舞台裏の出来事
地下迷宮で出会った男子生徒。彼が言うには、各地で異変が起き始めたころ、ある日突然それは起こったらしい。
「セレモニーホールに、いきなりモンスターが現れたんです。見たことがないタイプで、形態はヒト型に近かったです」
通路を先導しながら、生徒が始まりの日の記憶を語っていく。
そのモンスターが楽器を演習すると、たちまち生徒や教師がおかしくなった。自分のことを、自分以外の誰かだと思い始めた。これはおれも覚えがあるけれど、あの『設定の上書き』をやられたんだろう。
「一部の先生たちが、地下迷宮に生徒を避難させて内側から封鎖しました。権限のある教授以外は、今は入れなくなってるはずです」
外に出ればおかしくなる。かといって、ずっとここにいても、いつ食料が尽きるかわからない。
今までは、モンスターを狩って騙し騙し、なんとかやっていたらしい。
話がひと段落したところで、男子生徒が足を止めた。ここまでいくつも階段を降りて来た。今いるのも、正確にはわからないが相当地下の深いところなのは間違いない。
迷宮は行き止まりになり、白っぽい壁が正面には立ちふさがっている。
「ここからさらに奥へ行きます。少し下がってください」
男子生徒はズボンのポケットから小さな紙片を取り出した。紙片に生徒がわずかに魔力を流すと、小さな紙切れが発光する。ここからだとよくわからないが、何か魔法陣が描いてあるようだ。
白っぽい壁に、いくつかの光点が灯る。光点の間を黒い線が走っていき、星座みたいな形になると次の瞬間、壁は幻だったかのように白い煙になって消えた。
「王様の魔法だわ!」
ビスタが笑顔でマリーさんを見上げる。
マリーさんは、興奮を抑えきれない顔で口元を戦慄かせた。
「この奥に、学園長がおるんやね?」
「え? なんでご存知なんですか?」
訝しむ学生の疑問を無視して、マリーさんは先頭を切って奥へと進んでいった。いつも飄々としていながらも冷静だったマリーさんのこんな姿は初めてだ。依頼中だとか、案内役だとか……そういうこととは別で、何か危ういものを感じる。
先に行ってしまったマリーさんを慌てて追いかける男子生徒。おれはリクシャとニジェに目で合図を送り、奥へと急いだ。
奥は広いドーム状の空間になっていた。若い世代のニンゲンが多いのは、学園にいた一握りのニンゲンしか、ここに逃げ込むことができなかったからだろう。隅の方に固まって、誰もが不安げに見えた。思ったよりも人数はいるが、きっとこれでも闇の国の首都の人口からすれば、逃げ延びたのは少ない方だと思う。
暗い表情のヒトが寄り集まっているエリアのさらに先。迷宮には不釣り合いな、明らかに人工物だとわかる大きな扉が一つあり、活気がなく静かな空間に、向こうからマリーさんの声が漏れ聴こえてくる。
「すいません、通してください!」
止めようとする学生を振り切って、扉に向かう。黒い布張りの扉を開けると中は、頑丈で高価そうな巨大な椅子が一つ、高くなったところにぽつんと置かれているだけの部屋だった。
「マリー、やめるんだゾ!」
「やめてマリー、よくないことよ。悪魔にお願いをしてはダメよ!」
リュックとビスタがマリーさんの足にしがみついて、必死に彼女を説得しようとしている。当のマリーさんは、いつもからは考えられない冷淡な顔で二人を見下ろす。
「黙りぃ、誰が話してええ言うたの」
しかし、ビスタは黙らない。なおもマリーさんを止めようとするビスタに、彼女が何かを唱える。ビスタは喉を押さえて苦しそうにすると、その場で倒れた。
「マリー…………」
リュックは怯えたように小さくなる。マリーさんは悪魔たちにはもう見向きもせず、椅子の前に立つ男に言う。
「アンタが学園長。いや、悪魔の王様やね?」
「いかにもそうだよゥ?」
「うちと契約を」
男は肥満体を揺らして笑う。濃い紫色のシルクハットと燕尾服がわざとらしいくらいに似合う男だ。
「契約ぅ? ワタシを悪魔だと知ってなお契約を求めるというのか! あ〜ぁ、なんという愚蒙、愚昧、愚考!」
にたり、と黒い唇を吊り上げ、男は破顔する。
「──だが、それがイイ! マリオネット教授。プロフェッサー、アナタは何を求める?」
「マリーさん! どうしちゃったんですか!?」
マリーさんが俺の方を見る。笑おうとして、失敗した。そんな表情で、彼女は口元を歪めた。
「ごめん。ウチ、最後まで、アンタらを案内できのうなってもうたみたいや。ホント言うとな、案内役を買って出たんも、闇の国に入って大手を振って悪魔の王様を探すためやったん。だから……ごめんな」
「マリーさん!」
ズズ、ズという重い音。巨大な質量が頭上から降ってくる。手を伸ばせばギリギリ届くくらいの距離に、部屋を真っ二つに分けるように土の壁が降りる。
彼女が何をしようとしているのかはわからない。だけど、あんなに一緒にいたビスタたちへのあんな行動は、おかしい。嫌な予感が強くなる。
こんな感覚には覚えがあった。リクシャがナミを狙った時みたいな、首筋が粟立つような不快感。
壁の向こうから、反響したアーリーの声が聞こえる。小さな子供に似たその声は、震えていた。
「や、やめようよ、まり。王様に願いを叶えてもらうと悪魔にされちゃうんだよ……?」
「ッ、マリーさん、何をしようっていうんですか!?」
迷うような気配を感じる。しかし、それを振り切るように、マリーさんは一息に言い切った。
「千年前の勇者についての欠損した記録。その復元がうちの一族の悲願。闇の国が壊れ、一族の大半がのうなった今こそ────うちが、突き止めなあかんのや! そうやないと、誰も……誰も、悲願を叶えられんようになってまう」
「やめろーーーっ!」
マリーさんの言っていることがわからない。いくら一族の悲願があるからって、それがなんだ。悪魔になってでも叶えるようなことじゃない。
たとえ短い旅の間だけでも、一緒に過ごした。マリーさんはパーティーの一員だ。だからこそ、絶対にこんなことは認めない。
「いいだろう!」
悪魔の返事が、死刑宣告のように頭に響いた。魔法の効果時間が終わり、ゆっくりと土の壁が天井へと戻っていく。
マリーさんはもうそこにはおらず、悪魔が立っているのも想像した。マリーさんの足下には巨大な魔法陣。不気味な暗紫色の光を撒き散らした魔法陣が弾け、果たして、そこにいたのは向かい合うマリーさんと紫燕尾服の男。何一つ変わりないままの光景だった。
男は大きく口を開けて笑っていた。コメディ調の外見にそぐわない、真っ赤に光る不気味な目。その目には、ナミが捉えられていた。
「クッフッふふふ……と、言いたいところだったのだがね。いやはや、本当に異邦人というものはタイミングが悪い。あと少ゥしでも遅れてくれたら、良い悪魔がこの世に増えたのだがねぇ。そこにいるのは勇者だね? であれば、ワタシにはそも、語る義務があるのさ。そちらの勇者はなんだか問題ありなようだが……まあ、ワタシの知ったことじゃない! さあ、お見せしよう」
いつのまにか、紫色の服に身を包んだ悪魔の前に小さな舞台が現れていた。豪華な金色の装飾が施されたその台へ、2体のマリオネットが吊り上げられる。
部屋が暗くなり、どこからともなく人形劇の舞台を照スポットライトが照らす。BGMは、安っぽいオルゴール調の音楽。大げさな動作で悪魔がおどけた一礼をし、異様な空気の中で人形劇が始まった。
黒髪の勇者の人形が、茶髪の女の子の人形と出会う。女の子は聖女だった。
二人は力を合わせて7体のモンスターを倒し、明るい音楽が流れる。
「異世界から喚ばれた勇者は、聖女と力を合わせて世界を救いました。勇者は、旅の間でたくさんのヒトを見てきました。世界は勇者の知る世界よりもずっと過酷で残酷でした。だから勇者は、荒地が広がるばかりの闇の国に、理想郷を作ろうとしました」
茶色かった舞台に建物が建ち、人々が増え、緑が増える。明るい情景に対して、オルゴールは暗い音楽を奏で始めた。
「だけど、それをよく思わないヒトがいました。その男は勇者の従者を操り、勇者をまんまと殺してしまいました。そうして、そのこと自体を歴史から消し去ったのです」
音楽がひび割れ、不協和音が連続する。気持ちの悪い音に片耳を塞ぐや否や、ブツンと耳障りな音を残して音楽が途絶える。舞台から一人、また一人とヒトが消え、建物は崩れ、真っ赤な戦火が緑を覆っていく。
新しく茶色い髪の男の人形が現れ、勇者の人形の胸を剣で刺す。悪魔が勇者の人形から手を放し、勇者は舞台の上に放り出された。
茶色い髪の人形もすぐに舞台から降り、最後に残ったのは聖女だった。
聖女の人形は地面に膝をついて悲嘆に暮れている。やがて顔を上げると、その顔は以前の優しげな女の子のものではなくなっていた。
「残された聖女は憎くて憎くて、悲しくて……世界を救ったその力で、世界を滅ぼすことにしました。ヒトが聖女を魔女に変えたのです」
聖女の人形の周りに小さな無数のヒトの人形が現れる。聖女は狂ったように力を振るい、ヒトビトの血で舞台は赤く染まった。
「魔女は神の力さえも手に入れましたが、最後には鎮まり、眠りについたということです」
聖女の人形は観客に背を向け、暗がりに溶けるように退場。
「勇者を消したんは、金の国やね?」
「おや、さすがですなプロフェッサー。そこまで調べがついていましたかァ」
悪魔の男が不気味に笑う。
金の国は、ナナツヨの七つの国の一つだ。勇者を召喚し、特出した個人の武力で有名。そんなこと、おれだって知っている。
「おかしいだろ……。金の国って、だって勇者を呼ぶ国がどうして勇者を消さないといけないんだ」
「強すぎた、から?」
沈黙を保っていたリクシャがぽつりと言った。悪魔は嬉しそうにしている。
「よゥくわかったねェ?」
「アタシには……少しわかる。勇者も、ナミも。それから……ジュンヤも。異世界人はやっぱり違うのよ。アタシたちとは生きてきた国や常識ってだけじゃない。何か、もっと決定的な価値観とか、そういうモノが違うっていうのは。わかるわ」
リクシャは話しづらそうに赤い瞳をナミに向け、それから長杖をぎゅっと握ると視線を落とす。
「アタシだったら、怖い。世界を救うほどの力を持つ者が国を興すって言ったら、攻め込まれたらって思う。でもきっと、ジュンヤたちにはそういうのはわからない」
「……そのトうりだ。金の国は、勇者を恐れ、その力を妬んだのだよ。後は彼に訊くがいい。当事者であった彼を、勇者が赦してやれると良いのだがネ」




