23 - 本格化
「忘れ物はない?」
「ないよ!」
真雪は自信満々の笑顔でそう言った。短い両腕には大きなぬいぐるみが大事に抱きかかえられている。今日で真雪との共同生活も終わりだ。
「じゃあ、鍵閉めちゃうわね。」
玄関のドアを閉め、隊に返却するために鍵を閉める。たった一月。されど濃い一月だった。大変なことも沢山あったけれど、楽しかったし幸せだった。すっかり愛着が湧いてしまったこの家とも、今日でお別れだ。
迎えに来てくれた豪さん夫妻に真雪の荷物をお願いする。結局、村から真雪の物はあまり見つけてあげられなかった。一月じゃ大して荷物も増えなくて、少ない真雪の荷物を見るだけで申し訳なくなる。
「真白ちゃん。」
「なぁに?」
しゃがみ込んで目線を合わせ、真っ直ぐに真雪の目を見る。澄んでキラキラとした眼だ。真雪は抱きかかえていたぬいぐるみを豪さんの奥さんに託して、私の首にギュッと抱きついてきた。その小さな背中に腕を回して応えた。
「いっぱいいっぱいありがとう! 真雪、これから頑張って生きる! 真白ちゃんがいっぱい真雪といてくれたから、真雪頑張れる!」
私はキツく瞼を閉じた。どうしても涙が溢れそうになる。私は必死に言葉を紡いだ。
「そうっ……。頑張れるの?」
「うん! 真雪、真白ちゃんがいなかったら死んでたもん! 一緒にいてくれてありがとう! ご飯作ってくれて、一緒に食べてくれてありがとう! 一緒にお風呂入ってくれてありがとう! 一緒に寝てくれてありがとう! 真白ちゃんが買ってくれたお洋服もぬいぐるみも、真雪の宝物なんだよ!」
「っ、ええっ……。」
私が泣いちゃいけない。私は唇をギュッと噛み締め、大きく息を吸い込んだ。真雪を抱く腕に力を込める。
「お礼を言うのは私の方だわっ……。ありがとう、真雪。」
私の守りたいものになってくれて、未来を見せてくれてありがとう。大切な時間をありがとう。
「毎日とっても楽しかったし、幸せだったわ。」
「真白ちゃんも!?」
「ええ。当たり前じゃない。」
「えへへ!」
少し体を離して真雪の顔を覗き込むと、真雪の頬は涙で濡れていた。それを見た瞬間、私の目からも涙が零れ落ちた。まったく、大人みたいな泣き方をする子だ。きっと私達に気を遣っているんだ。たった五歳の子どもだというのに。これからは豪さんの元で、子どもらしく育ってほしい。私は自分と真雪の涙を拭うと、もう一度ギュッと真雪を抱き締めた。
「それじゃあ……、真雪をよろしくお願いします。」
「うん……。任せて!」
「責任持って育てるからね! 真白ちゃんもいつでも遊びにおいでよ!」
「はい。ありがとうございます。……それじゃあ、真雪。」
「うんっ……。またね、真白ちゃん!」
「ええ。すぐに会いに行くわ。」
「絶対だからね!」
「ふふ、ええ。」
真雪はぬいぐるみを抱え直して、豪さんの奥さんに手を引かれて歩き出した。度々振り返りながらも歩いて行く。私はその後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
その後、私は鍵を返しに行った。鍵を返却して滞りなく手続きを済ませ、隊舎を出たところで声をかけられた。
「真白〜! 無事に手続き終わった!?」
「百音……。」
「今日さ、アレあるじゃん!? 私お休みだったからお迎え来ちゃった!」
アレとは、総隊長の部屋で行われる会議のことだ。私は堪らず百音の胸に飛び込んだ。よかった。今は一人でいたくなかった。百音にはそんなことはお見通しだったようで、動じることなく私の頭を撫でた。
「よーしよし! 真雪ちゃんとはちゃんとお別れできた?」
「ええっ……。でも泣いてしまって……。」
「だから何!? 大事な感情表現だよ! 泣いちゃえ泣いちゃえ!」
涙が止めどなく溢れた。寂しいのも辛いのも、私の方かもしれない。
でもこの涙はそれだけじゃないんだ。情けない。真雪に最後まで大人でいさせてしまった。もっと我が儘を言って、駄々を捏ねられる環境を作ってあげたかったのに。私の力不足だ。
「真雪ちゃん、なんて?」
「いっぱい、ありがとうって……。」
「そっか。お疲れ様、真白!」
「っ、ありがとうっ……。」
「落ち着いたらさ、豪さんとこ遊びに行こーね!」
「ええっ……!」
「もう〜、よしよし! 可愛すぎ! いっぱい泣いちゃえ〜! 真白だって寂しいよねぇ!」
自分の我が儘で真雪を引き取らないくせに、寂しいだなんて烏滸がましい。それは分かっているけれど、やっぱりどうしても寂しくて。会議までの時間、私は百音の腕の中でわんわん泣いた。
*
総隊長の執務室に入ると由楽隊長がいた。由楽隊長は私の顔を見て目を真ん丸にして驚いていた。けれどすぐにその理由に気が付いたようだった。
「こんなに感情的な真白は初めて見たかもしれないなぁ!」
そう言って大らかに笑った。私の頭をわしゃわしゃと撫でる手が温かくて、また涙が出そうだった。
「いい経験をしたなぁ、真白!」
私はその言葉に必死に頷いた。それを見ていた総隊長はまるで祖父のような優しい笑顔で笑った。後からやって来た八雲と豪さんも私の顔を見て目を丸くしていたが、何も言わずただ優しく笑った。
会議の参加人数はここ数ヶ月で増えていた。総隊長、八雲、進先生、百音、聖に加え、由楽隊長、第二隊隊長代理として副隊長の豪さんだ。第二隊の隊長は引き続き太陽の国に潜入している。
「新しい情報がないままここまで来てしもうたが、ここいらが限界じゃと思うとる。もうこれ以上は待つだけ無駄じゃろう。」
「でしょうなぁ! 国王も何も明かさない、我ら第一隊も第二隊も何も掴めずでは、時間が無駄に過ぎるだけです!」
「あれから何度か、国王には掛け合ってるんすよね?」
「あぁ。じゃがのらりくらりと躱されてしまう。」
「あの調子じゃあ取り付く島もないっすもんね……。」
聖は面倒臭そうに頭を掻いた。
「雛菊さんが目を覚ましたら何か聞けそうなのにっ……。」
百音が悔しげに言った。確かに何か聞けるかもしれないが、何も聞けない可能性もある。そう考えるとそこに賭けるのは少し危うい。
「とはいえ、これから本格的に雪深くなる時期です。仮に太陽の国に攻め入るにしても、時期が悪い。少なくとも雪解けを待つべきです。」
「僕も八雲さんの意見に賛成です。逆に言えば雪解けまで早くてあと一月でしょう、今年は暖冬ですから。やる事は山ほどあります。」
「むしろ時間が足りないかもしれないねぇ。」
百音がさりげなく身を寄せ、囁くように尋ねてきた。
「備蓄も首都への人の避難も順調だよね。あと何がある……?」
「各隊への情報伝達、作戦の擁立が残ってるわ。」
各隊への情報開示は光属性魔法についてのみだ。最終的にどこまで共有するかは総隊長の采配になるだろう。
「何より重要なのは、太陽の国への侵入ルートの確立じゃ。」
総隊長は溜め息を吐きながら言った。侵入ルートが確立されていない最大の要因は、国境に横たわるあの渓谷だ。魔法で橋をかけようにも、距離が遠くて目立ちすぎてしまう。一度あの奈落の底に降りるにも、少人数ならまだしも、そこそこの人数では難しいだろう。安全で且つ消耗が少ないルートを探さなければならない。
「第二隊が使っとる奈落の底に降りるルートも使えんことはないがのぅ……。」
「あれはきちんと実力のある者じゃないと無理でしょうね。正直第四隊がかなり怪しい。うちの真白でさえ流されかけてたし。」
思わぬパスに肩をすくめる。かなり無茶をしたのは事実だ。
「かといって第四隊を連れて行かないわけにもいかないだろう!」
「何人で行くかによりますけど、班一つ二つの想定じゃないですよね?」
進先生の問いに総隊長は眉間に皺を寄せた。
「うむぅ……。五つくらいは送り込みたいのぅ。」
「そんなにっ……!?」
百音が思わず立ち上がった。普段であれば動いても三班程度だ。それが五つとなれば、単純計算で二十人だ。
「少ないくらいじゃ。敵国に乗り込もうっちゅーんじゃからのぅ。じゃが隠密にという点を考慮すると、逆にそこが限界じゃろうのぅ。」
「そ、そっか……。そうですよね……。」
「メンバーの選定も進めないとっすね。」
「聖はしっかりしてるなぁ! それも進めねぇとな!」
「うす……。」
百音は顔を青褪めさせていた。規模感に驚いているのだろう。私はそっと百音の手を握った。握り返してきた百音の手が微かに震えていた。
「第二隊が追っとる脱獄者のこともある。またすぐ招集をかけよう。」
総隊長の言葉によって、その日はお開きになった。目の前の課題は山積みだ。




