13 - 語らい
翌週の休日の昼下がり、私は八雲に指定された酒場に向かっていた。いつもは宿舎の玄関で待ち合わせなのに、今日指定されたのは首都のど真ん中にある酒場だった。珍しいなと思いながら酒場のドアを開けると、そこには八雲と一緒にテーブルについた豪さんがいた。
「豪さん!?」
「やぁ、真白ちゃん! 久しぶり。」
たった二、三ヶ月ぶりだというのに、ひどく久しぶりに感じる。八雲救出作戦といい、この二、三ヶ月がいかに濃密だったかを思い知る。それは豪さんにとっても同じのようだった。
「無事に娘が産まれたよ!」
「わぁ! おめでとうございます。」
「もう本当に可愛くて可愛くて……!」
「今からそんなんじゃあ嫁に行くとき大変そうだねぇ。」
「行かせませんよ何言ってるんですか!」
「やれやれ、もう親バカだ……。」
肩をすくめる八雲を見てつい吹き出した。八雲だって娘を持てば絶対にこうなるに決まってる。豪さんも私と同意見のようだった。
「そんなこと言っていられるのも今のうちですからね!」
「はいはい。」
この空気感が懐かしい。八雲が飄々としているのはいつものことだが、ここまで親しげに接するのは豪さんだけだ。私に対する接し方とはまた違うリラックスした姿を見られるのが嬉しくて、私までリラックスしてしまう。不意に豪さんが眉尻を下げて言った。
「総隊長と八雲さんから話は聞いたよ。」
「!」
ちょうど注文したドリンクもフードもすべて運ばれてきたタイミングだった。酒場を訪れるには早い時間なこともあって、店内の人は疎らだった。開けた店内の隅、内緒話をするには打ってつけの場所だ。
挙がった名前から察するに、私が二周目を生きているという話も含めてすべてを聞いたのだろう。私はどう反応していいか分からずテーブルに視線を落とした。
「想像していたより、君はずっと頑張ってたんだね。」
「そんなこと……。」
「謙遜することないよ。ここまで真白ちゃんは独りでよくやった。自分を誇るべきだ。」
「豪さん……。」
やはり少し涙が滲んで、鼻がツンと痛んだ。それを隠すように少し笑んで見せる。それを簡単に見抜いた豪さんは、いつもと同じように明るく笑ってくれた。そんな私たちを見て、八雲は満足そうに笑んだ。
「実は、これがきっかけで早期復帰することになって戻って来たんだ。」
「え!?」
豪さんは奥さんの産休、育休で娘さんが生後半年を迎えるまでお休みだったはずだ。今は班長格だが、復帰後に時期を見て副隊長に昇格になると耳にしていた。もちろん決まったのは昇格が先だ。その豪さんをわざわざ呼び戻すなんて。
「第二隊の任務が少しヘビーになったから、人手不足でね。僕が出張に行くっていう話が挙がったんだ。」
豪さんの言う出張とは太陽の国への潜入調査のことだろう。知り合いがそんな危険な任務に赴くなんて。むしろ今まで誰にも白羽の矢が立たなかったことが幸運だったんだ。唇を食いしばった私を見て、豪さんは宥めるように笑った。
「でも、第二隊の隊長が代わりに行ってくれることになってね。まだ子供が生まれたばかりだし、側にいてやれって。」
「そうなんですか……。」
「そ。だから僕に副隊長として、実質隊長の役割を勤めてほしいって話になっててね。」
「えぇ……。」
安堵したのも束の間、敵地に潜入するのとどちらがと言われると何とも言えないが、どちらにしたって大抜擢だ。
「第二隊はそんな感じで動くよっていうのを、真白ちゃんに共有しておきたくてね。」
「ありがとうございます。でもお休みが……。」
「皆で一緒にいられるよう、家族で住むための家を首都に用意してもらったんだ。」
既婚者や子どもがいる者は、宿舎を出て首都に家を借りる場合が多い。もちろん同居せず故郷に配偶者や子どもを住まわせる者も少なくない。その方がより多くの親族の助けを得られるという利があるためだ。なおかつ地方の方が戦いに巻き込まれる可能性が低いと判断してのことだろう。
「確かに休みはなくなったけど、毎日家族の顔が見られるだけで僕は十分幸せだよ。」
そう笑った豪さんはすっかり父親の顔をしていた。
「ついに追い越されたね。」
八雲はちっとも悔しくなさそうにそう言った。その声音はどちらかというと嬉しそうだった。
「何言ってるんです、八雲さんも副隊長でしょ?」
八雲もこの七年で副隊長に昇格している。この場合は追いつかれたというのが正しいように私も思う。
「うちは由楽隊長が元気だから隊長業務も回ってこないし、何より俺がこれだからね。」
そう言って八雲は包帯がぐるぐる巻きになった腕と足に目を向けた。それを見て豪さんと私は苦笑した。
「そういえば、今日は何の用で呼び出したんです?」
「あぁ……。」
「あれ、呼んでくださったのって豪さんじゃないんですか?」
「ううん、八雲さんだよ。」
召集をかけたのはてっきり豪さんだとばかり思っていた。驚いて八雲に目を向けると、バッチリと目が合った。八雲は少し表情を強張らせてズボンのポケットから何かを取り出した。
「……そろそろ、向き合わなきゃいけないと思ってね。」
コロンと音を立ててテーブルに置かれたのは、昔八雲がつけていたフープ型のピアスだった。まさかと顔を上げると、やはり八雲と目が合った。八雲は私に話してくれるつもりなんだ。八雲は少し笑んで豪に視線を向けた。
「情けないけど、まだあんまり気が進まないからさ。ちょっと付き合ってよ、豪。」
これには豪さんも驚いて目を見開いた。八雲は人に弱みを見せない。いつも飄々としていて隙を見せてはくれない。それが今、自分からその弱さを見せてくれている。豪さんの目が一瞬潤んだ気がした。けれどすぐに笑って頷いた。
「喜んで。」
八雲は安心したように柔らかく笑んだ。八雲は私に少し目配せしつつ、弄ぶようにピアスに触れた。
「俺の幼馴染に金兎と雛菊ってのがいたんだけど、それは聞いてるんだよね?」
「……はい。」
「このピアスは二人にもらった物でね。三人でお揃いなんだよね。」
そんな大切な物なのに、外してしまってよかったんだろうか。八雲の左耳には私とお揃いの緑のピアスが光っている。何だか二人から八雲を奪ってしまったような気分だ。そんな私の考えに気づいてか、八雲は少し困ったように笑った。
「大切な物であることに変わりはないけど、何か時が止まってるみたいっていうかさ、停滞してる気がしちゃったんだよね。」
何となく言いたいことが分かって、私は何も言えずに八雲の手の中で弄ばれるピアスを眺めていた。
「……俺が孤児なのは……、元々知ってるか。」
「はい。」
「金兎が同い年で、総隊長に拾われる前にはもう連んでたんだよね。金兎の方が先に首都に来てて、彼奴がいなきゃ俺は野垂れ死んでただろうなぁ。言ってみりゃ、彼奴が悪事の師匠ってワケ。」
「確かに、金兎さんってちょっとヤンチャでしたね。」
「そうそう、手癖の悪さが染み付いちゃってるっていうかさ。」
そう言って八雲と豪さんは笑った。八雲がそこまで恩義を感じる相手だったとは。単なる昔馴染みではなさそうだ。
「総隊長に拾われてからはよく叱られたっけ。なんせ手癖が悪いから。」
「もうネタにしてるじゃないですか。」
「ダメなんだけどさ、孤児なんてそんなモンじゃない? 生きるのに必死なんだもん。」
それには同意だ。大人の庇護なくして生きるのは簡単じゃない。そして首都の人々はそれをよく分かっている。月の国は決して貧しい国ではない。それが幸いして、孤児はまだ見逃してもらえているのだ。
「俺たちが総隊長に拾われて少ししてから拾われたのが雛菊。雛菊は俺らと違って、首都に来てすぐに拾われたからまだ全然擦れてなくてさ。逆に雛菊にもよく怒られたよ。」
「雛菊は確かに少し育ちの良さそうな子でしたよね。」
「そうなの。俺らよりずっとしっかりしててさ。でも孤児になってまだ間もなかったから夜泣きがひどくてね。よく三人で手繋いで寝たりしてたね。」
雛菊さん……、手を繋いでくれる二人がいてどんなに心強かっただろう。手を繋いでくれる人がいてよかった。夜の暗闇は大人だって孤独を感じるものだ。親を失ったばかりの子どもにはとてつもなく恐ろしいものだったに違いない。思わず目を潤ませた私を見つけて、八雲は優しく微笑んだ。
「……俺と金兎が先に守護隊見習いになって、後を追いかけるように雛菊が守護隊見習いになった。正式に入隊したのもそう。俺らが先で、雛菊が後から。」
「ずっと三人一緒でしたよね。」
「うん。総隊長が父親、蛍様が母親代わりみたいな感じで、本当……家族って感じでね。」
八雲は寂しげに笑って、手の中のピアスに視線を落とした。
「特に守護隊に入隊してから世界が広がって、金兎は睡蓮と付き合うようになった。そうやって……、大人になっていくもんだと思ってた。」
「……真白ちゃんの手前、少し憚られるんですけど──」
豪さんは私に少し視線を配った。けれど今しかないと思ったのだろう、そのまま疑問を口にした。
「八雲さんはなんで雛菊と付き合わなかったんですか?」
ピアスを弄ぶ八雲の手が止まった。視線はピアスに落とされたまま、その表情からは笑顔が消えた。これは物思いに耽っているときの表情だ。豪さんは少し気まずそうにしながらも、質問を取り下げることはなかった。きっと長年気になっていたんだろう。由楽隊長たちの会話からも、側から見ても相思相愛だったことは間違いない。私もいずれ訊きたいと思っていたことだ。
「……何て言ったらいいのかな……。」
少しの沈黙の後、八雲は視線を上げることなくピアスを見つめながら口を開いた。
「イメージできなかったんだよね。」
「イメージ……?」
思わず私と豪さんは口を揃えて言った。顔を見合わせると互いに虚を突かれた顔をしていた。そんな私たちを見て八雲は苦笑した。
「うん。ずっと一緒にいたから、妹みたいに思ってた。俺の後を追いかけてくるところなんて、本当に妹みたいで……。」
「あれ。八雲さんって確か妹さん……。」
「よく覚えてたね、豪。真白は……知ってる?」
八雲に妹? 八雲は身の上話を全くしなかった。それは一周目も同様だった。首を振った私に八雲はまた少し寂しそうに笑った。
「俺ね、妹がいたの。」
「初めて知りました……。」
「ふふ。総隊長と蛍様、金兎と雛菊、豪くらいしか知らない話だからね。孤児になる前は、父親と妹と三人だったのよ。母親は妹を産んだときに死んでてね。……太陽の国の奴らの襲撃を受けて、父親も妹も死んだ。」
私は思わずテーブルの下で拳を握り締めた。
「先に妹が死んだ。その時父親は瓦礫の中で、妹も無事だと信じてた。最期に『妹を頼む』って言われたの。分かったとしか答えようがないじゃない。」
八雲は困ったように笑った。そんな何でもない顔をして笑わないでほしい。私の方が泣きそうになってしまう。私は涙を堪えるために眉間にギュッと力を入れた。
「それがずっと引っかかってたのかな……。雛菊と妹をずっと重ねちゃってたから、付き合うとかピンとこなくて。」
「……なんだかしっくりきました。」
「ふふ、そう?」
八雲はそう笑った。八雲はそう思っていたとして、雛菊さんもそうだったとは限らない。雛菊さんは恋愛対象として八雲のことが好きだったんじゃないだろうか。もし雛菊さんが告白していたら、やっぱり八雲は雛菊さんと付き合っていたんじゃないだろうか。まして……。
「結婚だったら、してましたか……?」
そう問うと八雲は目を伏せて笑った。その笑顔を見た瞬間、聞かなくても答えが分かってしまって胸が苦しくなった。
「してたと思う。そっちはイメージできるんだよね。」
「えぇ……? 妹なのにですか?」
「だからだよ。恋人っていうより、家族の方がしっくりくるって話。」
「あぁ……なるほど……?」
豪さんはイマイチ納得していないようだったが、首を傾げながら必死に理解しようとしているようだった。
「それだけ大切に想ってたんですね。」
思わず俯いてそう言うと、それを断ち切るように八雲がコトリと音を立ててピアスをテーブルに置いた。
「昔の話だよ。」
そっと顔を上げると優しく笑んだ八雲と目が合った。
「十年前、金兎が死んで雛菊が失踪した。縋りつくには時間が経ちすぎてる。」
「そんなこと……。」
「俺たちは今を生きてる。だから、どうしたって進んでいくものなんだよ。」
そう言って笑った。私はそっと口を閉じた。相手が親だって友達だって、私たちはその死を乗り越えてここまで来た。乗り越えざるを得なかった。それなのにわざわざ掘り返してしまった。
「……ごめんなさい、掘り返してしまって……。」
「何謝ってるの。言ったでしょ、聞いて欲しかったんだよ。」
「……じゃあ雛菊さんのこと、もっと聞かせてください。」
開き直ってそう言うと豪さんも笑った。八雲は眉間に皺を寄せて「そうだなぁ……」と呟いた。
「雛菊は手のかかる子だったなぁ。しっかりはしてたんだけど末っ子気質っていうかさ、わりと自由で奔放な子だったよ。我が儘……とかではなかったけど、甘えるのが上手だったね。」
「分かります、僕もその印象ですね。」
「本当……全然違う感じだったんだけど……、何か真白と雛菊って似てるんだよねぇ。」
「え……?」
突然引き合いに出されて面食らってしまう。私と雛菊さんが似ている……?
「外見も似てないのに?」
そう言って豪さんも首を傾げる。八雲は何をもって私たちが似ていると感じているんだろうか。まさかと思って疑問を口にする。
「妹っぽいってことですか……?」
それは困る。八雲に恋愛対象に見てもらえなくなってしまう。すると豪さんが私の考えを読んだように吹き出した。
「そんな顔しなくても大丈夫だよ、それはないから。」
「真白は妹っぽい感じはしないかなぁ。」
八雲ものんびりとそう言って笑った。そうなるといよいよ何だろう。首を傾げていると、豪さんがニヤリと笑った。
「まさか自分によく懐いてるところなんて言いませんよね?」
これには私も顔を顰めた。けれど八雲は笑って「そんなわけないでしょ」とそれを否定した。
「なんでそう感じるんだろうね。……なんか、懐かしい感じがするんだよね。」
「懐かしい……ですか?」
「俺も二周目だったりしてとか、真白の話聞いて少し思っちゃったよね。」
「やり直しが効く人間がそんなホイホイいたらたまったもんじゃないですよ。」
「ふふ、それもそうだね。」
それから私たちはご飯を食べながら話に花を咲かせた。二人は雛菊さんと金兎さんのことをたくさん話して聞かせてくれた。もしかしたら一周目で出会っていたかもしれない二人はとても素敵な人たちだった。私も会ってみたかった。もし会っているならば思い出したい。そう思わずにはいられなかった。




