第24話 剣闘士・ユイル
コロッセオ。それは、剣闘士が戦うアリーナを階段状の観客席が取り巻く、円形闘技場の名だ。
ルーマン法皇国の誕生以前から、市民たちの娯楽として人気を集めてきた、大規模な公共施設だった。
特にルーマのコロッセオは、他の都市にあるものと比べてもかなり大きく、五万人以上の観客を収容することができる。
剣闘士になる人間は、主に戦争で捕虜になった兵士や、主人に反抗的な奴隷など。ユイルのように、犯罪者とされた者も多く含まれる。
ユイルも老師に連れられて、何度か観戦したことがあった。
コロッセオで繰り広げられるのは、生々しく陰惨な殺し合いだ。
木剣などではなく、本物の剣での決闘。
どちらかが死ぬか、戦闘不能になるまで、延々と繰り広げられる真剣試合。
ユイルは、十五歳にしては勇敢な少年だったけれど、剣闘士となることに、言い知れない恐怖の念が湧き起こってくるのを抑え切れなかった。
「勝てばいいんだよ、小僧。勝者には、名誉と自由が与えられる。奴隷の身分から脱出できるのさ」
落胆するユイルに、兵士が慰めの言葉をかける。
法皇宮殿を出るに当たって、ユイルは用意された馬車に乗せられた。
法皇に裁かれた犯罪者ではあるが、元騎士への配慮からか、頭から厚い布を目深に被らされる。
ユイルを乗せた馬車は、真っ直ぐにコロッセオに隣接する剣闘士団の敷地に向かい、その門をくぐった。
剣闘士団の敷地は、周囲を高い壁に囲まれている。訓練に耐えられなかったり、試合への恐怖で逃げ出す者が出るのを防ぐためである。唯一出入りのできる門には門番がおり、二十四時間、交代で見張りに立っている。
馬車から降ろされたユイルに、小太りで愛想の良さそうな男が、転がるように近づいて来た。
「良く来たな、新入り。わしはこの剣闘士団の主、レムルスだ」
「ユイルです」
覚悟を決めて、ユイルは名乗った。
「役人の話では、お前、貴族をやったんだってな。貴族殺しのユイルか。中々いい異名だ。人気が出るかも知れん」
レムルスは、頭の中で算盤を弾いている様子だった。
敷地の半分以上を占める練習場には、何人もの剣闘士、及びその見習いの姿があった。
木の杭に木剣を打ち込む者がいる。等身大のわら人形を相手に、間合いを計る者がいる。
一心に腕立て伏せを繰り返し、筋力を養う者がいる。向かい合って模擬試合をしている者たちがいる。
一流の剣闘士になるために、何より生き残るために、各々が様々な努力を自らに強いていた。
ユイルは、木材で建てられた二階建ての養成所の中に案内された。狭いが、個室を与えられる。
「食事は食堂で、一日三回。体を作るために、食べるのも仕事の一つだと考えろ」
レムルスが厳命する。
「それから、お前の試合は一週間後だ。法皇様主催の闘技会が開催されることになっている」
一週間か。長いようで短い。それでも、心を落ち着かせる時間は取れそうだった。
試合の日まで、ユイルは筋肉の鍛錬や木剣の素振りをして過ごした。父の形見の剣とデュランダルは没収されてしまった。剣闘士団の敷地内では、脱走や反乱の防止のため、実剣を持つことは許されていないのだ。
三度の食事では、一般的な小麦のパンではなく、大麦で作ったパンが供された。これは、大麦を食べると脂肪が増えて出血を防ぐとされていたため、剣闘士の主食として相応しいと考えられていたからだった。
個室のベッドで、ユイルは眠れぬ夜を重ねた。コロッセオでの、五万人の衆人環視の中で行われる戦闘。観客たちは、流血の惨事を望んでいる。戦いは神聖なものだという意識がユイルにはあるが、コロッセオでのそれは決定的に違う。言ってしまえば、単なる見世物なのだ。あるいは、賭け事の対象。
戦いには不条理がつきまとうが、コロッセオでの死闘は極め付けだった。
勝てなくても生き残れば良いという発想もあるが、不甲斐ない戦いを見せれば、観客は容赦しない。その戦いぶりに満足しなかった場合、客はその剣闘士に死を命ずることができるのだ。
逆もまたある。戦いに負けても、勇敢な行動を示せば、助命されることがある。
一切の生殺与奪の権利を、観客が握っているのだ。
無責任で移り気な大衆に生死を左右されることが、ユイルには納得できなかった。
まだ死ぬわけにはいかない。レオンはやっとウィザードとして自立しかけているが、リィナはまだ十二歳と幼い。ユイルが養っていかなければならなかった。居候的な存在であるラームを保護している責任もある。
十五歳という年齢の割には、重すぎる様々なしがらみを、ユイルは背負っているのだ。
呻吟の一週間を、ユイルは孤独に耐えて過ごしたのだった。




