第36話 ドラゴンとの死闘
早朝、目覚めたユイルたちは、用意された朝食を平らげると、装備を確認した、
ユイルはデュランダルを背中に背負ったままにして、右手に亡父の形見の剣を握り、左手に魔法の盾を構えた。
ナポレの兵士が、数台の馬車を連ねている。その荷台には、大きなバリスタと、餌となる金銀財宝が積まれている。
馬車を中心にして、ユイルとナポレの兵士はその周りを囲むように隊列を組んだ。
戦意も新たに、離宮に向け出発する。
離宮までは、徒歩で半日ほどの距離だった。
見上げると、空は雲一つなく高い。これならば、レッド・ドラゴンがどの方角から飛来しても、すぐに発見できそうだ。
離宮に辿り着く。
その建物は、小貴族の邸宅ほどの広さがあったが、レッド・ドラゴンの前回の襲撃により半壊していた。
兵士たちは機敏に動き、建物の陰や庭の植木の後ろにバリスタを配置した。庭の中心には、財宝が詰まった宝箱を据える。
ユイルたち三人も、木立の一つに身を隠した。
無限にも思える時間を、一行は待った。言い知れぬ緊張感。心臓が、早鐘のように脈打っている。間もなく、死と隣り合わせの戦いが始まるのだ。
──そして、“奴”はやって来た。
初め赤い点だったそれは、空の彼方からぐんぐんとこちらに接近し、急速にその大きさを増した。一度、空高く舞い上がると、天空の高みから巨大な翼を広げて舞い降りる。その巨体で、一瞬日光が遮られ、ユイルたちの視界は暗くなった。
その姿は、巨大な爬虫類に似ていた。頭部には二本の角が後方に向けて伸びている。その眼は燃えるように赤い。大きな牙が覗く口からは、火炎がちろちろと触手のように踊っている。
全身は、金属のような光沢を放つ真紅の鱗に覆われている。左右に広げられた翼は、蝙蝠のそれに似ている。太い骨格の上に薄い皮膜が張られており、ギラギラと日光を反射している。
体の下部には、鋭い鉤爪が光る足が四本ある。長い尾の先端は、その戦意の高さを示すように、上に向かって高く掲げられている。
レッド・ドラゴンは、その威容を誇るように、一声大きく咆哮した。その声は、耳だけではなく、全身の毛穴から侵入してくるような乱暴なものだった。
真紅の暴君。その生き物を一言で表すなら、その呼び名が相応しい。
若い兵士などは、その姿と声だけで戦意を挫かれ、腰を抜かしてしまっていた。
レッド・ドラゴンは、人間たちに気付いていないのか、あるいは気にも留めていないのか、悠然と宝箱を開けて中身を漁り出した。
ユイルが動く。
「リィナ、歌を頼む!」
命じて、木陰から躍り出る。
リィナの「戦意高揚」の歌が奏でられ、その効果はユイルだけでなく、周りのナポレ兵にも及んだ。
「ユイル殿を援護する。バリスタ、撃て!」
兵士長の命令で、バリスタから何本もの巨大な矢が勢い良く発射された。
人間どもの動きを見て取ると、レッド・ドラゴンは翼をはばたかせ、強風を生んだ。巨大矢の何本かは射線をそれ、ドラゴンに届かない。しかし、何本かは威力を減退されたものの、難敵の翼を撃ち抜いていた。
ユイルは、ドラゴンの起こした強風に、両足を踏ん張って耐え、十メートルほどの距離で対峙した。
「裂風よ、敵を切り裂け! ウインド・カッター!」
後方で、レオンが風魔法を発動する。
疾風が空気を切り裂いて、ドラゴンに向かった。魔法の刃は、その胸の皮膚を傷つけることに成功し、何枚もの鱗が緑色の血液と共に宙を舞う。
苦痛の呻きをドラゴンは漏らした。その眼が怒りに燃え狂い、大きな口で深く息を吸い始める。
(来る!)
ユイルは身構えた。
次の瞬間、ドラゴンの口から火炎の息が円錐状に放射された。その中心で、ユイルは左腕の盾に身を隠した。魔法の盾はその効力を発揮して、恐るべき高温の火炎からユイルを守った。
一方、バリスタを前方に移動させようと突出していた勇敢な兵士たちが、ブレスに巻き込まれる。不運な兵士たちの、髪が、服が、手が、足が、高温で焼かれ、あっという間に真っ黒な死体が量産される。
ブレスを凌いだユイルは、右手の剣を高く掲げ、ドラゴンに突撃した。
竜の鼻面に、強烈な斬撃を叩き込む。
緑色の血が散り、竜が身をよじる。
苦痛に耐えかねての行動かとユイルは思ったが、そうではなかった。
ドラゴンは体を大きくくねらせることで、その長大な尾をユイルの死角から彼に叩きつけたのだ。
経験したことのない衝撃が、ユイルを襲った。全身の骨がきしむような打撃を受け、ユイルは横方向に吹き飛ばされた。そのまま、地面に叩きつけられる。更なる衝撃。骨の何本かは折れたかもしれない。
立ち上がれないユイルを見て、ドラゴンは勝ち誇ったように前進してきた。止めを刺そうと、前足の鉤爪を鋭く輝かせる。
(いけない!)
レオンが動いた。
「突風よ、敵を彼方へ! ガスト・オブ・ウインド!」
台風のような大風が、レオンのスタッフから放たれ、ドラゴンの巨体を押し戻した。倒れているユイルの体が、ドラゴンの攻撃範囲を脱する。
リィナがユイルに駆け寄る。その体を助け起こし、彼の耳に「治癒」の歌をささやく。
ユイルの体が、ほのかに発光した。
剣士が目を覚ます。その瞳には、衰えぬ闘志が燃え盛っていた。
「ありがとう、リィナ」
ユイルは素早く立ち上がり、剣と盾を構えてドラゴンと向かい合った。
リィナは後ろに下がりながら、「慰撫」の歌を奏でる。
ドラゴンは、人間どもの度重なる攻撃で傷ついていた。不快極まりなく、その怒りは頂点に達していたが、リィナの歌を聴いて気持ちが安らいでいくのを感じていた。その心の動きも、ドラゴンには不満だった。
決着をつける。ドラゴンは決意し、目の前にいる剣と盾を構えた少年を睨んだ。
深く息を吸い、再び最大の攻撃を繰り出そうとする。
(死ね!)
レッド・ドラゴンは炎の息を解放した。今度は直線状に吐く、勢いのあるブレスである。
その破壊的な攻撃を、ユイルは正面から盾で受け止めた。受け止めるだけでなく、ブレスの勢いに逆らうように前進する。
自分のブレスを浴びながら、なおも歯向かってくる人間を、ドラゴンは初めて知覚した。驚きを禁じえない。そして、肺の中の息がつき、ブレスが途切れる。
その空白を、ユイルは見逃さなかった。
盾を地面に刺し立てる。続いて、その上部に足をかけ、全力で跳躍した。
空中で、背中のデュランダルを抜く。体を回転させて勢いを生み、ユイルはレッド・ドラゴンに肉薄した。
「!」
ドラゴンと接触する瞬間、ユイルは左手のデュランダルを、渾身の力を込めて竜の上あごに突き立てた。そのまま口内を貫通して、下あごをも貫き、切っ先が地面に達するまで体重をかける。ドラゴンは今や、デュランダルによって、頭部を地面に固定されていた。
その束縛から逃れようと、翼を広げる。ここから飛び立とうというのだ。
しかし。
「バリスタ、撃て!」
大型弩砲の第二射が、ドラゴンに向けて放たれる。多くの巨大矢が、竜の翼を散々に撃ち抜いて、その飛行能力を奪った。
デュランダルから手を離したユイルは、亡父の形見の剣を両手で持ち、レッド・ドラゴンの左眼に突き刺した。
言語を絶する痛みが、レッド・ドラゴンの戦意を完全に粉砕した。
ユイルは宣告する。
「降参しろ。しないなら、次は右眼を潰す」
戦いに興奮しているのか、その表情には凄みがあり、少し冷酷ですらあった。
レッド・ドラゴンは呻いた。
「人の子よ、お前の勝ちだ。もう、許してくれ・・・」
この瞬間、ユイルはドラゴンを御する者、世に数人しかいない、ドラゴンマスターとなった。
ユイルとレッド・ドラゴンの死闘を見守っていたナポレ兵たちが、歓呼の声を上げる。
拳を突き上げる兵士たちの歓声に、ユイルは剣を掲げて応えた。
降参したレッド・ドラゴンから、デュランダルを抜いてやる。
ドラゴンは眼から血を流し、頭部の傷からも出血していて、翼はぼろぼろ、満身創痍だった。
「かわいそう」
リィナがドラゴンに歩み寄り、その鼻先を優しく撫でながら、「治癒」の歌を唄う。
少女の美しい歌声を、レッド・ドラゴンは気持ち良さそうに聴いていた。心地良い感覚と共に、体中の傷が少しずつ癒えていく。
「レッド・ドラゴン。んー、何か呼びにくいな。お前は赤いから、そうだな、ルビーと呼ぼう。ルビー、お前がさらった女性はどこにいる? ルクレチアと言うんだが」
ユイルはレッド・ドラゴンをルビーと名付け、ナポレ王女の安否を確認した。
「寝床にいる。危害は加えていない」
ルビーが素直に白状する。
「そうか。それは何より」
ルビーの傷が、リィナの歌の力で完全に塞がると、ユイルは彼が征服した竜にまたがった。
「ルビー、ルクレチアの所に案内してくれ」
「了解した」
翼を大きく広げて、ルビーは大空に舞い上がる。
素晴らしい加速で、空中を駆ける。程なく、白煙を上げる火山が見えてきて、ルビーはその火口に下りていった。
岩棚があり、たくさんの金銀財宝に囲まれて、一人の女性が体を震わせていた。
長い金髪に、碧玉のような瞳。二十歳くらいの美しい令嬢だった。
「ルクレチア姫ですね」
ルビーから飛び降りて、ユイルは女性に歩み寄った。
「そうです。貴方は?」
「ルーマンの男爵で、ユイルと申します。法皇猊下とロベルト王の命により、レッド・ドラゴンを退治し、貴方を助けに参りました」
白馬ならぬ赤竜に乗った貴公子の登場に、ルクレチアは陶然とした表情を浮かべた。
「ユイル殿・・・」
「もう何も心配は要りませぬ。共にナポレに帰りましょう」
ユイルは、ルクレチアをひょい、と抱き上げ、ルビーにまたがった。
「ルビー、一度、離宮に戻ってくれ」
ユイルの命令に、ルビーは従った。
離宮の上空に舞い戻ると、ユイルはルビーを旋回させながら、地上の味方に告げた。
「ロベルト王が心配していると思うから、先にルクレチア姫を送り届けようと思う。レオンとリィナは、ナポレの兵士の皆さんと、ゆっくり帰還してくれ!」
「了解しました、兄さん!」
「ユイル兄も、気をつけて!」
地上から、レオンとリィナが叫ぶ。
もう一度大きく旋回すると、ユイルはルビーの行き先をナポレの街に定めた。
大きな翼によるルビーの飛行速度は凄まじく、瞬く間に街が見えてくる。
懐かしい街の様子に、ルクレチアは笑顔を見せた。
大通りの上を低く飛ぶ。居合わせた人々が、口々に竜と叫ぶ。その背に人を二人、乗せているのを見て取って、人々も危険はないことを悟った様子だった。
城壁を飛び越え、中庭に着地。そこにいた兵士や侍従たちが、ルクレチア姫の無事を喜んで万歳をする。
ルビーを驚いている馬丁にまかせると、ユイルはルクレチアを先導して謁見の間に向かった。
その広間に入ると、愛娘の帰還に気付いたロベルト王が、玉座から転げるように走り寄ってきた。
「ルクレチア! 無事であったか」
「はい、お父様」
一ヶ月ぶりの親子の対面だった。
「ユイル殿、良くやってくれた。そなたこそ、稀代の英雄じゃ。このロベルト、何と礼を言えば良いか」
喜びで破顔するロベルト王。
「ナポレの兵士にも助けられました。私の力だけではありません」
ユイルは謙虚に応じた。
その夜は、盛大に宴会が催された。
山海の珍味がテーブルを埋め、舌もとろける美酒が杯を満たす。飲めばすぐに次が注がれ、休む間もない。
ロベルト王は、終始、上機嫌だった。ユイルの杯が空になると、傍らのルクレチアに命じて酌をさせる。姫も頬を赤らめつつ、ユイルに給仕した。
「ユイル殿、そなたは十七歳と聞いた。我が姫も妙齢。どうじゃ、ルクレチアと夫婦になって、ナポレの王位を継いではくれぬか」
本気とも冗談ともつかぬ提案を、ロベルトは口にした。
ルクレチアが、酒のせいだけではなく、頬を真っ赤に染め上げる。
「ご冗談を。私はルーマンの臣。他国で暮らすことなど、考えたこともありません。ましてや、国王など」
ユイルは一笑に付した。
ユイルから離れたところで、リィナは内心、大きく舌を出していた。
(何言ってるの、あのバカ国王。ユイル兄は、あたしと結婚するんだから)
リィナもかなり飲んでいて、その顔は赤い。
そんな義妹の様子を、レオンは優しく見守っていた。
レオンは昼間、義兄ユイルの窮地を魔法で救えたことで、とても満足していた。次の戦いでは、もっとユイルの役に立ちたい。レオンはそう思っていた。
宴は深夜まで続き、主役であるユイルたち三人は、寝室に下がるタイミングを掴めずにいた。
中庭では、ルビーが樽のままの酒を浴びるように飲んでいる。
ルビーはぐびぐびと酒を飲み乾しながら、昼間の戦いを思い返していた。新しく自分のマスターとなった少年。勇気と技量を併せ持つ、恐るべき人物だと思った。もう二度と、彼と戦いたくはなかった。
同時に、自分の傷を癒してくれた美しい少女のことを考える。その歌声と共に、ルビーはリィナのことをすっかり気に入っていた。
宴会場の大部分が酔いつぶれて眠るまで、ユイルは勧められた祝杯を全て空にし、戦いだけではなく酒にも強いことを証明したのだった。




