チャプター37
〜ドナーガルテンの街 ギルド本部〜
シエナはエルリッヒに対する疑念を焚きつけるようなことを言い出した。あのフライパンを振り回せるくらいで何を疑われなければならないのか。そもそも、ギルドに出入りしていたかどうかを確認しただけだったのに。
「シエナ、いくらなんでもフライパンだけであれこれ言われてたらたまったもんじゃないよ。さっきだってそういう話をしたばっかりなんだから」
「えー? だけどさー、改めて説明してあげたら納得するんじゃない? エルは普通の女の子なんだよーって」
頬を膨らませた姿はとても愛らしい。何度この姿に騙されてきたことかと過去を思い返すと、今こうしていることすらもしかしたら自分をからかうための布石なのではないかと勘ぐってしまう。本当に、フォローするつもりで言っているのだろうかと。
「普通の女の子は事実だけど、本当に、私のことを正しく説明するつもりで言ってくれてるんだよね?」
「やだなー、当然じゃん! 竜人族、嘘つかない」
当てにならない標語に、もはや追求する気が失せてしまった。そして、表情をくるくる変える姿に、男二人が当初抱いていたおしとやかなイメージはとっくに崩れ去っていた。
「ねえエルちゃん、シエナさんて、前からこんなだったの?」
「だな。なんか、見た目のイメージとぜんぜん違わねーか?」
「いや、どうだったかなぁ。会ってない時間も長かったしね、多少は変わったと思うんだけど、うん、どうだったかなぁ、ね、シエナさんや」
「ちょっと、人を性格がねじ曲がったみたいに言わないでくださるかしら。こう見えても、見た目通りにギルドじゃ人気の受付嬢なのよ? 明るく元気で清楚なシエナさんといったら、どれだけファンがいるか」
これは嘘ではない。確かに受付嬢は人気を集める仕事で、彼女はその一人として恥じない評判だった。事務的なことや戦士への応援などしか言葉をかわすことがないため、清楚なイメージが付きまとうのもまた事実であり、この明るいが少し毒のある性格は、特に男戦士にはほとんど気付かれていない。
事実、ギルドに出入りしていた三日間、二人はその素性には全く気付いていなかった。
「とまあ、そういうこと。性格がどうであれ、花形なのは事実だからねぇ。私がいた頃も、ファンの人は多かったよね。あの頃のみんなって、どうしてる?」
「あの頃のみんな? 相変わらずだよ。みーんな、元気っていうか、むしろパワーアップしてるっていうか。ま、何人かは天国だけど」
そう語る声は、どこにも沈んだ様子が見られない。悲しいことなのに、あっけらかんとしていた。もちろん、それには理由がある。
人間族は寿命が短く、戦士という職業は身の危険にさらされやすい。このような事情から、ギルドで登録されているものの中には、道半ばで命を落とす者も何人かいる。魔王時代から生きていて、竜人族としてはまだ若い娘に当たるシエナは、ギルドの受付嬢として、そしてこの街の住人として、幾多の人間を見送ってきた。だから、いつの間にか感覚が鈍っていたのである。一件一件の死を悼む気持ちはあるが、それを引きずるところはまるでなかった。
「そっかー、残念だけど、仕方ないよね。いや、みんなが元気ってのもありえない話だけど。というわけで、思わぬ方向に話題が移っちゃったけど、二人は自分の命を大切にするように。いいね?」
「お、おう」
「もちろんだよ」
道半ばで死ぬなんてとんでもない。時には向こう見ずな戦いに身を投じ、難易度の高い依頼を受け、危険な目に遭うこともある。それでも、命だけは最優先にしてきた。自己鍛錬に余念がないのも、より強い相手と渡り合うため、名を上げるためなど、幾つかの理由はあるが、自分の身を守るため、という目的もあった。改めて言われるまでもないのだが、改めて言われると、それなりには大切に思われているように感じられて、ついつい嬉しくなってしまうのであった。
「さて、そんなところで三人さん、この後はどうするの? もしかして、何か依頼でも受けてく? エル用ってわけじゃないけど、貸出用にグラビタイトの大剣もあるよ?」
竜人族のために用意されたそれは、その実竜人族でもまともに扱えないほども重く、納入して以来八十年、かつての長老が一度振るっただけで、ずっと倉庫にしまわれていた。まさに、お宝のような一振りなのである。
「い、いや、遠慮しとくよ。ていうか冒険しに来たわけじゃないし私らこの街にいるだけで冒険だし、そもそもそんな武器なくても困らないし」
「そっか、エルちゃんにはそのフライパンがあるもんな」
「うんうん。て、武器じゃないでしょそれ。一応さ……」
あのフライパンが武器として有用なのはもちろんだが、エルリッヒには伝説の剣、ドラゴンスレイヤーが預けられている。普段はまるで出番がないものの、竜の王族に伝わるその剣は竜殺しという以上の武器としての性能が秘められていた。
本格的に戦闘に身を置くとなれば、それを振るえばいいだけの話である。わざわざ借り受けることなどないのだ。たとえ、その「グラビタイトの大剣」とやらをエルリッヒが扱えたとしても。
「今日は、二人がギルドで浮いてないかをリサーチしに来ただけだって言ったじゃないのさ。シエナだったら忌憚のない話を聞かせてくれそうだからね」
「じゃ、もう帰るの? それはそれでつまらなくない?」
「俺たちは装備が仕上がるまでまだ三日あるし、なんか依頼を受けてもいいんだけどな」
「ちょっとゲートムント、エルちゃんの前であんまり無骨なこと言うのはやめようよ。せっかく一緒にいるんだし、別行動っていうのも寂しいじゃない」
依頼の受注や冒険に乗り気のゲートムントを制するツァイネ。一緒にいたいと言ってくれるとは、なんと可愛いことか、なんと嬉しいことか。これぞ「友達甲斐」というものだろう。つい飛びつきたくなるが、さすがにそうはしないように自らを律する。とはいえ、この後のスケジュールを考えていないのも事実なのだが。
フライパンの受け取り以外は、何も考えていなかった。
「ふむ、じゃあどうしようかなあ。私も冒険するつもりじゃないし、シエナだってまだ抜けられないでしょ? とりあえず、食事にでも行きますか。お腹空いたし」
「お、いいね!」
「この街って、ご飯おいしいしね!」
かつて訪れ、それなりの期間滞在していた街とはいえ、食堂で腕をふるって数年、今この街でする食事は、エルリッヒに新たな感激をもたらしてくれていた。見たことのない食材はさすがに少ないが、見たことのない料理はいくらでもあった。昔に比べ、手の込んだ料理が多いのは、それだけ平和になった証拠なのだろう。
昔はもっと、簡素で手早く用意できるものが多かった。いつ魔物が襲ってくるかわからないという時代背景は、無視できないものだ。
それに、この街では入手の難しい食材も増えたように感じていた。これもやはり平和になった証拠といえる。それだけ、流通経路が安定しているのだ。
「それじゃ、行きますか! シエナ、どこか美味しいお店、知らない?」
「美味しいお店? そうだねぇ、どこに行っても美味しいんじゃないかな。その中でもブレッグおばさんのお店はオススメかも。五年くらい前ふらっとやってきた竜人族の一家がいてね、そこのおばさんがやってるんだけど、知らないでしょ」
こんな話を聞いては、心が動かないわけがない。エルリッヒの瞳は、キラキラと輝き始めていた。
「よーし、それじゃあ行くぞー! シエナ、場所を教えて? 二人とも、しっかり味わおうぞ!」
「お、おう!」
「お腹減ったし、楽しみだね!」
こうして、一行はブレッグおばさんの店へと行くのだった。
〜続く〜




