第39話 優しい兄の記憶
子爵になったユイルに、後日、所領となる小さな荘園の権利書が届けられた。地位と領地を得て、ユイルは名実共に押しも押されもせぬ貴族として認められたのである。
今までとは桁違いになった収入の多くを、ユイルはレオ四世とカテリーナが計画する慈善事業に寄付した。
肉を盗んだ少年との出会いから、胸に抱いていたもやもやを、ユイルは財産を慈善事業に投じることで解消したのだった。
それだけでなく、力仕事が好きなユイルは、公共施設の建設現場に飛び込み、一般の労働者に混じって建設作業に汗を流したりもした。
ルーマ市民の間ではユイルのことを、「戦う子爵」「働く子爵」と呼ぶ習慣が流行った。
その人気、人望は、ルーマン貴族随一のものとなった。
政治面では、月に一度開かれる法皇を囲む御前会議に、末席ではあるが参列を許されるようになった。
その日の会議の議題は、国防についてだった。
エトリヤ半島には、南方のナポレを初め、多くの都市国家が乱立している。そのほとんどはルーマン正教を国教としており、法皇国に敬意を表しているが、一部の都市国家がルーマン正教とは異なる教義を採用して、独自の信仰を貫いている。法皇国から見れば、異端である。その内、軍事力に長けるいくつかの国家は、法皇国の豊かな富に興味を示し、隙あらば攻めかからん、という姿勢を見せていた。
不安要素は他にもある。エトリヤ半島から船で七日の距離に、ロドスという島があるのだが、そこは現在、エスラーマ教を奉じるアラヴィヤ王国が占拠しているのだ。
エスラーマ教は、ルーマン正教から派生した新興宗教で、メシアとは異なる人物を開祖と仰いでいる。
その教義は過激で、「信仰か剣か」というスローガンの元、エスラーマ教に改宗をするか、戦争をして奴隷になるか、という二者択一を異民族に強いている。
アラヴィヤ騎兵の強さは、想像を絶するものがある。アラヴィヤ戦士も、命知らずの猛者ぞろいだ。
過去に何度か、ルーマン正教陣営の諸国家が連合して、ロドス島奪還のために兵を派遣したことがあるのだが、いずれも惨敗し、全滅に近い悲惨な戦果に終わっている。
このロドスの兵が、ルーマを攻めればどうなるか。かなり厳しい戦いになることが予想された。
会議では、戦に備え、軍備を増強しようという意見が大半を占めた。法皇レオ三世も、その意見に賛同する。問題は、費用であった。
軍隊というものは、基本的には何も生み出さない。武器、食料、人的資源を浪費するだけである。そのため、その維持拡大には多額の金銭が必要となる。
レオ三世は、増税と免罪符の販売拡大を指示した。貴族の何人かは、増税に難色を示した。関係のある商人から、増税には反対するよう依頼されているのだ。
結局、免罪符の販売を強力に推進しよう、という提案が、ほぼ満場一致で採用された。木片に十字架と文字を刻んだだけの物が、高値で売れるのである。笑いの止まらぬ話であった。
ユイルは、賛意の挙手をしなかった。免罪符で戦争に備える、つまりは、人殺しの費用にするということが、どうしても納得できなかったのだ。
自分の手は血で汚れている。自分の今の地位は流血によって得たものだ。そんなことは、良くわかっていた。
だからこそ思うのだ。ルーマン正教の教義や方針は、純粋なものであってほしいと。現実に毒されない、理想的なものであってほしいと。
汚れ仕事を引き受ける覚悟はできていた。
自分は、貴族である前に軍人である。
他の都市国家であろうと、アラヴィヤ王国であろうと、攻めてきたら絶対に撃退してやる。
ルーマンの平和は、オレが守ってみせる。ユイルは、そう決意していた。
御前会議は散会となった。
権力の腐臭を嗅いだ気がして、ユイルは気が滅入っていた。今後、子爵の地位に慣れることがあっても、法皇国の政治には慣れることはないだろうなと、ユイルは自嘲した。
そんな彼の足は、無意識にカテリーナの居室に向かっていた。
扉をノックする。
「どなた?」
中から誰何の声がした。
「オレだよ、ユイル」
答えると、すごい勢いで扉が開いた。
「ユイル!」
カテリーナが、息を弾ませて飛び出してくる。
「御前会議に参上したんだけど、何だか嫌な話ばっかりでさ。気分転換に散歩したいんだ。一緒にどうかな?」
「喜んで」
ユイルの誘いに、カテリーナは即答する。
二人は連れ立って宮殿の建物を出、庭園を散策した。
「ここの庭園は、基本的に綺麗な花を咲かせる植物が植えられているんだけど、一部薬草も自生しているの。特殊なものは、ルーマから出て、森に捜しに行かなきゃならないんだけど」
ユイルはかつて森でモンスターから、薬草を摘みに来たカテリーナを守ったことがあったのを思い出していた。
「あれ、薬草の群生している所、どこだったかな?」
カテリーナが小首を傾げる。
「ここでは、あまり摘まないのかい?」
「必要な薬草の大部分は、修道院の畑で栽培されてるの。いつもはそこで摘んでいるから」
「なるほど」
「宮殿の薬草の場所はね、兄上に教えてもらったの」
「レオ三世に?」
「ええ。私が幼い頃に。兄上とは年が離れているから、普段あんまり話をしないんだけど。あの日の兄上は、別人みたいに優しくて。庭園をあちこち案内してくれたわ」
「レオ三世との思い出だね」
「そうなの。あ、そう言えばあのとき、兄上がおかしなことを言ったわ」
「おかしなこと?」
古い記憶を手繰って、カテリーナが遠い目をする。
「すごく真剣な顔で、『この薬草の場所は、カテリーナ、お前だけの秘密の場所だから、誰にも教えてはいけないよ。絶対に。この私にも』って。自分にも教えるな、なんて、おかしいと思わない?」
「うん。ちょっと変わっているね」
ユイルは、自分の主君のことを考えた。レオ家の三代目。生まれながらの法皇。清濁併せ呑む人物だという評価が専らだが、妹のカテリーナに見せた意外な一面は、何を意味しているのだろうか。
「あんな優しい兄上を、また見てみたいな」
「一国の主だからね。中々、家族としての素顔は見せられないのかもしれないね」
レオンやリィナに、飾らない態度で接することができる自分は恵まれているんだな、と、ユイルは自分の境遇を見直していた。
庭園の芝生の中央で、背伸びをして体の凝りをほぐしたユイルは、宮殿の中で一際高くそびえている尖塔に注意を引かれた。
「宮殿のあの塔、何に使われてるんだい?」
ユイルが指差す塔を、カテリーナも視認する。
「最上部に、伝染性の病人が出たとき、隔離するための部屋があるって聞いたことがあるわ」
「病室か」
「絶対に昇らないように、兄上にも教育係の侍従にも言われているから、上に行ってみたことはないけれど・・・」
特に理由はないのだが、この法皇宮殿には、ユイルが想像もできないような秘密が隠されているような気がした。特に、根拠はないのだけれど。
光があれば闇が生まれる。これだけ繁栄しているルーマン法皇国に、何か暗部があっても不思議ではないのかもしれない。
カテリーナとユイルは、皇族と貴族として、この国の中心部にいるのだった。
今後、二人は、この国の明暗を見届けることになるかもしれなかった。
暗くなりかけた思考を、ユイルは払拭した。カテリーナの傍にいるときくらい、楽しいことを考えたい。
「近いうちに、森に猟に行くから、屋敷に食事に来ないか。うちの荘園で取れた小麦のパンも焼かせるよ」
「それはいいわね。私、香辛料を持参するわ」
「そいつはありがたい」
この時代、胡椒などの香辛料は気が遠くなるほど高価な貴重品だ。子爵であるユイルでも、簡単には入手できない。
美味しい料理を、カテリーナとラームを加えた家族と囲むことが、ユイルにとってかけがえのない幸せな時間だった。
人間は、食べないと生きていけない。だったら、自分の好きな人と、美味しいものを食べるのが一番ではないか。
ユイル邸での食事の約束をして、二人は別れた。ユイルとカテリーナ、どちらにとっても、とても楽しみな予定となった。




