処方を試してみたが、効果がない。
悩んだカテリーナは、ふと思い出した。
かつて、いつもより優しい兄が教えてくれた、庭園の薬草。あれならば、効き目があるのではないか。
夜の庭園に出たカテリーナは、必死に記憶を辿った。何か目印はなかったか。
・・・近くに花が咲いていた気がする。
何の花?
記憶の回廊を遡る。
確か・・・紫陽花?
幼い頃の自分と胸中で対話して、カテリーナは少しずつ正解に近づいていった。
──赤い紫陽花が、一面に咲いている場所。
庭園の中を探し回る。
眠れない夜、ユイルと一緒に歩いた庭園。今は一人、甥の身を案じて彷徨う。
こんなに広大な庭園を築いた歴代法皇を、カテリーナは罵りたい気分だった。
半刻ほど歩き回って、カテリーナはそこに辿り着いた。
紫陽花の赤い色彩が、視界を染める。その一角に、目指す薬草が自生していた。摘み取ったカテリーナは、ある異常に気付いた。
一面の赤い紫陽花の中で、数株だけ青い花が色づいている。
紫陽花は土壌の成分によって、咲く花の色が変化する。その知識が、カテリーナにはあった。
薬草を入れた籠を置き、カテリーナは紫陽花を掻き分けて、青い紫陽花が群生する一角に至った。
カテリーナは、あの日の兄の言葉を回想していた。
「いいかい、カテリーナ。ここは、お前だけの秘密の場所だよ。私にも教えてはいけないよ・・・」
不思議な予感に駆られて、花の根元を掘り始める。土はやわらかかった。少し掘り続けると、指先が固い物にぶつかった。
慎重に土をどける。それは、半ば錆び付いた鉄の箱だった。
土の中から箱を取り上げると、カテリーナは少しのためらいを胸に、その禁断の箱の蓋を開けた。
中には、数十枚に及ぶ書簡が入っていた。
黒のインクで記された、整った文字。その内容を月の光で読む。読み進むカテリーナの手が震える。
全て読み終わったとき、少女の手から力が抜けて、書簡が滑り落ちた。
そこに書かれていたのは、この法皇国の重大な秘密だった。
『書簡の内容』
私の名は、“影”。父も兄も、私をそう呼んだ。
物心ついたときには、この宮殿の尖塔の最上部にある部屋で幽閉されていた。
三度の食事は、豪華なものだった。衣服も豪奢なもので、私は自分がそれなりの身分であることを自覚していた。
書物も、ルーマン正教に関わるものを中心に、ふんだんに差し入れられた。お陰で、ほぼ一人きりの生活だったが、退屈はしなかった。
ある日、一人の男が私を訪ねてきた。
私は驚いた。その男が、姿見で見たことのある私と瓜二つだったからだ。
男は、自分をレオ三世と名乗り、私のことを自分の“影”だと告げた。
男は、私の双子の兄だったのである。
私は悟った。私は父・レオ二世の意向で、兄の影武者として育てられたのだ。
兄は、私に大聖堂で説法する法話の代筆を依頼した。私には、有り余る時間で読み込んだルーマン正教に関する豊富な知識があった。
兄は、ペンとインク、上等な紙を差し入れてくれた。私は、自分の中に鬱積する思いを吐き出すかのように、兄の代りに原稿を書き殴った。
しかし、紙は与えられたが、それは全て何かの原稿として回収されてしまった。好き勝手に日記のようなものを書き残すことは許されなかったのだ。
あるとき、酒に酔った兄が部屋にやって来て、世にも恐ろしいことを告白し始めた。
そのどれもが、ルーマン正教の禁忌、七つの大罪を犯したことの述懐だった。
兄は、罪の意識を感じてはいなかった。ただ、鏡に話すように、自分のやったことを独り言としてつぶやいているだけだったのだ。兄の真実を知るのは私だけで、私から誰か第三者に洩れる心配は、まず無いのだから。
たまに兄の来訪があると、私は聞いた。
「今日はどんな罪を犯したのです? 兄上」
兄は答えた。
「我が弟、我が影よ。お前にだけは真実を語ろう。お前だけにはな」
兄の七つの大罪を、一部記そう。
兄は、自分を神と同等だと思っている──「傲慢」
兄は、免罪符を利用して、巨万の富を築いた──「強欲」
兄は、自分より人望のある者に、罪を着せて陥れた──「嫉妬」
兄は、側近の失敗を許さず、密かに殺害させた──「憤怒」
兄は、何人もの女性を自分の物とした──「色欲」
兄は、美食家で、満腹になると食べた物を吐いてまで次の料理を欲した──「暴食」
兄は、ルーマン正教の奥儀を学ばず、論文等の執筆も私に任せた──「怠惰」
私は兄に尋ねたことがある。今まで、何人の女性と関係を持ったのですか、と。
兄は笑って逆に尋ねた。
「お前は、今までに摘んだ花の数を覚えているのか?」
そう告げたときの、兄の悪魔のような笑顔を、私は忘れない。
兄は去り際、いつも同じ台詞を吐いた。
「ではまた、いつ訪れるか分からぬ余の来臨を待つがいい。お前の話し相手は、余しか居ないのだからな。フ、フフフフフ・・・」
私は何とかして兄の悪行を書き残そうと欲した。そこで、一計を思いついた。
兄に頼まれた原稿用の紙は、厳重に管理されている。しかし、三度の食事を与えられるとき、いつもパンが紙にくるまれていた。私は、その一部を密かに寝具の下に隠し、自分の書きたいことを書くために用いるようにした。その紙が、今、この文章を記している用紙なのである。
血縁の秘密は、他にもあった。私と兄には、腹違いの兄がいた。母親の身分が低かったので、父・レオ二世はもう一人の兄を認知しなかった。
それだけでなく、私と同様、まともな名前を与えなかった。
不幸な兄の通り名は、“アサシン”といった。名前のとおり、彼は暗殺者として育てられ、初めは父に、父の死後は兄に、その殺人技術を利用された。もっとも、兄・アサシンの存在は、兄・レオ三世に聞いたことがあるだけで、実際に対面したことはない。
手飼いの暗殺者を用いている一点だけを取ってみても、父も兄も清廉潔白であるべき法皇として失格だった。
私には自由がなかったが、年に一回だけ、宮殿内の庭園を散歩することが許されていた。その度に、私は部屋に飾る花を摘んだりした。何度目かの散歩の折、私はこの秘密の書簡を、庭園のどこかに埋めて隠すことを思いついた。
しかし、文書がいつか日の目を見るためには、どこに埋めたかを誰かに伝えなければならない。
埋める場所の目星はつけた。傍に薬草が自生する、紫陽花の群れの中。
翌年の散歩の日、私は幸運に恵まれた。一人の美しい少女と出会ったのだ。
少女は私を“兄上”と呼んだ。それで分かった。この子は、妹のカテリーナだ。
私は、利発そうな妹に、薬草が自生する紫陽花の群れの場所を教えた。同時に、口止めする。
「いいかい、カテリーナ。ここは、お前だけの秘密の場所だよ。私にも教えてはいけないよ・・・」
これで布石は打てた。
明年、私はこの文書の束を鉄の箱に入れて、あの場所に埋める。鉄分を含む土壌からは、青い紫陽花が花を結ぶだろう。賢明な妹・カテリーナは、いつかその変化に気付くはずだ。
もしも神が、私や、父と兄の犠牲になった人々を哀れに思われるのであれば、どうかこの書簡をカテリーナの手に届けて欲しい。
どうか、無事に・・・。




