第45話 栄達と責任
ユイルたちの活躍により、別働隊が全滅したアラヴィヤ軍は、ルーマ沖に停泊していた艦船を順次撤退させた。ガリアを足がかりに、陸海二方向からルーマを攻めるという構想が破綻したからである。
ガリアを守り抜き、アラヴィヤ軍全体を退却に追いやったユイルの勇名は、ルーマン法皇国中に鳴り響いた。
救国の英雄がガリアからルーマに凱旋すると、国中の人々が一目彼を見ようと沿道に押しかけ、口々にその偉業を褒め称えた。
法皇宮殿に入る。
すれ違う人々全てが、ユイルに最敬礼する。ルーマンに並ぶ者がなくなった最強の武人を、誰もが畏怖していた。
謁見の間に足を踏み入れると、法皇レオ三世は玉座から立ち上がり、ユイルに駆け寄ってその手を取った。
「良くぞやってくれた、ユイル伯爵。そなたあってこその余、そなたあってこその法皇国だ」
最大限の賛辞で、レオ三世はユイルの労をねぎらった。しかし、呼ばれた呼称に違和感があってユイルは発言した。
「猊下、臣の爵位は子爵ですが」
「いや、ユイル、そなたは伯爵だ。今日からな」
レオ三世は、前触れなしでユイルに昇進を告げた。
(オレが伯爵?)
三年前、騎士になったときから考えると、想像もしなかったような高位にユイルは上り詰めたのだ。
「もっと上の位を授けても良いぐらいだが、物事には順序というものがあるからな。一先ず、伯爵位を受けてくれ」
レオ三世は上機嫌だった。
「領地も使わすぞ。ルーマ郊外の避暑地、リノウェスだ」
リノウェスは湖と小さな山に、少しの畑があるのどかな土地だった。
ユイルは思った。湖畔の景観の良い場所に、ラームのお墓を造ろう。いつでも会いに行けるように。
感謝の意を奏上して、ユイルは御前を退いた。
大回廊に出ると、カテリーナが駆け寄って来る。
「レオ三世から、伯爵位を賜ったよ」
ユイルは報告した。
「ついに伯爵に・・・。おめでとう、ユイル」
伯爵より上の階級としては、侯爵、公爵があるが、そんな大貴族は皆、世襲か、皇族出身である。一代での伯爵は、異例であり、破格でもあった。
その実力から言っても、地位から言っても、ユイルはルーマン法皇国の重要人物となった。
敬意を払う立場から、払われる立場に。しかし、ユイルは誰に対しても態度を変えなかった。
軍隊にも動きがあった、ガリアで彼の指揮下にあった兵はもちろん、ルーマンの全軍がユイルの膝下に入ることを望んだのだ。兵士は生き残るために、強い将を欲したのである。
もう一つ、ユイルにとっては意外な変化があった。妙齢の娘を持つ貴族から、縁談の申し込みが相次いだのである。その全てを、ユイルは丁重に断った。まだ表立って表明をしてはいないが、ユイルの心の中には、揺るぎなくカテリーナという名の一人の少女が輝いていたからである。
大国との戦争に勝利したことで、ユイルは歴史を受け入れる立場から、歴史を創る立場の人間になった。
しかしながら、人々から英雄視される中で、ユイルは後悔していた。今回の戦で、ユイルはレッド・ドラゴンのルビーの力を借りて、多くのアラヴィヤ人を抹殺した。ラームを殺された報復ではあったが、そこに慈悲や寛容はなく、憤怒と憎悪に駆られて行動してしまった。味方の立場から見れば英雄だが、敵方から見ればただの殺人鬼、大量虐殺者である。
中には、徴兵され、嫌々従軍していた兵士もあったかもしれない。戦意を喪失し、降伏の意思を示した兵士もあったろう。その全てを、ユイルは焼き殺したのだ。
あれは力の乱用ではなかったか。感情に任せて弱い者を蹂躙しただけではないのか。
自分は軍人なのだから、戦争なのだから、敵を殺すのが仕事だ。そういう考え方もできるであろう。しかし、その考えに逃げるのが、ユイルには耐えがたかった。
強い者、力を持つ者は、その強さ・力を、正しく使わなければならないのだ。
ユイルはまだ若い。だから今回、理性が感情に負けてしまった。ユイルの理想は、戦いの中でも相手のことも考えられるような、心広い人間になることだった。
憎しみからは、恐らく何も生まれない。悪に対する怒りは持つべきだが、人に対する思いやりも、自分が守るべき大切な心情なのだった。
誰かの不幸の上に、自分の幸福を築いてはいけないのだ。
僥倖と言うべきか、ユイルはルーマン法皇国全軍を統率する立場となった。この指揮権を最大限に活用し、敵味方の損害を最小限に抑えられるような将になろうと、ユイルは心に誓ったのだった。
ある日、信じられない知らせが、ユイル邸に届いた。
書斎で配下への手紙を書いていたユイルは、その一報を聞いて秀でた眉を吊り上げた。
「軍師ムウ、逮捕」
突然の報告だった。続報は、さらに信じがたいものだった。
「ムウは悪魔の使いであり、神に背く者。法皇の裁定は、死刑」
あまりのことに、ユイルは言葉を失った。
事の詳細は、こうだ。ある者が、湯浴みを終えた後の全裸のムウを見てしまった。その時、彼の肉体的特徴が露見したのだ。
ムウは、両性具有者だったのである。
男でも女でもない者は、ルーマン正教の教義では、悪魔と同類であり、その御使いである。人心を惑わす者であり、その存在は許されない。
その教義はユイルも知っていたが、ムウが悪魔の仲間だとは、とても思えなかった。理知的で、人間を見る確かな目を持っている、得がたい人材だった。
ユイルが将として振舞う上で、幕僚となりうる数少ない人物だ。
ユイルは急ぎ、新たな手紙をしたためた。
法皇レオ三世に向けた、ムウの助命嘆願書だった。
伝令兵に手紙を託す。祈るような気持ちで返答を待ったが、法皇の返事は冷たかった。
「ユイル伯爵の願いといえど、助命はできず。異端の処罰は、ルーマン正教の根幹に関わる重大事なり」
ムウの処罰は、コロッセオでの公開処刑と決まった。処刑方法は、火刑である。
杭に罪人を縛りつけ、四方に薪を並べて火をつける。罪人は焼け死ぬ前に熱い空気で肺を焼かれ、窒息死する。
見せしめの効果を狙った、残酷な刑罰だ。
ユイルは自分の無力を呪った。何が伯爵だ、何がルーマン軍総指揮官だ。たった一人の人間を救うこともできないではないか。
せめて面会を、という願いは聞き届けられ、ユイルはコロッセオに隣接する牢獄にムウを訪ねた。
ムウは牢獄の冷たい床に正座して、ユイルを迎えた。
その表情は落ち着いており、目前に迫った自分の死を完全に受け入れているように見えた。
「ムウ、こんなことになるなんて」
かける言葉が見つからない。
「ユイル殿、これも運命でしょう。この体に生まれたときから、いつかこんな日が来るだろうと予感しておりました」
鉄格子を間に挟んで、主従は会話を続ける。
「天国とやらで、ガリア防衛戦での作戦の不備を、ラーム殿に詫びます。私が地獄に落ちなければ、の話ですが」
「ラームは怒っていないよ。きっと」
ユイルはそんな表現でムウを慰めた。
「ユイル殿」
ムウが改まってユイルの名を呼んだ。
「何だいムウ」
「ルーマンの武力を司る者として、貴方は何を目指しますか?」
突然の問いだった。しかし、ユイルの中で、答えは当に定まっていた。
「ルーマ市民の幸福と、ルーマン法皇国の平安」
迷うことなく、そう断言する。
ユイルの返答に、ムウは微笑んだ。しかし、次の瞬間、表情を固くする。
「それが茨の道だということは、お分かりですか?」
「分かっている。オレの手には余る望みかもしれない。でも、諦めたくないんだ」
この目的を捨ててしまったら、ユイルはただの人殺しになってしまう。何のために剣を学び、戦ってきたのか。全てが瓦解してしまう。
だからこそ、どんな困難が待っていようと、ユイルは民の幸福と国の平安を強く望むのだ。
守りたい大切なものを、胸に抱いていたいのだ。
「その気持ちをお持ちなら、もう私から申し上げることは何もありません。今少し、貴方の傍で生きてみたかったですが・・・」
月光のような穏やかな笑みを、ムウは浮かべた。
「もう、お行きなさい。私は過去の人間です。貴方には、未来がある」
ムウはユイルを叱咤した。
「さようなら、ムウ」
後ろ髪を引かれる思いに耐え、ユイルは牢獄を後にした。
翌日、コロッセオでは、試合の前に罪人ムウの公開処刑が執行された。ユイルは現場には出向かず、自宅の礼拝室でムウの冥福を神に祈った。
ユイルの中に、二つの心が生まれていた。一つは、ルーマン貴族として、法皇レオ三世に忠誠を誓う心。
もう一つは、仲間を死に追いやった者として、法皇レオ三世を恨む心。
矛盾する二つの思いを、ユイルは自分自身で制御しなければならなかった。
自分の心が、これからどの方向を指し示すことになるのか、未来はユイル自身にも、まだ幻のように不鮮明だった。




