チャプター24
〜ドナー山 山道〜
乱戦が続く中、男たちの間に走る緊張。いつの間にかいなかった一匹のガーゴイルが何をするのかなんて、考えるまでもなかった。エルリッヒを狙うに決まっている。今頃はエルリッヒを背後から襲っているかもしれない。
そういえば、さっきまで聞こえていた声援が、途切れている。
「!!」
「エルちゃん!」
三人に、特にゲートムントたち二人に、不安がよぎった。なんとか攻撃の合間に様子だけでも確認したいが、ガーゴイルも負けまいと必死のためか、なかなかその隙がない。
「くそっ!」
「なんとか、なんとか確認だけでも」
「でも、確認してエルリッヒさんが襲われていたら、誰かが助けに行かないとだめだよね。どうするんだい?」
全てがもどかしかった。確認するにできない状況も、もしもの時に身動きがとりづらいことも。それでも、不安を抱えて戦うことなどできなかった。
「だったらツァイネ、お前そのスピードで攻撃しながら確認しろ。出し惜しんでる場合じゃないだろ!」
「う、うん……」
ツァイネが躊躇うのには訳があった。ここはまだ山の三号目付近、これからまだまだ登らなければならず、どんな強力なモンスターが潜んでいるかもわからない。もしかしたら、どこかで今も監視しているかもしれないのだ。手の内を明かすような真似は、できるだけしたくない。余力を残して戦いたい。
「迷ってる場合じゃねーだろ! もしもっとつえーのにバレても、そん時ゃ俺がとっておきでなんとかしてやっから! 今はエルちゃんの安否が最優先だろ!」
「ゲートムント……そうだよね。戦いの最中によそ見なんて、俺のスピードでもないと、無理だよね。ごめん、もしかしたら上で苦戦させちゃうかもしれないけど、少しだけ、本気を出すよ」
「本気? ゲートムント君、ツァイネ君の本気って、うわっ!」
先ほどもちらりと見せたツァイネの俊足が、今は輪をかけて速い。騎士団にいた頃から話題になっていたその素早さには、修行と実践を繰り返して、ますます磨きがかかっていた。
ガーゴイルが攻撃を繰り出すよりも早く、背後に回り傷ついた翼をさらに斬りつける。傷が癒えぬままの翼にもう一撃とあっては、攻撃の手を止めずにはいられない。そして、動きが鈍ったそのタイミングを見計らい、今度は足の腱を切りつける。翼の機能を削がれ、今度は立つことすら難しくなり、膝から崩れ落ちる。こうなってしまえば、機動力のほとんどを奪ったと言っても過言ではなかった。
この隙に、ツァイネはエルリッヒのいる台車の方向に視線を向けた。
「!!」
なんだあれは。ツァイネは我が目を疑った。優雅に台車に座っていたエルリッヒと、目があった。
そして、爽やかな笑顔で手を振ってくれた。なんで、あんなにのん気にしていたんだ。そして……
(足元に、なんか転がってたよね……あれ……ガーゴイルの……骸じゃないのか……???)
状況が読めない。何があったんだ。脳裏をいろんな考えが浮かんでは消える。そして、空恐ろしい何かを感じ、思わず足がすくむ。
「お、おい、ツァイネ、どうした。エルちゃんは無事だったのか? おい!」
「あ、あぁ、ゲートムント。大丈夫だよ。エルちゃんは、無事だったよ」
「だったら、なんでそんなに怯えたような顔をしているんだい?」
戦いながらも、二人はツァイネのことを案じていた。攻撃の手が止まり、動きも止まり、表情がこわばっている。心配しないはずがなかった。
しかし、エルリッヒが無事だというのに、どういうことなのか。
「と、とにかく全部やっつけよう。エルちゃんが無事なら、どうにでもなるから」
「だな!」
「ツァイネ君の言う通りだ! 僕らが頑張らなきゃ、ここで終わっちゃうからね!」
三人は自らを発奮し、苦戦してなどいられないといった風で攻撃の勢いを強めていく。ゲートムントは的確な突きでガーゴイルの心臓を貫き、ツァイネは行動力を奪ったガーゴイルの首根っこを切り刻み、マクシミリアンはいつものように、だがしっかりと確実に、ガーゴイルの脳天に斧を振りかざす。
相手が魔物だからこそ許される、レベルの高い戦闘術だった。
ー十分後ー
「なんとか片付いたな」
「だね」
「いやー、疲れたよ。これでこの山で一番弱い敵だっていうんだろう? 大変だね、こりゃ。それとも、大変なのは僕だけなのかな……」
三人は足元の惨状から目線を上げて、疲労のため息を吐いた。歴戦のゲートムントたちでも、決して楽な戦いではなかった。ほぼ無傷で収められた勝利は、あくまでも小さな判断を間違えずに積み重ねたにすぎない。
「さてと、本当なら今すぐ武器を洗いたいんだけど、まずはエルちゃんだな」
「だね」
それぞれの武器には紫色の血液がべっとりと付いている。できることなら今すぐ小川かどこかで洗いたいのだが、この山に果たしてそのような場所があるかどうか。もちろん、飲み水を使うには必要量が多すぎて、もったいない。
山を降りてから丹念に洗うしかないと諦め、エルリッヒの安否を確認することにした。武器をしまうと、台車に駆け寄る。
「エルちゃん!」
「無事で何よりだよ!」
「本当に」
男たち三人が声をかけると、エルリッヒはにこにことした様子で台車から降りた。その様子からは、本当にガーゴイルの斥候などいたのかというほどののどかさを感じた。
「いやー、無事ってことはないよ? ほら、これ」
しかし、見せつけるように強調した右の頬には、三筋の切り傷が残っている。台車の上にある、赤く染まったハンカチも気になったし、何より白い頬に刻まれた赤色は、とても目立った。
「やっぱり、ガーゴイルが襲ってきたんだ」
「まーねー。さっき、心配して確認してくれたでしょ。ありがとね。そういう心遣い、嬉しいよ」
「でもよ、じゃあ一体どうやって?」
フライパンで殴りつければ大概の相手は沈む。さすがに何度か旅をしてその秘めたる力を目の当たりにしている二人は、おそらくそうしたのだろうと想像したが、無言で指差したその先には、無残にも息絶えたガーゴイルの骸が転がっていた。
「うわ! なんだよこれ。フライパンで殴ったんじゃ……ないのか?」
「まーねー。あの時何が起こったか、休憩がてら説明してあげよっか」
四人は台車に座り体を休める。そして、エルリッヒの話に耳を傾けた。
「あれは、三人がまだガーゴイルと戦っていた時のことです……」
昔聞いた、その時住んでいた町の古老に話してもらった伝承の語り口を真似ながら、一つ一つ語って聞かせた。
「三人を応援していた私は、台車の陰で怪しい物音がしていたのに気付きました。なんだろうと思い声援を送るのをやめ、物陰を確認しようとしたその瞬間!」
「!」
「!!」
「!!!」
突如として大きくなる声の抑揚に、三人は思わず息を呑んだ。話を面白くする秘訣として、古老が教えてくれたテクニックだ。
「キキーッ!! という声がするではありませんか! そう、ガーゴイルの声です! おそらく、死ねーっ! とでも言っていたのでしょう。その声に思わず振り返ると、こちらを目掛けてあの鋭い爪が振り下ろされているではありませんか! 慌てて避けようと身をよじりましたが、時すでに遅し。悲しくも私はこのように傷を負ってしまったのです!!」
「ごくり」
「やっぱり、不意打ちだったんだね」
「油断ならない相手だったね」
ツァイネは無造作に放り出されていたハンカチを手に取った。元々何色だったのかは知らないが、今はもう、血を吸って真っ赤だ。まだ乾き切っていないからだろうか、握り締めると、じんわりと血が滲んでくる。
「こんなに血が……結構な痛手だったんじゃないの?」
「ちょ、ちょっと! そんなに悲しそうな顔しないでよね。血はたくさん出たけど、フラフラになるほどじゃないし、傷だって、この程度ならすぐに消えるよ。心配しすぎだってば」
沈んだ表情のツァイネはゆっくりと顔を上げる。そこにあるのは、いつものように明るい顔をした三人。本人が大丈夫だと言っているのだから、信じないでどうする。それに、今の言葉が強がりかどうかは、すぐにでもわかるのだ、今ここでそれを問いただすことにも意味はない。
「そっか、じゃあ大丈夫だね?」
「だから、そう言ってるじゃん。あーあー、手が真っ赤っか。なんか、心配させちゃって悪かったね」
ハンカチから滲み出た血で赤く染まったその手を、今は洗ってあげることもできない。心配してくれたことや、そのせいであんなに悲しい顔をさせてしまったことなど、感謝してもしきれないほどの思いをもらったような気がした。
「その手、そのままになっちゃうけど、いいかな……」
「全然構わないよ。好き好んでハンカチを握ったんだし、というか、気付いたら握って立って感じだし。それより、そこのガーゴイルがどうしてああなったのかが気になるんだけど」
「あぁ、それは俺も気になった」
「この状態だもんね」
近くに寄って見てみると、何やら苦悶の表情を浮かべたまま絶命している。しかも、なんだか頭の形がひしゃげている。見れば見るほど、一体何をどうしたらこうなるのか、気になって仕方がなかった。
「あー、それね。仕方ないなぁ、気になるっていうんなら説明してあげるよ」
こうして、エルリッヒの説明は第二話へと突入した。ただし、ここから先は真実ではないのだが。
〜つづく〜




