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月桂樹をあなたに捧げましょう  作者: 弥生あやね
第二章

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9 - 奈落の底①

 あれから数時間、私たちは国境を目指して全速力で草原を駆けていた。風属性、地属性、草属性からくる医療魔法、その全てを駆使する方法だ。追い風や足を押し出す地面など、緻密な魔法操作が必要になる。さらに医療魔法で体力を回復させながら進むのだから、かなりの強行策だ。これは馬より早く駆けることができる方法だが、その分体力や気力、魔力の消耗が激しく、超緊急時にしか使わない方法だ。それでも国境に辿り着くのは明日の昼が限界だ。



「真白! 休憩だ!」



 聖の言葉を合図に私はその場で足を止めた。かなり息が上がっている。喉も肺も痛くてたまらない。けれど私は膝をつくこともなく、ただ進行方向を睨みつけた。



「今晩はここまでだ! これ以上進むと森に入っちまう。夜の森は分が悪い。」

「この森抜けたらもう国境まですぐだよ! 明日に備えて体を休めないと……!」

「……。」



 二人にそう言われても、私はどうしてもその場を動けなかった。立ち止まっている時間が惜しい。日が昇り始めたら動けるのに、ここで地団駄を踏んでいるしかできないんだろうか。



「真白さん。」



 しばらくしてから、私の手をそっと握ったのは沙良だった。促されて火の側に腰掛けると、カップを差し出された。



「はい、温かいお茶です。ハーブティーなので少し癖があると思いますが……落ち着きますよ。」

「……ありがとう……。」



 湯気の立つカップを受け取って口をつけると、ハーブの独特な味が口に広がった。でも確かに、温かいものは心を落ち着けてくれる。手に持っているだけでも効果は抜群だった。そして数分後には私の記憶は途切れていた。



 *



 ぐらりと大きく傾いた真白の体を当然のように受け止めたのは沙良だった。



「これで朝方までは起きないと思います。」

「なんて乱暴なの!? この子……!」



 真白を自分の隣に寝かせた沙良は、真白の顔を覗き込みながら綺麗な笑顔で笑った。先程飲ませたハーブティーに精神安定効果のある薬草と、睡眠導入効果のある薬草を混ぜたのだ。容量は百音もいるので心配ないが、当の百音はドン引きだ。



「あのままでは、朝まで精神すり減らしまくりでしたよ。」

「そうだけど……!」

「まぁ副作用の危険性はないし、得策だったのは否定できねぇけどな……。」

「でしょう? まぁまさか真白さんがあんなに周りが見えなくなるとは、正直驚きましたけどね。薬草だって普段なら気付きそうなものを……。」



 沙良は真白が先程まで持っていたカップの香りを嗅いで、そのまま中身を捨てた。



「……本当に、余裕がなかったんだと思う。真白は本当に八雲さんが大好きで……、それだけを真っ直ぐに追いかけて来たから……。」



 百音が表情を曇らせた。真白や百音のことを考えると俺はそれ以上何も言えずに口を噤んだ。八雲さんを信じていないわけじゃない。だが、調査隊が慌てて連絡を寄越したくらいだ。捜索はかなり難航しているに違いない。



「僕は二人の間に何があるかなんて興味はありませんが……、女性の悲しむ顔は見ていて楽しいものではありませんね。」

「お前、そんなくせぇことよくサラリと言えるな……。」

「ありがとうございます。」



 もちろん皮肉ではなく本心だったのだが、沙良はそれをやはり綺麗な笑顔で受け流した。すべてにおいてさすがだ。



「俺たちも早く寝るぞ。日が昇り次第出発だ。」

「そうね! おやすみ!」



 そう言って百音は素早く就寝体制に入った。回復役の百音には万全でいてもらわないと困る。見張りは俺と沙良の交代だ。番を頼んで、俺は先に眠りに就いた。



 *



 私が目を覚ましたのは薄っすらと空が明るくなり始めた頃だった。首都の喧騒から離れた草原のど真ん中で、世界がやけに静かに思えた。そうだ、八雲の捜索に向かう途中で……。



「おはようございます。」



 不意に声をかけられて肩が跳ねた。振り返ると沙良がいつもの綺麗な笑顔を浮かべていた。



「おはよう、沙良……。」

「よく眠れましたか?」

「ええ……。でもあまり昨晩の記憶が……。」

「疲れていたんでしょう。」

「そうだったかしら……。」



 あまり覚えていないが、確かにその可能性は大いにある。聖にも怒られたし、切羽詰まっていたに違いない。眠ってだいぶ冷静になれた気がする。少なくとも頭はだいぶスッキリした。そのとき、百音がのんびりと体を起こした。



「おはよう真白……。」

「おはよう、百音。」

「……聖が起きたら出発しよっか! 朝ご飯の支度するね。」

「私もするわ。」



 それから起きた聖を交えて簡単に朝食を済ませ、私たちは国境を目指して再び走り出した。

 私たちが国境の渓谷に辿り着いたのは正午前後だった。合流地点では調査隊の三人が待っていた。ちょうど休息を取っていたらしい。



「状況は?」



 合流するなりそう食い気味に尋ねた私に、彼らはたじろいだ。我に返って一歩後退したが、それが限界だった。



「ここから十キロほど下流に向かって捜索しましたが、未だ発見できず……手がかりもありません。」



 切り立った急斜面が続く奈落の底には川が流れているという。そこまで降りるのも一苦労らしく、私も話にしか聞いたことはない。途中横穴でもあれば侵入できてしまうのではという懸念が今回の調査の発端だった。

 もっと下流ということ? 何も手がかりがないということは、落下時に崖に激突して出血している可能性は少し下がった? 分からない。いざ渓谷を目の当たりにすると不安で涙が滲みそうになる。百音が静かに私の手を握ってくれた。



「百音……。聖……。」

「あの、僕らは最下流の湖から上流に向かって捜索しようと思いますが、いかがでしょうか。」

「ああ、その方がいい。」

「分かりました。八雲さんが自力で崖を登っている可能性もありますので、それも確認しながら湖に向かい、川に沿ってこちらに戻って来ます。」

「頼んだ。」

「ところで、八雲さんはなぜ気絶していたんです?」



 沙良の鋭い質問に調査隊の面々は顔を青くした。



「……僕らが、油断していたんです。」

「は?」



 底冷えするような声を出したのは百音だった。彼らは少し視線を彷徨わせた後、ポツリポツリと話し始めた。



「今回の調査では、警戒すべきは太陽の国だけだと思っていたんです。だから獣の鳴き声に上で見張りをしていた八雲さんしか気が付かなくて……。」

「だとしても、八雲さんが野生の獣なんかにやられるなんてことあります?」

「……八雲さん、ずっと様子がおかしかったんです。本調子じゃなさそうというか……。だから飛んできた木の枝を躱しきれなかったみたいで、頭に直撃して、そのまま……。」



 彼らの視線の先を辿ると、ポッキリと折れた枝があった。人間の手では簡単には折れない太さだ。それで気絶したのか……。



「咄嗟だったから、僕らも助けられなくて……。すみません……!」



 調査隊の面々は涙ぐみながら頭を下げた。よく見れば皆私たちより後輩だ。経験を積ませる観点から、八雲を班長とした今回のチームに抜擢されたんだろう。私は目一杯深呼吸をして言った。



「話は分かったわ。絶対、八雲さんを見つけて帰りましょう。」

「はい……!」



 調査隊の面々と別れた後、私たちは早速捜索に乗り出した。彼らが確認したと言っていた十キロ地点から下流に向かってスタートだ。



「一度下に降りて地形を確認しましょう。」

「そうですね。川の流れの速さなんかも見たいですね。」

「そうね。」



 まずは魔法でロープを調達した。私たちの命綱だ。草属性と火属性、地属性を同時に扱うため見かけによらず難易度が高い。長さ数十キロ分を一気に四本作り出した私を見て、沙良が呆れたように言った。



「真白さんって結構無茶苦茶な魔法の使い方をしますよね……。」

「そうかしら……。」

「三属性の同時発現、それも数十キロ分のロープを四本同時生成はさすがに脳筋かと。」

「真白は最初っから全属性使えるからね!」

「へぇ……。天才型だったんですね。てっきり努力型かと。」

「辿り着いてる場所が同じならそんなの大した問題じゃないわ。」



 沙良は一瞬面食らっていたが、すぐに肩をすくめて笑った。私たちはロープを木や地面にこれでもかと固定した。これが外れたら新たな悲劇が始まってしまう。体にもしっかりと巻き付けて、私は崖の淵に立った。

 対岸は遥か遠く、とても渡れるとは思えなかった。下を見ると闇が広がっていた。日中にも関わらず底が見えないなんて、果たしてロープの長さ足りるだろうか。普段なら足がすくんでしまう状況だが、不思議と怖くはなかった。それよりも八雲を見つけてみせるという決意の方が遥かに強かった。



「真白。」



 準備を終えた聖が私の隣に立った。



「もしものときは俺も百音も、もうお前を止めない。お前がそれだけ必死だって、痛いくらい分かってる。」



 皆まで言われずとも分かってしまった。飛鳥が死んだあのとき、やり直せる可能性が少しでもあるなら死ぬと言った私を真っ先に止めたのは聖だった。



「……ありがとう。」



 百音と沙良も準備が終わったのを確認して、聖は言った。



「さて、行くか。」



 私たちは奈落の底に向かって足を踏み出した。


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