5 - 八雲隊長
次の休みが被った日。私は八雲に月桂樹の丘に呼び出されていた。やはり内緒話をするならここなんだろう。
珍しく私の方が先に到着した。ベンチに座って足を投げ出し、眼下に広がる首都を一望する。夏になる前の抜けるような青々とした空が広がっていた。風が心地良くてついご機嫌になってしまう。守りたい、大切な景色だ。
「や、お待たせ。」
「八雲さん。」
「ほい、これ。」
「わぁ、オレンジジュース! ありがとうございます。」
「搾りたてがそこで売っててさ、香りにつられちゃった。」
そう笑いながら隣に腰を下ろした。オレンジのいい香りがする。口に含むと甘酸っぱさと瑞々しさで幸せな気持ちでいっぱいになる。こんな晴れ晴れとした日にはぴったりだ。
「それで、本題なんだけど。」
八雲さんは持っていたカップを膝の上に置くと、柔らかい表情のままこちらを向いた。私も咥えていたストローをおずおずと離した。
「総隊長の前でも言ったけど、俺は一周目の件は何も知らない。俺が術者の可能性も、ああは言ったけどゼロに等しいと思う。」
「はい。」
八雲がわざわざそんなことを言いたいがために呼び出したんじゃないことは、さすがにもう分かっていた。
「でも真白、お前は知ってた。俺たちが出逢った……いや、再会した七年も前から、皆の命を背負ってた。」
「そんな、大したことじゃ……。」
「お前はそう言うと思った。でも独りで背負うには重かったでしょ。もう何度も言われたと思うけど……、よく頑張ったな。」
そう言われてやっぱり涙がポロポロと零れて落ちてしまった。ああ、まただ。この間から泣いてばかりだ。だけど八雲からの言葉は特別だ。威力が違う。
「そもそも第一隊にたどり着くだけでも相当な苦労があったはずだ。大抵が挫折する。」
私はそっと目を閉じた。挫折していく同僚を何人も見送った。それでも八雲の側にいたくて、必死に食らいついてきた。二周目とはいえ、簡単なことではなかった。やっと少し報われたような気がする。
「……意地悪なことを聞くけど。」
そう前置きされて顔を上げると、八雲が微妙な顔をしていた。いつも以上に感情が読み取れない。
「それって、国のため? 総隊長のため? それとも──」
言葉の続きが分かってしまって、咄嗟にハッと息を飲んだ。急にお花畑でポンコツな乙女思考になってしまった私は、今日はきちんと艶のある口紅を塗ってきたかしら、涙でマスカラは滲んでないかしらなんてところに思考を飛躍させてしまう。きっと頬に赤みが刺していたら可愛く見えるに違いないと、脳内の百音が騒ぎ立てた。
私は生唾を飲み込んだ。七年間、ずっと温めてきた私の大切な想い。先日まで天秤にかけられて、大切にできなくなる危険性だってあった。そうなったって構わない。そう思っていた。本当はもっと温めていたかったけれど、もし今ありのままに渡せるならその方がよっぽど幸せだ。
「……八雲隊長のためです。」
大きく息を吸って、しっかりと言った。八雲は少し目を見開いて、それからふっと笑った。
「あの頃から、変わらずにずっと……。」
そう言って少し乱暴に私の頭を撫でた。八雲の表情は見えなかった。けれどその声は少し掠れていた。乱れてしまった髪を直す私を他所に、八雲は遠くを見つめた。
「昔、総隊長に言われたっけ。『どこで何の因果が結びついたやもしれん』ってね。総隊長の言う通り、俺らの因果はどこかで雁字搦めになっちゃってるみたいだね。」
そう苦笑した。そんな言い方をされたら、何だか期待してしまう。今ならすべてを言ってしまえるのではないか。すべてを受け取ってもらえるのではないか。
「あのっ、八雲さん!」
「ん?」
「一周目のとき、私たち──」
「ストップ。」
すっと差し出された手のひらに、私は口を噤んだ。目を瞬かせる私に、八雲は悲しげに微笑んだ。
「それは、今の俺に関係ある?」
「え……?」
青天の霹靂だった。一瞬思考が停止した。けれど次の瞬間には激しく困惑した。まさかそんなことを言われるとは夢にも思わなかったのだ。私は大きな思い違いをしていたことに気がついた。たとえ私が私の想いをありのままに渡したところで、八雲はすべてを受け取る気がないのだ。
そんな、どうして。そんな疑問の答えはもう八雲自身が口にしていた。そう……関係ないのだ。一ミリたりとも関係がない。彼の言わんとしていることに気がついてしまった。果たして、一周目の八雲隊長と二周目の八雲は同一人物か。同一人物として疑わなかった。だって八雲隊長は八雲で、八雲は八雲隊長だ。だけど二人の記憶や思考が続くことなく途切れている以上、それを一緒くたにするのは間違いだろう。なぜなら八雲は八雲隊長ではないのだから。私の返答に気がついた八雲は優しく、けれど悲しそうに微笑んだ。八雲は私を制したその手で、呆然とする私の頬をそのまま包んだ。
「俺にとっては俺の知る、ここにいる真白が全てだよ。」
そう言って頬を一撫して、手を離した。降りていく八雲の手を目で追った。そして腕をたどって八雲に視線を向けると、八雲はやはり悲しそうに微笑んでいた。
「真白が好きなのはさ、『八雲隊長』? それとも──」
八雲は何か言いたそうだったが、そこで言葉を切ってベンチから立ち上がった。今の私はその答えを待ち合わせていない。一周目で八雲隊長と培った日々も、二周目で築き上げてきた絆も、どちも大切なものに変わりなかった。
困惑する私に気がついて、八雲はそのまま立ち上がると先に丘を降りた。後には八雲が買ってきてくれた、オレンジジュースの爽やかな香りが残されていた。




