18 - 君の元へ帰る
「〜♩」
部屋に鼻歌がこだまする。声の主は今日は一際張り切っていてとても楽しそうだ。
「はいっ、今年もバッチリね! あぁ真白ったら本っ当に可愛い!」
百音は完成したばかりの私に頬擦りした。毎年恒例、八雲と星の日のデートだ。厳密には私の誕生日祝いである。
「ふふ、今年もありがとう。」
「まっかせて! 真白を一番可愛くできるのは私なんだから!」
百音はふふんと鼻を鳴らしながら化粧道具を片付け始めた。待ち合わせまでまだ少しあるが、のんびり向かえば丁度いいかもしれない。
「百音──」
「うん、いってらっしゃい! 楽しんで来てね!」
「ふふっ、うん。ありがとう。」
のんびりと宿舎の廊下を歩いていると、見慣れた人影を見つけた。
「沙良、夏未!」
「真白さん! 今日は一段とお綺麗ですね!」
「ふふ、ありがとう。」
「八雲さんとお出かけですか?」
「ええ。」
「楽しんで来てください。帰って来た後は、皆で盛大にやりましょう。準備しておくので。」
「ふふ、ありがとう!」
二人は先月無事に釈放され、今ではもう監視もない。すっかり元通り……と言いたいところだが、沙良はまだ割り切れていないらしい。直属の上官だったのだ、無理もない。それでも沙良は気丈に振る舞っている。彼がそうするのなら、そこに触れるのは野暮だ。
二人と別れて宿舎の玄関へ向かうと、すぐに八雲を見つけた。八雲はネイビーのマフラーを身につけていた。銀髪やその隙間から覗く緑の瞳とピアスが一層輝いて見える。堪らず駆け寄ると、こちらに気がついた八雲は頬を綻ばせた。
「お待たせしました。」
「いーえ。……今日も百音の力作?」
「はい。」
「本当……、毎回驚かされるね。」
そう言って八雲はそっと私の頬に触れた。私は真意が分からず小首を傾げた。
「もう八年目か……。どんどん綺麗になってくね。」
「え……。」
「行こっか。今日は行きたい店があるんだよね、付き合って。」
「あっ、はい……!」
私が困惑している間にサッと手を離すと、八雲はゆったりとした歩調で歩き出した。八雲の脚もすっかり良くなった。実務への復帰はリハビリ段階なのでまだだが、日常生活にはもう支障がない状態だ。来月の年明けには本格的に復帰するらしい。
八雲と二人なんてもう慣れっこのはずなのに何だかこそばゆくて、街中をぐるりと見回した。今年の星の日の飾り付けも可愛い。街中がキラキラと輝いている。夜になると灯りを反射してもっと輝くようになっているのだが、いつもその時間には宿舎に戻ってしまう。
「真白。」
「はひゃ……!」
不意に腰を抱き寄せられて変な声が出てしまった。見れば店先のブリキ缶を蹴り飛ばしかけていた。中身は新聞紙だったので、危うく散乱させるところだった。
「ふ、ごめんね、ふふっ。」
「っ……、笑いすぎです……!」
「ふふ。」
八雲は私を抱えたまましばらく笑っていた。なんてことのないその時間が愛しくて幸せで、時が止まってしまえばいいのになんて乙女チックなことを考えてしまった。一頻り笑った後、八雲は私の手を取って歩き出した。
「八雲さん、あのっ……手……。」
「また真白が店の物蹴り飛ばしちゃうと悪いからね。」
「み、未遂です……!」
「はいはい。」
八雲はなおも楽しそうに笑っていた。その笑顔があまりに楽しそうで、私はつい絆されてしまう。当然嫌なわけじゃない。だからまぁ……このままでもいいか、なんて。
例年のようにランチをご馳走になってケーキを食べた。一通り食べ終え、窓の外に目を向けたときのこと。
「わぁ、雪……!」
気付けば雪が降り出していた。道理で今日は寒いと思った。例年この時期には降らないのだが、雪灯りで街がより一層キラキラと輝いて見える。
「しっかり積もりそうだね。」
「今年は暖冬かもなんて言っていたのに……。」
この雪が溶けてなくなる頃を思うと、胃がキリキリと痛むようだった。食べ物や武器をはじめとした備蓄は静かに、けれど着々と進んでいる。
「真白。」
思わず溜め息が漏れた瞬間だった。八雲に名前を呼ばれ、ハッと我に返った。八雲は少し困った顔をして笑っていた。
「ごめんなさい、私……つい……。」
八雲は優しく笑って首を横に振った。
「真白が謝ることじゃない。むしろ去年の今頃は、俺は何も知らなくて……。」
「それは私が言わなかったから……。」
それっきり、私は何を言えばいいか分からずただ俯いてしまった。それは八雲も同じだった。謝ってほしいなんて欠片も思っていない。罪悪感すら感じてほしくない。けれどそれは到底無理な話だ。
「……出ようか。」
「……はい。」
店の外に出ると、外はすっかり暗くなり始めていた。この曇天だ、暗くなるのも早いだろう。いつもならプレゼント探しの旅にでも出るところだが、そんな気分でもない。天気を理由に早々に宿舎に戻るのもありだろう。
そもそも毎年のプレゼントも、私がなかなか欲しい物を見つけられなくて、結局何だかんだと揉めに揉めて買ってもらうのだ。それを思い出して思わず口元が緩んだ。明確にねだった物といえば、このピアスだけかもしれない。そういえばとそこで思い出した。
「八雲さん、行きたいお店があるって言ってませんでしたか?」
「ん? あぁ……。」
何だか歯切れが悪い。不思議に思って首を傾げていると、市場からひょっこりと顔を覗かせたご主人が一人いた。
「おぉ! 八雲さん! 来ねぇかと思ったぞ!」
なんて大きな声でこちらに声をかける。驚いて八雲を見上げる。八雲は不機嫌を隠しもせずに盛大に舌打ちした。さらに驚く私をよそに、八雲は店主の元へ向かって歩き出していた。私は慌てて八雲の後を追いかけた。
「ほれ。注文してもらってたやつ、できてるよ!」
「あぁ……。」
八雲はやはり歯切れが悪い。不思議に思って顔を覗かせていると、店主とバッチリと目が合ってしまった。
「んん? ……真白ちゃんか?」
「え、あっ……。」
誰だろう。困惑して視線を下げて、ようやく気がついた。店先にキラキラと輝くアクセサリーが沢山並んでいる。勢い良く顔を上げると店主は優しく笑っていた。八雲にお揃いのピアスを買ってもらった店だ。アクセサリーなんてあのとき以来買っていないので、店の場所をすっかり忘れていた。
「でっかくなったなぁ!」
「ご、ご無沙汰してます……!」
「そんなことまで言えるようになっちまって……!」
店主は大袈裟に泣き真似をして見せる。私が幼少の頃を知る人間は守護隊関係者だけだ。だからそんな風に言われるのは初めてで少し照れてしまう。
「どうして私の名前まで……。」
「そりゃお前、第一隊の人間の名前は有名になっちまうからなぁ。エリート揃いに美形も多いとくりゃ、アイドルみてぇなモンよ。」
「えぇ……。」
そういえば八雲もそんな扱いだったような気がする。まさか自分までそちら側になっていたとは思いもよらなかった。
「今年でいくつになったんだ。」
「じゅ、18です。」
まだ口に馴染まないその数字を少し緊張しながら言う。すると店主は大袈裟にハッと息を飲んだ。八雲がジロリと睨みつけたが、店主はその視線を華麗に躱して言った。
「成人じゃねぇか! 婚約してる相手はいねぇのか!?」
「い、いないです。」
「じゃあ縁談きたりするだろう!? たーんまり!」
「そんな。二、三件くらいです……。」
「にっ、二、三件!?」
八雲は突然反応したかと思うと私の両肩を掴んだ。驚いていると、隙間から一瞬店主のいい笑顔が見えた。驚いて固まる私をよそに、八雲は店主から包みを受け取ったかと思うと私の手を引いて歩き出した。
「えっ、八雲さん?」
困惑する私の背中に店主の「毎度あり〜!」という陽気な声が飛んできた。八雲は大股で街中を歩いた。いつにも増して何を考えているのか分からない。私はただ必死に八雲に着いて行った。
やがて八雲がたどり着いた場所は、やはり月桂樹の丘だった。ここはいつも人気が少ない。思い出はなぜかいつもここだ。八雲に促されて隣り合ってベンチに腰掛けた。見渡す限り辺り一面すっかり真っ白だ。白い吐息が空へと昇っていった。
こうしていると思い出す。二周目が始まった、あの夜を。絶望的だった。目の前で総隊長が捕まり、八雲が殺され、そして私も死んだ。挙句雪原のど真ん中に一人投げ出された。だから八雲に助けられた時は奇跡が起きたんだと思った。八雲が生きている、ただそれだけで嬉しくて……。私は隣に座る八雲に視線を移した。ふと目が合って、それだけで嬉しくなってしまう。八雲は少し顔を歪めた後、「敵わないなぁ本当……。」と呟いた。それは私の耳には届かなかった。
「真白。」
「はい。」
「縁談、いいのはいた?」
一瞬キョトンとしてしまう。まさかそれを気にしていたなんて。思わず吹き出した私を見て、八雲は不機嫌を露わにした。
「真白が誰を選ぼうと、真白の自由だからね。それが聖や沙良だったなら、断る理由もないんじゃないの。」
私は笑いを止めることはしなかった。いや、止められなかった。これはもう、明らかなる嫉妬だ。さすがの私でも分かる。
「全部丁重にお断りしましたよ。」
「ふーん?」
「本当です。絵なんて開きもせずに暖炉に焚べました。」
「……なんで?」
八雲は私の答えが分かっていて、わざとこんな質問をしているんだ。恋愛に現を抜かす暇がないことも、私がどこぞの馬の骨とも知れぬ──それも八雲以外の男からの縁談を受けるわけがないということも。全部分かっていて、わざわざこんな質問をするんだ。私はそれが分って、笑顔で答えた。
「今更、他の男の人によそ見するはずがないじゃないですか。」
八雲はくしゃりと顔を歪めた。まるで泣きそうな表情だった。八雲は手に持っていた包みの中から何かを取り出した。チャリチャリと金属音がする。
「真白。少しだけドッグタグ貸してもらえる?」
「? はい。」
不思議に思いながら首から外して手渡すと、八雲は無言でプレートを一枚追加した。
「これは……?」
手の中に返ってきたそれを見ると、刻印が施されていた。そしてピアスと揃いの緑のガラス石が嵌っている。刻印はこうだった。
──|Return to you.《君の元へ帰る。》
驚いて顔を上げた拍子に涙が一粒零れ落ちてしまった。八雲は私の不安を明確に見抜いていた。そして必ず私の元に帰って来るという約束を目に見える形にしてくれたんだ。私はドッグタグを早速首にかけ直し、大切に握り締めた。
「ありがとうございます。」
「……あれ。」
包みを畳もうとしていた八雲が首を傾げた。どうやら中にまだ何かが入っていたようだ。取り出してみるとらそれは先程八雲が私のドッグタグに追加したのと同じプレートだった。店主の計らいだろうか。私たちは柔らかく笑い合った。
私は八雲のドッグタグをそっと外し、揃いのプレートを通して八雲に返した。
「これで、八雲さんは私の所に。私は八雲さんの所に帰らなくちゃいけなくなりましたね。」
そう笑うと八雲は辛そうに顔を歪めた。
「これっぽっちの物で……、真白の……お前の八年に報いることができるなんて思っちゃいない。思っちゃいないけど……、何をしたって足りないんだ。」
「八雲さん……?」
「お前が一人でやってきたのはそういうことなんだよ。何を差し出したって、返しきれない。」
「止めてください、私そんなつもりじゃ……!」
「分かってるよ。分かってる。だけど、こんなにも直向きな想いのお前に、俺はこれしか返せないのが悔しいんだよ。」
八雲はそっと私の頬に触れ、ピアスに触れた。苦しそうなその表情の中に愛しさが滲んで、私は堪らなくなって八雲の胸に飛び込んだ。
「ありがとうございます、八雲さん。」
私は八雲の背に腕を回し、その胸に頬を寄せた。ずっと一人で戦っているような気分だった。もちろん百音や聖もいてくれた。それでも甘えてはいけないと、巻き込みすぎてはいけないと一歩引いてしまっていた。なのに八雲は、いつだって巻き込めと言わんばかりに飛び込んで来てくれる。それがどれだけ心強かったか。
「……重く、ない?」
「え……?」
何の話かと首を傾げると、八雲は少し気まずそうに言った。
「その、気持ちが。」
「……ふふっ。私に勝てるわけがないでしょう?」
そう笑って返すと、八雲も「……そっか。」なんて笑った。
「私、幸せです。」
「……誕生日と成人、おめでとう。」
「ありがとうございます。」
「……来年の今頃は、どうなってんのかね。」
「……死線を越えてます、きっと。」
「ふふ、それは期待大だね。……じゃあ、続きは来年だね。」
「はい。」
以前私は言った。
──『前に言いましたよね。私が好きなのは『八雲隊長』なのかって。私にとっては一周目の八雲隊長も、二周目の八雲さんも、同じ『八雲』という一人の人物です。全部ひっくるめて好きです。……でも、それをあなたに押し付けるのは違うと思いました。だってあなたは八雲隊長を別人と認識している。なのに八雲隊長も好きな私を、丸ごと愛してほしいなんて暴論です。……全部決着がついたら、私はきっと八雲隊長をやっと過去の存在にできるんだと思います。八雲さんだけが残ったときに、あなたを好きかどうかやっと分かるんじゃないかって、思ったんです。だから全部が終わったら、また伝えさせてください。』
いつの間にか抱きすくめられていた腕の中から顔を上げると、八雲はとても優しい顔をしていた。
「聞きたいこともあるけど、言いたいことも沢山あんのよ。」
「そうなんですか?」
「そうなの、実はね。」
「それは……楽しみですね。」
この日、私たちは初めて夜の星の日の飾り付けを見ることができた。ただ抱き合っているだけで幸せだった。だから気付いたときにはとっぷり日が暮れていた。私たちは走って宿舎に帰った。私の誕生日パーティーに遅刻していたからだ。それはまるで、いつか本で読んだ素敵なラブストーリーの一幕のようだった。




