21 - 生還の報せ
年が明けて最初の月も半分を過ぎた頃だった。その日の朝は酷く寒くて、けれどそれに反して空は見事に晴れ渡っていて青空まで見えていた。実に清々しい冬の朝だった。
「じゃあ真雪、いい子で待ってるのよ?」
「うん! 真白ちゃん、いってらっしゃい!」
「それじゃあ、よろしくお願いします。」
「任せて! 真白ちゃん、気をつけて行っといで!」
豪さんの奥さん──飛鳥のお姉さんに見送られて、私は隊舎へと向かった。あれから、出勤時は豪さんの自宅に寄って真雪を預かってもらうようになった。もう少ししたら完全に豪さんに真雪をお願いするようになる。その準備期間だ。それは真雪も理解して納得している。あまりに聞き分けが良くて心配になるが、心配したところで私は戦いに赴く身。真雪を引き取る選択肢は持てないのが現状だ。
隊舎へと向かう道中、由楽隊長を見つけた。由楽隊長も家庭を持っていて、首都に家族と住んでいる。その大きい背中を追いかけて声をかけた。
「おはようございます、由楽隊長。」
「おう、おはよう! 豪の家に寄って来たのか。真雪の方はどうだ?」
「今のところ平和に過ごせていると思います。」
「そうか! 引き受けてくれてありがとうなぁ!」
「いえ……。」
そんなのんびりとした会話をしながら執務室へと向かった。今日は急ぎのものはなかったはずだ。少し仕事をした後訓練、一時間程昼食を兼ねた休憩を挟んだ後はまたデスクワークだ。出勤してきた八雲や進先生、沙良、夏未と挨拶を交わす。始業までにお茶を淹れたりと各々のんびりと過ごしていたところに、その報せはやって来た。
「報告です!」
部屋に飛び込んで来た隊員は顔面蒼白だった。尋常じゃない慌てぶりだ。通信室からここまで大した距離ではないというのに、汗までかいている。
「行方不明になっていた雛菊が、発見されたとのことです……!!」
雛菊……?
「は!? お前っ、詳しく言え!」
由楽隊長は胸倉を掴む勢いでドタバタとその隊員に詰め寄った。
「今朝方っ、森の中で発見されたそうです……! 目立った外傷はないものの意識不明。首都に搬送予定とのことです……!」
「っ……、生きてんのか!?」
「い、生きてます……!!」
少しの沈黙の後、由楽隊長はゆっくりと脱力した。
「マジか……、生きてんのか……。」
聞こえた声は小さく、そして震えていた。顔を見なくても分かる。由楽隊長は泣いていた。部屋のあちらこちらからも喜びの声が聞こえた。太陽の国と戦って行方不明になった場合の生還確率はほぼゼロに近い。
「八雲さん……!」
八雲を笑顔で振り返ったものの、私は言葉を失った。八雲は放心状態でデスクに座ったままだった。その頬を一粒だけ、涙が伝っていた。「よかったですね」と続けるはずだったのに、その光景を見た瞬間そんな言葉はどこかへ飛んでいってしまった。そんな軽々しい言葉ではいけない気がした。
「八雲!」
どれくらい放心していたか分からない。由楽隊長の声が飛んできて、八雲と一緒に私も我に返った。八雲はサッと涙を拭った。
「今日はもう帰れ! 俺たちでお前の仕事は巻き取る。さすがに手につかないだろ。」
「えっ……。そんなに柔じゃないですけど……。」
「そうかぁ? でも、総隊長の様子を見て来てほしいんだ。さすがにそれは、お前の役目だろ?」
八雲は肩を竦めて持っていたペンを置いた。
「確かに、それは俺の役目かもしれないですね。」
そう言ってやっと立ち上がった。
「戻って来るんで、仕事は巻き取らなくていいです。」
「おう! 頼んだぞ。」
「はいはい。」
八雲はいつものように気怠げに両手をポケットに突っ込んで執務室を出て行った。由楽隊長も他に情報はないかと、先程の隊員と執務室を出て行ってしまった。他の隊員はまだ喜びに湧き立っている。私は八雲が出て行ったドアをボンヤリと眺めていた。
「この仕事をしてると人が死ぬことはあっても、生き返ることはないからな。」
不意に隣に人が立ってそう言った。進先生だった。生き返ることはない。言うまでもない当たり前の自然の摂理だ。蛍様も飛鳥も、生き返ることはない。真雪の家族も、私の家族も。
「そうですね。」
そう返すのが精一杯だった。
「さぁ、俺たちは仕事しよう。」
進先生に促されて私は仕事に戻った。八雲は午前中戻って来なかった。仕事はなかなか捗らなかったし、訓練にもあまり身が入らなかった。
いつものように昼食を摂って、中庭のベンチに腰を下ろした。今朝は清々しいと思えた青空も鬱陶しく思えて、思わず溜め息が漏れた。雛菊さんの生還は喜ばしいことのはずなのに、何だか複雑だ。
この雪の季節が終わってしまえば、いつ状況が一変したっておかしくない。この日常がいつ終わったっておかしくないんだ。そんなのとっくに分かっていたはずなのに。雛菊さんの生還によって日常が一変してしまう、そんな気がした。……余計なことを考えるのは止めよう。私はそっと目を閉じた。
*
いつの間にか眠っていたらしい。目を覚ますと芳醇な花の香りに包まれていた。……懐かしい。うたた寝している間に私は花に埋もれていた。ふと顔を上げると、降ってきた花びらが頬を掠めて落ちていった。
「……八雲さん?」
一瞬手を止めてこちらを見下ろした八雲と目が合った。いつもの枝に寝転んで黙々と花を降らせていたらしい。目を逸らした八雲はすぐに花の生成を再開した。こちらに戻っていたのか。そっと目を閉じて胸いっぱいにその香りを吸い込む。心が解けていくように、自然と笑みが溢れた。
「久しぶりですね。」
木の上で八雲もふっと笑んだ気配がした。
「そうね……。」
気まずくなったり、八雲の脚が折れたり、直近は雪が降り続いていたから本当に久しぶりだ。温かい陽だまりの中で、こうして二人だけの時間を過ごしていた日々が遠い昔のように思える。私の愛しくて大切な日々。
「……雛菊さんの方は、もういいんですか?」
「二日程したら到着するってさ。」
「そうですか……。」
いつもなら花を片付けるよう文句を言うところだが、今はもう少しだけこの時間を享受していたい。私は再びそっと目を閉じた。八雲もそれ以上何も言わず、黙々と花を降らせ続けた。
しばらくするとかなり冷え込みが強くなってきた。陽射しも衰えてきたような気がする。そろそろ時間的にも戻らなければ。そう思って目を開いて、私はつい吹き出した。
「八雲さん。私、お花に溺れちゃいます。」
「え? あ……。」
私は見事な花ダルマになっていた。八雲も気付いていなかったらしい。ようやく花を降らせる手を止めた。
「ふふっ、ごめん。」
悪びれもなく笑いながら、いつものように軽やかに枝から飛び降りて私の前に立った。私の顔を覗き込むように腰を折り、手で花を払ってくれる。
「いつもみたいに消さないんですか……?」
「んー。なんか……もったいなくて。」
「……そうですか。」
八雲が丁寧に花を取ってくれるのを眺めた。なんて穏やかで幸せな時間なんだろう。けれど、これが永遠でないことは分かっている。
「……雛菊さんのこと、よかったですね。」
そう切り出すと、八雲の手が止まった。ゆっくり手を下ろし、そのまま八雲はしゃがみ込んだ。膝に乗せた手の甲に額をつけ、ゆっくりと息を吐いた。
「……八雲さん……?」
顔を覗き込もうとするも、銀髪の隙間からはお揃いの緑のピアスしか見えなかった。
「……ごめん。正直、自分でもびっくりするくらい動揺してて……。情けないな……。」
そう言った八雲の手が微かに震えていた。大切な人の死を受け入れられなくて、それでもやっとのことで踏ん切りをつけて前を向いていたんだろうに。動揺して当たり前だ。
「……進先生が言っていました。この仕事をしていると人が死ぬことはあっても、生き返ることはないって。」
「ふふ、そうだね……。」
「でも私、八雲さんの気持ち、痛いほどよく分かります。」
一周目で八雲と総隊長を失った。けれど生きてまた再会できた。その動揺も喜びも、私は知っている。私の場合は踏ん切りをつける時間も、前を向く時間もなかったけれど。
ようやく顔を上げた八雲はキョトンとしていた。けれどすぐに顔をくしゃくしゃにして笑った。私は堪らなくなって八雲に向かって両腕を広げた。
「死んだと思っていた人が生きていたなんて、早々あることじゃありません。奇跡です。喜びましょう、八雲さん。」
「……本当、真白には敵わないな。」
八雲はおずおずと腕の中に入ってくると、私のお腹の辺りに顔を埋めた。私はそれをしっかりと抱き留め、柔らかい銀髪を撫でた。
最初に報せが舞い込んできた時、私は八雲を取られてしまうんじゃないかと思った。醜い嫉妬に飲み込まれてしまうような気がした。でもきっと大丈夫だ。だって私も、八雲の喜びを、仲間の喜びを共に分かち合いたいと思える。何より、私には一周目で全てを失った経験がある。だからこそ素直にこう言えるのだ。
「よかったですね、八雲さん。」
「っ……、あぁ……っ。」
八雲の肩が震えていた。私の目からも涙が零れ落ちた。失ったと思ったものが舞い戻って来たとき、動揺するのは当然だ。でもそれ以上に、やっぱり嬉しくて堪らないはずなのだ。
「本当にっ……、生きててくれてよかった……!」
八雲を抱く腕に力を込めた。本当によかったですね、八雲さん。八雲が大切に思っていた人。妹のような人。それは総隊長にとっても喜ばしいことのはずだ。これからくる太陽の国との本格的な戦いの景気付けになればいいなんて、少し無粋だろうか。
私は八雲の震える肩をただずっと抱き締めていた。




