22 - 貪欲
雛菊さんが首都に到着したのは、それから二日後のことだった。雛菊さんはそのまま病院に運び込まれた。病院の前は野次馬でごった返しになったという。八雲は由楽隊長に早退を促されていたが、苦笑してそれを断っていた。雛菊さんのお見舞いには明日行くらしい。
私はといえば、いつものように真雪を豪さんの家に迎えに行って、一緒に夕食を摂って風呂に入って、先に真雪を寝かしつけて、いつも通りの一日だった。不意にドアがノックされた。こんな夜遅くに誰だろう。
「はーい。」
ドアを開けて思わず息を飲んだ。そこにいたのは八雲だった。
「どうしたんですか……?」
八雲は返事もせずにポケーッとしていた。頭にも肩にも雪が積もっている。これは酔っている……のか? 頬、鼻どころか耳まで赤らんでいるが、これは冷えたからなのかお酒を飲んだからなのか……。
「とりあえず入ってください。」
引き入れようと八雲の手に触れて、また思わず息を飲んだ。あまりに冷たい。ドアを閉めて雪を払っているうちに、八雲は我に返ったようだった。
「あれ、真白……?」
「今日は飲んでたんですか?」
「うん……。」
八雲は目を瞬かせ、困惑した様子で首を傾げていた。
「温かいお茶でも飲んで行きませんか? まだ寝るには少し早い時間なので。」
そう言って笑うと、八雲はホッとしたように「お言葉に甘えて」と言った。コートをハンガーにかけ、ソファへと促す。丁度お湯を沸かしたところだ。少し多めに沸かしておいてよかった。お茶の用意を終えて、私も隣のソファに腰を下ろした。
「珍しいですね、お酒なんて。」
八雲はあまり酒に強くない。嗜む程度に飲みはするが、今回はいつもより飲んでいるようだ。八雲は確か明日は休みだったはず。けれど休みの前日だからと羽目を外すタイプではないし、これは相当堪えているんだろう。
「豪と睡蓮にも怒られました……。」
「二人と飲んでたんですね。」
「うん、薫も一緒に。」
「薫さんって……、この間一緒だった第四隊の?」
「そ。睡蓮の恋人。」
「え、そうだったんですか……!」
知らないまま任務を終えてしまった。第四隊ならまたお世話になることもあるだろう。今度しっかり挨拶しなければ。
「……ごめん、こんな夜遅くに……。非常識だね。」
「いえ。いつでも歓迎しますよ。」
「……ありがとう。」
八雲はお茶を飲み干して、カップをテーブルに置いた。しっかり温まったらしく、その頬は先程までとは違う赤らみ方をしていた。どうやら酔いも大分醒めたらしい。
「そろそろお暇しようかな。あんまり長居するのも悪いし……。」
「いつでも来てください。……明日も、お待ちしてます。」
八雲はコートに伸ばしていた手を止めた。半歩こちらを振り返って、何かを言いたそうに口を開きかけた。けれどそのまま俯いてしまった。
そっとその手に触れる。また冷たくなってしまっている。明日に対する緊張だろうか。その手を両手で包み込んだ。
「……待ってて、くれる?」
弱々しい声に顔を上げると、今にも泣き出してしまいそうな八雲と目が合った。八雲を安心させるためにも、私はしっかりと頷いた。八雲は表情を緩めた。そして一瞬、覆い被さるように私を抱き締めた。
「ありがとう。」
サッと離れると、いつもの笑顔で雪の降る夜道へと消えて行った。私も甘いだろうか。雛菊さんに会いに行くというのに、こんなふうに送り出したりして。いや、何様なんだろう。恋人でもないというのに。
……明日はお茶と、少し摘めるようにチョコレートでも用意しておこう。それと沢山の毛布だ。その動揺ごと全て包み込んでしまえるよう、沢山の毛布でぐるぐる巻きにしてしまおう。
*
翌晩、予告通り八雲はやって来た。想定より少し早かったので、まだ真雪も起きている時間だった。
「八雲さんお泊まりなの!?」
真雪は嬉しそうに顔中を輝かせて言った。宿舎に門限はない。外泊ももちろん自由だ。急に泊まりになったって何も問題はない。散々任務で一緒に野宿もしているし、気にするようなことも何もない。とはいえ、こちらから引き止めるのはどうなんだろう。考えあぐねているのは八雲も同じらしく、苦笑しながら真雪の頭を撫でた。
「んー、どうしよっかなぁ。」
「お泊まりして! 真雪と真白ちゃんと、川の字で寝よ!?」
八雲は一瞬キョトンとした後、すぐに吹き出した。
「ふふ、川の字ね。じゃあそうしよっか。真白、いい?」
「もちろんです。」
「わーい!」
飛びついた真雪を抱き上げて、八雲は優しく笑った。もうすぐ真雪と一緒には住めなくなる。そしたら八雲と三人で川の字になって眠る機会なんてまずないだろう。
「よかったわね、真雪。」
「うん!」
「八雲さんにありがとうは?」
「えへへ、八雲さんありがとう!」
「こちらこそ、素敵なお誘いありがとう。真白もありがとね。」
「いいえ。」
温かいお茶を飲みながら少し談笑を楽しんで、それから寝ることにした。真雪はずっとご機嫌だった。ベッドに入ってからもそれは変わらずで、私と八雲の間に挟まれた真雪はとても嬉しそうだった。
「えへへ。あったかいね、八雲さん!」
「狭くない?」
備え付けのベッドはダブルだ。子どもと二人で寝るには十分でも、大人の男性を含めた三人だとギュウギュウだ。
「狭くて幸せ!」
「ふふ、そう?」
「パパとママと一緒に寝てたの。そのときみたい!」
私は思わず息を飲みそうになって、それを必死に噛み殺した。八雲は動じることなく「そっか。」と笑った。
真雪は普段あまり親のことを口にしなかった。だからこうして健気な姿を見ると、私の方がくらってしまうことが多々ある。八雲がいてくれて助かった。
「こうやってね、手繋いで寝てたの!」
そう言って真雪は私と八雲の手を握った。あまりの手の小ささに泣きそうになるのをグッと堪えて、真雪の頭に鼻を擦り付けた。
「真雪、大好きよ。」
「えへへ。真雪も真白ちゃん大好きー。」
そうしているうちに、繋いでいる手がジワジワと温かくなった。眠くなってきているんだろう。その証拠に笑顔がフニャフニャしてきている。
「おやすみ、真雪。いい夢を見られますように。」
「おやすみなさい…。八雲さんも、おやすみなさい。」
「おやすみ。」
真雪は満足そうに笑って、ストンと夢の中に落ちていった。あまりに早く静かな寝息が聞こえてきたせいか、八雲が可笑しそうに小さく笑った。
「子どもだねぇ。」
「まだ五歳ですよ。」
「あんまりしっかりしちゃってるから、ときどきそれを忘れそうになるねぇ。」
「そうですね……。」
繋いでいない方の手で真雪の髪を撫でると嬉しそうに口角が上がった。つられて私の口角も上がった。
こんな真雪だが、実は毎晩のように夢遊病の症状が出ている。何かから逃げるようにベッドから出てしまうのだ。うなされることはしょっちゅうだし、叫び出すこともある。抱き締めてやれば落ち着くことが大抵だ。特に日中、真雪が頑張っている証拠だ。真雪の幸せそうな寝顔を堪能した後、私は八雲にようやく目を向けた。
「……雛菊さんはどうでしたか?」
私は気になっていたことを切り出した。八雲から話してくれるまで待とうかと思ったが、わざわざ家に来ている時点で少なくとも消化不良になっているはずだ。八雲はモゾモゾと寝返りを打つと天井を仰いで言った。
「綺麗な顔して、寝てたよ。」
まるで死人に向けるかのような言葉だ。実際に生きて戻って来た姿を目の当たりにしても、まだ受け止めきれていないんだろうか。
「十年も行方不明になってたなんて思えないくらい、綺麗な顔してた。」
八雲の言葉は雛菊さんに外傷がなかったと、その表情が苦痛に歪んでいるわけでもなかったと、そういう意味だったようだ。私のところにも情報が入ってきたのでそれは把握している。
「でも大人の顔になっててさ、十年前からタイムスリップでもしてきたのか? なんて思っちゃったよね。」
「はい。」
「本当に帰って来たんだなって……、やっと実感わいたよ……。少しだけどね。」
「……はい。」
「それでも、まだ目は覚めないらしい。」
八雲は忌々しげに表情を歪めた。
「理由は分からないけど、意識が戻らない。まるで眠り続けてるみたいに。」
そうか。それで八雲はまるで死人に向けるかのような言葉を使ったのか。あれはそのままの意味でもあったんだ。
八雲は嘲るようにふっと笑った。
「顔を見てホッとするかと思いきや、少し虚しい気持ちもあるよ。こんなの帰ってきたって言えんのかって……。」
「はい。」
「ふふ。帰ってきただけで十分だと思ってたはずなのに、どんどん我が儘になっちゃって……駄目だね……。」
「……我が儘だなんて言う人がどこにいるんでしょう。十年も待ってたんです。顔を見るだけじゃ、足りないですよね。」
顔を見て、触れて、話して、無事の帰還を実感して、それからやっと喜べるのだ。やっとやっとなのだ。十年という月日を埋めるにはそれだけしたって足りやしない。
「……。ふふ。真白はさ、どのタイミングで満足したの?」
「え……。」
二周目に突入して、八雲と再会して……。
「守護隊に入って八雲さんの隣に立てるようになってから、な気がします。やっとスタートラインに立てたような気がして……。もちろん、まだ一周目の死点を越えていないので満足し切れてませんけどね。」
「ふふ、そっか。結構長くかかったね。」
「はい。でも最初は、あの日、雪原で八雲さんに見つけてもらって、抱き上げられたとき……もう十分だって思いました。八雲さんが生きていると実感できたから……。」
「……そっか。じゃあ俺も、雛菊が目を覚まして会話できるようになるってところまでは、望んでいっか。」
「ふふ、いいと思います。」
私も八雲に倣って天井を仰いだ。
「早く目が覚めるといいですね、雛菊さん。」
「……うん。……真白。」
「はい?」
真雪の頭越しに八雲と目が合う。とても優しい笑顔だった。
「真白と真雪にすごく救われた。ありがとう。」
「……はい。」
「今度さ、一緒に雛菊のお見舞い……行かない?」
「行きたいです。」
「ふふ、躊躇とかないんだね。」
「あるわけないじゃないですか。」
「本当に、ありがとう。」
その日、私たちはいつの間にか眠っていて、真雪は夜中一度も起きることなく朝を迎えた。




