チャプター36
〜ドナーガルテンの街 ギルド本部施設〜
シエナと呼ばれた受付嬢は、腰まで伸びた長い黒髪が印象的な竜人族の娘だった。ギルドの制服に身を包んだその姿はおしとやかそのものだったが、彼女もまた自分たちの倍以上生きていて、凄まじい腕力を誇っているのかと、ゲートムントたちは身構えた。
「エル、久しぶり〜。どれくらいぶりだっけ。確か東の国に行ったんじゃ……今日はどうしたの?」
「うん、しばらくぶりだね。それと、ここへ来たのはフライパンを直してもらうためだよ。今、南の国で食堂やってるんだ。それより……」
と、身をかがめてシエナに耳打ちをする。
『私のことはあくまで普通の人間の娘として扱ってよね』
「あー、そういうこと。わかってるわかってる。それはそうと、フライパンて、確かあのグラビタイト製のだよね。よくあんな重たいの使うよねー」
素知らぬ顔で話を続けてくれるシエナに感謝しつつ、こちらも自然に振る舞う。人に頼んでおいて自分がボロを出しては意味がない。
「あの重さがいいんだよー。それに、熱の伝わりも全然違うんだから。あと、護身用にね」
「護身用ねぇ。わたしだったら重くてそれどころじゃないわ。知ってるでしょ? 竜人族って、エルたち人間族より力が強いんだよ?」
呆れたような表情でため息ひとつ。まさに旧友だからこその表情である。そして、この発言にゲートムントたちは安堵した。そうか、あれは竜人族にとっても重たいのか。同じ種族といえど、若い娘と屈強なオヤジとでは、その力に差があるということなのだろう。しかしそうなると再び浮上するのがエルリッヒの存在である。これには、自分達も戦士として人並み外れた身体能力を会得しているのだからと無理やり納得させるしかなかった。今はとにかく、シエナがあのフライパンの、それもかつての物を重たいと感じているという事実を大事にしたかった。
そして、視線を交わしただけで、二人の思いは通じ合っていた。
「お、俺たちの考えがおかしいわけじゃないんだな。ちょっと安心したぜ」
「本当にね。それにしても、エルちゃんこんなところにも知り合いがいるなんて、驚いたよ」
「そう? この街には結構長くいたからね、それなりにはいると思うよ」
と言っても、それは当時から生きている竜人族に限られており、人間族の知り合いはもうこの世にはいないのだが、それを伝えるわけにもいかず、バレるわけにもいかず、お茶を濁しつつ、といったところだった。
当然、竜人族の知り合いであっても、その秘密を知る者は限られており、他の者は「人間と同じ姿をした長寿命の種族なんだろう」としか考えていない。竜人族は人間よりも寿命が遥かに長いため、その辺りの感覚が鈍く、いもしない架空の種族に当てはめて納得し、それ以上考えようとはしていなかった。
「ねえエル、さっきからその二人、どういう関係? その二人、最近出入りしてる人間族の戦士君でしょ?」
「え? あぁ、この二人は今住んでる国で知り合った友達だよ。今回は、護衛のために連れてきたんだ。それに、旅は人数が多い方が楽しいだろうと思ってね。あと、この二人も外国を見れば、戦士として成長できるんじゃないかって思ったのもあるんだけど……」
ちらり、と視線を送ると、再びシエナと向き合い、話を進める。行っていることは嘘ではないが、そこまで成長できているかはわからない。武具の強化は約束されているが、それとこれとは別なのだ。
「で、最近出入りしてるってことだけど、正直言ってこの二人、どう? 足手まといになってない?」
「んー、彼氏候補じゃないんだー。つまんないのー。残念ながら、エルが嘘ついてるかどうかくらい、わかっちゃうからなぁ。ま、それはそれとして、この二人、ギルドでも結構評判だよ。駆け出し冒険者用のレンタル装備で頑張ってたしね。普通、あのランクの装備だとなかなか初級クラスの依頼から抜け出せないんだけど、そこの二人は早々と中級ランクの依頼を受けてたから、みんな驚いてたんだよ。結局、装備品や種族だけが全てじゃないってことなんだろうね。長いことギルドの受付嬢をやってるけど、改めて考えさせられたねー」
このシエナという娘は、一体何年、いや何十年ギルドで受付嬢をしているのだろう。寿命が長いということは、それだけ長期間働かなければならないということだ。好きでなければ務まらないということはもちろんあるだろうが、その間に見てきた数多くの出来事や、数多くの戦士たち、それは一体どれほど興味深いことだろうか。思いをはせるだけでもわくわくする気持ちが止まらない二人だった。
「んで、それはそうと、そこの二人はわかるとして、エルはなんでここに来たの?」
「えー、それを訊く〜? 二人が出入りしてるっていうから、どんなもんか見に来たんじゃん。あと、旧友の顔を見に来たのも、ほんとだよ」
本当と言いながらもついでのようなその言い草に、シエナはどっちが本当なんだか判断しかねたが、しばらくぶりに顔を見せてくれたのは事実だからと、意に介さないことにした。それよりも、最近ギルドでも話題の二人が知り合いだということに驚いた。世間が狭いというのはこういうことを言うのかと、百年以上生きて初めて理解した。
「ところでシエナさん、エルちゃんがいた頃のこの街って、どんなだったんですか? 今と変わらない感じなんですか?」
「えーっと、そうだなぁ……」
興味本位で訊いてきたのはツァイネだ。実際は魔王がいた時代だったのだが、二人はたかだか五年前くらいだと思っているのに違いない。だから、こういう質問が一番困るのだった。
質問したツァイネはもちろんのこと、ゲートムントも興味津々の様子をしている。迂闊なことは言えない。そして、シエナにも釘を刺さねばならない。受付業務はそこまで忙しくはない上に、受付嬢もシエナ一人ではない。喜んで答えてしまいそうな、そしてうっかり変なことを言いそうな土壌が、揃っていた。
セルリッヒは再びカウンターに体を寄せる。
『シエナ、変なことは言わないでよね』
「わかってるよ。こちとら伊達にギルドの受け付けしてませんて」
そう小声で交わし合うと、あごに人差し指を添える仕草であからさまな考えるポーズをし始めた。深い意味はないが、なんとなくこの方が意味ありげだったからだ。
「この街の情勢も気になりますけど、何か、面白い事件はありましたか?」
「そうだなぁ、あの頃は今よりは物騒だったね。各種諸々の討伐依頼も今より多かったし、街や街道に出る盗賊も多かったし、そうなると、武器がいるでしょ? で、鉱石の採掘依頼なんてのもあったかなぁ。みんな、今よりもギラギラして殺伐とした目をしてたしね。今の冒険者は、みんな穏やかそのものに見えるわ。人としてはいいんだろうけど、戦士としては少し物足りない感じ?」
「へー。じゃあ、エルちゃんもギルドに出入りしてたわけ?」
ゲートムントの遠慮ない質問は、またしてもエルリッヒの心臓に悪い。露骨な発言も迂闊な行動も、どこから尻尾が出るかわからない状態だった。
「まさか〜! この娘仮にも普通の女の子だよ? んなわけないじゃ〜ん。わたしとは、街中で知り合ったんだし。ここに来たことはあったけど、依頼目的じゃなかったしね。あ、もしかして、疑ってるの? あんなフライパン振り回すから」
「ちょ! なんてことを!」
またしても縁起でもないことを言う。シエナという娘は、果たしてこんな娘だっただろうか。友人だてらに、いささか首を傾げたくなるエルリッヒだった。
〜つづく〜




